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ChapterⅩⅢ 『救われなかった物語』

 ――少しだけ。昔の話をしよう。


「……封印?」

「そう、封印だ」

 そう言って爺さんは、俺に数枚の資料を押し付けた。

「……患者は女性。二十一歳。患部は眼。症状は失明。虹彩に印…?そりゃまた」

「お前向きだろ、お前、手先だけは器用だしな」

「だけって何だよ。だけって…」

 ため息をつく俺に、爺さんは意地悪げな笑みを漏らす。

「いやいや、お前の指先にはずいぶんと世話になったよ。試験管にまでアレだけ正確な陣を描くんだもんな」

 この爺さん、一応俺にとっては師に当たる人物だが、厳格なわけでもない、飄々とした好々爺だ。

「……まあ良いけど。とにかく、これが俺の卒業試験なんだな?」

 資料を机に放りながら尋ねる俺に、爺さんは頷いた。

「ああ。毎日毎日、口を開けば大学最良と豪語していたからな。どうせだから、一番難しい課題を用意してみた。正直に言えばこれ、うちの印専門の魔術師が全員手を上げた患者だ」

「……は?」

 おいおい……一応ここは、この国の魔術組織の最高機関じゃなかったっけか。

「……ん? 怖気づいたか?」

「……というか、んなもん駆け出しにさせるなよ」

「なぁに、お前ならできる。信じろ」

 豪快に笑いながら、俺の背中を叩く爺さん。その楽観的な思考に呆れながらも、少しだけ折れかけた心を立て直した俺は、よしと気合を入れて部屋を出た。


 科学の発展した北国に対して、魔術の発展したこの国では、医師と魔術師の線引きは非常に曖昧だ。無いといっても良い。

 よって魔術大は自然、医大と同意となり、普通の治療や魔術的症状の処置、入院もこなす。その中でもここは、この国唯一の国立大だ。

 その規模は、ここが魔術の発展しているということを含めて、世界最大といっても良い。

 ……無論、魔物の国を含めなければ。だが。

「ついたぞ、ここだ」

「む……」

 着慣れない白衣に違和感を感じつつ、俺は444と表札の掛かった扉の前に立つ。

「うわ……素敵な部屋番号……」

「ゾロ目だぞ、ワクワクしてきただろ」

「ここが七階ならねぇ…」

 爺さんの嫌味に肩を竦めつつ、俺は扉をノックする。

「どうぞ」

 よく通る、綺麗な女性の声。その美声に少しだけ聞き惚れてしまう。

「おい、さっさと入れ。それから、中では無駄口を叩かんようにな」

「あんたが言うな」

 爺さんの言葉に軽口を返しながら、我に返る。

「……よし」

 小さく気合を入れて、ドアノブに手をかけた。

 蝶番が音を立てながら、ゆっくりと開いていく。

 そして――

「――――」

 言葉に詰まった。

「こんにちは。君が、新しいお医者さん?」

「…………」

 長い黒髪と、薄い唇にすっと伸びる鼻。

 美人だった。びっくりするくらい美人だった。

 その目元を覆う包帯にも負けない白い肌。俺が女性慣れしていないのを考慮に入れても、彼女は言葉が出ないほどの美人だった。

「あの……君が新しいお医者さん、だよね?」

「違う……俺は魔術師だ」

 見惚れてしまっていたせいか、変な返答をしていまい、爺さんに頭を叩かれた。

 先程まで医者と魔術師について思考を巡らせていたのが仇となったか。

「……っぷ。あはは、あはははっ!」

 しかしそれを聞いた彼女は、何故か唐突に噴出して、堪えきれないように笑い出した。

「あははっ……君……面白いね…っ」

 何がツボに入ったのか分からないが、暫く腹を抱えて笑った彼女は、

「ははっ……うん。宜しくね、魔法使いさん?」

 そう、微笑んだ。




 それから数日が経ち、444の表札に、何時もながら気合を削がれつつ、俺は数回扉を叩く。

「どうぞ、魔法使いさん」

「魔法使いって呼ぶなよ」

 部屋に入りながら、俺は彼女に言った。

「何で?」

 彼女が黒い髪を揺らしながら首を傾げる。

「なんか幼稚だろ、その言い方」

「そうかな? 堅苦しく無くて良いと思うんだけど」

 じゃない? と、彼女は口元に指をやりながら俺に問う。これ以上この話題を続けても意味が無いと思った俺は、はいはいと適当にあしらいながら、ベッドの横に備えられた椅子に腰を下ろした。

