修練と償い
4月29日の土曜日、午前7時。
「あ、フウジンさん、ヒョウカさん!おはようございまーす!」
ティグラーブ邸の食堂で、忍び装束の上からエプロンと三角巾を着けて調理や盛り付けをするユナに、満面の笑みを向けられた。
「…何でてめぇが料理番やってんだ。」
「レイナさんと替わってもらったの。あなた達のために働くのも執行猶予の条件ですし。」
「ユナの仕事、情報収集じゃなかったっけ?」
「今後はその予定だけど、今は情報収集より修行しろって言ったからね。」
ティグラーブが皿洗いをしながら言う。
「それでテメーらのために働くって言ったら、こういう雑用係が相場でしょ。」
「ですよねー。さあさあ、座って!ジャボンでも料理はよくやってるから、ヒドくても人並みにはできてる自信あるよ!」
「ほらよ。」
「どうぞ。」
天城と魅月さんが、豪華なテーブルの上に料理を並べた。
白米に豆腐とワカメの味噌汁、焼き魚におひたし。
どこもかしこも洋風なティグラーブの館には似合わない絵面だが、食欲はそそられる。
「…むう…確かに、ボクよりはおいしそうかも…。」
「見た目や匂いは良くても、中身はどうだかな。忍者かぶれだし、毒やら薬やら盛ってやがるんじゃ…。」
「ははは。みんな同じ事考えやがるのね。」
「そのアマを庇うのも不本意だが、おかしなモンは入ってなかッたゼ。」
「味の方も、結構な御手前ですよ。」
「え、みんな大丈夫?買収とかされてない?」
「あのねー!疑うのはごもっともだけど、一文無しが3人も買収できると思います!?そんなお金あったら、罰金払ってるってば!」
「…そいつは言えてるか。」
自らを指差しながらのユナの叫びには流石に納得せざるを得なかったが、氷華はなおも疑惑の目を向ける。
「やろうと思えば、お金以外でも抱きこめるでしょ?男子相手なら、その…最悪カラダでどうにかなるだろうし、月さんにもギャンブルの情報とか流せば…。」
「こう見えても、好きでもねエ女に鼻の下伸ばすほど節操なしじゃねエぞ。」
「同じくよ。」
「私も、ギャンブルの情報は頂いていませんよ。…話したら色々な意味で後が怖い、と断られましたので…。」
「聞いたんですか!ホントにコりない人だなぁ…。」
氷華は魅月さんに呆れながら、再び食卓を見つめる。
しかしそこから動きはなく、食欲とユナへの反発心の間で揺れているのが窺えた。
「…まあ、どうしても毒とか薬とか疑うなら、朝ご飯抜きで修行すればいいんじゃない?」
「えっ、ちょっ…!」
「狂言誘拐なんかしたウソつきを簡単に信用できる人の方がおかしいしね。いらないって言われたら自分で食べるなり保存するなりすれば良いだけだから、どうとでもご自由に。」
「むうう…。」
氷華が唸った直後、彼女の腹が鳴った。
「…カンちがいしないでよ!ユナじゃなくて、月さんたちを信じるだけだからね!…あ、天くんはオマケだけど。」
「そンなノリならいッそ信用されねエ方が嬉しいンだがな。」
「くどいけど、もう1回言うよ。どうとでも、ご自由に。」
「…じゃ、いただきます。」
「…頂きます。」
氷華と横並びに座り、ユナの料理を口に運ぶ。
安心したやら少々面白くないやら本当に何の問題もなく美味で、箸が止まらなかった。
午後2時、ファラームの外れの荒野。
舞さんとの1対1での手合わせや各自での鍛錬を主とする修行が、昨日から引き続き行われていた。
「風翔斬!」
「うっ…!」
風を宿した木刀での右薙を浴びせると、舞さんはゆっくりと仰向けに沈んだ。
「…いたた…参り…ました…。」
「はあ、はあ…お手合わせ、ありがとうございました…!」
息を乱したまま、一礼した。
全身ずぶ濡れにされ、両手両肩に打ち身もこさえたが、7人がかりで数える程度の掠り傷を付けるのがやっとだった舞さんに1対1で勝てるようになった昂揚感は大きい。
「へえ。1日でもう勝率五分五分か。やるもんだな。」
「…ふん…。」
