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ダブルスタンダード  作者: 佐藤あきら
7/12

第5話 それはまるで、夢の跡


 嫌な感覚がした。

 ぞわりと肌が粟立あわだつ、刺すような殺気。

 それを感じるのと同時に、大志は動いた。

 ハンドルから手を離して、飛びかかるように助手席のドアを開ける。膝でミカを蹴り出した。

「ぐっ……!」

 勢いを殺せず大志自身も車から転がり落ちる。受け身を取って、すぐに立ち上がった。

「宮本くん!」

 後部座席から運転席に乗り上げ、ハンドルを握った銀臣が戦闘器具を大志に向かって投げる。

 受け取って、すぐに起動する。銃を構えてミカを見ると、彼女はゆらりと立ち上がるところだった。


「ひっどいなぁ、女の子に怪我させるなんて」


 切れて血が出た口の端をニィッと上げて、ギョロリと目をいた。

「ただのエサがさぁ」

 ベリッと、まるで皮が剥がれるような音が聞こえる。

 それは『ような』では無く、本当に皮が剥がれる音なのだとすぐに気づいた。

 背中が割れている。すると途端にムワッと妙な匂いが押し寄せた。


(甘い……匂い……?)


 いや、辛いような、酸っぱいような、爽やかなような。

 そのどれでもあり、どれでもない形容しがたい匂いを感じた。さっき、銀臣が言っていた匂いはこれかもしれないと思い至る。

 だが今はそれどころではないと、大志は引き金を引く。

 しかしそれはミカの背中から()()()むちのようにしなる太いつるに弾かれる。


「……なんだ、これ」


 背中から何本も伸びる蔓。明らかに人間では無い風貌に、大志は困惑した。

「ミカさんが人間じゃない……? でも、ミカさんには家族が……」

「あぁ、この子はちゃんと人間()()()よ」

 それは間違いなくミカの声なのに、ミカのものではないようだった。底無しに明るいあの声が、今は低くどこか平坦だ。

「村へ帰る途中のこの子を見かけてね、ちょうどいいから体を貰っといたの。だってこの姿なら、次の獲物に近づきやすいでしょう?」


 父親の代わりに町へ商売に行く、木曜日。


 その日に必ず犯行に及んだのは、町からの帰り道で獲物を見つけては捕食していたからだ。この近辺きんぺんは他に村も無く、獲物となるのは必然的に中洲村の人々になった。

「前の軍人たちは長く居座ってたから、大人しくしておこうと思ったのだけどあまりにお腹が空いて。それなら軍人から食べちゃおうと思ったの。パンクして立ち往生していたあなた達を拾ったあの日も、狩りの予定だったのだけど……軍人を相手にするのは分が悪いから嫌なのよ。あなた達が帰るまで待とうと思ったのだけど、まーた長く居座りそうだったから我慢がまんできなくてね」

「それで俺たちを、ここまで誘き寄せたのか」


「『怪しい森があるんです〜!』」


 ミカが、コロッと表情を()()()()()にして明るい声を出した。

 それからまたニヤリと笑う。

「以前と同じ手を使ったのよ。軍人ってみんな間抜けなのかしらね」

「間抜けなのはテメェだろ。同じ村の人間ばっか狙えば、すぐに軍人が介入してくるなんてわかりそうなもんだけどな」

 車を停車し運転席から出てきた銀臣が、武器を構えながら鼻で笑う。

「残念なことに、寄生した生物の元の行動範囲からあまり離れられないの。肉体の腐敗が進んじゃうのよね」

 おかげで毎回宿り主を探すのが大変なのよと、悪びれもせず笑う。

 銀臣は隣の大志へ声をひそめた。

「寄生植物型の知能生物か……厄介な相手だな。寄生してる部分をミカちゃんから切り離してみるか?」

「いえ、宿主やどぬしごと始末する方向でいきます」

「……いいのか?」

「ここまで寄生体との癒着ゆちゃくが進んでしまっては、もう手遅れです。下手に手加減したらこっちが死にます」

 大志の言葉に、銀臣はすぐに返事をしなかった。

 ミカを、正確にはミカの姿をした寄生植物を見る。体の中に巣食う寄生植物が、ミカの体を内側からボコボコと押し上げていた。

 彼女の体内を泳ぐように波打つ肌を見て、久々に寒気を感じる。その中にもう骨や筋肉、内臓が無いのだろうと想像してしまった。ミカに寒気を感じた時点で、彼女をもう人間として見れていないことを自覚した。

