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番外編:私の許可を君は請うけど

オスヴェルト視点の番外編です。ちょっと長すぎるので,お暇な時にどうぞ。

 ロゼリンダが姿をくらましたと連絡を受けたのは夕方になる少し前のこと。私は片手間に書類仕事をしながら、今日はやっぱりチョコレートを買い求めようと心に決めた頃だった。青ざめながら伝言を渡しに来た我が家の侍従にそのままいつでも馬車が出せるようにして待てと伝え、適当に仕事を切り上げて帰る事にした。同僚(宰相)に早退の旨を伝えておけば良いだろう。どうせ上司(国王)が反対することはない。

 飛び乗った帰りの馬車の遅い事と言ったらなかった。御者も飛ばしてくれているが、なんせ町中なので出せる速度は決まっている。王城から自邸までの短い距離なら、私が走った方が早いのではないかとさえ感じる。一番良いのは馬で走る事だが、王都の中心部では平時は馬は常足(なみあし)までと決まっている。今は乗らない方が賢明だろう。

 私がイラついているのを感じ取って侍従が馬車の隅で震えている。それが目に入って、大きく深呼吸をした。ゆっくりと背もたれに背中を預けて窓の外を見る。下の者を働かせるのに、上の者の不機嫌は害でしかない。ロゼリンダの無事を早く確認するためにも、私は自分をコントロールしなければならない。カラカラと回る車輪の音と、かぽかぽと馬の走る音を頼りに、出会った頃の彼女に思いを馳せる。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 成人してから数年、エルヴィンが国王になった。我が国では歴代王は若いうちに即位し、先代王の指導や手助けを受けながら国を治める。特に問題がなければこのタイミングでの譲位は決まっていた事だった。それと同時にリシュルト公爵家を私も受け継ぐ。爵位と同時に与えられた役職名は大大使(だいたいし)などという仰々しいものだ。けれど、要は周りの国と上手くやっていくためにあちこち走り回る独楽鼠のような役回りだ。これまでは王弟や王叔父など中位の王位継承権を持ち、他国の王族に対しても多少はったりの利く血を持つ者が選ばれていた。王と従兄弟(いとこ)である私には少々荷が勝つと思わなくもない。

 就任早々、一番の友好国である北の隣国へ派遣されることになった。贈り物をもって、新国王とも仲良くしてねとお願いしに行くのが、大大使の初仕事と決まっている。両国間で結んでいる条約の確認も予定の中に組み込まれているが形式的なものだ。既存の条約に変更は無いと既に内々で合意がとれている。こう言うのは「行った」「会った」という事実が大事なのであって、その中身は大して問題視されない。


「オスヴェルト!久しいな!」

 北の隣国の王太子が両手を広げて出迎えてくれる。

「サンダリオ様、お久しぶりです。」

 私は彼と軽く抱擁を交わす。10代の頃互いの国へ数か月の外遊経験がある私たちは友人関係にある。

「戴冠式には出席できずに済まなかった。カンデラリアはそちらのハンネローレ妃に良くしてもらったと喜んで帰ってきた。」

「いえ、王太子妃であるカンデラリア様のご出席賜りましたこと、国を代表いただいまして、深く御礼申し上げます。」

「そう言ってもらえると助かる。エルヴィン……もう様とつけるべきだな。ともかく、彼とも、一目会いたかった。」

 まるで、もう会えないというような口ぶりに違和感を感じる。何かあったのだろうか。

「……積もる話はまた酒を飲みながらでも。それなりに長くいられるんだろう?」

「はい。この度は2週間の滞在をお認め頂いて、重ねて御礼申し上げます。我が国の新王について貴国の皆さまにお見知りおきいただくためにもゆっくりと友好を深めたいと考えております。」

「そうか。では、ごゆるりと過ごされよ。」

 固い握手を交わしながら覗き込んだ顔には薄っすらと疲れのようなものが浮かんでいた。


 王太子の非公式な出迎えの後、王との公式な謁見も終わり、王城の客間に案内される。2週間のうち到着から3日ほどはこの客間で、そのあとは常駐大使の用意した宿屋で過ごす予定だ。「王城の侍女は美人ばっかり~」と浮かれている部下たちに念のため、間違いが無いようにマナーの確認をした。全員貴族出身の文官なのだから、気を抜かなければ不祥事も起こるまい。

