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ちゃぷたーじゅうきゅう 『やさしいせかい』

「…………っ」

 瞳を開けると、モノクロの陽光が網膜を貫く。

 灰色の空。

 白い太陽。

 世界は明暗のコントラスト。

「……違う」

 一度瞳を閉じ、頭を数回振って、もう一度ゆっくりと瞳を開いた。

 青い空。

 白い太陽。

 色彩に溢れた世界。

 春の若葉の緑が萌ゆる。

「……は」

 渇いた笑いを漏らす。鉛のように重い肉体。色彩を失い始めた瞳と、狭まる視野。……騙し騙し続けて来たけれど、いい加減、限界が近いらしい。

「……まあ、分かってたことだけどな」

 そんなことは、それこそ二年半も前から。

 青空を眺めながら、何時かの出来事に想いを馳せる。……あの日。結局俺は、何も出来なかった。アイツを死なせて、自分勝手に無関係な何百人の命を奪い、最後まで爺さんに迷惑を掛けた。

 マイナスにマイナスを重ねて。傷つけるだけ傷つけて。それでも、今まで生き残ってきた俺は、何かを掴むことが出来たのだろうか。

 ……少なくとも、あの時には何も掴めなかった。それでも、こうやって生きてきて……俺は、弟子に出会った。

 あの日掴んだ小さな手のひらを……俺は、本当に大切に出来ているのか?

「…………」

 ……何も掴めなかった右腕を、陽光に透かせる。色の戻った世界、その手のひらは、透けているように、白い。

「師匠、準備が出来ましたっ」

「おう」

 後ろから聞こえた声に、俺はかざした手を下ろして振り返った。そこには、外行きの服と何時ものリュックサックを背負った弟子が、笑顔で立っている。

「準備は万全か?」

「はい。師匠に言われたものは、全部用意しておきました」

 元気良く答える弟子。その言葉を聞いて、俺は頷き、

「分かった。とりあえず、確認させてくれ」

「はい! こっちですっ」

 先に走る弟子を見送ってから、気づかれないようにひとつ、ため息を吐いた。

「……なんか、今日は調子悪いなぁ……」

 気を付けないと……な。

「これで全部か?」

「はい。今日の売り物はこれだけです」

 弟子の声を聞きながら、荷物の中を覗く。

「それ……売れるんですかね……」

 俺が薬品の瓶をひとつひとつ確認していると、弟子が心配そうに荷物を覗き込んでくる。

「これか?」

 尋ねながら、俺は、先日弟子が作った薬の瓶を手に取った。

「はい……うぅう……やっぱり止めましょうよぉ……わたしがつくったのなんて売れませんって……」

「だから、前にも言っただろ。そこそこ良く出来てるって」

「うー……」

 唸る弟子に気休めを掛けても、相変わらず弟子は不安げで、泣きそうな表情のままだった。

「……だから、そんなに怯えんなって。売れるとは思うぞ」

「そうですか……?」

「ああ。『売れる』とは思う。後はどうなるか、知らん」

「師匠……っ!?」

 弟子が声を荒げたのを見てから、俺は荷物を背負い、

「ははっ。……よし、それじゃあ、売りに行くか」

 幾分調子の戻ってきた弟子に笑いかけて、俺は踵を帰した。




「つ……っかれた……」

 街の前で、乱れた呼吸を正すように大きく息を吐く。体力には自信があったのだが、病は良い感じに俺の身体を蝕んでいるらしい。

「昔はこんなでも無かったのにな……あぁくそ……そんなに歳ってわけでもねぇのに……」

 そりゃあ病気の所為だってことは理解してるけどさ。でも、俺はこれでも二十代前半なわけで、流石に、ちょっと傷ついた。

「師匠……大丈夫ですか?」

「はぁ……ああ」

 心配そうに覗き込んでくる弟子の顔を見返して、俺は頷く。

「これくらい……なんともねぇよ……っと」

 どうにか姿勢を正して、俺は荷物を背負いなおした。

「ちょっと、緊張してきました……」

 弟子が右手を胸の前に置いて、息をひとつ吐いた。

「今から緊張してどうするんだよ、お前」

「そうですけど……」

「……はぁ」

 こいつの緊張はともかく、こいつの薬が売れないのは、困る。

 んなことになったら、俺が安眠出来ないからな……。

「まあ、なんだ……。もし売れなくても、今度から頑張れば良いだけだからな」

「う……またやるんですか?」

「当然だ。これからは普段の修行に、薬の調合も加えるな」

 時間が無くなってきた今、ハッキリ言って、魔術の修行よりも薬品調合の修行の方がよっぽど重要だろう。魔術単品じゃ仕事にもならないが、薬師は十分飯になるからな。……何より、こいつは未だ、上手く魔術が出来ないからなぁ……。