しかし同じく1日で舞さんに全戦全勝するようになった兄に言われると、素直に喜べなかった。
「さあさ、手当てのお時間ですよー☆レイナさん、マイさんをお願いしまーす。フウジンさんは、これ食べてね。」
ユナからタオルと一緒に、淡いオレンジ色のグミのような物体を渡された。
「…何だ、こいつは…?」
「樹王の実から作った、ジャボン印の飲み薬。持ち運びやすくするのとおいしくするのとで回復力はちょっと落ちてるけど、そのくらいのケガならあっという間だよ。」
元が樹王の実と聞くと味への不安は拭えないが、傷への効果は確かだろうと口にする。
程よい甘味が広がったと思うとすぐさま打ち身が全て消え去り、じんじんと響いた痛みも綺麗さっぱりなくなった。
「ほえ〜。ちょっと落ちてもこんなに効くって、さすが樹王の実だな〜。」
服を乾かせと火を起こしてくれた紅炎さんが、目を丸くする。
「…私にも…それ…くれれば…麗奈ちゃんの手…焼かせなくて…済んだんじゃ…。」
回復し立ち上がった舞さんに、ユナは首を横に振った。
「この薬も樹王の実も、服は直せないよ。弟さんがお小遣い貯めて誕生日プレゼントでくれたっていうドレス、破けたままでよかったの?」
「…むむ…そこまで…調べ…付けてるなんて…ジャボンの…ねっとわーく…つくづく…あなどりがたし…ですな…。」
「…いや、そのドレスの話はマイさんがあっちこっちで喋ってるから、調べたってほどじゃ…。」
生温かい苦笑いを浮かべたユナに、氷華が氷の剣を向けた。
「そんなお薬あるなら、もうちょっとキツめにしごいてあげても大丈夫そうだね。行くよ、ユナ!」
「もう、ヒョウカさんってばスパルタなんだから!何度も言うけど樹王の実ほど効果抜群じゃないんだから、程々にしてよ!」
他の顔ぶれには少しばかり劣るが、ユナもかなりの速さで伸びる。
夕食の支度や掃除のため俺達より先に修行を切り上げた午後5時には、ほんの1日前なら逃げる事もできなかったであろうラダンに勝ち目が期待できるレベルになっていた。
「…あれ?」
ティグラーブ邸の一室で、ベッドに寝ていたユナが目を覚ます。
午前0時、つまり4月30日の日曜日になったばかりの事だった。
「…ふん、起きたか。」
「フウジンさん…?え…?私、気分悪くなって廊下で寝てたはず…。」
「何寝ぼけてやがる。てめぇは最初からここにいたぞ。」
「んー…?そうだったかな…いや、寝ぼけてない。私、絶対廊下で寝てたよ。ティグラーブさんにどこかの部屋で寝ていいかって聞いてなかったもん。誰かがここに運んでくれたんでしょ?」
「…てめぇにそんな甘っちょろい真似するとしたら、魅月さんか舞さんだろ。流石に働き過ぎとか言ってたからな。」
目を瞑り、そっぽを向きながら言った。
「ああ、そうかも…って、それなら何でフウジンさんがここにいるの?しかもさっき、私が起きるの待ってたみたいな言い方して…。」
「…やって良い事と悪い事も区別できねぇ馬鹿かと思えば、寝起きでそんなに突けるのか。変な所で切れる野郎だな…。」
頭を掻き、溜息を一つ吐きながら窓際に立ち、星空に視線を移す。
「…気が進まねぇが、てめぇに言おうと思った事がある。」
「私に?」
ごく僅かにふらつきながら、ユナがベッドから立ち上がる。
目を合わせず話そうとしたが、それでは嘘臭くなるなと思い直し、ユナを真っ直ぐ見据えた。
「思ったよりきっちり働いてやがるな。てめぇを褒めるのも癪だが、雑用係として役に立ってるのは認めるぜ。」
「…あ、ありがとう…ございます…。」
ユナは少しだけ赤面しながら弱弱しく頭を下げると、頬を掻く。
「まさか、初日で…しかもフウジンさんに、そんな言葉もらえるなんて…。」
「浮かれるなよ。てめぇを許したとか、信じたって訳じゃねぇ。大体てめぇにしてみりゃ自分で言ってる通り、今更実刑になりたくねぇってだけだろうしな。」
「もちろん実刑はイヤだけど、それだけじゃないよ。フウジンさんたちやアルスくんのご家族にたくさん迷惑かけたから、精一杯お詫びしたいの。」
