第一話「クラスに、いない」
黒瀬透、高校二年生。昼間は完全に空気。クラスメイトに名前を覚えてもらえたことがない。
趣味は深夜の一人散歩。理由はただひとつ、夜の空気が好きだから。
ある日、クラスで妙な噂が広まり始めた。
「見たら終わる配信者」——深夜の街を徘徊する謎の人影が、SNSで呪い扱いされているらしい。
……それ、俺じゃないか?
身に覚えはある。でも呪いの自覚はない。ただ歩いてただけだ。
なのに偽物は現れるし、模倣犯は出るし、なぜかクラスのオカルトオタク・柚木明日香が俺のことを調べ始めている。
昼間は誰にも気づかれない俺が、夜だけ都市伝説になっていく。
これはただの散歩が、ちょっとした事件になってしまった話。
朝のホームルームが始まって三分後、柚木明日香は気づいた。
窓際の席に、人がいる。
クラスメイトの誰かだ。当然だ。でも名前が出てこない。顔はわかる。毎日いる。なのに、名前が出てこない。
変な感覚だった。クラス替えから二ヶ月。全員の顔と名前は一致しているはずなのに、あの席の男子だけが、なぜかいつも「ああ、そういえば」のタイミングで存在を思い出す。
出席番号順に頭の中を辿る。
く、く、く——黒瀬透。
「あ、いたっけ」
思わず声に出たのを、隣の女子に笑われた。明日香は誤魔化しながら前を向く。
窓際の黒瀬透は、空の一点を見ていた。
その日の夜、明日香はスマホを眺めながらベッドに転がっていた。
SNSのタイムラインに、知らないアカウントの動画が流れてきた。
リポストが連鎖しているらしく、コメント欄はすでに千件を超えている。
サムネイルは真っ暗に近い夜道の写真だった。中央に人影。街灯が一本だけ、遠くに光っている。
タイトルは、こうだった。
【閲覧注意】見たら終わる配信者 ※音量注意
明日香はオカルトが好きだ。心霊スポットの考察動画も、都市伝説の解説まとめも、全部チェックしている。だから「見たら終わる」系の煽り文句には耐性がある。たいてい、なんでもない。
それでも再生ボタンを押した瞬間、少しだけ息が止まった。
映像は無音だった。
夜道を歩く人影が、ただ、歩いている。それだけだ。カメラは離れた場所から固定されているらしく、ブレもない。人影は一度も振り返らない。ゆっくりと、迷いなく、夜の中を進んでいく。
二十秒ほどで動画は終わった。
怖い、とは少し違う感覚だった。なんというか——
「なんか、綺麗だな」
コメント欄には「見てから運が悪くなった」「この道、うちの近くかも」「三日間毎晩夢に出てくる」という書き込みが並んでいた。でも明日香の目に引っかかったのは、一番上のコメントだった。
「この人、生きてる人間じゃないと思う。だって昼間に姿がないから」
明日香はしばらく画面を見つめた。
それから何となく、今朝の窓際の席を思い出した。
夜の十一時半。
黒瀬透は静かに玄関を出た。
起きている家族はいない。母は早寝だ。父はいない。妹は受験生で夜中まで起きているが、透が部屋を出ても気づかない。気にしないのではなく、気づかない。それが透という人間だった。
気温は少し低い。空気がきれいだ。
耳の中から学校の音が抜けていく。誰かの笑い声、廊下の騒音、自分の名前が呼ばれない無音。
夜は、全部流れていく。
透は特に目的地を決めていなかった。いつもそうだ。二時間ほど歩いて帰る。ただそれだけ。
コンビニの明かりを横切る。交差点を右に曲がる。住宅街の細い路地を抜ける。誰もいない公園の横を通る。
透は誰とも話さない。誰かに見られることもない。ただ歩く。
夜道は透のことを「いる」と認識する。
それで十分だった。
翌朝。
教室に入ると、明日香のグループが動画の話をしていた。
「ねえ聞いた?見たら終わる配信者」
「あーそれ昨日バズってたやつ!怖くて最後まで見れなかった」
「コメに三日以内に不幸が来るって書いてあって、もう全部消したんだけど」
透は自分の席に座った。
鞄を置く。教科書を出す。
誰も振り向かない。
柚木明日香が何か言いかけて、止まった。透の方を一瞬見た。でも視線はすぐ友達に戻る。
「ねえ、その動画、どこの場所かわかった?」
「らしくない?うちの市っぽいって噂あるけど」
透は窓の外を見た。
今日も空が白い。
自分がその話題の中心にいることなど、透は一ミリも思っていなかった。
その日の放課後、明日香は一人で動画を見返していた。
十七回目だった。
怖いわけじゃない。ただ目が離せない。夜道を歩く人影の、あの迷いのなさ。街灯の光が一瞬だけ横顔を照らす、三秒間。
明日香は画面を止めた。
ズームする。
ぼやけた画質の中に、細いシルエット。黒い服。うつむき加減の横顔。前髪。
「……んー」
明日香は唇を噛んだ。
なんか、どこかで見たことあるような。
でも思い出せない。そういう感じ。
タイムラインにはすでに続報が流れていた。「昨日も目撃情報」「別の場所でも出た」「本当に昼間いるの見た人いる?」
明日香は次の投稿を開く。
そこには、新しい動画が貼られていた。タイトルはこうだった。
「深夜2時。また出た。今度は……こっちを向いた」
【第一話 了】
▼ 次話予告
噂は学校に入ってきた。「見たら終わる配信者」の目撃情報が、ここ一週間で急増している。しかも場所が、全部——この市内だ。
柚木明日香は一つの仮説を立てた。
この人は、私の知っている誰かじゃないか?
次回「本人は知らない」