「まあそれはともかく……じゃ、売りに行くか」

「あ、はい」

 弟子の頭を軽く叩いて、俺達は歩き出した。こんなところで考えていても、何も始まらない。……なにより、こんな所に立ちっぱなしでいると、色々大変だからな。


「…………」

「…………」

「……あの」

 暫く歩いたところで、弟子が口を開く。

「なんだ?」

 俺は、歩みを止めないままで、振り向かずに答えた。

「その……なんていうか」

 弟子が周囲を見渡しながら、言葉を濁す。……まあ、大体言いたいことは、分かるんだけど。さ。

「それは、俺が一緒に居るからだ」

 俺は、やっぱり振り向かないで答える。

「知ってるだろ? 俺は、この街の奴らに嫌われてるんだ。……まあ、そういう、事だ」

 そう言って俺は、一度周囲を見渡した。皆、俺たちに視線を向けているくせに、俺と目が合うと直ぐに視線を逸らす。……全く、バカらしい。

「良いから、前だけ向いてろ。あんまりきょろきょろするなよ、はぐれて貰っちゃ、困る」

「あ……はい……」

 それでも俺は振り返らないで、視線の中を真っ直ぐに進む。……本当に、何年経っても、俺と町人の関係は、こんなもので。

 結局、他の街から遠く、交易も少ないこの街では、俺の薬に頼るしかない癖に。この街は、俺を怖がっている。

「……別にいいさ。ギブアンドテイクだ」

 唯の、商売相手だ。

 ……でも。

 俺は良い。だけど、こいつにまで、こんな思いは、させたくない。心に過ぎったのは、それだけ。


「おう。婆さん久しぶり」

「……おやまあ」

 店先に居た婆さんは、俺の顔を見た途端、目を丸くした。

「まあ、数ヶ月ぶりだからな……ボケてたとしても無理は無い――」

「――あんた、暫く見なかったと思ったら何やってたんだい」

 ……軽く流された。

「……ってか、何の話だよ。別に何もしてないから」

 俺が頭を掻きながら問い返すと、婆さんは幾分真面目な顔で、俺の顔を覗き込む。

「そうかい? それにしては、ずいぶんと顔色が悪い気がするんだけどねぇ……」

「…………」

 その一言に、言葉が詰まる。

 ……そりゃあ、ねえ。何時も出会っている弟子なら分からなくても、流石に久しぶりに出会う人は、誤魔化せないか……。

「あんた、大丈夫かい」

「……ああ。別に、なんともないよ」

 俺は、これ以上婆さんに顔を見られないよう逸らしながら、答えた。

「ふーん……ま、いっつも山に篭っているような子だから、こんなもんかね」

「うるせぇな……」

「あっはっはっ! 若いんだから、何時までも引きこもってんじゃないよっ!」

 軽快に笑いながら俺の背中を叩く婆さん。どうにか誤魔化せたらしいので、俺は安堵のため息を吐く。

「あ、……あのっ」

 そんな俺たちのやり取りを、立ちすくんだままで見守っていた弟子が、声を掛けた。

「ん……?おやっ、弟子ちゃんじゃないか!」

