閑話
試合終了後、半ば付き合わせて助言まで貰ったテツマに礼の1つもないのは悪いだろうと深也は待機室へ向かっていた。
(負けた、いや引き分けだったけど……負けた)
試合に負けて勝負に勝った、そんな言葉がある。
ちなみに今回の場合だと、試合に引き分けて勝負に負けた。
情けなさもここまでくると笑えるな、と深也は苦笑する。
試合前に自信があるような事を言ってしまったこと、不測の事態もあったがそれでも勝ちの目はあったこと、これらの分だけ深也の足取りは枷でも付いているかのように重い。
(勝てた勝負だろうが……どこでトチッた?)
深也は負けたところで振り返って分析するようなタイプではないが、今回の負けは深く刻み込んでおいたほうがいいと判断した。
どこが岐路だったのか、敗着に行き着いた経路を遡っていく。
(魔導が……事前に引っかかりを覚えてたら違ったか?)
テツマからの事前情報で気づけなくはないだけの手がかりは揃っていた。
だが、どのみち深也の手持ちには、あの魔導への明確な解答がない。
出来るのは、せいぜい心構えくらいで勝敗の分岐点としては弱いだろう。
決め手自体は最後の水槽への転移、あれがなければ勝っていた。
あの時はエアによる過干渉があったため魔導の精度はかなり落ちていたはず。
転移先を任意で選べるような状態ではなかっただろう。
では、運が悪かっただけなのか。
(組み技にいったのが原因か? けど徒手格闘に移行したら、もうあの勝ち筋しかない……)
ならば双剣銃を捨てると同時に組んでからの勝ち筋以外の展開を捨てたあそこが岐路か。
それも違う、もっと前、大曲刀から双剣銃切り替えたことより、さらに前。
転移と虚像を組み合わせた技に惑わされ感覚への信頼が揺らいだ、あの時だ。
(……)
自分の、ではなくアバターである”シン”の手のひらを見つめる深也。
VR黎明期の今、アバターと現実の体格差は操作精度に影響する。
慣れで補える部分もあるが、現実に戻った際の強烈な前後不覚症状であるVR酔いがあり、これを未だ解決できていない。
そのためプレイヤーとアバターとの体格差は絶無である。
場合によっては容姿すら現実と遜色ない。
深也は、このケースに当てはまっていた。
全てのプレイヤーにとって操作キャラクターは分身というより、もはや”自分”そのものなのだ。
(俺が操作しているんだ、ほかの誰でもない……)
だからこのシンから感じる拭い難い異物感は杞憂だろうと深也は自分に言い聞かせる。
だが、勝負中たしかにあった、予感したのだ。
このまま、この感覚に、シンに、信じて委ねていけばきっと取り返しのつかないところに連れていかれしまうと。
(……あ? うわ、恥ず……)
考え込んでいたこともあり気づかなかったが、もう待機室へついてもいい頃である。
深也が、とっさに後ろを振り向くとすでに通り過ぎてしまっていた。
ばれるはずもない恥ずかしさを隠すようように頬を軽く叩いてから待機室のドアノブをひねる深也。
開けたはいいがなんと切り出すべきか、恥を知らない道化のノリで流してしまうのもそれはそれでキツイものがある。
「? テツマ?」
見ていたので言う必要もないが負けてしまったこと、ともあれ情報で助かった部分もあることを素直に伝えようと割り切った深也の決意は空振りという結果に終わる。
すでに待機室にテツヤの姿はなく、もぬけの殻になっていた。
◆◆◆◆
一般プレイヤーには認識できず、仮に分かったところで入ることも出来ない関係者専用の隠し通路をテツマは歩いていた。
軽く首を捻り、うっとおしげに肩を回すテツマ。
傍から見れば、まるで着慣れていない服に不快感を覚えているような仕草にも見える。
実際、それは仕草などではない。
自身の耳たぶをつねるテツマ、すると管制制御室との通話が開始された。
「やはり身長が違うと動かしにくいな」
『当たり前です、知らないわけでもないでしょう?』
「あっ次藤君、悪いね、ハッキングなんて無茶を突然言って」
