第6話 無様に尻尾振ってみせるさ
せめて体だけでも家族の下にと思い、無残な姿ではあるがミカの遺体を丁重に包んで持ち帰った。
だけどすぐに後悔する。いや、遺体は持ち帰らなければならないし、渡さないなんて選択肢は無い。後悔のように感じた胸の痛みは、娘を失って泣く親の顔を見てしまったからだ。その顔を、ハルカの親もしたのだろうと考えてしまった。
遺体を渡し、全ての経緯を話した。ミカの体を抱き締めて両親は膝から崩れ落ちる。高齢の老人は腰が抜けたように床に尻餅をついた。ユリは、呆然と立っている。
父親がミカの顔を見ようと布をめくる。ほとんど原型を留めていないそれに、母親が悲鳴を上げて布を被せ直した。数日前まであんなに明るかった新渡戸家の玄関先は、まるで地獄のように様変わりした。
「違う……! これは娘じゃない、娘じゃない、娘はもうすぐ帰ってくるんだから! この子は娘じゃない!!」
「お、おい、落ち着きなさい……」
「きっと今頃、いつものカフェで友達とおしゃべりしてるのよ。話が弾んで帰って来ないだけよ。迎えに、迎えに行けばちゃんと居るわよ……」
母親がふらりと立ち上がった。まだ現実を受け止めていないのか、涙は出ていなかった。だが真っ青な顔で玄関から出て行こうとする。
「あの……」
大志が止めようと手を伸ばすと、それより先に母親が何かに躓いた。
視線を落とす。布の隙間から転がり出たミカの腕だった。
それを見た瞬間、母親の絶叫が響く。悲痛を通り越して、雷鳴のように響いた。
「そうよ、娘よ! この子は間違いなくミカよ! 見間違えるはずないじゃない、私の子よ、わたしの、わたしがうんだ、わたしの、わた」
蹲って、ミカの腕を取り強く握る。遺体は損傷が激しくて、強く握ってしまっては崩れ散ってしまいそうだった。
「親不孝な、娘だよ、お前は……病気の父親より先に死ぬたァよォ……」
後の事情聴取で知ったことだが、ミカの父親は肺に病気を患っていたらしい。
娘二人に心配させまいと、治療法が見つかるまでは「友人と会っている」と妻と口裏を合わせて、こっそり医者のところへ通っていたそうだ。
それが毎週の木曜日。その日だけは町へ商売に行けない父親に代わって、ミカが行っていた。
「俺がいけねぇんだ、俺が、ミカを一人で町へ行かせて……俺が行けばミカはこんなことには……俺なんて十分生きたのによ、病気なんて放っとけばよかったんだ。ミカ、ごめん、ごめんなぁ、ごめんなぁ、ごめんなぁ……」
ミカの顔に掛かった布を外して、頭を包むように撫でる。ボロボロの頭皮から髪の毛がごっそりと抜け落ちて、父親の指に絡まった。
「……後日、日を改めて後任の軍の者が伺います。いくつか聴取がありますので、ご協力願います」
ここに来る道すがら、車に搭載してある無線機から堤に連絡を入れた。
事情が事情なので、大志たちが遺族への事情聴取をするのは神経を逆撫でるだろうと堤は言った。大志と銀臣はすぐに村を出て、聴取は後任に託すとの判断を下されている。
「それでは、失礼します」
二人で頭を下げ、背を向けて去る。
家族の悲しみにくれる声がほんの少し遠ざかった時、後ろで「ユリ!」と声が上がった。
振り返ると、ユリが早足で追いかけてきた。その顔は亡霊のように無表情だ。
歩く速度を緩めないまま、大志を目前に右手を振り上げる。
鍛え上げられた軍人や工作員には、一般人の女のそれは簡単に避けられる。
大志の横に居た銀臣がユリの振り上げた手を掴もうと動いたら、それを大志が止めた。
バチンと、乾いた音。
ユリの平手は大志の左頬を打った。
熱さの後に遅れて感じる痛みと、じわじわと痺れる肌。大志は声を上げることなく、毅然と受け止める。
「おねーちゃんを返せ!」
あのはにかみ屋だった女の子の、低く唸るような怨念の声。
「なんで助けてくれなかったの!? 軍人のくせに! 軍人は人を助けるのが仕事じゃないの!? なんで助けなかった!!」
なんでなんて、無理な話だ。
大志たちがミカに出会った時、ミカはすでにミカでは無かった。あの時点で、おそらく宿主であるミカの体内は殆ど死んでいた。
軍人はそれを助けられるほど万能ではないし、神様でもない。そんなの、ユリだってわかっている。
だけど口は止まらない。誰かを悪者にしなければ頭が狂いそうな感覚。
(あぁ、あの時の俺だ__……)
尚も自分に向けて拳をぶつける少女を、大志は虚ろに見ていた。
きっと『あの時』の銀臣には、自分はこう見えていたのだろうと。
目の前にいる誰かに当たらなければ、狂ってしまうような恐怖。怒りと絶望の矛先を探して瞳孔を開く。
間違いなく、あの時の自分の姿だと大志は思ったのだ。
「ユリちゃん、ミカさんは、もう君のお姉さんでは無かったんだよ」
これ以上刺激してはいけないと、努めて穏やかに声を出す。
あの時の自分の気持ちを思い出して、せめて少しでもユリの落ち着きそうな言葉を探した。
「お姉さんの体をあのまま好き勝手させておくのは、君だって嫌だよね」
ユリの肩を抱いて、幼子に言い聞かせるように優しく語りかける。
一見、どんなにいつも通りの家族でも。その中身が違うなんて寂しいに違いない。大志はそう思っての言葉だった。家族では無いのに、家族のような顔をしてそばに居るなんて許せないことだろう、と。