「んなぁっ……!?」

 突然、婆さんが力いっぱい俺の背を叩く。不意をつかれた俺は、頭から正面の棚に突っ込んでしまった。

「元気だったかい? あの男に苛められてないでしょうね?」

「は、はい……あの……」

 ……その男は、今まさに九死に一生なのですが。

「やれやれ……」

 棚の下に埋もれながら、楽しげに弟子と離す婆さんを見ながら、俺は苦笑する。

「……本当に。俺よりは長生きしそうだよな」

 自嘲のつもりだったのだが、口に出すと、あまり笑えなかった。


「それで、今日は何のようだい?」

「ああ……。とりあえず、今日はこれ」

 俺は肩に掛けた鞄を婆さんに渡した。婆さんは中身を確認しながら、ひとつひとつ、丁寧に取り出していく。

「うん。ありがとね。これでこの街の平均寿命も一年は延びるわ」

「んな大げさな」

「大げさなわけあるかい。アンタしか、こんなにしっかりとした薬の調合は出来ないんだからね」

 失笑を漏らす俺に、婆さんは手を腰に当ててため息を吐いた。

「それで、要る物はあるかい?」

「そうだな……何時も通りでいいや」

「はいよ。ちょいと待ってくれ」

 言いながら、婆さんは薬を棚に並べだす。

「あ、手伝いますっ!」

 弟子が自分から婆さんに駆け寄った。

「あら、ありがとうね。それじゃあこれを端から、ここの棚に並べてちょうだい」

「はいっ」

 元気良く返事をする弟子。

「落とすなよ?」

「落としませんよっ」

 そう言いながらも、俺の方を振り向いた弟子は、危うく瓶を落としそうになる。

「うぁっ……!?」

「……ほらな」

 予想通りの反応に、俺は思わず苦笑を漏らす。

「はいはい。そこの馬鹿は真面目に働く子の邪魔をしないこと。

 俺たちのやり取りを見て、ため息を吐きながらも、薬を並べていく婆さん。

「すいません……」

「弟子ちゃんが謝らなくても良いんだよ。悪いのはあの男だからね」

「はいはい」

 俺は肩を竦めて、二人の様子を見守った。


「うん。これで終りだね」

「はい」

 ようやく薬を並べ終えた二人は、棚に並んだ瓶を見て満足げに頷く。

「……で、結局アンタは、何もしなかったんだねぇ」

 婆さんは俺に振り返ると、呆れたように息を吐いた。

「薬抱えて山を降りたからな。疲れてたんだ」

「それが若い男の台詞かい……まったく。それじゃ、用意してくるよ」

「ああ。頼む」

 俺が頷くと、婆さんは奥へと引っ込んだ。それと入れ替わるように、一仕事を終えた弟子が俺の前にやってくる。

「それで、師匠、次はどうするんですか?」

「ああ。帰る」

 首を傾げる弟子に、俺は一言、そう告げる。

「……え」

「この後、婆さんから薬代を貰って、生活用品を買ってからな。また疲れるが……まあ何時ものことだ」

「え……それじゃあ師匠、販売はお婆さんに任せるんですか?」

「そうだぞ?」

 ……説明、したことなかったか?