「……わかった、遠慮はしねぇ」

 銀臣は【二式装備】を起動する。箱の持ち手が柄になり、人と同じだけの丈がある大剣が組み立てられる。左手に残った弾倉だんそう部分は背に回し、ベルトで固定した。


「捜査は現時刻をって標的の討伐とうばつに移行します、お願いします!」


 大志が言うのと同時に、銀臣は駆け出す。

 剣を構えると、寄生植物はすかさずそれを払い落とそうとつるを伸ばす。銀臣は持ち前の身体能力を駆使くしし右へ左へと避ける。対象を逃した腕よりも太い蔓は、地面を割った。当たればひとたまりも無いとゾッとする。

 蔓が何本もミカの肌を破り飛び出てくる。

 銀臣はそれを、何回か連続で避けた。さすがは知能生物と言うべきか、着地した瞬間を狙っていた。

 視界の端に動く気配を感じ、体を横転させて回避しようとする。しかし銀臣の体が倒れ切る前に、蔓は彼の顔を狙って横にぐ。

 銀臣は咄嗟に腕を盾にした。腕一本を犠牲にするつもりで衝撃に備えていると、それより先に銃の連射音が聞こえる。

 蔓はあっという間に穴だらけになり、自重を支えきれず千切ちぎれ落ちる。

 舞い上がった土埃の中で、銀臣は倒れた体を起こしながら後ろを向いた。

 大志が片膝を立てて腰を落とし、連射モードの反動に耐える姿勢を取っている。


「援護します、そのまま前進してください!」


 宣言通り、彼は銀臣と己に向かってくる蔓を正確に撃ち抜いていく。

 銀臣はすぐに走る。蔓が風を切って迫ってくると身構えるが、自分が動く前に大志が始末していく様に口笛くちぶえを送った。

「やるなぁ宮本くん! 縁日のテキ屋で店を赤字にできるぜ!」

「あれ苦手なんですよ!」

「嘘つくなって! 俺はつつみさんに連れてって貰ったんだけどな、女が寄って来てなにもできなかった!」

「なるほど自慢ですね、標的が追加されました!」

「待て待て待て!」

 大志の正確な援護で、銀臣は速度を落とすことなく寄生植物に辿り着く。

 ミカの胸に突き立てようと剣を真っ直ぐに構える。

 切っ先が腹をえぐる前に、その部分がメキッと盛り上がった。

 銀臣は咄嗟に反応して【三式装備】の盾を起動するが、それが起動しきる前に体は飛ばされる。せめて戦闘器具を盾代わりにしたことで重傷はまぬがれた。

 ミカの腹を破り出た一層太い蔓が、銀臣を遥か後方まで叩き飛ばしたのだ。


「二本しか腕を持たない生き物に、ワタシが負けると思う?」


 口のはしをニイッと上げて不気味に笑う。

 大志は銃を寄生植物に向けて連射しながら銀臣の元へ走る。

 一式装備を解いて三式装備を起動させ、盾で自分と銀臣を隠してスーツ下のホルダーから拳銃を出した。

「柴尾さん、立てますか?」

 目線では前を警戒しながら、後ろへ声を掛ける。

 苦しげに息を吐く音と布擦ぬのすれの音がして、銀臣が起き上がったのを感じ取った。

「あの蔓が厄介ですね。やはり身体能力の高い柴尾さんに陽動ようどうをやってもらうのがいいと思うのですが、動けますか? 状態によってはこのまま車まで後退しますが」

 しかし返事が無い。

 声も出せないほどの怪我をしたのかと、大志は前を警戒しつつ素早く後ろを向いた。

 そのタイミングで、大志の肩が掴まれる。それも強く。


「兄さん……」


 その顔を、大志は上手く表現することができなかった。

 驚きと、信じ難いというような動揺と、手が震えるほどの歓喜と、それら全てが溢れて思考が追い付いていないような。どう言っていいのかわからないような顔だった。

「柴尾さん、どうしたんですか!?」

「なんで……」

「とにかく車まで戻って態勢を立て直しましょう。立てますか!?」

「なんでこんなところにいるんだよ!?」

「柴尾さん、しっかりしてください!」

 全く話が噛み合わない。

 銀臣は痛いほどに大志の腕を掴んで離さなかった。「なんで」「どうして」と繰り返す。

 大志は、銀臣の様子を注意深く見る。

 精神に異常をきたしているようには見えない。呼吸も瞳孔の動きも正常だった。『正常な状態で何かを見ている』。

 今、彼には自分じゃない誰かが見えているのだと、大志はすぐに察した。


幻覚げんかく……?」

「ご名答。その子は今、夢の中なのよ」


 大志の呟きを拾った寄生植物が、ミカの顔を借りて慈しむように笑う。

「温かくて優しい夢。記憶に強く根付いているもの。わかりやすく言うと、大切な人の幻覚を見ているの」

「なんで……」

「匂いって言うのはね、記憶に最も強い影響を残すの」

「匂い……記憶…………プルースト効果……」

「あら、詳しいのね。見直しちゃった」


 匂いは、脳の記憶を司る機関である海馬かいばにダイレクトに記憶される。

 懐かしい匂い、と思うのがまさにそうだ。ふと漂って来た匂いに、今までり返しもしなかった記憶がよみがえることがある。

「あなたも感じない? 甘いような、酸っぱいような、苦いような、爽やかなような香り」

「!」

 咄嗟に鼻をふさぐ。スーツの袖を鼻に押し当てた。

「まぁ、記憶の中の幻想を見せるのは、ほんの導入みたいなものよ。一度幻覚を見せて脳を支配すれば、あとはワタシの思い通りのものを見せることができるの」

「……そうやって平野一等軍士と小島工作員を……」

「面白かったわよぉ。それぞれに違う幻覚を見せたのだけどね? これが傑作けっさく! 工作員が逃げ出す幻覚を見せたら、軍人の女、すーぐスイッチを押しちゃって。コロンと死んじゃったのよ、犬の方は。実際に犬は、ご主人様を助けようと何度も名前を呼んでたわ。『涼子さん、涼子さんどこですか、今行きます』って。必死にね」