「それでも、おねーちゃんは生きてた!!」
予想外のユリの言葉に、大志は固まる。
どういう意味かを測りかねて掛ける言葉は浮かばなかった。ユリは叫ぶように言葉を続ける。
「それでもおねーちゃんは生きてたんだよ! 私のことをユリって呼んで、朝はなかなか起きなくて、美味しいって私のパンを食べてくれて! 例えおねーちゃんじゃなくても、私にとってはおねーちゃんだったよ! 私にとってはおねーちゃんは生きてたんだよ!!」
大粒の涙が落ちて土に飲み込まれていく。ぐちゃぐちゃに歪んだ顔が、前髪の隙間から大志を睨んだ。大志はそれに、困惑しながらも返す。
「ユリちゃん、でも、それは」
「いつか醒める夢だったんだ」
大志の意識は、そこで現実へと戻される。
ハッと顔を上げて隣の銀臣を見ると、彼の横顔が目に入った。
場所は軍用車の中。助手席に座る大志は外を見る。来た時に見た、荒れた土地が広がっていた。空は夕焼けだった。低く浮かぶ夕日が車内をも赤く染める。
村を出て本部へ戻る道中。銀臣はいつもと変わり無いように語る。
「例えあのままミカちゃんを野放しにしておいたって、それはいつか醒める夢だ。どうせ醒めるなら、早いに越したことはねぇ」
「……ですよね」
そう、あれは夢だった。大志もそう思う。
偽物が魅せた、それこそ幻だった。家族全員が仲良く暮らす幻。でもその中身は、家族の皮を被った悪魔だ。そんな日常は歪に違いない。
「そんなの、ただの悪夢だ……」
例えどんなに本物と同じように笑って、泣いて、喜んでも。
違和感なく家族の中に溶け込んでいたとしても、それはきっと、だからこそ悪夢だ。
「俺たちのしたことは間違いじゃねぇ。ユリちゃんの言うことは、まぁ気にすんな。興奮と錯乱がああさせただけだ」
「……そうですよね、あの時の俺そのものだった。気持ちはわかります」
叩かれた頬は、もう痛くもなんともなかった。銀臣が言うには、赤みもだいぶ引いているとのことだ。この調子でいけば本部に着くまでには完全に引いているだろう。堤に余計な報告はしないで済みそうだと、大志は内心胸を撫で下ろす。
__そうだ、そういえば。
大志は車窓へ向けた顔を銀臣へ戻す。
あれだけ悩んだ謝罪の言葉が、今はすんなりと出せそうだった。このタイミングで言うのもズルい気がしたが、今しか無いとも思った。
「柴尾さん、成瀬ハルカの件ではすみ__……」
「謝らねぇぞ」
「え……?」
それを制して、銀臣は先手を打つ。
村へ向かう途中の車の中、大志の様子がおかしいのは銀臣も気づいていた。それが何故なのかも、彼は正しく汲み取っていた。
だが、大志にとってはこの状況は理解し難いものだった。
「謝られたら、ソイツを許さなきゃならない気がするだろ」
急に、銀臣の言葉に力が込められる。
「謝られてんのに許せない自分が悪いみたいに思っちまう。だから俺は謝らねぇ。一生恨まれる覚悟だぜ」
「あ、謝らないって……当たり前じゃないですか。柴尾さんはなにも悪くないのに。むしろ謝るべきは俺で__……」
「でも、助けられなかった」
「あれは仕方のない場面でした。言い訳なんですけど、あの時は錯乱していて、本当にすみませんでした」
シートベルトは付けたままだが、体ごと銀臣に向けて頭を下げた。
銀臣は沈黙する。露わになったつむじを見て困ったように笑った。そして穏やかな声で、言葉を選ぶ。
「ずっと、『あの時』のこと気にしてたろ。俺も言うタイミング失うわ忘れてたわで言ってなかったから、余計悩ませたよな。別に宮本くんも謝る必要ねぇよ」
「なんでですか?」
「よくあることなんだよ、ああいうのは。仲間が死んだのは誰の所為だアイツの所為だコイツの所為だ、自分の所為だ。助けられたかもしれねぇ、助けられたはずなのに。そんなこと言うのも言われるのも慣れてるさ」
「今回の俺みたいに、ですか」
「……あぁ、家族から恨まれるなんてしょっちゅうだ」
銀臣は、少し昔を思い出していた。
自分にも覚えのある感情。アイツの所為だ。許さない。一生恨んでやる。
そうやって黒い濁流のような怨念を抱いて、初めて戦場へ出た。だけどそこに広がっていた現実は、むしろ自分を冷静にさせた。
「全ての死は必然だ。『助けられたはず』なんてのは無い。現に助けられなかったならそれが全てだ。だから、君は凄い」
「え?」
「寄生植物と戦う前、宮本くんは『ミカを助けるのは手遅れだ』と即座に判断した。中々できることじゃねぇよ。普通は『どうにかして助けられないか』という希望と、躊躇いが出る」
「……躊躇ったところで、現実は変わりません。それに、すでに手遅れであるミカさんを助ける手立てを考えるより、俺と柴尾さんの安全が優先されるべきだと考えました。下手に助けようとすれば、必ず攻撃に迷いが出ます」
「それがスゲェってこと。俺は新人の頃、そんな風に考えられなかった。どうにかしようとして大怪我負ったこともある。宮本くんは軍師に向いてるぜ」
「買い被り過ぎです」
「評価は正当に、過小も過大も厳禁」
「ハハッ、今のちょっと堤さんに似てました」
「だろー? 俺の持ち芸」
声音は似てないが言い方が堤に似ていて、大志は思わず笑う。
そこでまた沈黙が訪れた。
(軍師に向いてる、か)
断言できるが、それは無いと大志は思う。