「俺は、ほら。知っての通り嫌われ者だからさ。俺が居ないほうが売れるんだよ。それに、婆さんはこの街の人間だからな」

 だから、買うほうも安心できるだろうって、話で。双方に有利な話なんだけれど……。

「それじゃあ、わたしの薬が売れたかどうかは……」

「次に来たとき。だな。要するに数ヵ月後だ」

 ……その頃、果たして俺は、どうなっているのやら。

「まあそういうことだ……って、どうした」

 俺が自嘲的な思考に意識を飛ばしていたら、弟子は何故か顔を俯けたまま、数秒ごとに一人首を縦に振っている。……何か、気持ち悪い。

「……おい、どうし――」

 俺が、弟子の頭を心配して声を掛けた途端、

「――ししょうっ!」

「は、はいっ!?」

 弟子が唐突に首を上げたので、俺は思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。

「な、なんだ? どうした?」

「師匠、わたし今日一日、この店を手伝います」

 突然のことに未だ混乱する俺に、更に困惑させる一言。

「……は?」

「幾らなんでも、お婆さん一人に任せるなんて、無責任過ぎます。だから、わたしが手伝います」

「…………」

「ほら、わたしなら、別にこの街の人に嫌われているわけでも……」

「……はあ」

 俺はため息を吐くと、弟子の頭に手を置く。

「……そりゃあ、お前が俺の弟子だなんて、そうそう知られてはいないだろうけどさ……お前、ひとつ、忘れてるよ」

「…………?」

 俺の言葉に、弟子は首を傾げる。この数ヶ月の暮らしの所為か。それとも義務感に燃えている所為か、すっかり忘れているらしい。

 こんなこと、改めて認識させたくは無いが……。

「…………」

 俺は、無言で眼鏡の上から自分の左眼を指差した。

「……あ」

 ……そう、受け入れられない赤い瞳。

 半分だけとはいえ。……いや、寧ろ半端な存在だからこそ、その身に掛かる重圧は重く。

 王都の魔術学院のようなところならともかく、こんな片田舎で、『それ』が受け入れられるとは、あまり思えない。

「……そうでした」

 弟子は顔を俯けると、覇気の無い声で呟いた。そこに、今までの明るさは無い。

 どうにかしてやりたいが、本当に、こればかりはな……。どうあっても、歴史がどう動いても、差別ってのは、無くならないんだろうし……。

 そんなものを、たかが俺一人の力で、どうやって――

「――あ」

 そこまで考えて、何か大切なものを、思い出した。

「……なあ、弟子。お前、そんなに手伝いたいか?」

「あ……はい。出来るのなら……」

「……そっか」

 それじゃあ、これしか無いよな。

「……じゃあ、さ。お前の瞳の色を、変えることが出来る魔術がある」

「…………っ!」

 俯いていた弟子が、瞳を輝かせて俺を見上げた。

「代わりに左眼の視力を失うから、少し……いや、かなり動きづらくなるけどな。それでも良いなら――」

「はいっ! ぜひ!!」

 俺が言い切るよりも前に、勢い良く答える弟子。

「わかったよ」

 俺は、肩を竦めて答えながら、頭の中で印を描いた。二年も前の印。とっくの昔に忘却の彼方へ飛んでいったと思っていたが、それでも俺の脳内には、まるで迷うことなくその図形が描きだされる。

 ……というよりも、忘れるはずが、無いんだよな……。

「……んじゃ、やるぞ」

 俺は少し屈み、弟子の左眼に手のひらをかざす。

「はい……」

 少しだけ緊張した様子の弟子。何かと既視感を覚える状況に、笑いさえこみ上げてくる。

 ……あの時は、相殺だった。

 だけど、今度は照射。

「Siegel= Bestrahlung」

 俺の手のひらから照射される魔力が、弟子の左眼に印を描く。あの時とは違い、今度は何かを考える間も無く成功した。

「……んっ」

 弟子が、少し驚いたように、目を閉じる。

「成功したぞ。ほら」

 適当にそこいらの硝子窓に手を当てて、鏡へと変換させる。

「……わぁ」

 弟子が鏡を覗き込むと、紺色の右眼を持った弟子が、硝子の中からこちらを見返していた。

「……あ、本当に、左眼が見えません」

 弟子は左眼に手をかざしながら、感心したように呟く。

「だから言ったろ」

「でも、これでお店のお手伝いが出来ます」

 そう言って笑う弟子。何かショックや、悪い影響でも無いかと心配したが、どうやら何事も無かったようだ。

「でも、師匠ってやっぱりすごいですよね……」

「あ?」

 俺が胸を撫で下ろしていると、鏡を使って左眼に焼きついた印を見ていた弟子が、感慨深げに呟く。

「こんな細かくて複雑な印を、即席で描けるなんて凄いです」

「ああ……それは……」

 それは……。それは、俺にとって、

「……一度、描いたことがあるからな。二年ほど前に」

「二年前に一度……ですか? やっぱり凄いですっ! こんな細かい印を覚えているなんて……」

「……ああ。そうだな」

 幾ら記憶力が良いほうとはいえ、こんな複雑な印を未だに覚えているなんて、確かに自分でも驚いた。

 ……だけど、それは、多分――

「――俺の眼にも、焼き付いちまってたんだろ」


「いらっしゃいませーっ」

「…………」

 店先で、婆さんの指示に従いながら働く弟子。俺はそれを、店の奥の椅子に座りながら、ぼんやりと眺めていた。

「いらっしゃいませっ」

「ああ……。あれ、婆さんに孫なんて居たっけ?」

 来店した客は皆、弟子を見て首を傾げるが、どうやらバレては居ないようだ。……それにしても。

「……よく働くよなぁ」

「あんたと違ってねぇ」

 何時の間にか俺の隣に立っていた婆さんが、皮肉を漏らす。少しだけ眉を顰めるが、……まあ、そういいたい気持ちも分かる。実際、弟子の働きぶりは、見ていて気持ちが良いものがあった。