 到着の次の日には舞踏会が催された。社交シーズン真っただ中の訪問だった為に、予定していた王城でのパーティーに急遽使節団歓迎の意味を追加してくれたらしく、私と部下数名が招待された。私は王太后であるアラセリ様のエスコートを任される。これは留学していた10代の頃からの名残だ。アラセリ様のエスコートをしていると、若い婦人達に囲まれずに済む。

「私の『微笑の貴公子』が戻ってきたわっ!」

 御年70歳を超えているアラセリ様に再会した時、彼女は手を叩いて喜んでくれた。白髪交じりだった赤みの強い金髪は真っ白になっているが、ツルンとした頬もオレンジ色のカーネリアンのような瞳の輝きも昔のままだ。

「それはやめてくださいって何度も言っているのに。アラセリ様、ご機嫌麗しゅうございます。再びお会いできて光栄です。また今夜はエスコートの栄誉を下さるとのこと。恐悦至極に存じます。」

「オスヴェルト、あなたは昔っから貴婦人の扱いに長けていましたけれど、良い男っぷりになってきましたわね。国に良い方はいるのかしら?もしいないとなったら、我が国の花を勧めたいのだけど?」

「おばあさま。その話は……」

 アラセリ様と引き合わせてくれたサンダリオが渋い顔をしている。

「残念なことに、心に決めた女性はおりませんが、花も急に咲く場所を変えられては戸惑うばかりでしょう。」

 私はその場を悪い空気にしないために穏やかに断りの言葉を口にする。私には婚約者も恋人もいない。高位貴族としては異例のことだが、こればっかりはどうしようもなかった。一番はじめに婚約者に決まったご令嬢は周囲からの嫌がらせに耐え切れずノイローゼになった。二番目に婚約者になったご令嬢は女性の友人が離れてしまった寂しさを男性の友人で埋めようとして超えてはいけないラインを超えてしまった。三番目に婚約者候補となったご令嬢は婚約成立間際に辞退を申し出てきた。詳細は教えてくれなかったが、社交界で爪弾きにされかかっていたらしい。

 「顔が良すぎるのも困りものだな」と父上に慰めるように言われたのは成人目前だっただろうか。本当にそんな理由なんだろうかと信じられない気持ちでいたが、父が「陰謀などではないよ」と言えば、そうなのだと納得せざるを得ない。とりあえず婚約者は置かずに自分で結婚相手を探してみろと励まされたが、そんなのは匙を投げられたに等しい。婚約者でも守り切れないのに、恋人など作れるはずもなく、未だ相手は見つからない。こんな私に他国から嫁いでくれる女性がいるとは思わなかった。

「この国では咲けない花があるのですよ。」

 小さな背中をさらに小さくしてアラセリ様が呟く。私は目を丸くしてサンダリオに説明を求める視線を送った。彼は悔しそうな切なそうな何とも言えない顔で小さく首を横に振る。

「すまない、色々あって。詳しくはまた。」

 彼が言葉を濁すから私はそれ以上聞かずにコクリと肯いた。どんな時でも意識すれば浮かべられるほほ笑みを顔に張り付けて、アラセリ様を覗き見る。

「アラセリ様。今宵の私のお花はあなた様でしょう。あちらに飛んでけと追い払うのは、また次の機会でお願いします。」

 そう手を差し出すと、アナセリ様も気を取り直したようにニコリと笑って私の手をとった。立ち上がると記憶にあるよりも幾分小さくなっている事がわかるが、彼女は真っすぐ姿勢を伸ばす。私の腕を持つ手とは逆側に侍女が杖を差し出した。

「今日は大丈夫よ。大きくて優しい杖がいるもの。」

そう言って私の腕を握りなおす。

「もちろんです。」

 私は彼女を見つめてほほ笑みを深くした。杖を持つはずだった手に、レースの扇を持ちアナセリ様はゆっくりと歩き出す。私は彼女が少しでも歩きやすいように腕にグッと力を入れた。