冷静なわけでもなんでも無い。人の命が関わる時に即座に判断を下せる理由は、ユリが答えを出している。
__あなた、本当に大切な人なんていないでしょう。
新渡戸家の前で平手を食らった後、嘲笑うように言われた。
だけどそれを言われて、怒りも悲しみも湧いてこなかった。
彼はただ、納得してしまったのだ。
何故こんなにも、人の命が関わる場面で判断を素早くできるのか。何故躊躇わないのか。それはきっと、大切な人なんていないからだ。
誰かを心から大切に思ったことが無い。だから、誰かの大切な人かもしれないその人をすぐに殺せる。見殺しにだってできる。大切な人が居る喜びも、失う悲しみも知らないからだ。
ハルカのことは確かに大切だった。口うるさくて強引で、だけど正義心溢れる。自分には無いものを持っている彼女へのそれは、『親愛』というより『情と憧れ』だったかもしれない。
彼女が死んだ時、銀臣に当たってしまうくらい混乱したはずなのに、過ぎてみるとその感情を忘れてしまっていることにも大志は気づいている。
上手く言えないが、あの濁流のような感情を『そういう感情』だと記憶はしているが、二度と蘇りはしない。そんな感じだった。
家族も、恋人も、心からの親友も持ったことが無い。ユリはそれを見抜いたのかもしれない。
「……あれは本当に、醒めない夢だったのでしょうか」
突然の大志の疑問に、銀臣は少し驚いて黙る。その真意を推し量る。
「もしあれが醒めない夢だったなら、あのままでも良かったのでしょうか」
家族みんなで仲良く暮らす幻。もしそれが醒めない夢なら、幸せなままで終わったのだろうか。ふと、彼の頭にそんな疑問が湧いた。
「……君はどう思う。成瀬さんの幻を見た時、もしそれが醒めない夢を与えてくれるなら、君はその手を取りたいと思うのか?」
銀臣が直球に返すと、大志は窓の外を見たまま黙った。
空は暖色から寒色へと移り変わり、強い光を放つ星がチラチラと見え始めている。少しだけ残る赤色に目を細める大志に、銀臣は答えを待った。
大志は特に悩む様子も無く、予想外にさっぱりした口調で言った。
「斬り落とします。ハルカはもうこの世にはいない。それが真実なのだから、幻だとしてもいるのはおかしい」
「……やっぱり軍師に向いてるよ、君」
銀臣は静かに笑う。大志は「柴尾さんは?」と、この話を続けた。
「醒めない夢の先に大切な人がいるなら、受け入れますか」
「んー……そうだなぁ」
あっけらかんとした口調を演じているが、大志とは対照的に微かに声が震えた。
正しい答えがあるはずなのに、それに手を伸ばすのが怖い。できればもう触れたくない。触れないまま、曖昧なままでいたい。そんな心境だったのかもしれないと、銀臣は自覚している。
「醒めちまった今となっては、わかんねぇなぁ」
平然と見えるように、必死に取り繕った。
それを何となく察した大志は、深入りすべきでは無いと判断し、それ以上追求することはしない。場を誤魔化すようにわざとらしく窓の外に視線をやれば、それを汲み取ったのかそうでないのか、銀臣がころりと声音を変えた。
「まぁ、これで宮本くんのセカンド任務は終了だ。上々の出来だと思うぜ」
「帰るまでが任務ですよ」
「はーい、気を抜かず運転させて頂きまっす」
「運転手さん、安全運転でお願いします。車体を揺らさないでください。舌を噛みそうです」
「こんな岩だらけの道でそりゃ無理だって!」
行きの道よりもだいぶ慣れたテンポで軽口を叩き合って、その流れでくだらないことまで話した。
軍のメシは何が美味いとか、堤さんが軍舎をこっそり抜ける方法を知ってるから今度教えてもらえとか、訓練校でやらかしたこととか。
同年代の友人が話すように会話は進んだ。
銀臣への謝罪を一言口にしただけで、大志の心はだいぶ軽くなった。もっと責められると思っていたので安心している部分もある。責められなかったことに安心しているのはズルい気がするが、それでも銀臣は寛容な心で許してくれた。
「……すごいですね、柴尾さんは」
雑談が途切れたタイミングで、大志は思わず呟く。
「そうか?」
銀臣自身はあまり合点のいっていない様子で、あっけらかんと返す。
そういうところだよなぁと思いつつ、大志は続けた。
「俺が柴尾さんの立場なら、怒ったと思います。今回のミカさんの件、正直『俺の所為にしないでくれよ』って、少し思ってました。勘弁してくれってウンザリしたんです。でも、柴尾さんは『よくあることだ』って受け入れて、『一生恨まれる覚悟』とまで言って。凄いなって心から尊敬しました」
「……じゃあなんで、ユリちゃんの平手を食らった。悪いと思っていないなら躱すなりなんなり、できただろ?」
銀臣はてっきり、あれは大志がユリの気持ちを理解した上でのことだと思っていた。
幼馴染である成瀬ハルカの件で銀臣に当たってしまった。その気持ちがわかるからこそユリの怒りを受け入れたのだと。現に大志は「気持ちはわかります」と先ほど言っていた。
それ以外にわざわざ平手を食らう理由があるのか、銀臣には思いつかなかった。
(まぁ、『気持ちがわかる』のとそれに対する『感想』は別物か)
今回の件に大志の落ち度は無い。そう思うのも当たり前だと、銀臣はそう答えを出す。