「あの左眼の印は、アンタの仕業かい?」

「……気付いたのかよ」

「そりゃあねぇ。あの子、いま左眼が見えてないだろ?」

 ……成るほど。確かに弟子は良く働いている。だがそれでも。いや、だからこそ、違和感がある。

「アレが、アンタなりのあの子への気遣いかい?」

「そうだな」

 ぶっきらぼうに答えると、婆さんはかぶりを振ってため息を吐き、

「片目が見えない状態で働かせるなんて、何考えてるんだい」

 そして、俺を叱りつけるように、そう言った。

「つっても、アイツの頼みなんだよ。アイツに不自由なく働かせるためには、視力を無くしてでも、魔物の瞳を封印するしかないだろうが」

「はあ。頑固な子だね。アンタも。あの子が本当に望んでいること、分かっているだろうに」

「…………」

「しっかりしなさいな。アンタは、あの子の師匠で、憧れなんだから。そのアンタがヘタレててどうするんだい」

「……うっせえ」

 そう返しながらも、俺は視線を逸らす。

 ヘタレ……か。それでアイツが、俺から離れてくれるのであれば、むしろそれは名案なのではないかと考えた。

 ……アイツの憧れ。今ではそれが、余計な重みとなっている。だって……人は、想いが強ければ強いほど……それを失ったとき、辛いから。

 それでも俺は未だ、アイツの支えだ。今、アイツが俺を失ったら、きっとアイツは壊れてしまうから。だから――

「……なあ、婆さん」

「ん?なんだい」

「もし、俺に何かあったら――あいつのこと、頼むな」

 ――だから俺は、これを言う為に、ここに来たんだ。

「…………」

 婆さんは、俺の言葉を聞いて、口を閉ざした。その表情は――俺が視線を逸らしているから、分からない。

「頼む婆さん。ずっと悩んでたんだ。俺が居なくなった時の事……アイツが独りになった時、どうしようかって。他に頼れる人なんて、俺は知らないし……。アイツも、アンタに懐いてる。だから、さ――」

 俺は一度言葉を切って立ち上がると、婆さんの方に身体を向ける。そして、婆さんと眼が合うよりも前に、俺は頭を下げた。

「……なんで急にそんなことを言うんだい」

 婆さんは冷静に、俺に問う。俺は、顔を上げないままで、それに答える。

「俺は……世捨て人なんてやっている男だ。俺に着いてきても、アイツに……いい未来は、無いと思う……から……」

 俺は、わざと真実は伏せて、婆さんに話した。そのことを言うのは、何故か少し、卑怯な気がする。

「……じゃあ、そもそもどうして、あの子を弟子になんかしたんだい」

 婆さんは静かな声で、俺に問う。

「……最初は、アイツに生きる術を、教えてやるだけのつもりだった。俺とアイツは……多分、似ていたから。不器用な奴だから。だから、それくらい、教えてやろうって……それだけだった……でも」

「…………」

 話しながらも俺は、頭を下げ続けた。

「……でも、気が付いたら、アイツの幸せを、願うようになっていた……。アイツがもっと、広い世界を見て、色んな奴と笑いあって。……それで、幸せに過ごしているような未来を、望むようになった……。でも、それには、俺が邪魔なんだ……。俺が居る限り、アイツはあの山小屋……俺の世界から、外に出ようとしないから……だから」

 ……いつの間にか、大切だった。

 下らない劣等感や、誇りや、俺が今まで大切にしてきたもの全てと秤に掛けても。

 焼きついたトラウマを、例えもう一度引きずり出してでも、アイツの幸せを望む程に。

 色あせそうな程に古い、何よりも大切な思い出を、崖に投げ捨てても良い程に。

 俺の、一番大切なものは……アイツだから――

「だから――アイツを、宜しくお願いします……」

 下げていた頭を、より深く、下げる。了承を得るまでは、この頭は、上げない気で居た。

「……はあ」

 婆さんは、俺の頭の上で盛大にため息を吐くと、

「――このっバッカちんがぁああああああああっ!!!」

「ぐあぁっ!?」

 俺の後頭部に向けて、思いっきり拳を撃ちつけた。

「―――――っ!」

「アンタ……あの子が今、どうしてあんなに頑張っているか、全然分かってないようだね……」

 間髪居れず、婆さんは俺の胸倉を掴み、俺を睨み付けた。老成した身体からは想像もつかないほどの力と、皺の刻まれた顔からは考えられないほどの眼光に、俺は身体を竦ませる。