「それで、その魔法使いさんのお姫様の調子はどう?」

「あはは。お姫様って柄じゃないよ」

「ああそうだな。どちらかというと町娘だもんな」

 カルテを机の上に置きながら適当に軽口を返すと、彼女は少し唇を尖らせる。

「あ、酷い。女の子は少しは憧れるもんだよ」

「そうか……」

「でもアレだよね、町娘なら魔法使いに魔法をかけてもらえるよね」

「うん。そろそろ黙って。力抜けるから」

 肩を落とす。彼女は見た目は美人の癖に、中身が変人で、行動が読めない。

 読めないというか、読まれてるというか。子供っぽいのに大人びているというか……。うん、よくわからない。

「はあ……じゃあ、包帯とって」

「うん」

 彼女は頷くと、瞳に巻いた包帯を取った。

 綺麗な顔が露になる。その両目、細かく印が浮かぶ瞳は、本当は何色なのかは知らないが、紫に近い紺色に変色している。

 その印を紙に書き写しながら、ふと頭に浮かんだ疑問を口にした。

「……どうせ見えないなら、この包帯意味ないんじゃないか?」

「どうせ見えないんだから、巻いてても良いでしょ」

 ……よく分からない理屈だ。

「……まあ良いけどさ」

「それよりお話しようよ。魔法使いさんは何歳なのかな?」

「九十九歳。あと少しで一世紀」

「成るほど。十九歳ね。まだ未成年なんだ」

 手が止まる。……おい、何だこいつ。

「何で分かるんだよ」

「あ、当たったんだ。ビックリ」

 ……。思わず乗り出していた身を、ゆっくりと戻して、俺は肩を落とした。

「でも、十九歳でもう魔法使いさんなの?」

 首を傾げるばかおんなに、俺は溜息と共に口を開いた。

「学生だよ俺は。アンタは俺の卒業試験」

「未だ十九歳なのに?」

「優秀なんだよ。俺は」

「ぶっ……」

 ……吹き出しやがった。

「……何だよ。大体、アンタの相手を任されてる時点で俺が凄いことくらい分かれよ」

 出来るだけ平静を装ったつもりだったが、口から出た声にはやっぱり不満が混じっている。それに気づいたのか、彼女も笑いをこらえつつ、

「あは……そうだね……こないだ一番偉いって先生が来たもんね。その後連れてこられた先生は、ずいぶん若い声だったから、てっきり見捨てられたのかと思ったけど……。にしても……自分で優秀って……ぶっ」

「吹き出すなよ色気無いな……」

 というか、俺はキレても良いんだろうか? むしろキレるべきか?