「もし、疲れたら教えて下さい。抱き上げて差し上げますからね。」

 ウインクと共にそう囁くとアナセリ様はサッと優雅な手つきで扇を開き口元を隠して笑い声をあげた。


「あれが、あなたに託したい私の大切な花よ。」

 パーティーがはじまって王と王妃のファーストダンスの後にダンスホールに躍り出た数組の男女のうちの一組を目で追いながら、アナセリ様が耳元で囁く。私はその視線の先の赤いドレスを着た女性が、ロゼリンダ王女と気付いて目を見張る。ほんの数年前までは小さな女の子だったのに、久しぶりに目にする彼女はもう立派な淑女になっていて、あまりに急な成長に戸惑いすら感じる。

 シリトンのような透明なオレンジ色の瞳は弟であるセレドニオ王子に向けられており、釣り目勝ちで気の強そうな印象だった目元は穏やかに緩められている。顔の造作に幼い頃の面影があるかどうかは夜会用の化粧で判別がつかない。厚化粧にも見えないが、くっきりと引かれた紅がゆるりと弧を描く。纏っている鮮やかな赤のドレスは、シンプルなAラインのスカートとオフショルダーの襟元といういたってベーシックなスタイル。だからこそ、女性らしく整った体つきなのだと見て取れる。胸元と袖がレースになっていて、華奢な肩が僅かに隠されているせいで、かえって艶やかに見えるのはなぜだろうか。前から見るとクラシックな印象のドレスは背中が思いの他、大きくカットされていて大胆だ。北の隣国特有の赤毛と金髪の間のような樺色の髪をすっきりした夜会巻きにして、真っ白な項を惜しげもなく晒している。

「手折らず枯れるには惜しいでしょう?」

自信たっぷりな声に揶揄いを少しちりばめて、アナセリ様がそう尋ねるから、私は思わずコクリと小さく肯きそうになる。

「幼い頃からの婚約者がいたのでは?」

「あとは、サンダリオに聞きなさい。」

穏やかな命令の後、パシンと軽い音を立ててアナセリ様が扇を閉じる。「この話はおしまい」の合図だ。私は色々と尋ねたい気持ちを無理やり抑え込んだ。彼女の合図に頷くこともせずに「そういえば」と新王の戴冠式の際に海の向こうの国から贈られたパパラチャ・サファイアという美しい宝石の話をはじめた。王太后をエスコートするというのはこういうことだ。気難しい人ではないけれど、主導権は常に彼女に有る。アナセリ様は満足気に私の出した話題に乗った。



 数日経ったある日、私は王城の部屋を抜け出してある城下の酒場に入った。昔から変わらず、古くて暗くて静かな店だ。グレイヘアをオールバックで固めた店主は真っ白のシャツに黒のボウタイ、黒のベストという恰好でカウンターの奥に佇んでいるが、こちらも昔から変わっていないように見える。カウンターの奥に目的の人を見つけて私は迷わず隣に座った。

「待たせたか?」

「いや、まだ1杯目だ。」

 男は琥珀色の酒が僅かに残るグラスを掲げて飲み干した。

「おなじものを。」

「私にも。」

「かしこまりました。」

 店主が酒を注ぐ様子を二人でじっと見つめる。ほどなくして、コトリとも音を立てずに酒の入ったグラスが目の前に置かれた。

「ごゆっくりどうぞ。」

 店主が離れたのを確認してから、2人でグラスを掲げる。

「再会に。」

「友情に。」

 口の端を引き上げながらそういう男におやっと思う。私たちの間に「友情」があるのは認めるが、それをあえて口に出すような性格の男ではない。

「どうしたんだ?」

「何が?」

「何か困りごとがあるのだろう?」

「……どうだろうな。」

 度数の強い酒を舐めるように傾けながら、自嘲気味に笑う男の本心を探る。

「甘い汁を吸おうという輩がいるんだ。」

「そんな者はいつでもいるだろう?」

「あぁ。その動きが日に日に派手になっている。」

「裏で糸を引いている奴がいるんだろう?」

「分からない……というのは好きじゃないんだがな。」

「そのせいで、目的もはっきりしないのか。」

「そうだ。」

 苦々しく頷いた男に目を丸くする。

「敵の範囲が分からない。悪事を暴いて手繰り寄せても釣れるのは小物ばかり。黒幕については察しは付いているが、上手く尻尾を隠している。革新派だけでなく、国王派にも不正が見つかる。誰を信じていいものやら……」