「……」

「犬の方には、さて、どんな夢を見せたかしら。忘れちゃったわ」

 寄生植物は心底愉快そうに語る。手を叩いて笑う様は、舞台の上で道化どうけが面白おかしく前座を盛り上げているようだった。人間の真似事をするその様にも反吐が出る。

 大志はありったけの侮蔑ぶべつを込めて吐き捨てた。

「………外道が」

「………」

 ミカの顔から表情がすとんと落ちる。見下すように大志を見つめてから、ニヒッと不気味に笑った。


「あはっ、その外道に殺される気分はどう? まぁ、実際に殺すのはワタシじゃないけど」

「!」


 後ろの気配が動く。嫌な予感がした大志は、咄嗟に体を動かした。

 頭を腕でかかえて守りながら地面を転がる。すぐに立ち上がって殺気のある方を向けば、銀臣が二式装備を持ってゆらりと立ち上がる。

「彼にとって、あなたはもう敵にしか見えていないわ。相打ちしてくれると、わざわざ殺す手間が省けて嬉しいのよね」

「クソッ!」

 自身に向かって走ってくる銀臣に、大志は盾を構えた。

 蹴りが入る。大志は地面に背中を打ちつけた。銀臣が剣の切っ先を構えて飛び掛かかる。

 盾で防いで、銀臣へ叫んだ。

「柴尾さん! 目を覚ましてください、俺は敵じゃない!」

「……」

 しかし返事は無かった。

 冷たさすら感じる無表情で、大志の喉を狙って剣を持つ手に力を込める。

「柴尾さん!」

 それでも返事は無い。大志は盾で剣を払いのけ、立った。

 追撃を加える銀臣に、大志は防御にてっする。

「やめてください、あなたを殺したくない!」

 大志は装備を盾に固定したまま、決して銀臣に銃口を向けない。

 しかし接近戦では身体能力の違いがもろに出る。大志は押されていた。

 切っ先がかすめて、髪が数本はらりと落ちる。

「この……いい加減にしろ!」

 盾を前に構えながら身を守り、銀臣の懐に入る。

 蹴りを腹に入れると、銀臣は剣を落として後ろへ倒れた。

「すみません、気絶させます」

 そのすきを逃さず、大志は銀臣に乗り上げる。首に手を伸ばした時、銀臣が砂を掴んだ。

 大志の顔へ向けて掛ける。

「っ!」

 手で顔を押さえて後ずさる。その一瞬で十分だった。

 スーツの下のホルダーからナイフを取った銀臣が、大志の腹に目掛けて一直線に飛び込んだ。

「がはっ……う、ぇ……がっ……」

 大志は腹を押さえて踏ん張ったが、すぐに膝から崩れる。

 乾いた土を舞い上がらせて倒れ、ピクリとも動かなくなった。


「お利口さんね、それを連れてこっちにいらっしゃい」


 満足そうな声が上がる。

 寄生植物に背を向ける形で立っている銀臣が、無表情で振り返る。

「優しい夢を見させてあげる。大好きなお兄さんのところへおいで」

 受け止めるように両手を広げて誘えば、銀臣は笑った。幸せそうな笑みをこぼした後、大志の襟首えりくびを掴んで引きずる。

 ミカの顔をした化け物は、堪らず舌舐めずりをした。先に軍人を食べて、そこで工作員の幻覚を解いてやろうと遊びを考えついた。

 仲間が目の前で食べられる光景を見せた時の人間の顔は、まるで甘美な前菜のようだ。

