樹海にて1
あちこちから陽の光が入って意外と明るいが、その数はやはり並大抵ではない。
いくら進んでも終わらないと思える程、木々が生い茂っていた。
「…さすが…樹海って…感じだね…私…1人だったら…迷って…死んじゃってたかも…?」
「一本道で迷うレベルの方向音痴じゃ、かもじゃなくて死んでたぞ…。」
「…むう…ただの…じょーくに…向かって…言ってくれますな…姉が…かわいい弟を…置いて…死んだり…できません…。」
不満気ながらも可愛らしく唇を尖らせる舞さんだが、兄の辛辣な突っ込みの方が正論ゆえ、呑気に笑っていられなかった。
5月1日の月曜日、午前11時。修行を途中で切り上げ、ユナの案内でレラーズ樹海を進んでいた。
ここを抜けた先には、神や仏を厚く信仰するスクムルトという村がある。ティグラーブによれば、そのスクムルトで舞さんの弟が目撃されたらしい。
風使いが2人もいるのだから空を飛んで行きたかったが、二度とゴメンだと断固拒否する氷華と、目まいを起こしやすい舞さんがいるため、やむなく徒歩で移動していた。
この樹海は「毎日調査しても1つは新種が見つかる」と大袈裟に言われる程、風変わりな動植物が溢れているそうだ。好戦的で危険な連中も多く、火を噴く猪や、動物を襲う人型の植物などが代表格だという。
「そんなRPGのモンスターみたいなの、ホントにいるの?…いや、ボクたちが言えたセリフでもないけどさ。」
「本当にいるよ。人間以外の動物…植物や無生物だって魄力はあるし、動植物なら魄能を持ってることだってあるからね。」
「つまり、人間以外にも変異種はいるのですか?」
「はい。」
「へ~。人間界じゃ、ロクに見なかったけどな~。」
「人間以外が自然に変異種になるのは、魔界だってそう多くないよ。でも、こっちじゃ魄力のことが大真面目に研究されてて、色んな実験なんかもあってるからね。」
「人工的に妙なのが作り出されてるッて訳か。」
「…で、そうやって作られながら捨てられちゃった子たちが、魔界のあちこちにいたりもします。」
「…どこの世界でも人間の勝手さは変わらねぇな。同族として、嫌になるぜ。」
「羽なんか生えてると、自分は本当に人間かって時々不安になるけどな。」
「こんな時に揚げ足取るんじゃねぇ…。」
同意見だけどよと付け加えそうになったのは、飲み込んでおいた。
「ただ、この樹海は本当に特例でね。自然に変異種になった動植物の方が多いの。」
「そうなの?何で?」
「理由は分かってないんだって。ここで亡くなった人たちの魄力が影響してるかもって説もあるみたいだけど…。」
「へえ。死んだ人達の無念やらが取り憑いて変化した、とかか?」
「だとしたら、一種の幽霊だな〜。…けどそれって、人工的に変異種になってんじゃねえの?」
「まあ、どっちでも良いんじゃないですか?幽霊だろうが変異種だろうが因縁売って来ないなら放っておくし、売って来るなら叩き斬るまでですよ。」
「そうだな。めんどい事は、シンプルに片付けるに限る。」
スクムルトまで最速で辿り着こうとすれば徒歩15分で済むが、厄介な動植物と遭遇する頻度も跳ね上がる。逆に徹底して危険を避けようとすれば、1時間は掛かる。
ユナに案内させているのはジャボンが見出したルートで、厄介者と出くわす可能性がかなり低く、それでいて20分程でスクムルトに行けるらしい。
どうしても避けて通れない危険な場所も2つあるが、1つは既に通り過ぎており、たった今踏み入ったもう1つを越えれば、後は5分程で到着するという。
「ユナ。火を噴く猪とか、人型の植物って、どれ位強いんだ?僕達が手に負えないレベルか?」
「いえ、とてもそこまでは。私じゃ人型の植物は最悪無理かもだけど、ランジンさんたちならどれが相手でもきっと楽勝だと思うよ。」
「そんなもんか。なら、目障りなのが来たら任せるぜ。」
「あらら。もしかして私、『ここで死ね』って言われてます?」
