14:少年少女、逢引
途中まで別視点です。
自分に馴染みの薄い感情を表現するのは中々大変です(゜-゜)
凍えるように寒い北国の冬。ほとんどの生物は暖かくなるまで少し長い眠りに就こうと、各々巣でひっそり蹲っている時期である。
しかし唯一、人間たちはその限りでない。
雪の積もる街道には窓から窓へ、街灯から街灯へと多彩なリボンが張り巡らされ、そこに色とりどりの光る石が吊り下げられている。家や店のドアというドアには白とシルバーの糸で織られた小さなタペストリーが必ず掛かっており、半数程はアレティノ公国の国旗や王都テゼルの市章が一緒に飾られていた。
曇天の下しんしんと降り頻る粉雪は準光石の揺らぐ光を反射している。発光石は高価なため多少光度に揺らぎのある準光石を使用しているが、それが逆に昼前であるのに壁や地面、そしてそこを歩く様々な人々の上で幻想的な光の環を躍らせる。行き交う人たちの手には、大方何かしらの袋が抱えられていた。
一年で最も大きな祭日、年の区切りでもあるルヴェンマ当日。
辺りはがやがやとした騒音と様々な楽器の奏でるメロディで満ち溢れ、偶に子供たちの甲高い笑い声が上がる。弟は父親に肩車され、姉は母親と手を繋ぎながら昼の相談をしている家族。女友達同士でお洒落をして出てきたらしい、きゃっきゃとはしゃいで笑う5,6人の女学生たち。先程から後ろを歩く彼女らにちらちらと視線を送る、年頃の青年たち。かと思えば近くの店から、仲良く手を繋いで老夫婦が階段を降りてくる。その隣の店の軒先では、壮年の店主が音楽に合わせ見事な包丁捌きを披露している。――老いも若きも男も女も、その足取りはまるで踊りだすかの様だ。
それは2人の若いカップルも同じだった。
少女の方はストロベリーブロンドの髪がふわふわと広がり、小柄な体からは思わず守りたくなるような可愛らしさが溢れている。彼女は髪の色に合わせ、ピンクのグラデーションのドレスワンピを着ている。
一方の青年は、輝くブロンドの髪と精悍な顔立ちが目を引く美男子だ。その風貌は正に物語の王子様である。――彼は現実王子であるから当たり前とも言えるが。
エレオノーラとフェルディナンドは、所謂ルヴェンマデートの最中だ。
エレオノーラは他にも何人かの貴公子からお誘いがあったが、結局デート相手に選ばれたのはフェルディナンドだった。もちろんデートというのは王子談で、エレオノーラ自身は“男友達と買い物に行く”というスタンスらしい。
そんな見解が甚だしく食い違う彼らも、街の浮ついた雰囲気に中てられて興奮しているようだ。
「ねえ見てすごい!あっちで巨大なキャンディアートしてる!」
「ほんとだな!おいエレナ、あそこではお前の好きそうな肉が売っているぞ」
「…ちょっと王子、わたしが肉食獣みたいな言い方やめてくれません?」
「そんな他人行儀な呼び方なんかするなよ。そういう時は素直に“ねえルディ、わたしあそこの鳥肉よりあっちの羊肉の方が気になるの”って言えばいいんだよ」
「だ れ が あなたを愛称なんかで呼びますか!ていうかそもそもわたしの顔見るたび肉肉ってうるさいのよ!」
「――そうやって怒った顔も可愛いよ、エレナ」
「~~~~~‼‼」
そっと耳元で囁いてきた王子の吐息と言葉に、思わずばっと距離を取って顔を真っ赤にするエレオノーラ。にやりと笑うフェルディナンドとそれを睨むエレオノーラは、傍から見ればラブラブなカップルである。
彼女が俯いていると、不意に大きな手に包まれる彼女の手。
「なっ、なにしてるの?」
「なにって、お前その調子じゃ逸れるだろ?仔犬はきちんと首輪をつけておかないと、食べ物を見つけるたび尻尾を振りながら勝手に行ってしまうからな」
「な、わたしは人間ですー!別におうじ――」
「ルディって呼べよ」
ぐっと顔を近づけ真剣な顔つきでエレオノーラの瞳を覗き込んでくるフェルディナンド。
エレオノーラは、思わず自分の心臓が急激に高鳴り始めたのを確かに感じる。
「…折角お忍びでルヴェンマ祭にきてるのに、身分がばれちゃまずいから?」
「お前がそれで納得するなら、そういうことにしておこう」
そこでふっと笑った王子の顔は見惚れる美しさで。
「俺はお前に名前を呼んでもらえるなら、どんな理由だろうと嬉しいからな」
(ああもう、わたしはこの笑顔に弱いんだってば!王子ってすごい強引でムカつくやつなはずなのに、なんでわたしはこうも惹かれちゃったかな…たぶんたまにふと甘くて優しい一面を見せてくれるからなんだろうけど…)
エレオノーラは既に、王子への恋心を自覚し始めていた。強引で俺様なフェルディナンドに反発しつつも、一瞬見せる優しさや孤独に惹かれてしまう気持ち。最初は友情だと思っていた温かな気持ちは、段々と自分だけを見て欲しいという熱情に変わってきて――
(でも、だって、王子には婚約者がいるし)
フェルディナンドにはルクレチア・ダ・コスタという婚約者がいる。もちろん身分は侯爵令嬢。エレオノーラなどの子爵家の者など到底相手にされないレベルなのだ。
(確かに最初はここが乙女ゲーム“Danza Fiore”の世界だから、興奮しちゃって色々イベントとか書き出してみたけど…でもほんとに王子が婚約破棄なんてしてくれるかわかんないし。まあルクレチアだって確かに乙女ゲームそのまんま悪役令嬢感でまくってたけど!確かにルクレチアとわたしだったら、わたしの方が王子の好感度は高いかな、なんて…いやいや何もルクレチアだけが比較対象じゃないし!他に可愛い女の子いたら王子もそっちを好きになっちゃうかもだし…)
そんなことをぐるぐる考えて、エレオノーラは百面相をしている。
(他の仲良くしてくれる男の子たちの気持ちだって嬉しいけど、やっぱりわたし王子のことが気になる…。どうしよう、こんな気持ち前世を思い出してみても知らないよ…)
ほうっとつく溜息は、恋の色。
(てゆうかルクレチアは悪役令嬢って感じなのに、一向にわたしに直接突っかかってこないんだよね。でも聞いたところでは前学年までとにかく王子を付け回してたらしいし、王子のことは大好きなんだよね?なら普通好きな人が別の女の子と一緒にいたら、嫉妬するもんじゃないの?…わたしだって王子が他の女の子と仲良くしてたら、すごいムカつくし悲しいもん。)
そこでふと思いつくエレオノーラ。
(もしかして、自分は婚約者だから一段レベルが違うのよっていう余裕?…それとも悪役と見せかけて、実は一途に王子を思ってるだけ、いつか王子が振り向いてくれるのを待ってますよ、とか?――何それ、ただの受け身じゃん。ちゃんと恋してるなら、その人のことが好きなら、なんで全力でぶつからないの?…そんな消極的な子にとられちゃうくらいなら、絶対わたしが王子の隣に立つんだから――!)