 恐怖が人間の肉に作用して味を高めているのではと思うほど、恐怖した顔というものはゾクゾクと甘い刺激をもたらす。


 大志を引きずった銀臣は、寄生植物の目の前で止まる。


 ミカの手が、優しく銀臣のほほを撫でた。

「あなたは今のうちにたっぷり夢を見なさい。その後はただただ深淵なのだから」

 夢の中で兄に会っている銀臣は、それを兄の手だと思ったのだろう。一回り以上小さいミカの手の上から、自分の手を重ねた。

「そうだ、今度はあなたの体を貰おうかしら。私は乗っ取った生物の記憶を見ることが出来るの。あなたはどんな辛い世界を生きてきたの?」

 愛しい我が子を撫でるように手を動かして、ミカの顔で笑った。

「優しい夢の後の絶望で、どうか私と踊って、あわれな子」

 銀臣が、綺麗に笑う。



「哀れなのはテメーだクズ野郎」

「!?」



 銀臣が体を横にズラす。

 同時に、刺されたはずの大志が拳銃を両手で持ち、背をってミカをあおいだ。

「テメーだけが楽しい舞台はフィナーレだ。観客に挨拶しな」

「アンコール無し、主役気取りの素人は永久降板えいきゅうこうばんにしてやりましょう」

「なんでっ……!」

 避けようとするも銀臣に手を掴まれて動くことができなかった。

 せめて蔓で防御しようとするが、それより先に弾丸が放たれる。

「ガッ……!」

 至近距離からの衝撃で腹を貫通した。

 掴まれた手を払い落とそうと蔓を伸ばせば、銀臣は後ろへ飛び退く。


「な、ンで……オま、え……幻覚、ハ……」


 腹部から緑のドロリとしたものをしたたらせ、寄生植物はうめく。

 銀臣はケロッとした顔で軽く言った。

「お前が長ったらしくなんか言ってた時に、こいつで何とか正気に戻ったんだよ」

 スーツのポケットから、銀臣は小さい瓶を取り出して掲げる。

 寄生植物は目を細めてそれを見た。最初は何だかわからなかったが、すぐに思い至った。

香粉こうふん……!」

「そ、宮本くんがユリちゃんから貰ったやつ」

 瓶の中で白い粉を泳がせるように、それを揺らした。

 村の名産である、粉状にすると強い香りを放つ花。使用量はほんの少しでも十分香るほどに強い匂いを持つ。

 銀臣に刺されたと思っていた大志もなんて事のない様子で立ち上がった。

「考えたんだ、なぜ柴尾さんだけが幻覚を見たのか。匂いは粒子りゅうしが空気中を漂って感じるもの。俺と柴尾さんは、村に来てからほぼ一緒に過ごしていた。びた粒子にさほど違いは無いはず」

「なのに俺だけがやたら早い段階でテメーにまどわされた。テメーの幻覚は、『嗅覚きゅうかくを通して脳が匂いを感じた』時から掛かるんだ。だから俺より鼻の悪い宮本くんは、幻覚を見るまで時間がかかる」

「甘いような辛いような酸っぱいような曖昧あいまいな香りは、『獲物にとって一番記憶に根付いている幻想』を『獲物自身に嗅ぎ分けさせる』ためなんじゃないのか? だから、強烈な匂いを嗅がせればその匂いの記憶を上書きできるんじゃないかと思った。ほぼけでしたが、上手くいきましたね」