『いやぁ無茶というか、自前の庭の中でハッキングも何もないですよ。それを言うなら、よくあれだけ赤の他人の”らしい”感じだせますね』
「名演だったかな? まぁ、その辺は場数を踏んだ慣れだよ。で、この後どうすればいい? このまま落ちるのは不味いよね」
『専用スキルとして試作ですけど用意しました。それを使ってからお戻りください。今後こっちに声かけなくても任意で使えるように調整しておきます』
「気配りのできる社員を持って幸せだな、僕は」
笑いながらテツマは空を弾く、さもキーボードを操作するように。
そうして出てきたウインドウの中にあった最上位管理者専用スキルである【シフトチェンジ】を選択すると、テツマであったはずのバイタルコードが書き換えられていく。
「そういえば、ユーザー本人からなにかアクションはあったかな?」
『はい、そのアカウントの持ち主である美馬本哲也からクレームが来てました。観戦中、急にアカウントを乗っ取られたとのことです。サポセンが手厚く対処するので問題ないでしょう』
「暇でいいねぇ、ノアの末裔共は……あ、もちろん例外はいるよ?」
『分かってますよ、”社長” あなたがあの世界からこちら連れ出してくれていなかったら今頃……』
バイタルコードの書き換えが終了すると、もうそこにテツマの姿はなかった。
陸奥国六郎、シーパレード社社長が前髪をかきあげる。
『それで見たいものは見れましたか?』
「100%反映したバイタルデータといっても、あくまでデータの中の話だからねぇ、どこまでいっても確証は得られないよ。けど十中八九と言ったところか」
『どうします? 少しでも確実性を上げてからにしますか、それとももう……』
「そうだね、もう動くよ。彼は貴重な観測点でもある。早めに打ち込んで転移装置を安定させたい。”目”として機能しなくなるのは、ちょっと惜しいけどね。ヘンリックの魔導の抽出は済んでるかい?」
『報告あがってます。問題なく済んでいるとのことです』
打てば響くような次藤の返答に陸奥は笑みを深めて顎をさすった。
「いいね……いや好きだなぁ、こういうの。駒を並べ終えて対局が始まる直前のこの感じ。さぁ、初手だ」
抜かりない手はず、それにより決着が揺るぎないものであるならば緊迫の瞬間など愉悦にすぎない。
あまり大きくなりすぎないよう陸奥は笑いを嚙み殺した。
◆◆◆◆
そこは窓がない灰色の部屋であったが匂いはなかった。
苦役を終えた紙束を労る空調の優しい声が暑くもなく寒くもない人間の都合を度外視した環境を保っている。
そんな医療情報課も兼ねたシーパレード社の地下第三医務室は手狭であった。
半ば資料置き場と化しており、薬品よりも電子機器と今では使うことのない古くなった紙の資料がぎっしと棚に詰まって放置されている。
人のほうが異物なこの部屋で先ほどまで試合に出ていたヘンリックは診察を受けていた
「はーい、ここはどこで貴方は誰でしょうか」
「医務室。ヘンリック・リリックロア。……何ともないと言ってるだろ」
瞼を無理やりこじ開けてくる手を払いのけるヘンリック。
美しい銀髪を贅沢にもクシャクシャと弄って不機嫌さを隠そうともしない碧眼の少年、背丈は160少しだろうか。色々と届かない。
小さなその絶妙な生意気さ加減に医務課の篠原千歳は微笑みを隠せない。
篠原は、まるで野良猫でも相手にしているような気分になっていた。
(年は14か15くらいなんだっけ、大人でもなければ子供でもない不安定な年ごろ、かぁ)
「負けていたぞ、あれは……」
「さっきの試合が? そうかな、引き分けとはいえ君が勝ったようにしか私は思えなかったけど」
自分がヘンリックにする扱いに対しての不快感ではなく、よほど先程の試合結果に納得がいっていないらしかった。
それこそ篠原に当たってもしょうがないところまで含めて、なんとも憎み切れない好ましい印象を受ける。
「水槽の外に出たところで振り解けないないくらいの腕力差を一瞬感じた。けど実際は……何をした」
鋭さを増した目が篠原の背後、部屋の隅で試合中のデータを確認していたもう1人の職員に移った。