「ほう?」
素直に受け取る気にはならないが、ひとまず耳を貸してみる。
「…自分が正しいことをしてるなんて、絶対に思ってなかったけどね。でも、悪いやり方だけど他に方法はない、とは思ってた…。」
ユナは悔やむように目を強く閉じ、両手を組んだ。
「シヴァ様がアルスくんを泣きそうな顔で叱ったとき、すごく胸が痛くなった。私がアルスくんのためと思ってやったことはアルスくんの大事な人たちを傷つけたんだ、分かってて間違えたつもりでいたけど全然分かってなかったから間違えたんだって、やっと気付かせられたの。」
「本当にやっとだな…今更悔やんだって、手遅れもいいとこだぜ。」
「うん。だからせめて、できるお詫びは何でもやりたいの。私がみんなを悲しませて怒らせたんだから、私の働きでそれよりずっと多く笑ってもらわなくちゃって…。」
ユナはそこまで言って、はっとしたように右手で口を押さえた。
「…ごめんなさい。口であれこれ言うより、行動で示さなくちゃだよね。特に、あなたには…。」
申し訳なさそうに俯くユナから、無言で視線を外した。
どう調べているのかさっぱり分からないが、氷華が応援しているグラビアアイドル―母親にしか話さなかったという―さえ突き止めていたジャボンだ。
俺が学校で様々な人間に絡まれ、連中が教師に叱られる度に見せた嘘っぱちの反省に今回こそと期待しては騙された事など、遥かに簡単に掴んでいるだろう。
「…話は終わりだ。とっとと寝ろ。体調不良起こして仕事に穴空けやがったら、ぶちのめしてやるからな。」
「ふふっ、怖いな。じゃあご忠告通り、今すぐ寝かせてもらいます。フウジンさんも、早く寝ていい夢見てね。」
「…ふん。」
笑顔のユナに表情を緩めないまま背を向け、足早に部屋を出た。
夜が明けてしばらく経ち、午前7時45分。
他の面子に先駆けてファラームの荒野に立ち、ユナと向き合った。
こいつを叩いたらどれだけ伸びるか、少し興味が湧いたのだ。
「さあ、掛かって来―」
「フウジンさん。修行の前に、ちょっとお話していい?」
「…内容次第だな。あと、手短にしろよ。」
休憩の時にしろと言おうと思ったが、改まった様子が気になったため、木刀を握ったままの右手を下げた。
「昨夜私をベッドに運んでくれたの、フウジンさんだったんだね。」
「…とっくに朝になったのに、いつまで寝ぼけてやがる。俺がそんな甘い真似する奴に見えるのか。」
「正直見えないけど、それ以外にないよ。だって、カメラに映ってたんだもん。」
「…何?」
「超小型だから見つけにくいけど…ティグラーブさん、屋敷中に防犯カメラ付けてるんだよ。だから、全部映ってたの。」
ユナがスマートフォンを見せて来る。
そこには、俺がユナを抱えて手近な部屋のベッドに寝かせた瞬間も、夜更かししていた舞さんに接触して魅月さんと一緒に口裏を合わせてくれと頼んだ瞬間も、しっかりと記録されていた。
「…ティグラーブの奴…!こんな下らねぇ映像、さっさと消しとけってんだ…!」
頭の天辺から足の爪先まで赤くなった身体を震わせていると、左手をユナの両手でそっと包まれた。
「…ありがとう。フウジンさんって冷たいフリしてるけど、優しいんだね…。」
頬を紅潮させて目を細めたユナは、同い年の女とは思えない程に艶やかだった。
「ぐ…笑わせんな!てめぇに情けを掛ける程、甘くねぇ!あんなもん、ただの気まぐれでやった事だ!」
強いて乱暴にユナの手を振り払い、背を向ける。
「ふふ、そっか。じゃ、今度から気まぐれじゃなくて本気で助けてもらえるような女にならなくちゃね。」
ユナは脇差を抜くとともに、笑顔を挑戦的で野心的なものに変えた。
「そのためにも、戦いでも役立つ雑用係にならなくちゃ。お手合わせ、よろしくお願いします!」
「…上等だ!目一杯きつくやってやる!覚悟しやがれ、ユナ=ゾール!」
「…はい!」
振り向いて木刀を構えた俺にユナは一瞬目を見開いたが、すぐに嬉しそうに、元気よく応えた。