「えー……やだやだ、色気なんて。その気になられて襲われでもしたら、目が見えないから抵抗できないじゃない」

「…………」

 ……あ、何か色々失せた。……失せた代わりに、色々とダメな感情が……。

「あれ、もしかして照れてる?」

「……照れてない」

 火照る顔に、気のせいだと首を振る。……本当に、わけわかんねぇ……。




「魔法使いくんは、目が見えない感じって分かる?」

 また何度目かの検診。知らない間に呼び方が『くん』になっていた。

「わかんね。目は良いほうだし」

「えっ……」

 ……何故言葉に詰まる。

「何だよ、その反応は」

「え、だって目つき悪そうだもん。あと眼鏡掛けてそう」

 彼女の言葉に、俺は眉を顰めた。……残念ながら外れだ。生まれてこの方裸眼以外で過ごしたことは無い。

「それに、色々努力してそうだし」

「…………」

 ……それはまあ、正解なんだが……。どうせコイツには見えていないのだろうが、俺は彼女から視線を逸らした。

「……別に。視力は遺伝もあるからな。うちは目が良い家系なんだよ」

 だから、どれだけ本を読んだところで、どれだけ印を描いたところで、幸いにも俺の両目は健康値を保っていたわけで……。

「ふふっ。若いね、魔法使いくん」

「……なんか、ムカつくんだけど」

 全てを見透かしたような笑いが、癪に障る。

「いやいや、努力を恥ずかしいと思ってる辺り、若いなぁと思って」

 なんだよ。そりゃ。

「若いうちは大言壮語は吐いておくべきだよね。若くないと出来ないから」

「…………」

 ……だから、なんだよそりゃ。……まるで俺に、才能が無いみたいだろ。

「俺のことは良いだろ。それよりも、目が見えない感じって何だよ」

「ん? 文字通りの意味だけどな。目が見えないの」

 ……うん。だから。

「それがどんな感じか、君には分かるかなって」

「……分からない。真っ暗なんじゃないのか」

 彼女は、俺の言葉に楽しそうに笑う。

「じゃあ、君の更なる発展のために、教えてあげる。それは逆なの、魔法使いくん。目が見えないのはね、白いの。霧がかかってるみたいに白いの」

 …………。

「光は一応分かるのかな。でも、真っ暗なところに行くと、真っ暗闇になるけどね。……曖昧だよね。だから、自分から真っ暗にしたの」

「あ……」

 要するに、それが包帯の訳か。

「……変な奴」

 俺はそう言って、口を噤み、

「今更だね」

 彼女はそう言って、微笑んだ。




「魔法使いくん、君は奇跡って信じる?」

「全く信じない」

 というか、それを信じたら魔術師として終わる。本当は『可能性』なんて不確定も排除したいくらいなのに。

 そんな答えを返したら、夢が無いと怒られた。

「偏屈やさんだね君は。まだ若いのに、そんな夢の無いこと言ったらお姉さん怒るよ?」

「……二十過ぎて、んなこと言ってるのもどうかと思うがな」

 何か投げつけられた。コップだった。痛かった。

「じゃあ、説明して。私が二日も連続で、君が来ることを予め予測出来た訳を」

「検診は何時も同じ時間なんだから、時計見ればわかるだろっ!」

 危うくコップを投げ返しかけたが、目が見えないあいつに投げるのは流石に躊躇いがあるので、仕方なく口で応戦。

 すると彼女は、勝ち誇るように唇を歪める。

「馬鹿だなぁ魔法使いくん。目が見えないのに、時計なんて見えるわけ無いでしょう」

「…………!」

 ……しまった。俺が言葉に詰まったのを気配で悟ったアイツは、さらに言葉を続ける。

「ね、信じるよね? 奇跡」

「……そういう可能性も在るだろ」

 ……つい先程自分で否定したものを言い訳に使うのは、相当きついものがある。

「意地っ張りだね、魔法使いくんは。夢があって良いじゃない。奇跡」

 彼女はため息を吐くと、やれやれと肩を竦める。その分かったような目をやめろ。見えないくせに。

「それとも怖い? 曖昧なもの」

「…………」

 ……ついでに、さりげなく確信をつく癖もやめろ。

「別に。ただ嫌なだけだ」

「そうかな? 先が見えないのって楽しくない?」

 何かを反論しようとして、彼女の視界を塞ぐ包帯に、口を紡ぐ。

「……楽しいのかよ」

「うん。何が起こるか分からなくて楽しいよ。でも、君は違うみたいだね」

「……そうだな」

 俺が顔を伏せながら呟くと、彼女は不思議そうに首を傾げた。

「あれ、今日は素直?」

 ああ。

 だって、今日は俺の負けだから、素直にだってなってやるさ。

 ……ああクソ。強いなこいつ。




「魔法使いくん。お誕生日おめでとうっ!」

 彼女はそう言って、リボンのついた箱を俺に突き出した。

「…………」

「あれ、今日じゃなかった?」

 俺が呆れ顔で立ち尽くしていると、彼女は指を口元に当てて首を傾げた。

 ……いや、そうでなくてね。

「何であんたが俺の誕生日を知ってるんだよ」

「え? お爺さんに聞いたら教えてくれたよ?」

 ……あのクソジジイ。ぶっ飛ばす。

「嬉しくない?」

「中身を見てないから何とも言えない」

 彼女は「そっか」と呟くと、包装紙をバリバリと乱暴に破きだした。

「おい、雑に扱うなよ、仮にも人に上げるもんだろ?」

「どうせ私には見えないし、大切なのは中身だし。まだ私のものだから良いの」

 彼女の屁理屈に顔を顰めつつも、無言。こうなったら人の話なんて聞きゃしないってのが、ここ数日で把握したコイツの性格だ。

「はい、おめでと」

 ずいぶん歪になった箱を受け取る。

 ため息を吐きながら蓋を開けると、そこには……。

「……ライター?」

「うん。使うでしょ」

 ……あれ?