「それは……珍しく苦戦しているな。」

「あぁ、今やよそ者のお前の方が信用できるよ。」

「うちは基本的にはよその内政には不干渉の立場だ。」

「わかっている。」

「……なぁ、どうしてそうなったんだ?」

 私にはわからなかった。数年前に滞在した時、この国の王家は上手く民を治めているように思えた。この男も信頼できる部下が片手では足りないくらい居て、王位継承に向けて盤石な体制を作りつつあるように見えていた。

「上手くバランスを取れていると思っていたんだ。けれど、ペドロがロゼを裏切ったことで綻びができてしまった。」

 ここで妹姫の話が出てくるのが意外だった。

「婚約者だった?」

「あぁ、私の側近の一人でもあった。」

「リオ……。」

「ははっ、久しぶりにその名で呼ばれたな。なんだ?ルト。」

 呼ぶ機会が少なかったにもかかわらず、私の愛称を忘れていなかった彼に小さな笑みを送る。あの夢を語り合った10代の頃が懐かしいのは彼も私も同じなのだろう。

「大丈夫か?」

「あぁ、今は落ち着いた。でも、側近を信じられなくなったのはそのことがあったからだ。」

 淡々と感情をこめずに話す彼の話を、ただ頷きながら聞くしかなかった。

「ペドロがロゼでは無い女性をエスコートして夜会に出た。両親(国王夫妻)は激怒し、大騒ぎになった。浮気なんてものは裏でこっそりやるもんだ。公然の浮気など王家への侮辱や叛意と捉えられても文句は言えない。しかも、ただの浮気というには相手が悪く、敵対派閥の家の娘だった。さらに、本人は人が変わってしまったかのように、自分の行いの正当性を主張し、改心の余地は無かった。」

 王家の心証はともかく、ペドロのやったことはただの浮気とも言える。相手方の有責で婚約解消、賠償金の支払いで済む話かもしれない。けれど、彼の仕事は「婚約者の兄の側近」なのだから、もちろん仕事も失うことになった。彼の家は生粋の国王派で、瑕疵のついた長男をそのまま跡継ぎにはしておけないと判断したようだ。結局彼は廃嫡され、出家し修道士として厳しい戒律の下で一生教会に閉じ込められて生きることになったらしい。

「はじめはそれでいいと思っていた。ロゼと私を裏切った彼が悪いと。けれど傍目には彼の犯した罪の重さと代償が釣り合わなかったのだろうな。気づいた時には信頼関係を築いていたはずの家がうち(王家)から距離をとっていた。それから色々あって今は疑心暗鬼の真っただ中にいる訳だ。」

 はぁーっとため息をついたサンダリオの背中をトンっと叩いた。「そうやって、王家を孤立させようとしているのかもしれない」と喉元まで出かかった言葉は飲み込む。そんなことは分かっているのだろう。それでも友の裏切りは彼に重くのしかかっていて、誰かを信じようと思うにはもうしばらく時間が必要なのだ。訳知り顔で正解を囁いたって負担にしかならないと予想できた。それなら、何も言わない方がまだいい。

 彼はチラリとこちらを見てから、グイっと残りの酒を煽る。ゴトンと重い音を立ててグラスをテーブルに置いてから身体ごと私に向けた。

「なぁ、ルト。妹を嫁に貰ってくれ。」

 いくら身分を隠して会っているとは言え、王太子から頭を下げられるのは胃に悪い。


 その時は別に、今すぐ逃げろとか、亡命させろとかそんな切羽詰まった話では無く、ただただ婚約解消された妹姫を案じての願いだった。王女という身分が邪魔をして次の婚約者がなかなか決まらないのだという。一度婚約を解消された身故、他国への婚約打診もしづらい。その点気心知れていて、他国とは言え同盟国の公爵である私は色々と都合が良いらしい。一度自国に帰って両親の許可を得てからでもいいかと聞くとサンダリオは嬉しそうに笑っていた。「また飲もう」と約束して別れた。けれど、彼と盃を交わすのはこれが最後になってしまった。


