第4話 根付かずの森
翌日・中洲村
大志は新渡戸家を訪れていた。
正確には、新渡戸家が所有している畑の間に設けられた道を通っている。
手には、昨日ユリから渡されたバスケット。帰り際に「宿の主人に預けてくれれば、後で自分が取りに行く」と本人からは言われているが、やはり直接渡すのが筋だろうと捜査に入る前にこうして来たわけだ。
すると丁度、ユリの後ろ姿を見つけた。
作業着だ。どうやら家畜の世話をした後らしい。
「じゃ、お邪魔虫はここで待ってますね、色男さん」
「その呼び方やめてくださいって言ったじゃないですか」
文句を言い捨て、大志は歩調を速めた。
銀臣は茶化しと微笑ましさ半分のような、妙な顔で足を止める。
「ユリちゃん」
呼びかければ、勢いよく振り返る。
次には顔をこれでもかと真っ赤にして、慌て出した。
「み、みみ宮本さん! え、なんで、ちょ、私いまこんな格好……!」
服に付いた土埃を急いで払って、前髪を整える。異性に少しでもよく見られたいその仕草に、大志は笑った。
「おはよう。朝からいきなり押しかけてゴメンね」
「い、いえ、大丈夫です」
「これ、返しに来たんだ。とても美味しかったよ、ありがとう」
「あ、バスケット! すみません、お手間取らせたみたいで!」
受け取って、困ったように眉を下げて見上げるユリ。申し訳なさそうに頭を下げる。
「ううん、捜査でこっちの方に来る予定があったから」
「お勤めご苦労さまです。失踪事件、どうか解決してください」
「うん、できることはやるよ」
そこで会話が途切れて、妙な沈黙が訪れる。だけど話題を見つけられず、指の先がムズムズするような感覚。
気恥ずかしさと気まずさの間を揺蕩っていると、ユリが「そうだ!」とポケットを探った。
「あの、これ、良かったら貰ってほしくて!」
小さい瓶だった。
透明でシンプルな瓶の中に、白い粉が入っている。
「これ、なにかな?」
「村の名産品です、白い花畑がいっぱいあるでしょ?」
「そういえば、よく見かけるよ。来る途中も見かけた」
「花の状態だとそうでもないんですけど、粉状にすると強い香りを放つんです。都会のオシャレな人たちに人気があって、香水みたいなものですよ」
ユリが瓶の中身を、少しだけ手首に出す。それを両手首で擦ると、大志の鼻先へ手首を晒した。
「お好きな香りだといいんですけど……」
「おぉ、あんなに少ないのに結構香るね」
「ほんのちょっとで十分効果があるでしょう? 間違って付けすぎると一週間は匂いが取れないんです」
「へぇ、甘いような良い香りだ」
「あの、良かったらこれ差し上げます。この村の思い出に、貰ってくれませんか?」
耳まで赤くして上目に見上げるユリに、大志が断れるわけもない。
「ありがとう、頂いて行くよ」
「よかった!」
花の香りを纏った女の子が、花のように笑う。素朴で優しい思い出になりそうな予感に、大志は微笑んでそれを受け取った。
「それじゃあ、忙しなくて悪いけど、仕事に戻るよ」
「はい、いってらっしゃい!」
一度は背を向けたが、あることに思い至って足を止める。もう一度振り返ると、ユリが首を傾げた。
「木曜日の夕方って、この村で何かあったりする?」
「え?」
何か事件解決の取っ掛かりになるかもしれないと思って聞いてみた。本来なら、村人にも疑惑が掛かっている状況で下手に聞くべきではないのかもしれないが、ユリはとてもそんな感じに思えなかった。これは大志の独断と偏見なので危ない判断であるかもしれないが、逆にこれでユリが怪しい動きを見せれば、それはそれで解決への一歩になると考えた。
「いきなり変な質問してごめん。木曜日は、ちょうど俺たちがこの村に向かってる最中のことだったから。何か村に変わった様子は無かったかなと思って」