「しっかしこれ、ホントくせー。大量に俺の顔面にふりかけやがって、白米かよ俺は。三日は鼻が使いもんにならねぇ」

「でも柴尾さんの演技、なかなか良かったですよ。迫真はくしんでした」

「コイツがどんな敵を見せてるかわからなかったからな、とりあえず無表情&無言で居たが、上手くだませたぜ」

「ク、そ……クソ、くそクそくソくそくソ!!!」

 寄生植物の蔓が、地面を割りながらのた打ち回る。

 その内の一本が大志の持つ拳銃と銀臣の持つ小瓶を払い飛ばした。

「殺ス! コろシてやル!!!」

 だが蔓はリーチが長い分、接近を許した相手には分が悪かった。

「宮本くん!」

 優れた跳躍力ちょうやくりょくで飛ばされた拳銃を空中で掴み取った銀臣が、大志へ投げる。

 それをキャッチした大志は、素早く構えて目の前の寄生植物へ銃口を向けた。

「ま、待テ………!」

 しかし構わず、引き金を引こうとした時。

 ミカの顔が割れた。

 花開くようにぱっくりと割れ、大量の粉が大志の顔を狙って飛ばされる。

「げほっ!」

 至近距離からの強烈な花粉に、喉の奥がイガイガする。しかし銃口を下げず、煙のように視界を邪魔する花粉を片手で払った。

 その隙間から見えた顔に、大志は目を見開いた。


 ()()()が、泣きそうな顔で大志を見ている。


 それは間違いなく、一寸いっすんの狂いもなく、生々《なまなま》しさすら感じるほどにハルカそのものだった。

 泣き顔が、記憶の中のものをそのまま映し出したようだ。いや、実際には本当にそうなのだろう。幻覚はあくまでも記憶の中のものを見せている。

 最期に見た苦しむ姿にも似ていた。助けてと、目で訴えるように見つめられる。



「大志……」



 懇願こんがんの声。それは寄生植物の誘惑か、または大志の空耳だったのか。

「大志……」

「……」


 響いたのは、銃声だった。


 脳天を撃ち抜かれたハルカは後ろへ倒れる。

 すかさず大志はハルカの胸部きょうぶを踏み付け、動きを封じた。ハルカは大志の足を掴んで、なんとか逃げようと暴れる。

 しかし大志は容赦無く足に力を込め、銃口をハルカの顔に向けた。

「な……ンで……おま、エ……!」

 トリガーを引く。

 何度も何度もハルカの顔に向けて撃った。

 その度に夢は、白々しくハルカの声で呻き、ハルカの顔で苦しむ。

 その様はむしろ、大志を冷静にさせた。とんだ喜劇的な夢だとすら思った。

 やがてピクリとも動かなくなると、バフッとその体が膨らんで破裂はれつする。

「!」

 くらりと視界が揺れた。

 今までにないほどの強烈すぎる匂いに吐き気がする。

 最期の悪あがきとばかりにありったけの花粉を大志の顔面へと浴びせて、寄生植物は絶命した。

 朦朧もうろうとする意識の中でそれだけを確認してから、大志は倒れる。目の前には暗闇が広がった。



 ____……。



 ______いや、声が聞こえる。暗闇ではない。



 ______子供の声だ。どこかで見た景色。まるで映画を見ているような、少し音に違和感を覚える。




「なんか言ってみろよ!」




 ガキ大将が()()の肩を突き飛ばした。

 ひょろりといかにも気の弱そうな男の子は、力の働いたままに後ろへ転ぶ。

 それには思わず視線を上げてしまったが、かと言って何をするでも無い。このまま息を殺し、ただの傍観者ぼうかんしゃであるべきだと判断する。

 そもそも、あの『標的』と自分には何の関係も無い。

 同じ孤児院で生活している、ただそれだけの関係。

 特別に仲が良いわけでも、同じ趣味を語り合うわけでも無い。『たまたま』同じ孤児院にいるだけなのだ。リスクを負ってまで助ける義理は無い。

 孤児院のすぐ近くにある公園。帝都の中でも豊かな緑をたたえるこの場所は、日除ひよけ付きのベンチがあって読書にちょうどいい。そう思ったのが間違いだった。


 __なにもこんな所でやらなくても。


 そういうことをやるならやるで、人目に付かない迷惑にならないところでやってくれと、少年は内心で舌打ちする。


 __いじめなんてやめろよ、みっともない


 そんなセリフを言った瞬間、次の標的が自分になるのを少年はわかっていた。

 だから口をつぐむ。目を合わせないように視線を落とす。

 今からでも場所を移そう。本を閉じて立ち上がる。いじめっ子達を刺激しないように、気配を最大限まで殺してしのび足で歩く。

 ふと視線を感じて、横目で髪の隙間から覗くようにその方向を見る。


 突き飛ばされたままの体勢の男の子が、こちらをギロリと睨んでいた。


(……なんだよ、その顔)