「アンタ……どうして今、あの子が頑張っていると思う? 片目の視力を失っても頑張っているのはどうしてだい?」

「それは……」

 ……そういえば、どうしてアイツはああも、強情だったのだろうか。

「ったく、『アンタの世界』に引きこもってるのはどっちだい。ヘタレも大概にしなさいな。あの子は今、あんなに外の世界で頑張っているだろうが。それはどうしてだい?決まってる。アンタの言う『アンタの世界』と、『外の世界』を頑張って繋げようとしているんだよ。アンタを、外の世界に引きずり出そうと頑張ってるんだ。アンタと一緒に居るために……」

「…………」

 ……そんな、でも、俺は……。

「それをなんだい? あの子だけ外に出して、アンタはまた一人で引きこもるってのかい? それはアンタ、あの子を『捨てる』ってことだよ。自分の命より大切だって? 笑わせるな! アンタは結局、自分が大切なんじゃないかっ!!」

 それだけ言い捨てると、婆さんは俺を思いっきり突き放した。俺はそのまま後ろの椅子に足を取られ、無様にも転倒してしまう。

「……ふざけんな」

 だが、ここまで言われて、それでも黙っていられるほど、俺は出来た人間では無い。

「ふ……っざけんなよっ! アンタだって知ってんだろうが!! 俺はこの街では招かれざる異端、気味の悪い魔術師なんだよっ! そんな奴と一緒に外の世界に出て、アイツが幸せになれるわけねぇだろっ!! 唯でさえ……唯でさえアイツは、赤い瞳の、混ざりモノなのに……その上、そんな不幸、押し付けてたまるかっ!」

 叫んだ。地面に尻餅を付きながら、それでも叫んだ。今まで隠していたものが、必死に押し込めてきたものを全て吐き出すように叫んだ。

「……あああああっ! もうっ!! わかんない子だねっ、アンタの幸せは一体なんだいっ!!」

「決まってる!! アイツが幸せになることだっ!!!」

「それじゃああの子の一番の幸せはなんだいっ!!!」

「――――っ」

 …………言葉に、詰まる。

 アイツの幸せ、それは――

「それは……アンタと一緒じゃ、ないのかい」

「……それは……っ」

「それにね……アンタは少し、私達を見くびり過ぎているよ」

「は……?」

 突然移行した話題に、頭が着いていかない。そうやって剥き出しになった心に、婆さんの一言が、突き刺さる。

「正体不明だろうが、無愛想だろうが――何年も、この街を救ってくれた恩人を――忌み嫌うわけが、ないだろう?」

「……ぁ」

 それは……それは、でも……。

「……はあ。アンタが何時までもそうやって私たちを避けるから、誰も何も言えなかったけどね。アンタ、バカじゃないんだから分かるだろう? 何時までも引きこもっていたって、何も変えられない……けど、周りの奴らも、声なんて掛けられないんだから。だから、その子はああやって……」