その瞬間、近くのカフェテラスに座っていたショートヘアの少女が大きく咳き込み始めた。その騒々しい音で、彼女の恋に染まりかけていた思考が戻ってくる。
(ああああああわたしはまた一体何を考えてたの!また王子のことばっかり考えて!!やだやだこれじゃあほんとに恋する乙女じゃない!!!!!)
悶える可愛らしい少女を見つめる王子の瞳には、愛しさと熱が溢れていた。
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見つめ合う若いカップルが立ち去った後。
先程からカフェテリアに座っているショートヘアの少女は、頬杖をつき怠そうに顔を傾けながらだらだらとクレープを頬張っていた。
くすんだ水色のワンピースは既製品で、顔はノーメイクなのだろうか、全く印象に残らない。
しかしノーメイクの様に見えて、実はわざと薄く地味に見えるような化粧をしっかり施している。
更にその鼠色の首筋までの髪は、彼女の地毛ではない――ウィッグである。
彼女は完璧に変装していた。
今にも空気に溶け込んでしまいそうな、印象に全く残らないその風貌は、本来の彼女の華やかな顔立ちからは想像もできない。その化粧技術はもはや特殊メイクの域だ。
特殊メイクに完全な変装をした彼女は、普段の貴族然としたルクレチアからかけ離れた格好で、もしゃもしゃと気だるげにチョコバナナクレープを咀嚼する。…それでも何故か下品には見えないのは、生まれ持った雰囲気か。
(あーご馳走様。…いやまだクレープはご馳走様してない、お腹いっぱいなのはついさっき目の前で繰り広げられてたバカップルの寸劇ですよ。なにが楽しくてあんな会話がもろ聞こえな距離で、観劇しなきゃならないのよ。金払うどころかチョコバナナの甘さを後悔させた分のペイバックしてほしいくらいだわ。)
それでもクレープは食べきるつもりか、もきゅっ、とクリームで口をいっぱいにする彼女。
「うーんしかし、見たところお嬢ちゃんはあんまり欲深いタイプじゃないなあ」
思わず独り言をもらす。観察した印象では少女は、彼女が密かに期待していた様な人間ではなかったらしい。
「あんなに可愛らしいお顔を真っ赤っかにしちゃって…もちろん初心が好きな男には、そういう演技も必要だけど。エレちゃんがそこまで出来る子ならお姉さんはもっと嬉しかったのに…」
最後のひとかけらを口に放り込んで、生チョコレートの甘さの余韻を楽しむ。
「欲深い人間の方が、コントロールし易いからな。まあでもある意味恋も“あの人を独り占めにしたい、愛されたい”っていう人間の欲望のひとつかな?…だとしたらエレちゃんは、高得点ではないけど及第点はいってるってことにしとこうか。頭は弱そうだから、素直に直情的に突っ走ってくれれば御の字だわ」
溜息をついて、食べ終わったクレープの包み紙をくるくると片手で弄び始める。
彼女はふと、前世で自分がエレオノーラたちと同じ年齢だった頃を思い返しながら、先程まで近くにいた恋人たちの姿を思い浮かべた。
「――少年少女よ、青春は本当に楽しいものだよ。後で思い返すとびっくりするくらい下らない。それでもやはり、それは今の自分を形作る一部で、大切な思い出になるんだよ。そして君たちは今ちょうどその時期に立っている。きっとそれは駆け足の様に過ぎてしまうだろう…大人になるのはあっという間だ。だからこそ、思いっきり悩み、苦しみ、喜び、楽しめばいい」
気だるげな瞳の奥には、どこか子供を愛でるような温かい眼差しが隠れていて――
「私たちがそれを利用しているなんて知らずに、ただ何も考えずに駆け抜ければいいんだ」
ぼそりと呟かれた言の葉は、しんしんと降る雪に吸い込まれ誰にも届かない。
と、いい気分で酔っ払った男たちの群団が、わいわいと叫びながら目の前を通り過ぎた。一瞬、彼女の姿は集団の波にかき消される。
人波が通り過ぎた後のテラスには、鼠色の少女の姿は何処にもなかった。