一方の大志は、またも平然と答えた。
「あぁ、あれはなんとなくです。ここは受けといた方がいいんだろなって思いまして。あそこで避けたら非情っぽいじゃないですか」
それ以外の意味なんてあるのかと言いたげなほど、むしろ清々《すがすが》しく言い放つ。
なんの他意も無く純粋なその様子に、銀臣は少し肝が冷えた。
(コイツァ、堤さんが目に掛けるはずだぜ__……)
次のバディは大志だと告げられた、班長詰め所での堤との会話を思い出した。
堤はタバコを吹かしながら、おちゃらけた雰囲気の中に少しの真剣味を乗せて言ったのだ。
『みやもっちゃんは、あの子たぶんね、キミと違って優しくないから覚悟しときなよ』
てっきり、戦場ですぐに情を出すと評価される自分への注意喚起だと思っていたのだ、銀臣は。
堤の遠回しな嫌味だと捉えていた。だけど、どうやらとんだ思い違いだったらしい。
銀臣が今まで見てきて、大志の評価は『礼儀正しく冷静で、頭が良い』だ。
場の空気を読むのが上手い。適切な場で適切な言葉を人に掛けられて、実際には村人ともすぐに打ち解けていた。
それを見て『優しくない』という堤の言葉は、やはり自分への当て付けだと思い込んでしまったのだ。
(とんだ逸材だな、こりゃ)
可愛くない新人の到来に、銀臣は心の中で堤へ称賛を送る。
何故大志と組まされたのか、彼は心の底から理解した。あの人の人を見る目は間違いないと確信する。
隣の大志は楽しそうに話を続けている。内容は相変わらず銀臣への称賛で、さすがに恥ずかしくなった。
「おいおい、なんも出ねぇぞ、ホント。俺の財布は住みにくいって、初代皇帝様がおっしゃってんだ」
紙幣には初代皇帝が印刷されている。銀臣らしい粋な言い回しに、大志は笑った。
「評価は正当に、過小も過大も厳禁」
「うわ、似てねぇ。せめて努力しろよ」
「がんばったつもりです」
「それでがんばったとか、マジか」
どうやら暫くは堤のモノマネが二人の間で流行りそうだ。例え本人にバレても「おいおい俺はもっとカッコイイよ〜?」と済ませてくれるだろう。そして堤は本気で言うし思っている。
「組めたのが柴尾さんで本当に良かったですよ。相棒生活って信頼が一番大事ですから。あなたなら信頼できます」
その言葉の、何がいけなかったのか大志はわからない。
褒めたつもりだが、銀臣は口角を下げて黙りこくる。大志も困惑して咄嗟に口を閉じた。
さっきまで軽口を叩いていたのが嘘のように、車内には重い空気が流れる。
そういえば中洲村に滞在していた時も、同じようなことがあったと彼は思い出した。
(やっぱり俺が、なにか気に触るようなこと言ってるのか……?)
だけど彼に心当たりは無い。変なことは言ってはいないつもりだった。
そこで考える。これから相棒生活を始める上で、少しでもお互いの意見の擦り合わせをしなければと。気に入らないことがあるならハッキリして欲しいし、言いにくいことがあるなら、逆に言いにくいままで終わらせてはいけないと思った。
「あの__……」
「君さ、それ本気で言ってんの?」
「え?」
いつもより幾分か低い銀臣の声が、大志に向かって鋭く刺さる。
「俺のこと信頼してるとか、本気で言ってんの?」
「え、もちろんですけど」
「ふぅーん」
冷めた声音でそれだけ言うと、銀臣は黙る。
その態度にムッとした大志が、少しきつい口調で問い詰める。
「あの、言いたいことは遠慮せず言ってくれて構いませんよ」
「別に。わざわざ言う必要もねぇかと思って」
「じゃあ態度に出さないでください。そんな態度をしておいて『言う必要は無い』ってなんですか。言うつもりが無いなら態度にも出さないでくださいよ」
「それ指図? 上官命令? どっちにしろ腹立つけど」
「腹立ってるのはこっちです」
「……………」
「……………」
睨み合うような無言が訪れる。
タイヤが荒れた大地を踏んでく音が、やけに耳についた。
それでも口を開かない銀臣に痺れを切らした大志が、吐き捨てる。
「信頼してるのは俺だけってことですか」
そしてため息を一つ。これは別に銀臣を煽ろうとしたわけではなく、無意識に出ていた。
上手く相棒生活を始められたと思っているのが自分だけだという残念な気持ちと、銀臣のよくわからない態度に辟易したのだ。
そしてそれが最大の地雷であったことに、すぐに気づく。
ガクンと、乱暴に車にブレーキが掛かった。
気を抜いていた大志の体は、遠心力に逆らえず前に揺れる。今度は何だと隣を睨み付ければ、銀臣は今までに見たことが無いくらい怖い顔をしていた。
別に睨まれているわけではない。眉間にもの凄いシワを寄せているわけでもない。
冷えた、ゾッとすらする怒りが全身から放たれている。
「……わりぃ、ちょっと外で休憩」
「え、ちょっと!」
「話しかけんな。危うく出そうになった拳を引っ込めたところなんだ」
「は?」
シートベルトを外しながら早口にそれだけ言うと、銀臣はさっさと運転席から離れて行った。
訳の分からない行動に大志は思考を停止しかけたが、自身もシートベルトを外して後を追う。
「ちょっと、なんなんですか!」
車を出ると、乾いた風が頬を刺激した。
大小様々な大きさの岩が転がる、足場の悪い荒れた土地。銀臣は車から少し離れた位置で怒りを収める為に深呼吸している。