 ロゼリンダを嫁にもらう……と想像すると、口元が綻んでしまう。ちょっと気持ち悪い顔をしている自覚があるから、人には見せられない。サンダリオの計らいでロゼリンダとの交流もちょこちょこと始まる。同じ夜会に出席してダンスを踊ったり、王都の植物園を案内してもらったり、サンダリオ兄弟達のお茶会に呼ばれたりもした。あからさまに二人になったりはしないけれど、互いに会えば言葉を交わす間柄にはなった。

 ロゼリンダは不思議な女性だった。いつでも静かで、とても思慮深く淑やかな性格なのかと思いきや、たまにポロっと出る発言は、鋭い切り口で、多少辛口であったり、上手く毒を含めていたり。頭が良いんだなぁと感心させられていると、なんとも言えない失敗をしたり。王女らしく凛として見えるのに、甘いものを食べただけでゆるゆると頬をゆるめてみたり。サンダリオは「激しく自己主張をするわけでは無いけれど頑固者」と評し、弟であるセレドニオ王子は「他人に興味が無いのに弱点だけは的確に抉る」と評す。結婚を考えろと言っておきながらその評価はどうなんだと思いつつ、

「まぁ、2人とも酷いわ。」

 と楽しそうに笑う彼女はとてつもなく魅力的に見えた。



 状況が変わったのは帰国を目前に控えたある日のこと。隣国とは変わらぬ付き合いを約束し合い、首尾は上々といったところか。城にほど近い宿屋で部下達と帰国の段取りを打ち合わせていた私の元にサンダリオが駆け込んできた。

「オスヴェルト、すぐに発て。」

 めずらしく取り乱したサンダリオの言葉に、部下達に出立の準備を促してから、話を聞く。政敵だと思っていた公爵は囮にすぎず、王弟が裏で手を引いていたらしい。国王夫妻は王弟に毒を盛られ床に伏しているという。

「クーデターを企んでいたとはな……。」

 予想外だったとサンダリオが唇を噛む。横領や金品の横流し、密輸など自由になる金欲しさに悪事を働いているものと思い込んでいたらしい。政権交代などしたところで、無精者の王弟に国家運営などできるはずもないのだからと。

「何か手伝える事は?」

「いや、お前、ここに居れば国王と王妃の殺害容疑をかけられるぞ。あいつらは目先の利しかかんがえていないから、そうした先に戦争や国交断絶が待っているなんて考えもしていないんだ。私が時間を稼ぐからすぐに自国に帰れ。」

「そんなバカな……。」

「馬鹿だから、なんの展望も無いのにクーデターなど考えるんだよ。」

 サンダリオの言葉に私はうんともすんとも答えることが出来なかった。武力を行使した先に被る不利益を考えないものが国の中枢にいていいのだろうか。王であれば、一番偉ければ、何でも思うがままになるとでも思っているのだろうか。

「頼む、オスヴェルト。この国を戦火に巻き込みたく無いんだ。」

 サンダリオの懇願に沈んでいた意識が浮上する。彼の目を見てゆっくりと首を縦に振った。ホッとしたような顔をしたサンダリオは小さく頷いてからキュッと口元を引き結ぶ。

「もうひとつ……。」

 遠慮しているのか一瞬言いよどむ彼に「なんだ?」と尋ねて続きを促す。今この時に助力を惜しむはずもない。

「ロゼリンダを連れて行ってくれないだろうか?」

 そう言われて、書類の束を差し出される。婚約契約書や婚姻許可書、5種類の身分証明書、王族からの除籍手続、留学申請書、国家間の密約書などありとあらゆる題名の書類に王のサインと印が既にされている。こんなものがあったら、その気になればどんな不利益な条件でも契約が結べてしまう。