 助けろってか、心の中で吐き捨てた。

 この場合睨む相手は自分では無いだろうと、しかし少年は言葉を飲み込む。声に出してしまえば、《《関わってしまう》》からだ。

(助けてくれないことを恨む前に、自分の非力を恨めよ)

 しいたげられるのが嫌なら力を付ければいい。あんな奴等を一瞬で倒せるくらいの力があれば人なんて頼らなくて済む。

 それができないなら、息を殺して頭を低くし、大衆にまぎれていればいい。

 いじめの標的にすらならないような、無個性で目立たない存在になること。


『その他大勢』というのは、個人の力では絶対に勝てない圧倒的なものだ。


 個人に力がないなら、大衆に守ってもらうしかない。

 少年は自分に力が無いことを知っている、だから《《大衆を構成する一部》》でなければならない。

 ただでさえ『大衆』では無いステータスを持っているのだから、他の部分で目立つ真似はできない。

 少年の特異なステータス、それは孤児院育ちであること。


 孤児院の子供は標的にされやすい。


 親無し、捨て子とからかわれる。親にすら捨てられたいらない子だと。

 もちろん、やむを得ない事情の子供もいる。事故や病気で親を亡くし、悲しみの中で孤児院の門を潜る子供も大勢いる。

 しかしそれは、『大衆』からしたら何も違いは無い。

『孤児院の子供』。それが全てだ。

 孤児院は税金で維持されている。それだけで冷たい目で見られることだってある。子供に罪はなくとも。

 だが、それは仕方のないことじゃないか。

 マイノリティーであるなら、マイノリティーが故の不遇は仕方がないのだ。

 だから大衆に混ざる努力をする。そうすれば誰も個人を見ない。

 少年は再び視線を逸らし、背中を向けた。都合の悪い現実は見ないに限る。


「イジメなんてみっともないことしてんじゃないわよ!」


 可憐な声をこれでもかと張り上げ、一人の少女がイジメの輪に突っ込んで行く。

 あっという間にいじめっ子達を蹴散けちらした。

 その強さにも驚いたが、少女がくるりとこちらに振り返ったのに、少年は何より驚いた。



「あんた、見ないフリしてんじゃないわよ、臆病者!」



 面倒なのに絡まれた気分だと、少年は確かに思ったのだ。


 ___……。


 また、声が聞こえる。

 今度はずっと明瞭に、ノイズも無く。懐かしい感じもしない。

 現実に近いと言えばいいのか、現実へと覚まさせるような声だ。




「宮本くん」




 そこで大志の意識は引き戻った。いや、引き戻されたのかもしれない。

 どうやら寝ている体勢のようだとは、数秒かかって自覚した。視線の先には銀臣が居る。彼は心配そうに大志を見下ろしていた。

「あれ……俺……」

 体を起こせば、荒野こうやが目に飛び込んでくる。

 意識を失う前に見ていた現実が、一寸の狂いも無く存在している。

「幻覚……いや、夢……?」

 視線を彷徨さまよわせると、すぐ近くに夢の残骸があった。

 それはミカの形をしている。何度も弾を撃ち込まれたそれはもうボロボロだったが。宿っていた寄生植物が枯れていったからか、ミカの亡骸も水分を失ったようにしぼんでいた。

「大丈夫か? 吐き気は?」

 銀臣の少し焦った様子に、大志は無意識に笑って返していた。

 別段理由は無い。無事を伝える一番手っ取り早い方法だと思ったからだ。

「大丈夫です。夢からちゃんと帰って来ましたよ」

 それに銀臣は、一瞬困ったように眉を寄せる。

 それから静かに問いかけた。


「……優しい夢だったか?」

「……いえ」


 大志は穏やかに口角を上げて、簡潔に言い捨てる。



「取るに足らない、起きれば忘れてしまうような夢でした」



 落ちた香粉が、割れた瓶の隙間から風に乗って飛んで行った。

 素朴で優しい思い出になると思っていた香りは、それこそ夢のように散っていってしまったと、大志は心のすみで思ったのだ。


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