 婆さんはそこで言葉を切ると、店のほうに指を差し、

「……あ、あの……」

 ……そこには、先程までの怒声を聞きつけたのか、怯えた様子で弟子が立っていた。

「……アンタの為に、外への扉を、開こうとしているんだろうが。

「…………」

「……あ、あの、ししょうっ……大丈夫ですか?」

「……ああ、大丈夫だ」

 弟子が駆け寄ってくるのを手で制し、俺は立ちあがった。

 そして、婆さんのほうを見る。婆さんは、先程までの形相は何処へやら。すっかり何時もの表情で、俺たちを見守っている。

「……なあ、俺は――」

 ……俺は、どういえば良いのか、分からないけど……。

「……って、ちょっとそこのアンタっ!!」

「な、なんだっ!?」

「どうしたんですか……!?」

 突然声を上げる婆さんに、俺と弟子は同時に振り向いた。婆さんは、俺たちには見向きもせずに店先へと向かう。

 それと同時に、店から駆けて行く男の姿があった。

「……やられたっ! 店に誰も居ない間に、品物を奪われたみたいだ」

 どうやら、俺や婆さんに加えて弟子までもが奥に引っ込んだ為に、店が無人となってしまっていたらしい。

「盗まれたものは……」

「あっ」

 弟子が、小さく声を上げる。

「わたしの、薬……」

「……はあ」

 少しずつ、騒ぎを聞きつけて店先に人が集まりだした。幾人かは俺の姿を見て、目を見開いたり、身を竦めたりする。

「……くっ」

 そんな姿を見て、俺は思わず苦笑した。

「――――」

 周囲の空気が、俺を見る周りの目が、少しだけ、変わる。それが何を意味するのか……とりあえず今は、どうでもいい。

 俺は弟子の頭に手を置いて、言った。

「……安心しろ、俺が、取り戻してきてやるから」

「え……でも」

 弟子が心配そうに俺を見上げる。それに俺は、ニヤリと、口元を歪めて、

「俺を誰だと思ってる? ――お前のお師匠様だろうが」

「――は、はいっ」

 その返事を聞くと同時に、俺は駆け出した。驚愕の表情で俺を見る群集の間を駆け抜ける

 顔は、覚えた。当然、体力勝負に挑む気は無い。

「Leib Verstarkung──und、militarische Aufklarung」

 走りながら、周囲を検索する魔術を使用する――見つけた。前方五十メートル先の角を右。先回りするには……。

「…………っ」

 魔術行使をした後遺症で、強烈な目眩と吐き気に襲われる。

「――よし……っ。いくぞ……っ!」

 それを、肉体強化の魔術で押さえつける。結局は魔術故に効果は一時的なものだが、今はそれで良い。小さく息を吐いて、俺はそこいらに転がる石を広い、印を描く。

「versiegelnBannkreis」

 後数秒。次の角を左へ。

「――ふっ!」

 角を曲がると同時に、俺は石を投げつけた。

「──なっ!?」

 正面に居た男が声を上げるよりも先に、投げつけた石に刻まれた印がその力を発動し、男の身体を硬直させる。

「――――っ!?」

 突然の肉体の硬直で、つんのめるように前方に倒れこむ男。俺は、男の腕から放り出された瓶を空中で掴み、

「……っらあ!!」

 倒れこむ男の身体に、蹴りを一発。

「げぼ……っ!!」

 男は一瞬声を上げると、数秒ほど空中を舞い、地面に叩きつけられる。

「…………」

 魔術強化された肉体による蹴り。……しかも停止の魔術で受身すら取ることの出来なかった男は、そのまま意識を落とした。

「師匠……っ!」

「ほら。ちゃんと、取り返してやったぞ」

 追いかけてきたのだろう、肩で息をする弟子に向けて瓶を投げる。弟子は慌てて、その瓶を掴んだ。

「もう……ししょうっ!」

「はは……悪い」

 苦笑しながらも、俺の視界は目眩でぐるぐる回っている。それでも……こいつには悟られないように、俺は見栄を張り続けた。

「……さて。こいつはどうするかな」

 弟子に顔色を気取られないように、俺は振り向く。そこには……。

「…………」

「…………」

 ……さっきまで、店を囲んでいた、この街の住民たち。

「……えっと」

 彼らは、無言で何を言うでもなく、俺達を見つめている。

「師匠……」

 弟子が、不安げに俺のローブの裾を掴んだ。

「なに。気にするな」

 安心させる為、弟子の頭に手を置いて一度撫でると、俺は再び街の住民達に向き直る……さて、こういうときは、何を言えばいいのだろうか。

 ……とりあえず、

「……お騒がせしました」

 俺はそう言って、頭を下げた。


 その瞬間――ドッと、歓声が沸き起こった。

「すげぇなアンタ……!」

「やるじゃないかっ!」

「凄い……今のが魔術。僕、はじめてみた……」

「……え?」

 歓声を上げる群衆は、思い思いに、先の捕り物の感想を述べる。

 ……えっと。これは、どういう状況なのでしょうか?