「おいおい……。」

「この国がどうなろうと、そちらの国に不利益が無いようにロゼリンダの身分待遇その他については不問とする。その代わりに、命と人としての尊厳を守ってやってほしい。」

「……王女にまで危険が及ぶのか?」

 どちからというと命が危ないのは男子であるサンダリオやセレドニオ王子ではないだろうか。

「分からない。けれど、嫌な予感がする。王弟が血筋の正当性を手に入れるなら妹と結婚するのが一番手っ取り早い。」

 その気持ち悪い発想を敵が持たないという確証は何処にも無かった。

「わかった。」

 考えるまでもなく答えは口をついて出ていた。サンダリオが今度こそ嬉しそうに笑って頷いた。彼の手元にある書類を確認する。

「しかし、こんな書類を作って……私が悪事を働くとは考えないのか?」

 私が唖然と呟くと、サンダリオはニヤっと笑った。

「王家は孤立などしていないと、あいつらに分からせてやらないとな。」

 その手助けができるなら本望だと思う。私はサンダリオの用意した書類から通行許可証と王女の身分を証明する身分証明書、王と王妃、王太子のサインがある婚姻許可証を受けとった。サンダリオは目を瞬いて、密約書や結納・持参金目録などを指さして「いらないのか」と尋ねた。私は「いらない」と答える。重要なのは安全に国に帰ることと、私とロゼリンダの結婚が正当なものだと主張できる証拠だ。その他の余計なものに手を出してはいけない。取り出した3つの書類の題名とサインを確認してサンダリオに向き直る。

「サインは本人の物だろうな?」

「あぁ、抜かりはない。」

「分かった。両陛下が回復された折には『お嬢さんを下さい』って伝えてくれよ。」

「あぁ。お前の領地まで殴りに行くよう勧めるよ。」

 軽口を言い合っていないと、悪い想像ばかりが膨らんでしまいそうだった。


 その日の日暮れに紛れて、サンダリオがロゼリンダを私たちのホテルに届けた時には、私たちは出立の準備を終えていた。街の中はいつも通り平和で国王と王妃が床に臥せっていることも、王太子が生きるか死ぬかの攻防を潜り抜けていることも、誰も知らないみたいだった。

 突然簡素な服に着替えさせられ、馬車で連れて来られたロゼリンダは不安げに瞳を揺らしている。

「ロゼリンダ王女、この国にいては命が無い。」

 そう命の危険を訴えてやっと彼女は私と共に隣国に渡る事を了承した。サンダリオに抱き着いて「どうかご無事で」と兄の無事を祈る彼女は涙を見せなかったが、それが返って悲しかった。王女である彼女が父母に見送られることもなく、民に寿がれることもなく、豪奢な婚姻衣装を着ることも無く私の許へ嫁ぐことになってしまった。彼女から祝福される喜びを取り上げた者たちが憎い。

 貴婦人を乗せているとは思えないくらい馬車は全速力で自国へ向かう。闇夜に紛れたその馬車を止める者は居なかった。なんとか自国の領地に入ったのは3日後。その間、ロゼリンダは弱音も愚痴も吐かなければ我儘も一切言わず、じっと耐えていた。彼女の強さがまぶしく、同時にそれが寂しかった。私には甘えて本音を漏らせばいい。


 ロゼリンダを自領に連れて帰ると、家族は皆ビックリしたが、ようやく私に妻が出来ると手放しで喜んだ。その歓迎の勢いにロゼリンダは戸惑っていた。最初は遠慮がちでぼんやりと過ごすことの多かった彼女だけど、気安い母の態度に数日で我が家に慣れたようだった。家族の訃報にはショックを受けていたが、覚悟はしていたのだと思う。共に故人を偲ぶうちに私や母の前で涙を見せることもあったから、そうやってゆっくりと心を落ち着けていければいいと思えた。ひとりで耐えるのではなく共に悲しめる場所があれば、心の傷も慰めることができるだろう。

 そうこうしているうちに早馬で送っていた王への報告書の返事が着いた。ロゼリンダと私の結婚を認める書類とロゼリンダの公爵夫人としての身分証明書と結婚休暇を2週間やるという手紙が同封されていた。もし隣国の政権が変わったとしても、ロゼリンダはもう自国の公爵夫人なのだと主張してくれるらしい。エルヴィンもサンダリオの訃報に心痛めているのだろう。


