0.〈ハーライン遺跡〉――放浪者
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天井に走る放射状の亀裂から射し込む光に晒され――龍月朧は目を覚ました。
暗く荒んだそこには冷たくしけった空気が流れている。
左右に立ち並ぶ石造りの無骨な柱は半ばで砕け、瓦礫として周囲一帯に転がっている。かつての栄光の影もない崩れた神殿に足の踏み場はなかった。
まさに、全てが悠久の過去に終わった地。
廃れたまま眠り続けるはずの地。
忘れ去られた歴史の証明の地。
そこに咳が一つが響く。積もっていた埃が舞い上がったのだろうか。続けて苦しそうな息が吐かれた。
「――ここはどこだ?」
朧は口許を抑えつつ、辺りを見回し、自分がほんの数分前までいた場所と全く違うところにいることを認識した。こんな息の詰まりそうになる遺跡は知らない。
幸い、身体に異常はないようですぐに立ち上がることができた。
ただ、何故か思考が纏らない。考えた先から霧散する。妙な酩酊感を覚えていた。
「学校から帰る途中だったはずだけど……」
うざったい制服と肩に伸し掛かる鞄の重みは確かに記憶通り。スマホを確認してみるものの圏外である。こうなればほとんどのサービスが利用できない。
「まぁ、予想通りではあるか。明らかに日本じゃないしな……空気が全然違う」
朧は既にこの異常事態が何と言う名称なのか薄々検討がついていたが、あえて結論を自分の中で出さないようにしていた。スマホのフラッシュライトを起動し、瓦礫に気をつけながら適当に歩き出す。
崩れ落ちた玉座らしきものを背に歩けば出口へ着くはずだ。
通路は比較的劣化は小さく、歩くのに不自由はしなかった。やがて、光が見えてくる。遺跡の出入口だ。
ただ、出入口の半分が埋まっている。遺跡自体が地面に半ば埋まっているためゴキブリのように這いずり回らない限り脱出できそうにない。
――朧はゴキブリのように這いずり回った。
顔をあげた先に広がっていたのは一面の深緑色。遺跡は森林の中にぽっかり、と空いた空間にあったらしい。
都会では感じられない生命の息吹がそこにはあった。
一切の人工がない絶景に息を呑み、大きく吸い込む。澄んだ空気が胸の中を満たした。
「下校中は夕方だったのにここでは朝か……何時間寝てたのやら」
高い太陽から生まれた木漏れ日に目を細めながら朧は歩を進める。
入口から地続きになっている石煉瓦の道も踏めば砕け、ところどころ苔生していた。一体何年前に作られた神殿なのだろう。
「これもこれで風情があると言えばあるけど――」
独り言を漏らすと共にさらに一歩刻む――同時に大地が鳴動した。
地震に慣れている朧は冷静に動きを止め、揺れに意識を傾ける。地震かと思ったが横揺れでも縦揺れでもない。例えるなら電車が真横を通ったようなただデカい振動。
不気味だったのは揺れが徐々大きくなっていたことだ。
「……――」
まるで何かが近づいてきているような――。
逡巡は一瞬――危機察知能力の高い朧は何かまずいことが起こる、と直感した。そこが彼の知る世界だったなら危機から逃れることはできただろう。
しかし、残念ながらここは違う。
朧は何も知らない。ここがどんな場所か、圧倒的に理解が足りなかった。
反射で動いて尚、動き出すのが致命的に遅かった。
異常と理解していても、どの規模の異常なのかまでは気づけなかった。
――本当に揺れていたのは命の価値だということに。
ゴゴゴゴゴ――という重低音と共に足下の大地が割れる。
足を掬われ、尻餅をついた朧は岩を割って飛び出した鋭利な突起を携えた何かに息を呑んだ。
舞い上がった土埃を透かして見えるシルエットを朧は知らない。それでも表現するなら背中が平べったいステゴザウルスとでも言おうか。
異常性は体表が紫色ということだ。自然界ではまずあり得ない肌色。根拠もなしに邪悪に見える。いや、根拠はある。真っ赤な瞳からは捕食者特有の殺意と戦意が見て取れる。
一般高校生に殺気なんて感じ取れるはずないのに、睨まれるだけで首を絞められてる気分だった。
地面から現れた紫色の巨大生物――。
こんな生物は見たことがない。生態も名前も知るはずがないが、こういう生物の総称は知っていた。
「――魔物……!?」
フィクションにしかいないはずの、そう呼ぶ他ない自然界から逸脱した生物種を魔物と定義した。
現実逃避と理解しつつ、朧は自らの頬を引っ張ってみた。抗いようのない現実であることを認識させられただけだった。
「ああ、もう認めるよ。ここは異世界なんだな――!」
夢にまで見た訳でも、行きたいと思ったこともない自分のことを知る者が一人もいない遠い世界。
魔物に真上から睨みつけられ、影に覆われる。表面の鱗はまるで鋼のような光沢を帯びている。
魔物の口が開けば、隠れていた恐ろしく鋭利な牙が剥き出しになった。大きさからして胴体を一口にされるかもしれない。
「あ……――」
死――。
脳裏に過るのは生命と終わりを意味する概念。
生きたまま化物に噛み砕かれて死ぬなんてあってはならない。尊厳も何もない死の際まで恐怖に苛まれるなんて残酷が過ぎる。
人の死に方として絶対にあってはならないものだ。
だがお前は知っているだろう? ――現実が残酷なことばかりだって。
たった一七年生きただけでも十分思い知らされただろう? ――何かに期待することの無意味さを。
恐怖を前にしても朧は目を逸らさなかった。どんなことも受け入れてしまえば楽だったから、この状況でも同じ行動をした。
その諦めのお陰と言っても良いかもしれない。
朧はその目で確かに観測した。空から降り注いだ赤色の閃光を――。
突如降ってきた八つの流星が魔物の四肢を切り飛ばした。
魔物から放たれる聞いてるだけで頭がおかしくなるような絶叫が鼓膜を揺さ振る。
四肢を失いながら荒れ狂う魔物は最後の足掻きとばかりに朧へ向かっていった。死なば諸共――そんな精神が魔物あるかは知れないが、巻き込まれた方はとばっちりだ。
「――ッそ、何でこんな目に」
巨大な口が朧を包み込む寸前――爆散した。
一際眩い閃光が魔物の頭部を斬り落としたのだ。
「……――」
息を呑む朧が見たのは血潮を頭から被ったような全身真っ赤な少女の後ろ姿。
鎧にもドレスにも見えるフィクションから出てきた姫騎士。握られた身の丈よりも大きい剣、彼女の周りを旋回する八つの刃――何もかもが信じ難い。
少女の振り向きと共に、紅の長髪が左右に揺れる。
「あ……――」
切れのある凛とした紅眼に魅入られる。
朧は少女の底冷えするほどの美しさに疑問と逡巡の全てを忘却、言葉を失した。
――そこは木漏れ日射し込む森林の奥地に眠る忘れられた遺跡。二人は出会うべくして出会った。物語が、全てがここから始まる。