 俺が目を見開いて彼女を見ると、見えていないはずなのに、彼女は悪戯っ子のように笑う。

「残念でした。ここでは吸ってないみたいだけど、私の鼻はごまかせないんだよ。でも、偉いよね。ちゃんと匂いに気をつけてるし」

「……うっさいな。あんまり人にとやかく言われたくないんだよ」

 一応病院だし。なんて言い訳しつつ、ライターをポケットに仕舞う。

「感謝して使ってね」

「ライターはライターだろ」

 かもねと、彼女は笑った。

「大切には使わなくて良いよ。もっと大切なものが出来たら、捨てちゃって構わないから」

 捨てられるの前提でプレゼントって何だそりゃ。

「出来たら、何時かは捨ててほしいな。煙草は、子供の身体に悪いんだから」

 彼女の言葉に、俺は眉を顰める。

 ……じゃあ、何でライターなんだよ。

 というより、なぜ子供。

 そう聞くと、彼女は優しく微笑みながら、

「だって魔法使いくん、良いお父さんになりそうだもんね」

「……いや、意味が分からん」

 全然そんな年じゃないんだけども。

「年下にはなんだかんだで優しそうだもんねー。お姉さんにこんなに厳しいんだもんねー」

「いや……な?」

「あはは。でも、何時か大切な誰かが出来たら、そんなもの捨てちゃってね。私からのものなんて、取っておかないほうが良いよ」

 彼女は普段と変わらない、真意の分からない微笑を浮かべながら言った。

 ……それは一体どういう意味だよとか、アンタは『大切な誰か』には該当しないのかよとか、色々と考えさせる言葉だったが、

「……善処する」

 俺には、そんなへタレた解答しか、出来なかった。




 ある日。何時だったか、俺はアイツに聞いたことがある。

「怖くないか」

 目が見えなくて、怖くないのかと、そんな、答えの分かりきった問い。

 そして、やっぱりアイツは、

「怖くないよ」

 なんて、予想通りの答えを、口にした。

「そっか」

 何故なんて、聞く必要も無かった。

『先が分からないから人生は楽しい』

 無邪気なその言葉が、俺の頭にはずっと残っている。

 本当に、アイツはわけが分からなくて。

 俺にとってわけが分からないのは、人生よりも彼女のほうが、よっぽど理解不能だった。

 ……だから、惹かれたのかな。

 ここが病院じゃなかったら、俺はもっと、こいつに振り回されていたんだろうか。

 俺がどれだけ文句を言っても、最後には丸め込まれてしまうのだろうな。なんて。

 その想像は、俺を憂鬱にさせ、同時に俺を楽しませた。

 ……結局それは、叶わなかったけど。

 でも、あの病院のベッドの上で、視界を包帯に奪われたままで。……それでも、「怖くなんて無い」と、笑顔で胸を張った彼女は、俺の心に残っている。

 そのときの彼女は、綺麗で。格好良くて。可愛くて。

 俺なんかよりも、よっぽど強い人だったから。


「……あ、でも。目が見えるようになるのは、良いかもね」

「何でだよ」

 聞き返すと、やっぱり彼女は微笑みながら、

「だって、君が私の目を治してくれるんでしょ? だったら、私が始めてみる光景は、君の顔ってコトになるじゃない」

「――――」

 ……まあ、そんな会話も、あったりで……。




 とうとう運命のときがやってきた。ついに彼女の封印が解かれるときが来たのだ。

 字面だと無駄に仰々しいが、要するに目が見えるようになるってことだ。