「結婚しよう。」

 プロポーズをロマンティックに演出しなかったのは、両親と兄の喪に服する彼女への配慮からだ。好いた腫れたはもう少し気持ちに余裕が出来てからでいい。逆に、私から熱烈に愛を語られても困るだろうと思った。「おじさんが気持ち悪い」とか思われたら朝まで泣ける自信がある。

「そこまでご迷惑をおかけする訳には……。」

 予想外に、遠慮がちな否定が返ってきてパニックを起こした。私について国を出た時点である程度の覚悟はしてくれていると思っていた。だから「婚約者」として家族にも紹介したのに。

「私が匿っているのが隣国の王女であるほうが迷惑だ。私の妻となっていれば、神との誓いを盾にできる。たとえあなたの国がどの勢力のものになろうとも……だ。」

 必要以上に冷たい言い方をしてしまい、後で落ち込んだ。義務で結婚すると思われるくらいなら、気持ち悪がられても好意を伝えれば良かった……かもしれない。



 書類だけ先に交わして夫婦になっても、彼女の態度はあまり変わらなかった。


「ねぇ、ロゼリンダ。君をロゼと呼んでもいい?」

「ごめんなさい。あなたにそう呼ばれるのは嫌よ。」


 遠慮の無い物言いが聞けたことに満足した。


 共に過ごす日が増えて、子ども(ファビアン)が生まれても彼女は初々しいまま。


「ロゼリンダ、私の色を纏って欲しいんだ。青いドレスはどうだろう?」

「私の赤毛には合わないと思うわ。」


 私の独占欲を恥じらいながらもたしなめるのが可愛らしい。


 彼女の美しい赤毛に似合う色を見つけるのが、私の楽しみの一つになった。


 彼女は外からは分かりにくいが愛情豊かな性格のようで、私の両親も子どもたちもそれは大切にしてくれた。


「ただいま。視察の間、早く帰りたかったよ。美味しいチョコレートが手に入ったんだ。今夜は二人でゆっくりできるかな?」


「お帰りなさいませ。子どもたちに絵本を読む約束をしていますので。失礼します。」


 子ども(フェルナンド)がお腹にいるから健康のために大好きな甘いものを控えていると後からセドに聞いた。特にチョコレートは妊婦が夜に食べるのは不向きらしい。私の不勉強を詰らずにいてくれたのだと気づく。健気さが愛おしい。


ギルベルト殿下が音頭を取った森のリゾートホテル開発に私も少し携わった。ロゼリンダの祖国をモチーフにした部屋などもある。一度見せたいと思って誘った。


「ロゼリンダ、家族旅行に行かないか?王領の古城が改修されて良いホテルになっているらしいよ。」 


「いいえ、フィリーアローゼのお勉強を休む訳にはいかないもの。」


フィリーアローゼを「王太子妃」にというのは、どうしてそうこだわるのかと疑問でもあったが、母娘で一緒に習い事をしている姿が可愛くて止めそびれた。リゾートホテルは逃げないから、もう少し時間がたって人流が落ち着いてから行ってもいいだろう。


「王太子妃」ではないが「王弟妃」なら今までの娘の努力も報われるだろうと婚約を成立させた。


「勝手に決めてしまって、すまない。」


「あなたは、いつもそうですから。」


そう言って許してくれる君に甘えすぎていたんだろうか?邸にいられないほど娘の婚約がショックだったのだろうか?それとも誰か、彼女の手を取るものがいるんだろうか?想像しただけで嫉妬の炎が胸に灯る。ブワリと膨らんだ怒気に自分自身が焼かれてしまいそうだ。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「落ち着いて下さい。」

 馬車の扉を開けたセドが開口一番、ため息交じりにそう言った。

「落ち着いているつもりだが?」

「どこがですか。」

 いつもは折り目正しい執事が呆れた顔を隠そうともしない。玄関を入って自室に向かう。平時より人が居ないのは私兵がロゼリンダを探しているためだ。どうしても邸の警備が手薄になるから、戦闘の心得が無い者たちは自室待機が言い渡されているのだろう。