その背中に、大志はイライラと声を掛けた。
「あの、もうホントいい加減にしてください。せめて説明をしてくださいよ。それで俺が納得すれば謝りますし、対応しますので」
「いや、君に言ってわかると思えないわ」
「それを判断するのは俺です。最初から決めて掛かられても不愉快なんですけど」
「……じゃあ言わせてもらうけど、俺たち……軍人と工作員の間に『信頼』なんてクソなものが存在すると、本気で思ってるわけ?」
言われた意味を理解しかねて、大志は閉口した。
信頼をクソなものだと何の躊躇いもなく言ってのけた様子に、訳がわからなくて返す言葉が浮かばなかった。
『世の中は信頼の循環』だと言ったのは、彼であるはずなのに。
大志の沈黙を余所に、銀臣は続ける。その声は静かな怒気を孕んでいた。
「俺たちの間にあるのは理不尽な主従だ。信頼なんてお優しいものがあるわけねぇだろ。君は尻尾振る従順な飼い犬に安心してる人間様なだけだ」
これが正解だとばかりに言い切る銀臣に、大志は萎縮するどころか苛立ちを更に募らせた。
「なんですかそれ? 俺が信頼してるって言ってるのにそれ以外のなにがあるって言うんですか?」
「……信頼してるのは俺だけってことですか、ねぇ。むしろ俺がお前をどう信頼するってんだ」
「あの、確かに俺は柴尾さんに比べれば現場歴は二年ほど遅れてます。新人がいきなり上官になるのも納得できない部分があるでしょう。でも俺は、柴尾さんとは対等に発言し合える立場でいるべきだと思うし、そう接してきたつもりです。それでも信頼して貰えないなら、どうすればいいんですか」
「どっちが上官とか誰が新人とかどーでもいいっつうの」
「じゃあなんですか。すみません、俺はあなたと違って馬鹿で頭が足りないのでわかりやすく言って頂けないでしょうか。どうやらどうでもいい意見しか言えないようなので」
「大人しいかと思えば随分口が回るじゃねぇか」
「そういうあなたは全然喋りませんね。一歳の赤ん坊の方がもっとちゃんと喋れますよ」
「やっべ、今のすげぇ殴りてぇわ」
「どうぞ、俺ちょうど手持ち無沙汰なんですよ」
「奇遇だな、俺も手が空いてる」
大志が構えたのと、銀臣が振り返ったのはほぼ同時だった。
銀臣は振り返りざまに右の拳を繰り出した。それを往なして、大志は銀臣の後ろを取る。
足を銀臣の顔面目掛けて振り上げた。銀臣は間一髪でそれを避けて、距離を取る。
「っぶねぇ、いきなり足技かよ。しかも足の上がり方えげつねぇな」
「体、柔らかいんです」
「軟体生物への転職を勧める、ぜっ!」
両拳を構えて、銀臣が一気に距離を縮める。
また右拳を突き出すのを見て、大志は今度はそれを捕まえた。銀臣の右腕を掴み体を固定して、膝を鳩尾に打ち込もうとする。が、銀臣は左手でそれを受け止めてから、大志に掴まれている右腕を逆に掴み上げて背負い投げる。
呼吸の詰まる音が僅かに聞こえた。大志は受け身を取ってすぐに立ち上がる。
「足癖悪いな、宮本くん」
「足から生まれてきました」
「それ、ただの逆子じゃね?」
冗談を言いつつ、再び構える。少し腰を落として相手の隙を探る。
両者ほぼ同時に駆け出し殴り合いは続いた。一進一退の攻防と言っていい、互角のやり合い。
「俺、訓練校では体術科目一位だったんだけど。たかが新人のぼっちゃんと互角とか傷つくわ」
「これで一位? そんな嘘吐かないでいいですよ」
「ほんっと口が達者なようで」
口では軽い調子を演じるが、しかし殴り合いはお互い本気だった。
ここまで来たらとことんやってやろうと、両者とも手を抜かない。殴り殴られ、顔だって遠慮無く狙っていく。
「人が話し合いで解決してやろーってのに、こんな手が早い人だと思いませんでした。女性にもそうなんですか?」
「お生憎様だね、俺は女性には紳士で有名なんだ」
そこで銀臣の拳が、大志の頬にヒットした。
すかさず大志も銀臣の鼻っ面に一発入れる。大志は口の中に溜まった血を吐き出し、銀臣は鼻血を乱暴にスーツで拭った。
暫く両者とも動かない。他に誰もいない、何の生物の気配もしない荒野の中心で睨み合う。
空は殆ど夜に支配されている。銀臣の後ろの遥か地平の向こうで、太陽が赤く燃えながら消えていこうとしている。それを何となしに見ていると、銀臣が口火を切った。
「俺の命は君の手の中だ。そんな状態で俺が君を信頼できると思うのかよ」
言われて、大志は思い至る。自分の内ポケットに、彼の命を奪う引き金があることに。そして反射的に銀臣のブレスレットを見た。
大志の視線に気づいた銀臣が、静かに続けた。
「俺は君に殺されない為に、従順な犬のふりしてるって考えないわけ? 君に下手なことすりゃぁ理不尽に、何の抵抗もできないまま、俺は死ぬ。君がどこまで許してくれる人間か、俺は知らねぇからだ。軍人と口喧嘩になっただけでスイッチを押されて死んだ奴を知ってる。やむなく撤退しただけで役立たずと罵られスイッチを押された奴は、俺の先輩だった」
銀臣が言葉を続ければ続けるほど、大志の心臓が嫌な音を立てた。
自分の悪意の無い言葉が、彼をどう刺激したのか悟った。そして悪意が無いからこそ、自分の配慮の無い行いが恐ろしくなった。
彼と対等な立場でいたい。
だが世界の常識が、己の中に無意識に根強く存在していたのだ。
