9話 ライクシャドウ
招待状もとい発行されたパスコードを使って"部屋"へと入る深也。
運営が特別に用意しているだけあって、その内装は野良と雲泥の差であった。
というよりプレイヤー側が用意できる”部屋”にはそもそも内装という要素がない。関与できない待機エリア、設定できるのは戦闘を行う海域のみとなっている。
対してこの部屋には観客という目に見える熱気と一体感を醸し出す競技シーンとしての要素が詰まっていた。
観客席は競技ドームのようなぐるりと囲む円形に配置をされている。
だが全体の雰囲気は水族館の深海スペースに近い。
わずかなブルーライトが淡く照らす暗闇の中で試合の合間のこの時間に観客たちは興奮を圧し殺した小さな声で密やかに下馬評や敗北したプレイヤーへの侮蔑を囁いていた。
この暗く、しっとりした雰囲気が"タメ"となって試合で一気に爆発する。
爆心地となるのが中央に設置された75メートル四方の巨大な水槽。
この水槽だが水を覆うガラスがない。中空に水が浮き、規則正しく立方体の形を成していた。
これはリングアウトのルールを明確にするためである。
深也の入室とちょうど入れ替わるようなタイミングで選手待機室からヘンリックと挑戦者が水槽へと投下された。
また試合が始まる。
案内のメッセージがくるまで観戦して待っていようと深也は適当に空いている観客席についた。
「……なぁ、今日はどんな感じだった?」
「あァン?」
手持ち無沙汰なのもあり、深也は隣の席に座っていたプレイヤーに話しかけてみたが不意に話しかけられて快く対応できる方が珍しい。
顔も名前も知らぬ上にましてやゲーマー、偏見でもなく何でもなくこういう生態である。
不機嫌さを微塵も隠す気のない反応をされても当たり前、予想通りすぎて怯む余地がない。当然、深也も買ってくれそうだからとケンカをしたくて声をかけたわけではない。
「一応言っとくけどNPCじゃないからな。えーっと、シンだ、今日この後ヘンリックに挑戦するんだよ。観戦してたプレイヤーの話が聞きたくてさ」
「お前みたいな物好きがいる内は、対戦環境に変化は無いだろうな……テツマだ、よろしくな」
軽く握手だけ済ませた。
その直後鳴った試合開始のブザーで深也もテツマもすぐ水槽に目線を戻した。
「で、今日どんな感じだって話だよな。まぁ、いつも通りだよ。誰も一撃も当てられないまま負ける。ヘンリックの奴、特専を2つ持ってるだけあるよ」
テツマが試合結果も挑戦者達の強みもこれといって語ることがないと欠伸をしながら答えた。
「ふーん、この対戦相手もすぐ終わりそうか?」
「だろうなぁ……今日も今日とて全員同じ戦法で挑んでるよ。いい加減見飽きたカードだ」
せめてものハンデのつもりなのか、ヘンリックの装備構成はエアの消費設定も含めて完全開示されている。
構成は近接特化仕様、装備は2本の両刃剣のみで接近戦以外のダメージリソースを持っていない。
「あの剣、電気駆動なんだって?」
「そうらしいな。たしか高周波ブレードだったかな、ゲームに登場しない現代兵器をアビスフレームに持たせてやがる」
「エアの残量で勝つのは、むしろ無理そうに思えるけど違うのか」
「まぁ見てろ……エアの残量云々の問題じゃないってのが分かる」
試合は挑戦者が早速、機雷とジェルを展開して自分とヘンリックを隔てる壁を作っていた。
ここまで構成が分かっていれば、先ほどの深也の対戦相手のように同型を意識して機雷やジェルに割くエアを必要以上に抑えなくてもよい。
磐石な近接殺しビルドを以て挑むことが出来る。
だが、これがヘンリック戦の日常。
テツマの言う、見飽きた組み合わせ。
「つまり、もう試合の勝敗は見えてるか……ほんとに有効な戦法なんだよな?、あれ」
「有効と他に手立てがないことを取り違えてんだよ。みんな負けがこんで感覚が鈍ってる」
いまやヘンリックのあまりの強さにルールを味方につけて勝つしかないという共通の認識が芽生えていた。
そうして誕生したのが機雷とジェルを主体とするディフェンシブなスタイルをとり、タイムアップを積極的に狙う戦法である。
これがヘンリック以外の相手にも使用され対戦環境の主流となっていった。
「言ってるうちに、そろそろ終わるぞ」
「強すぎる……にしてもなぁ、この試合運びと試合サイクル、ヘンリックって本当にNPCだと思うか」
「それは……そうだな」
深也の問いにテツマが考え込むように顎先に手を当てた。
発達した人工知能によってゲーム内のNPC達は現実の人間と遜色ない。
会話をしていても違和感なく、先ほど深也がしたように最初にプレイヤーであることを明確にするのが暗黙の了解とまでなっている。
もちろん、多少ストーリー進行上の都合のためにNPCごとで思考の偏重はあるものの、現実でもある個々人の持つ特徴だと思える範囲にとどまっている。