「……はぁ」

 未だ着慣れない白衣を気にしながら、俺は扉を軽く叩いた。

「どうぞ」

 ここの院長の声である男の声が、中から聞こえる。

 俺は一度息を吐くと、ノブに手を掛けた。

「……入ります」

 平静を装ったはずだが、妙に上ずった声が口からこぼれる。……まさか、俺ともあろうものが緊張しているのだろうか……?

「やあ、待っていたよ」

 部屋の中に居たのは、アイツと、恰幅の良い院長と、爺さんと、

「……あんたらは?」

 二人の、騎士。

 壁際に立つ、礼装に身を包んだ二人の男は、無表情に俺を一瞥すると、視線を逸らした。

「…………?」

 どうしてここに騎士が居るのだろう。

「……どうしたのだね?」

「……いえ。別に」

 院長の声で、我に返る。まあ良い。その辺は何か事情があるのだろう。少なくとも、俺が気にすることではない。

「……準備はオーケー?」

 俺はベッドの横の椅子に腰掛けて彼女に問う。

「……うん」

 返事は、普段よりも随分と元気の無い声だった。どうやらコイツでも緊張することがあるらしい。

「……珍しいものが見れた」

「……な、何よう。私だって、普通の人間なんだからね」

「ははっ。そうだったな」

 思わず笑ってしまう。俺がやったわけではないけど、初めて彼女を出し抜いた気がする


「さて……」

 一度息を吐いて、呼吸を整える。

 準備は万全。そろそろ仕事と行こう。

「……これから、あんたの印に反転する印をぶつけて相殺する。印の照射が一ミリでもずれれば失敗。その場合、あんたの目は二度と使い物にはならなくなる。覚悟はあるか?」

 俺の問いに、彼女は、ゆっくりと頷いた。

「失敗する可能性、低くは無いんだぞ? 良いのか?」

 再度、脅しを掛けるように聞くと、彼女は唇の端を少し吊り上げて、

「今更だよ」

「それもそうか」

「それに、君と約束したしね。最初に見るのは、君の顔だって」

「……それも、そうか」

 苦笑する。……ああ、全く。本当に今更だけども。俺はもっと彼女と居たいんだなぁ、なんてことに気付いた。


 彼女がその包帯を解き、紺色の瞳が露になる。

 ……本当は、何色なんだろうな。

「どうしたの?」

「いや……」

 何でもないと、首を振った。そんなことは、成功してから見ればいい。

 彼女が初めて、俺の顔を見るなら。

 俺も初めて、彼女の顔を見よう。

 そのための俺。

 魔法使いは、町娘に魔法を掛ける。

「じゃあ……始めるぞ」

「うん。優しくね」

 緊張感の解ける台詞は、自分に言い聞かせるようだったから、俺はいっそう、自分に力を込めた。

 失敗になんてさせない。俺は、大学一の……魔法使い、だからだ。

「Siegel」

 彼女の目の前に、右手の平を翳す。

「Bestrahlung」

 呟く。二つの光を、その瞳に。

 印に印を合わせて、合わせて。

「相殺──!」

 魔力を込める。

 パリンっという、何かが割れる音。

 同時に、彼女が俯いた。

 ……割れたのは、印か瞳か。

 いや……印だ。こんな時くらい、自分を信じても良いだろう。

 彼女が、その顔を上げて――

「…………え」


 ――赤い瞳が、露になった。


「赤……朱……アカ……?え……だって……」

 赤い瞳は

 紅い瞳は

 朱い瞳は

 魔……物の……証……?