「今回だってそうだ。いくら寄生植物が見せた幻覚とは言え、戦場に背を向けただけで始末される。実際に小島さんは、軍人を助ける為に必死だったってのに。半年もバディを組んで、ちっとも信頼されてねーじゃねぇか。結局は軍人なんて……世界なんて、俺たちを使い捨ての懐炉くらいにしか思っちゃいねぇ。用が済めば捨てるくらいのな。君、俺に心があるって、ちゃんと認識してるわけ?」
震えた声は怒りを抑えているようで、悲しみを押し殺しているようで、その両方でもあるような。大志には判断ができなかった。判断するには、彼と居た時間がまだまだ短すぎる。
そこで銀臣は再び拳を固める。大志の胸倉を掴み上げると、渾身の力で拳を顔面に入れた。
「どっちかがどっちかの命を握ってる状態で、信頼するもクソもねぇんだよ! 当たり前の顔してスイッチを握って、その状態になんの違和感も持ってねぇ時点で、俺からしたらテメェはその他大勢と同類だ! 心の底から相棒なんて思ってねぇよ!」
いつもの銀臣からは想像できないくらいの荒げた声。銀臣は、死ぬつもりで大志を殴っている。
これで大志が逆上してスイッチを押してしまうことを、彼は想定している。そうなってもなんら不思議では無い。大志にとって、自分はいつでも刹処分できる犬畜生なのだと理解している。
一方の大志は顔面に響く痛みに言い返すことが出来ず、黙る。だが次に続いた銀臣の言葉に、今度は大志の地雷が踏み抜かれた。
「ぬくぬく大切に育てられてきた世間知らずのぼっちゃんにはわかんねぇよな、俺の気持ちなんてよ」
それに、ほぼ無意識に体が反応した。
自身の胸倉を掴む銀臣の腕を捻り上げ、バランスを崩した隙にその腹を蹴り飛ばす。
銀臣は腹を押さえてその場に膝をついた。
「いってぇなクソ……」
「ぬくぬく大切に育てられたぁ? あんたが俺の何を知ってるってんですか。ぬくぬく育ててくれる人なんていませんでしたよ、俺」
「……」
言葉の意味を考えて、今度は銀臣が黙る。
大志は垂れる鼻血を気にすることもなく、と言おうか気にする精神状態でもなく、銀臣をギラリと睨み付けた
「むしろ羨ましいですよ。妹の話なんてできる柴尾さんが。俺は生まれてからずっと家族なんていなかった」
「は……」
「孤児院育ちなんです。自分の産まれた日すら知らない。暖かい春の日の夜に捨てられてたんです。『孤児院のみんなが家族』とか言えるほど、俺は情に厚く無いんですよ」
大志の口調は、先程とは比べ物にならない程に低く唸るようだった。
沸き起こる怒りをふつふつと滾らせるその様子に、銀臣は身を縮める。だけど同時に違和感も覚えた。
その怒りが尋常では無かったからだ。孤児院だとしても円満に過ごしていたなら、銀臣の言葉にここまで異常に反応しないだろう。
「俺がガキの頃の孤児院なんて、国の補助金目当ての極悪施設ばかりで環境は良く無かった。虐待で保護されたり、各地の紛争で親を亡くした子が多かったですよ。そういう子は寂しさを紛らわせるように団結してイジメばっかりしてました。それで、イジメられた子がどうなったと思います?」
その言い方に、答えなんて何となく見当が付く。良い結果では無いことが明白だ。
「死にました。孤児院の倉庫で首吊って死んでましたよ」
その時の臭いまで、大志は鮮明に記憶している。ふとした時に似たような臭いがすると、体が強張ってしまうほど脳裏に焼き付いているのだ。
「柴尾さんこそ家族に囲まれて、さぞお気楽に過ごされたんでしょうね。工作員になったのはご自分の選択でしょう。グダグダ言わないでくださいよ」
「ハッ、おいなんだそれ。テメェこそ自分可哀想語りしてんじゃねぇよ。お涙頂戴のつもりか? クサくて鼻が曲がるぜ。ソイツが自殺したのだって、自分の選択だろうが。勝手に同情してんじゃねぇよ」
お互いを嘲るように笑った後、再び距離を詰める。
殴打の応酬。上と下が交互に変わる激しい取っ組み合いが再戦された。
服も顔もボロボロになりながら、それでも怒りのままに拳を振るい続けた。
「自殺が救いになることだってありますよ。そうするしか無かったんだ!」
「俺だってそうだ。俺たちはなぁ、工作員にならなきゃ外に出られねぇんだよ。電熱線に囲まれた隔離街で一生を過ごすことになる。命張って戦う覚悟が無きゃ世界を見ることもできねぇ。足があるのに歩けねぇんだよ。『歩く』って当たり前のことすんのに命賭けなきゃいけねぇんだこっちは!」
世界に当たり前に存在している理不尽。自分の力では及ばない、巨大な『常識』という力。
どうしようも無い巨大な力なら、それを覆すなんてできない。ただ、迎合し享受する。その力の一部となって世界を回すのが、最も効率的な方法なのだと彼らは理解している。
「誰かに命握られても、俺は歩いてみたかったんだ。世界を見てみたかったんだよ! その為なら、クソッタレなこの世界で無様に尻尾振ってみせるさ!」
「俺だって、道はこれしか無かった! 身寄りも援助も無い人間が食って行くには軍隊しか無かったんだよ! 少しでも安定した職を探したらここしか無かったんだよ! じゃなきゃ誰が好き好んで命賭けるこんな仕事するかっつーの!」
「そうやってチマチマ生きてるから朝からオムライス食べれないとか言うんだよ! 大きい志で『大志』だァ? ご大層なお名前だなオイ、名前負けもいいとこだぜ!」