だが、ヘンリックに関してはプレイヤーではないのかと考えてしまうポイントがいくつかあった。
挑戦受付が不定期であること、あっても受付の締め切りがあること。
そして順番待ちという現状そのもの。
NPCの前に列をなすなど馬鹿馬鹿しいことが起こっている。
NPCだというなら同時に複数人が挑戦できて然るべきだろう。
だが、ヘンリックへの挑戦には何故か”順番待ち”がある。
過去にヘンリックひとりに対して複数の挑戦者という対戦すらあった。
登場から今まで、まるで替えのきかないたった1人がいるかのような対戦形式が続いている。
「……どの道、確かめられない。それに対戦じゃ、そんなのどうでもいいことだろ」
「ま、その通りだけどさ。ここまでよくできたAIだとアルゴリズム分析も素人じゃやりようがないか……あっ終わった。俺の番は次の次だな」
試合は、いつの間にか挑戦者の張ったジェルと機雷の壁の内側にいたヘンリックが相手を三枚におろして試合終了となった。
でたらめに速い。
速いだけでは勝てないというのは確かだが、立体機動が可能な水中での戦闘で速さは限りなく強さと勝利に直結するファクターとなる。
それを産み出しているのはヘンリックのアビスフレームに搭載された2つの特専。
ギルド、フレイムピラーの特専【デュアルコア】とギルド、ナイトクロウの特専【ダスクジェミニ】。
特専とは各ギルドが占有している超特殊機構もしくはそれを用いたエアソリッドシステムの名称である。
「ほとんど積載量を増やさず超出力が出せるデュアルコアにモノを言わせた高速機動か」
「それだけなら、あの戦法で何とかなる、けど……」
「ただ速いだけじゃない。当然、タネがあったわけだ」
あまりに強力すぎる取り合わせに頭を抱えながらテツマが天を仰いだ。
「デュアルコアの超出力で虚像と完全不可視が可能になるダスクジェミニの常時展開なんていう力業をやってやがる」
目の前の水槽では機雷とジェルの壁向こうにいたはずのヘンリックが次の瞬間には挑戦者の背後に姿を現していた。
観客全員の頭が壁向こうに佇むヘンリックと壁の内側に現れて今まさに剣を振り抜こうとするヘンリックとを往復した。
哀れにも欺かれた挑戦者にテツマが溜息をつく。
「壁で隔てたのは虚像だったか……」
「まんまと明後日の方向に壁を張って逆に自分の退路を削ったわけだ。……ただ、そうじゃない可能性もある」
「おっ、上手いな」
接近を許してしまった挑戦者だが焦らず持っていたライフルの銃口を自身の背後に向け、その引き金を引いた。
背後に立つヘンリックを見もせず、だが照準をつけているかのような正確な狙い。
挑戦者は、壁をただの防御として使うのではなく攻撃を仕掛けてくる方向を限定するためのルート形成に運用したのだ。
周到に用意した防備が破られることを前提とした、プライドもへったくれもない歯ぎしりするほどの執念による完全に読み切った置き撃ち。
躱す猶予など当然ない。
放たれた熱線はヘンリックを貫いたかのように見えた。
「あそこまで読んでも当たるか躱わすか、なんて話にすら届いてねぇ」
「なるほど、これも虚像か」
テツマの声は、あっけにとられた、というよりも、もはや感心の域に片足を突っ込んでいた。
背後に現れる、それを読んでいた挑戦者により撃たれたヘンリックの姿が水に”溶ける”。
挑戦者はヘンリックと自分を隔てる防御壁を築いていた”のかもしれない”。
彼は真実を見ていた”のかもしれない”。
ただ1つ言えるのは、目の前で突然提示された真贋の択に惑わされてしまったということ。
これがダスクジェミニの真骨頂。
虚実の濁流に呑まれ、まともに応戦することもできない。
だが、強力ゆえにエアの消費量も相応のものを伴う。
本来ならば勝負の要所で発動させる代物だ。
しかし、現実にはデュアルコアで常時展開され対峙する者は勝敗を左右しかねない重い選択を終始迫られ続ける。
超高速機動そして近接特化のヘンリック相手にグズグズと考慮する時間はない。
まずの目の前のヘンリックが本物か否か、という選択、そこに突如現れるもう1人のヘンリック、透明化して接近してきた本物か、はたまたこれも偽物で目の前にいる本物のヘンリックは透明化しただけなのか。
もし選択を誤り虚像へ攻撃すれば無駄撃ちとなり、遠距離では接近を許すタイムラグ、近接戦では致命的な隙となる。
だが、今回は少し挑戦者とヘンリックに距離があった。
背後を振り向かず撃つという曲芸を可能にするほどの技巧も幸いした。
挑戦者は壁を避けて急速接近してくるヘンリックへ、どうにかライフルの照準を間に合わせた。
「「それは入らないだろ……」」
テツマと深也、2人の言葉が重なる。
テツマは長い観戦歴から、深也は自信を持って言った。
またもやヘンリックの姿が水に消える。
これも虚像、最初から全てがまやかし。
次の瞬間には挑戦者の体から首が落ちていた。