「あー……まだ掠れて、よく見えないや」

「……あ」

 彼女が目を擦りながら、俺に顔を近づける。

「こほん……じゃあ。始めまして、魔法使いくん?」

 そう、悪戯っ子のような笑顔を見せる彼女。

 普段包帯で隠されていた美貌が露になり、その瞳は……。

「…………」

 院長が無言で腕を振り上げると、二人の騎士が、剣を抜いて近づいてくる。

「……あ」

 ……止めてくれ。分かってる。分かってるよ。あんたらの任務は分かってるからさ……だから止めろと。

「……ろ」

 止めろって、待てって、声が出ない。剣が光る。腕が震える。呼吸が、呼吸が……出来ない。

「あ……ぁ」

 大切なんだ。

 大切な人になる筈なんだ。

 これから、これから。俺は、こいつと。何で。一緒に。何で何だよ……。

 喉が震えて。声が出ない。

「うーん……」

 彼女は、俺の頬に手を寄せて、その顔を近づけると、

「思ったより、可愛い顔、してるんだね」

 そう言って、微笑んで、微笑んで――


 ……赤。赤。赤。赤。赤。赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤――


「うぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」

 ――弾けた。

「何だこれは――っ!!」

 院長の叫びが聞こえる。

「魔力の……放出……?止めろ――っ!!」

 爺さんの制止する声が聞こえる。

 死んだって良かった。

 死んでしまいたかった。

 但し、道連れだ。

 俺も。

 お前らも。

 彼女の亡骸も。

 みんなみんな、一緒に持って行ってやる。

「うぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!!!」


 殺してやると思った。

 殺してくれと願った。

 そして、俺は――




 四角く切り取られた空が、白い部屋に光を誘う。

 狭い視界。狭い自由。……そんなものは、言い訳だ。彼女はこんな所に居ても、どこまでも自由だった。

「……お前は、自分がしたことが分かっているのか?」

 唐突に、窓とは逆方向から声が掛かった。

 俺は、慣れない眼鏡を押さえながら、そちらへと振り返る。

「ノックも無しに入ってくるのは誰かと思えば、先生じゃないですか」

 俺の皮肉めいた敬語に、爺さんは顔を曇らせた。

 ……ああ、分かってるよ。

 あの時のこと、アンタだって、やりたかったわけじゃ無いってのは。

 ……人間と、魔物を見分けるには、眼を見れば良い。

 紅い瞳を持つのは、魔物。

 それは逆を言えば、眼を確認しなければ、人間か魔物かを見分けるのは、難しい。ということで。

 だからこそ、魔物か人かを確認するために、わざわざ俺に印を解かせたのだろう。……魔物だったら、殺すために。

 それは上の命令で、このお人よしな爺さんが、自分からそんなことをするはずが無い。

 ……分かってはいるけど。

 だけど、俺は許せないから……。

「何か御用ですか、先生?」

 あくまでも他人行儀に、俺は問う。

「…………」

 爺さんは顔を曇らせたまま、俺にバインダーで閉じられた一枚のカルテを投げ渡した。

「……お前の症状だ。魔力枯渇。後天的欠乏症」

「……へぇ」

 他人事のように呟きながら、そりゃあそうだろうなあと納得する。

 あの時俺は、死ぬ気で魔力を開放した。

 それこそ、病院が半壊するほどに。

 足りなくもなるだろうし、肉体をオーバーヒートさせたんだ。

「あの時の放出で、お前の魔力炉が破損している。全く魔力が造られないわけではないが、生存するための魔力消費量を、下回っている」

 つまり、需要より供給のほうが多い状態。在庫が残るうちは未だ誤魔化せるだろうが、それもいずれ底を付く。