「関係無いでしょそれ! そっちこそオムライスの研究ってなんだよ料理人になれよ!」
「それこそ関係ねぇだろ、二度と俺の生き様を語るな!」
「あんたも俺のことを知ったような口利くなよ!」
最後にお互いが同時に頭突きをかまして、同時に倒れる。
ごろりと背中を地面に預け、空を仰ぐ。気づけばとっくに日差しは去り、満点の星が広がっていた。それを呆然と見渡しながら、お互いの荒い呼吸を聞いていた。
「……なーにやってんだ、俺たち」
「……同感です」
叫んだ分、一気に冷静になった。頭を支配した怒りは徐々に消えていき、なんだか妙な倦怠感を連れてくる。
それっきり、暫く無言で空を見ていた。帝都では街の灯りが邪魔をしてよく見えないが、本来の星空はこんなにも壮観なものなのかと大志は感動する。
「……任務とは全く関係無いところで大怪我ですよ。あんた、加減とか知らないんですか」
「こっちのセリフだっての。蹴りの威力強すぎだろ。人を遠慮無しに蹴るとかどんな神経してんだ」
「孤児院サバイバルは伊達じゃないんですよ」
「おい孤児院出身者さんへの重大な風評被害を流すんじゃねぇ。完全に君の素の性格だろ」
「性格悪くてすみませんね」
「足癖が悪いも追加しとけ」
「ついでに軟体生物もですか?」
「……っふ」
「ははっ」
笑い声が夜空へ向かって響く。
あの怒鳴り合い殴り合いが嘘のように、まるで友人のように笑い合う。
「ちょっと、そんなに笑わないで、くだ、さいよっ、ハハッ。 最初に言ったの、あなたでしょ!」
「くっ、いや、冷静になってみると、なんだよ軟体生物って、おもっ、くっ、」
ひとしきり笑い落ち着いてきた頃、大志は一つ深呼吸をしてみた。
夜の冷えた空気が肺を満たす。食べ物や女の香水、人のニオイがしない、大志が今まで感じたことのない空気。新たな発見だと思った。これがきっと『歩く』ことなのだろうと、思ったのだ。
「柴尾さん、すみま__……」
「謝るのは無しだぜ」
「相手を許さなきゃいけなくなるから、ですか?」
「いんや、お互いの意見をぶつけただけだ。謝る必要無くね?」
「それもそうだ、良いこと言いますね」
「あーぁ、自慢のスーツがめちゃくちゃだぜ」
上半身を起こした銀臣は、自身のスーツに付いた土埃を丁重に払う。
また修繕屋に行かなきゃなと独りごちる彼に、大志はある疑問をぶつけた。
「そのスーツ、だいぶ傷んでますよね。誰かのお下がりですか?」
「おう、兄貴のな」
「そういえばお兄さんもいらっしゃるんですよね。スーツを着ているってことは、お兄さんも公務員ですか?」
「元工作員。これは俺が勝手に貰った。もう死んでるから」
「え……」
しまった、また余計なことを言ったと、大志は上半身を起こす。
身構えた大志の様子を受けて、銀臣は安心させるように笑う。それから空を見上げて、吹っ切れた様子で話し出した。
「別に、もういいんだ。諦めもとっくについてるよ」
「……ご病気ですか? それとも、戦場で?」
「戦場で。遺体も見つからなかった。名前だけ掘られた墓が虚しくて、葬式以来一度も手を合わせに行ってない」
「……」
「そん時の俺はまだ十一歳で、外に出ることもできなかった。捜索して貰えるように何度も掛け合って、実際何度か死体の回収に出向いてくれたようだけど、見つからなかった。捜査は打ち切り。肉食生物に捕食されたって線が有力らしい。書類上も死亡ってことになった」
銀臣は本当に吹っ切れているようで、内容の割に軽い口調で静かに語る。
「兄貴と組んでた軍人が俺の家に謝りに来てさ。ソイツ、『自分が見捨てたから』って言ったんだ。恨んだ。めちゃくちゃ恨んだよ。兄貴は軍に殺されたって」
「……それでも、柴尾さんは工作員になりたかった」
「休暇でたまに帰ってくる兄貴がよく言ってたんだ。『世界は広い』って。それを確かめたい一心で、世界を見るなら工作員になるしかねぇじゃん。入隊した時、それでも軍人のことは大嫌いで、逆らいはしないけど軽蔑してた」
「……」
「初めて戦場に出た。俺が思うよりよっぽど悲惨だった。そこで初めて知ったんだ、見捨てなきゃならない場面もある。全てを助けることなんてできねぇんだって」
銀臣はずっと空を見ている。
それは銀臣の兄が、星空が好きだったからだとは後で知ったことだ。
「だけどその軍人が俺に謝るのは、すげぇズリィと思った。だって謝罪ってのは、相手からの赦しを期待する行為だ。俺はソイツを赦すチャンスを無理矢理与えられた」
「その軍人は、今も軍に?」
「いねぇみたいだぜ。自主退役したってとこまでは知ってる。地の果てまで追って殺してやろうなんて、もう思っちゃいねぇし」
「……そう、ですか」
『もう』ということは、以前は思っていたということか。
大志はその当時の銀臣の心境を考える。血を分けた大切な人が、ある日突然いなくなる。骨すら帰らず、今もどこかに寂しく横たわっているのだろう。探しに行きたくても行けない、そのもどかしさはどれ程のものか。
想像してみたところで、自分には一生わからない感覚なのだということがわかるだけだった。
なんだか胸に突っかかるものが込み上げた。そんな感情、今までは飲み込むこともできたのに。ここまで殴り合った後なら何を言おうが大したことないと、大志の気が緩む。