そういえばいたな、と篠原も津留利子の方へ振り向く。
相変わらず全体的に生気がなく、そばにいてもすぐ意識の外にいってしまう同期は、応答もせずデータを漁り続けている。
「りこ、お呼びだよ」
「聞こえてるー、私のおかげで勝てて良かったねぇ」
にやにやと、いたずらが計画通り成功したことを喜ぶような津留の表情はヘンリック以上に子供っぽい。
「何をした、女」
「きみ年下だけど利子さん、でいいよ。私もヘンリーって呼ぶから」
中身だけ見るなら子供対子供だが、津留の方が実年齢的な余裕がある。
そのアドバンテージを自覚している津留の態度にヘンリックが顔をしかめた。
「質問に答えろ」
「うーん、簡単なことほど説明するの面倒でね。早い話が電気駆動していたのは武器だけじゃなかったってこと。大気の魔導炉の異常を検知した場合に代替動力源として起動するパラジウムを触媒にしたリアクターを仕込んどいた」
「余計なことを……」
「うひひ、そんなくすぐらないでよ」
アビスフレームと魔導の弱点には共通項目がある。
それは大気中での運用が出来ないこと。
ここをクリアすることが最終目標とされてきた。
「リアクターの小型化には成功したけどアビスフレームっていう鎧を高速で動かすだけの動力にはなりえないんだよねぇ。水中なら尚更欲求値が高くなってすーぐダメになる」
「りこにしては珍しく行き詰ってるのね」
「うーん、現状できることをデータに落とし込んでみてシミュレーションするっていうのが、しっくりこないわけ。やっぱ実際にモノを動かしてみないと」
見ていたパソコン画面上のデータからヘンリックへと視線を移す津留。
普通の目ではない、研究対象を見る子供の目だ。
「ねぇヘンリー、なんで魔導って大気中で使えないの? あと試合中、エアの強制注入を受けてた時も安定して使えなかったみたいだけど」
「……なんだと?」
ヘンリックは、首から聴診器をぶら下げながら心臓の位置を聞いてくる医者を見た気分になった。
津留が現在どんな職務にあたっているのかヘンリックは察している。
そのうえで、今の質問は信じられない程初歩的なものだった。
「それを知らないで、どうやってその仕事をしている」
「あんまり興味ないんだよね、魔導って。生態としての能力に興味ってピンとこないでしょ?くる? どういう理屈で鳥が空を飛べるのか、とか。どういう理屈で魚のエラが水中での呼吸を可能にしているのか、とか。そういうものだから、で理解が終わらない?」
「……はぁ…魔導は……音のようなものだと考えてくれていい」
「音?」
津留はデコピンで軽くデスクを叩いた。
デスクから硬質な音が返ってくる
「そうだ、周りの音、つまり魔力を伴う干渉が強いと効能が乱れる。かといって魔力が存在しない大気中に出てしまっても発動できなくなる」
「……そういえばそっちの海では音の伝わり方が違うんだっけ? それを利用した特専もあったよね」
「ああ、大気の魔導炉から供給されるエアを吸い込んだ状態で話すからだ。音の波にわずかながら魔力が乗っている。海中の微細な海魔石がそれを正確に拾って伝播させている」
「ほへー、分かりやすい説明するねぇ。ね、ちーちゃん」
「ちーちゃんで話を振るのやめてね? ……便利なようで不便な海ね。特に魔導士にとっては」
環境に左右されて能力が発揮できなくなるのは生態に備わる力として”らしい”と言えばらしい。
魔導士は古代人の血の隔世遺伝だと聞いている。
今はもう古代人が絶えてしまったのは環境が味方しない進化となってしまったことが原因かと篠原は推察した。
「じゃあ、こっちの海とか最悪なんじゃないの?」
「どうだろうな、もうさほど差異もないだろ」
「ま、そうだね」
茶化すつもりしかない津留の疑問だったがヘンリックの反応は神妙なものだった。
それでもケロっとしている津留の表情から事の深刻さに対する理解度を読み取ることは難しく、いっそう認識のズレが際立つ。
切り捨てる決意と壊してしまう名残惜しさがヘンリックの内心で混ざり合っていた。