「ロゼリンダは?」

「現在、西に向かわれたようだと情報が入っています。」

「すぐに迎えに行く。」

「それはお手紙を読まれてからご判断下さいませ。」

「手紙?」

「奥様の書き置きです。お部屋に置いてあります。」

 ほとんど走るように自室に戻って手紙を読んだ後、私はとさりとソファーに座り込んだ。


  前略

 2、3日旅をしてきます。そのためにお家のお金を少し持ち出します。勝手をしてごめんなさい。探さないで下さい。

 部屋にいたメイドを罰したりしないで下さい。1人で旅に出掛けたいからと皆を欺くために睡眠薬を飲ませました。本当にごめんなさい。もしできれば、彼女はお医者様の診察を受けさせてあげて下さい。本当にごめんなさい。

 この旅は私ひとりで思いついて、私ひとりで実行しました。誰の手引きも受けていないし、誰に唆された訳でもありません。公爵夫人のもてる力を使って抜け出すつもりなので、護衛や門番を咎めたりもしないでくださいね。もちろんその他の使用人もです。我が邸の使用人たちに手抜かりはありませんからね。

 フィリーアローゼの婚約はこの旅にはそんなには関係ありません。ちょっとショックでしたが、一晩寝たら治りました。でも、心から祝福したいので、リフレッシュしてきます。母としての自分を振り返るためにもこの旅は必要なのです。

 私、絶対帰りますから。どうかあまり心配しないでください。危ない所には近づかないし、悪いものも食べませんし、変な人について行ったりしません。旅は帰るまでが旅だとちゃんと理解しています。お迎えがなくてもちゃんと帰ってきますから、どうか仕事をほったらかして私を探したりしないでくださいね。返って帰りにくくなりますから。……あ、でも、急に旅に出た私なんてもう公爵家には必要ないでしょうか?あぁ、そんな風になってしまったら悲しいわ。どうか、帰ってきてもいいとお許し下さい。あなたが許してくれなかったらどうしましょう。

 ……それでも、この旅をせずに今のままいる訳にはいかないの。だからちょっと、行ってきます。ともかく、3日ほどで帰ります。それからの話は帰ってからしましょう。かしこ


大好きなオスヴェルトへ 貴方のロゼリンダより。


追伸:私、森の古城の近くの泉で水泳したかったのだけど、相談したら許してくれた?



「大好きとか初めて言われたよ。」

「そこですか?」

 呆れた顔のセドが、けれども柔らかく目を細めている。

「とりあえず、捜索続けて。見つけたら安全確保。でもできるだけ悟られないように。西の古城跡のリゾートホテルに向かったみたいだけれど、従者も連れてないんじゃ庶民のフリして駅馬車で移動しているだろう。手前の街のどこかで一泊するだろうね。ご飯の美味しそうな小綺麗な所だよ。きっと。」

「承知いたしました。旦那様はいかがなさいますか?」

「とりあえず仕事をして終わり次第迎えに行く。夕食は簡単なものが良い。どうせ眠れないから夜食もちょっと摘まめるもの作っといて。」

 セドは満足気に微笑んでから了承の言葉を残して部屋を出る。私はロゼリンダの手紙をもう一度読み返してからペシンっと指先で弾く。


「私の許可なんて絶対出ると分かっているくせに。」


情けない恨み言は自室の磨き抜かれた床にことんと落ちた。

これにて「私の許可は君には要らない」完結です。おつきあいありがとうございました。


 私の作品には珍しく,吸血鬼や精霊王が出てきてどうなることかと思いましたが,なんとか完結できて良かったかなと思います。一応破綻はしていないつもり……。お手柔らかなご評価お願いします。

 次,「の」シリーズの物語を書くならミュンブル公爵令嬢のお話を……と思っていますが,連載中の「めでたし」を進めたい気持ちがあり,また少しお時間いただくことになるかと思います。多くの方にアクセスいただいているのを励みに,これからも頑張りますので,どうか温かく見守ってください。今後ともどうぞよろしくお願いします。

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