「……さっき、自殺した子の話、しましたよね」
「あぁ」
「その子、別に友達でも無いし仲よかったわけでも無いんです。人気者で、正義感の強い子でした」
「クラスに一人はいる、リーダーシップあるような子?」
「あぁ、まさにそれです。孤児院のイジメって凄い巧妙で陰湿なんですよ。主犯とその取り巻きが、ターゲットを一人に絞ってイジメてるんです」
「……」
「それを止めに入ったのが、その自殺した子でした。止めに入ったことで自分がターゲットにされたんです」
「よくある話だ」
「そう、よくある話。わざわざ語って聞かせるのもおかしいほど。更にお笑いなのは、庇ってもらってた奴まで、ソイツのイジメに加担したんです」
「……スケープゴート」
「えぇ、生贄なんだろうなってすぐに理解しました。ソイツがイジメられているうちは、自分がイジメられることは無い。守ってもらったくせにですよ。主犯に指示されて、食事に虫を混ぜたり掃除に使った水をかけられたり、すごかったです」
そしてある日、倉庫の中で釣る下がってた。揺れる手足が不気味だったと、大志は静かに語る。
「俺はなにもしなかった。見て見ぬ振りどころか、見ようともしなかった。ソイツに関わったら自分も同じ目に遭うってわかっているのに飛び込めるほど、俺は優しくない」
「……成瀬さんも孤児院出身?」
「いえ、孤児院の近所に住んでいました。わりと裕福な家庭でしたよ。出会いは公園。初等部では同じクラス。そして軍まで腐れ縁が続きました」
ハルカも、自殺した子に似ていた。だからこそ大志は心配していたのだ。
正義心は身を滅ぼすものだと、大志は知っていたから。ハルカは正義心溢れ、自信家で気が強かった。いつかそれで身を滅ぼさなければいいがと危惧していたが、その心配は当たってしまった。誰かを助けようなんて、自分の身を守れて初めて考えることなのに。
「俺は自分を犠牲にしても誰かを助けようなんて思いません。俺が守るのは俺自身と、そこから手を伸ばせるものだけだ。後は知ったこっちゃないですよ」
「……そういうところ、俺はホント尊敬するよ」
なんとなくお互いの話が終わった雰囲気を察して、大志が先に立ち上がる。
スーツを整えながら、銀臣も立ち上がり車へと向かった。その背中に大志が声をかける。
「これ、あなたが持っていてください」
「! おい、これ」
大志の手のひらの上にある物を見て、銀臣は目を見開いた。そんな彼を余所に、大志は平然としている。
「俺が持っているのはお門違いなので」
「いや、それはさすがに受け取れねぇって」
軍人が工作員の『処分』の為に携帯している、ブレスレットの毒の起動装置。大志はそれを銀臣に差し出したのだ。
あまりのことに銀臣は咄嗟に突き返す。起動装置を工作員自身が持っているなど、聞いた事がない。それでは工作員を野放しにするのも同然だからだ。
「さっき言いましたよ。あなたの言い分に納得すれば対応すると。納得しましたので、これが俺なりの対応です」
「確かにいろいろ君にぶちまけたけど、別にそれで君にどうこうして欲しいから言ったわけじゃねぇ。こんなことバレたら上に首飛ばされるぞ」
「では、バレないようにしていればいいだけです」
そして銀臣に半ば無理矢理に起動装置を押し付け、大志はさっさと車に戻る。
その背中を見送って、銀臣は手元にあるスイッチに視線を落とした。
工作員になって初めて、自分の命を自分が持っている感覚がした。それは比喩ではなく、いま銀臣の手の上にはちゃんと自分の命がある。なんだか、やっと生きた心地がしたように思えた。
「でもホント、バレないようにお願いします。こんなことがバレたら先輩たちに目を付けられて軍舎裏ですよ。そういうのホントに怖いんで、マジでバレないようにお願いしますね」
「君のこと、すげぇカッコいいと思った矢先だったんだけどな」
肩を震わせて冷や汗を垂らしながら語る大志に、銀臣はおかしくなって笑った。
◇◆◇
「みやもっちゃん、どーしたのその顔。男前が爆上がりしてるじゃん」
後日、軍本部。
報告書の提出の為に班長詰め所に入った大志への堤の一言目は、「おつかれ」でも「がんばったね」でもなくそれだった。
「戦闘直後の報告で、大きな怪我はしなかったって言ってたじゃん。だいぶ大怪我なように俺には見えるよ?」
「階段でコケました」
堤の愉快そうな声に、顔中に湿布や絆創膏を貼った大志は平然と答える。
一方その頃、工作員収容施設では遊一郎が訝しげに眉を寄せていた。
「どうしたギン、堤さんからは大怪我は無いようだと聞いていたが。だいぶ大怪我に見えるぞ」
「階段でコケたんだよ」
銀臣は平然と答える。
どう見ても階段でコケたような怪我では無いので、遊一郎は「またなにかやらかしたのだろうな」と勝手に結論付けた。それをわかった上で、話に乗る。
「コケたわりには上機嫌だな。マゾか?」
「ちげーって」
遊一郎のわかりやすい嫌味に、それでも銀臣は笑う。
スーツの上から内ポケットを触った。そこに確かにある存在に安心する。誰にも脅かされない命を噛み締め、銀臣は軍本部へと向かう。
本当の意味での相棒生活は、殴り合いから始まるまずまずの滑り出しであった。