「違う。どうしようもなかったら他の奴で引き受けるから、どうにかなる分は雑用係が始末しろって言ってんだ。」
「えへへ、ごめんなさい。フウジンさんのことだからそういう話だとは思ってたけど、念のために確かめたくて…。」
ユナが安心したように笑っていると、前方から地響きが迫って来る。
見れば、10匹の猪が群れをなしていた。
ほとんどは際立った巨体でも小ぶりでもないが、1匹だけは俺や氷華や天城やユナと視線がまっすぐぶつかる程に大きい。
いずれも、ごく弱い炎を身に纏っていた。
「…おや…うわさの…火噴きイノちゃん…ですかな…。」
「言ったそば…じゃなくて、言われたそばからお仕事だね。じゃ、ちょっとがんばっちゃおうかな。」
「おう、頼むわ~。」
「はーい☆さ、イノシシさんたち。悪いけど、ぱぱっと勝たせてもらうね!」
この猪達は、ある程度人間の言葉が分かるのだろうか。
機嫌を損ねたように唸り、威嚇するように身に纏う炎を強めた。
「ふふっ、安心してね。死なせたりなんてしないし、痛いこともしないよ。」
だが進み出たユナも、余裕が溢れる柔和な笑みを崩さない。
「ほんの何分か、お昼寝してもらうだけだからね♡」
愛用の脇差に触れる事もなく、唇の前で人差し指を立ててウインクしながら圧勝を予告した。
「自信満々だが、アテにしていいのか?チビ共はともかく、あのデカブツは3日前の水アネゴくらい強そうだぞ。」
「ユナの奴が自分から出たんだから、勝てるって事なんだろ。やらせるとしようぜ。」
「…ふむ…修行の成果…拝見…しましょう…。」
腕組みをしてユナと猪の群れを見ていると、自分も誰かの視線を感じる。
右隣を確認したところ、氷華が白い目を向けていた。
「…何だ。」
「…別にー。3日そこそこでずいぶんユナと仲良くなったんだって思ってさー。」
「…そんな風に見えるのか?心外だな。」
初対面の頃に比べれば少しはユナの奴に気を許してしまっているのも確かだが、仲良くなったと言われると良い気分はしない。
「だって風くん、嫌いなヤツを名前で呼ぶことほぼないでしょ。なのに、さっき…。」
氷華は蔑みさえ感じさせたまっすぐな視線を、怒りとも悲しみともつかない複雑な色合いに変えた上で逸らしたが、その胸中を推し量るどころではなかった。
せっかく舞さんと魅月さんからユナとの事は黙っていると確約を得たのにこっちがドジを踏むなんてと、自己嫌悪で一杯だった。
「…雑用係として役に立つって認めただけだ。あいつを気に入った訳じゃねぇ。」
「ふーん…。」
冷たく言ったが、氷華は全く納得していない様子だった。
「…ま、いいけど。ちょっと気を許したばっかりに泣かされた…なんてことにならないようにね。」
「甘さの塊が、誰に向かって抜かしてんだ。」
「…ハクジョウ者のフリしたお人よしさんに言ってるんですよ。」
俺がそんな甘い奴に見えるのか、と訊こうとした時。
快晴にもかかわらず少し前方―スクムルトの辺りで、雷らしき音がした。
「げっ!」
「うわっ!」
他の面子が不思議そうに空を見る中、俺と兄は思わず悲鳴を上げ、後ずさってしまう。
「…あれれ…ご両人…いかが…なされました…?」
「ははは!そういやお前ら、雷が苦手だったっけな~!」
「あら、風刃さんもですか?やっぱり血筋なのでしょうかね。ふふ…。」
魅月さんが和んだように微笑む。
誰がこんなのと似ているものかと抗議したかったが、今まさに全く同じ反応を見られたゆえ、苦い顔をするしかなかった。
「ビビり過ぎだろ。あンなに晴れてンのに、雷のワケがねエゼ。何かを引きずりでもした音が、それッぽく聴こえたンだろうよ。」
「今のはそうだとしても、この後も大丈夫かは分からねぇだろ…天気なんか、急変するもんなんだぞ…。」
「ああ…ユナがどれだけ腕上げたか知らないけど、5分も10分もかかるようなら、こっちでカタを付けるかな…めんどいけど…。」
微笑みと睨みをぶつけ合う、ユナと猪の群れ。
膠着が続くかと思ったが、事態はすぐに動いた。