「ね、だから、言ったろう?」

「……婆さん」

 そんな群集たちよりも少しだけ前に立った婆さんが、俺に、笑みを見せる。その後ろ……住民達はこぞって、俺に視線を向けた。でも、それは、今まで俺に向けられていたようなものじゃなくて……。それは、もっと、優しい――

「――私たちは、とっくにアンタを、受け入れていたのさ」

「――――」

 ……その言葉に、俺はどう返せば良かったのか。こんな状況……なったことが無いから、わからない。

「……あっ……と……」

「ずっと言いたかったんだ。アンタの薬のお陰で、俺は去年、どうにか高熱で死なずにすんだ。あの時のことは、本当に感謝してるぜっ!」

 一人の男が、そんなことを言った。そして、まるでそれを皮切りにするかのように――

「俺は去年風邪に苦しんでなっ! あの時もあんたの薬に助けられたぞ!」「この子は、生まれて直ぐに病に掛かりまして、それを助けてくれたのが、あなたの――」「あ、あたしのお兄ちゃんは、身体が弱くて……本当だったらこんなに生きられなかったかもしれなかったのに……」「俺の家内はさ、本当なら二年も前に死んでいる筈だったんだ。でも、アンタが居たから、もっと沢山の時間を過ごせた。ありがとうな」「わたしは――」「いや、僕は――」「俺の――」「わしの――」

「――――ああ」

 そんな――笑顔。

「なあ、今度うちに飲みに来てくれよ」

 ――こんなに沢山の笑顔は、向けられたことが、無くて。

「あ、あの……うちの家にも……あたし、料理が結構上手くて……」

 ――こんなに沢山の優しさは、向けられたことが……無くて。

「え、この薬、こんな小さな女の子が作ったの? 凄いね!」

 ――こんな……こんな幸せな、思いの……。

「そうだ、アンタ、あんな山奥じゃあ不便だろう? 何か必要なものがあったら言ってくれ。何時だって配達してやるよ」

 ――優しさで、満ちた場所に。

「いや、寧ろこの街に住んでもらったほうが良くないですか?」

 ――俺は……俺が……。

「――師匠、どうしたんですか……?」

「…………別に」

 視界が霞むのは――多分、目眩の所為だろう。

 俺は、一度目を擦って、もう一度、皆に顔を向けた。

「……その。お心遣い。感謝します……俺も、出来ることなら、この街に住みたいです……」

「おう!そうだ、引越しちまえよ!!」

 俺の言葉に、再び歓声が沸く。……本当に、心から歓迎してくれて、だから、俺は……どうにか苦笑を形作りながら、こう答える。

「……ですが、あの山小屋は見た目以上に沢山の荷物がありまして。中には、少し取り扱いに困るものもあるので、下手に動かせないんです」

「あー……」「それじゃあ、仕方がないのか……?」「何しろアレだ、スッゴイ魔術師さまだからな!」

「はは……すいません」

 俺がそういって笑うと、しかし彼らは再び活気を取り戻す

「それでも、いつでも遊びに来てくれ!そこの嬢ちゃんもなっ!」「ああ、出来るだけ沢山来てくれたほうが、こちらも助かるしな」「というかそこの女の子、魔術師さんとどういう関係……?」「あの……僕、魔術って興味があって、遊びに行っても、良いでしょうか……?」

「やれやれ、調子のいい奴らばっかりだね」

 そんな皆を、一歩前に出た婆さんが、ため息を吐きながら宥めて諭す。

「あんた達、こいつらに興味深々なのは良いけどさ、少し、忘れていることが無いかい?」

「忘れていること? ――ああっ」

 皆は、少し首を傾げるが、すぐに思い立ったように笑い始める。

「皆、気付いたね?それじゃあ二年越しだ。思いっきり盛大に祝ってやろうさ」

 婆さんがそう言って、俺たちの方へと振り向く。後ろの皆は、本当に、優しい笑顔を浮かべたままで――


「この街へ、ようこそ――!!」


「――――」

 ――そんなことを、全員で口を揃えて。本当に……本当に、俺たちを歓迎してくれて……。だから……。

「…………ありがとう」

 ……だから、ごめんなさい。

 受け入れてくれて、本当に、嬉しかった。

 ……とっくに希望を失った未来なのに、もしもこれからも、こうやって過ごせたらと、柄にも無く、思ってしまった。

 ……でも、だからごめんなさい。この未来は、続けられないんです。

 それと、ありがとう。皆のお陰で、決意が出来ました。

 ……こいつの世界は、繋がった。こいつはもう、一人じゃない。

 皆の優しさを信じているから。

 こいつを、宜しくお願いします……。


 ……だから、後は俺が――



『やさしいせかい』

おわり。

次回更新は10月27日、20時予定。

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