「分かっているのか?魔力が足りないということは……」

「肉体を動かす元。エネルギーが足りない」

 つまりは、そういうことだ。視力が急激に落ちたのもそれが原因で、そんな風に、徐々に身体機能が低下しながら、俺はいずれ、眠りに落ちる。

 ゆっくりと。

 ゼンマイが切れるように。

 緩やかに死に絶える。

 それでも、良かった。心は既に死んでいる。なのに、身体が生きているなんて変だろう。

 ……でも、俺は、とんでもない臆病者だから。

 一度冷静になれば、自殺する勇気も無い道化だから。この、生きているでも死んでいるでもない微睡みに生きている。


「……で、俺の処罰は?」

 俺はカルテから顔を上げて、爺さんに目を向けた。

「…………」

 顔を曇らせて沈黙する爺さん。それで、なんとなくわかった。

 仮にもこの国一の病院を、力の限りぶっ壊したのだ。

 あの周辺で生き残ったのは。俺と、俺を止めた爺さんだけ。あの騎士達も、恰幅の良い院長も。彼女の亡骸も、全て残らず、消し飛んだ。

 死刑じゃ足りないくらいだろう。

「教えて下さいよ、先生。俺の処罰は?」

「…………」

 爺さんは無言で、その手に持った大きな鞄と、ローブを俺に投げつけた。

「……お前の荷物だ」

「……はい?」

 爺さんは一度目を瞑り、覚悟を決めるように息を吐き、

「俺は今日、ここには来なかった」

 はっきりと断言して、踵を返した。

「……待って下さい」

 それを呼び止める。

「何だ……」

 苛立った声。爺さん最大の見せ場を邪魔したのは悪いが、最後に聞きたかったことが、ひとつある。

「……貴方は、アイツの死を、望んでいましたか?」

 これだけは、聞かなければ。

 仮にも爺さんほどの魔術師が、人間と魔物の見分けが付かない。なんてことは、無いだろうから。

「……あの日ほど、自分の優秀さを恨んだ日は無い」

 爺さんは視線を逸らしながら、誰かに懺悔するように呟いた。

「……そっか」

 あの時、俺の努力も経験も無力だった。

 俺が才ある魔術師なら……遥か先まで、可能性という言葉を排除した世界で生きられたのなら。

 あんな惨劇は。絶対に、避けたというのに。

「……逆だったら良かったのにな。爺さん」

 自分の凡才ぶりに苦笑するしかない。

 結局俺は、人一人救うことができない、どうしようもない馬鹿野郎だった。

 ……まったく。笑えない話だ。

「……よし」

 ローブを羽織り、カバンを背負うと、窓枠に手を掛ける。ここが一階で良かったなんて、他人事のように思った。

「……卒業課題は終了だ。さっさとどこにでも行ってしまえ」

 爺さんは一度舌打ちをすると、振り返らずに呟いた。

 だから、俺も、

「ああ。ありがとう……ございました」

 振り返らずに、今までの感謝を。


 病院の外は広くて、これから自分がどうなるか、どうすれば良いのかなんて、予想も付かなかった。

 彼女が望んだもの、彼女が笑顔で語ったものが、皮肉にも今の俺の前に広がっている。

 ……不安だ。

「やっぱり、アイツのようには、行かないよな」

 分からないのは、やはり怖い。

 それでも俺は、躊躇いはしなかった。

 どうせ、終わった命だ。どうにでもなれば良いさ。

 街中を歩きながら、俺は、ポケットにしまったライターを取り出す。

「……何で、ライターなんだよ」

 本当に、最後までそれが疑問だった。

 手に持ったそれを見つめながら、もう一度俺は反復する。


 ――もって、三年。それが俺の命。



『救われなかった物語』

Fin.

次回更新は10月12日、20時予定。

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