「う〜ん。とくに村で何かあるってことはないですけど……すごく個人的なことなら、木曜日はお父さんが仕事を休む日です」
「新渡戸家は木曜日が定休日なんだ」
「いえ、お父さんだけがお休みです。必ずその日は。いつの間にかどこかに行っちゃうんですよ。お母さんに聞いたら『お友達に会ってる』って。だから、木曜日だけはおねーちゃんが町へ出来立ての野菜を納品しに行くんです。ウチで免許を持ってるのはお父さんとおねーちゃんだけだから」
「うーん、なるほどね」
「って、お父さんのお休みなんてどうでもいいですよね。お役に立てなくてすみません」
「いや、ありがとう。こういう捜査は小さい情報の積み重ねだから。それじゃぁ、今度こそ失礼します」
敬礼をすると、ユリも真似て同じようにしてきた。
不意打ちの可愛らしい仕草に大志は破顔する。恋人というより妹のように考えてしまうのは、さすがに失礼なのかもしれないが。
ユリは恋する乙女の瞳で大志の背中を見送り、その姿が小さく小さくなるまで見送った。
それから家に帰らなければと、自身もくるりと方向転換する。
そこで気づいた。カゴの中に何か入っている。牛乳の瓶だろうかとバスケットに被せられた布巾を持ち上げて、固まる。
カゴの中に、可愛い包装紙が入っている。取り出して開けてみると、キッチンミトンだった。
パンを焼くのが趣味と聞いて、恐らくは村の繁華街にある店で買ってくれたのだろう。
ユリはへなへなと座り込む。真っ赤な顔で呆然と呟いた。
「都会の男って、スマートだべなぁ……」
少し離れた所で待機している銀臣と合流して、歩きながらユリとの会話を話した。
事件に関わる重要なこととは思えないが、とりあえずは情報の共有をしておくべきだろうと。
「事件とは関係ない気もするが、全くの無関係とも断言できねぇな」
話を聞き終わった銀臣の第一声はそれだった。
「現状、木曜日が何かしらの形で関わってくる情報は全て頭に置いておくべきでしょうか」
「そりゃそうだ。何もわかってねぇってことは、耳に入る全ての情報が判断材料だからな」
そこで銀臣が、スンスンと鼻を鳴らした。
大志を不思議そうに見る。
「なんか変わった匂いがすんな?」
「え? あ、さっき、ユリちゃんから香粉を貰ったんです。さすがですね柴尾さん。ほら」
スーツのポケットから取り出して、蓋を開けて銀臣の鼻へ持って行く。
銀臣はすぐに顔を顰めてそっぽを向いた。
「くっさ!!」
「少しなら丁度いい感じに香るんですけど、柴尾さんは鼻がいいからキツイですかね?」
「鼻が曲がるかと思ったぜ。どうりで村に入った時からなんか臭うと思ってたんだ。これかぁ」
「どこかに製粉にする工場があるんですかね? 見学に行きます?」
「ぜってーヤダ」
「ハハッ」
かなりキツイ匂いだったのか、銀臣は鼻をスンスンと鳴らし続ける。それが臭いものを嗅いだ犬と仕草が似ていて、大志は笑った。決して皮肉では無い。
鼻をゴシゴシと擦ってから、パンに香粉に、あれこれと大志にアピールしているユリを思い浮かべて、銀臣は大きく頷いた。
「いやー、実際ああいう子は可愛いよな。慕ってくれてる感じ」
「でもなんか、女性っていうより妹って感じです。自分に妹がいたらこんな感じかなーって」
「あーわかる。俺の妹と同じくらいだしな、あの子。似てるところあるわ」
「妹さんがいらっしゃるんですか」
「工作員になると寮生活だから、あんま会えねーけどな。たまに電話掛かってくる。年々口うるさくなってきて、母親に似てきた」
「どんなこと言われるんですか?」
「シャツにちゃんとアイロンかけてるかとか、栄養は摂ってるかとか、変な女に騙されてないかとか」
「お、思ったよりお母さんだ……」
「だろー?」
そんな取るに足らない雑談をしながら村を練り歩き、1時間11分25秒。
平和そのものだ。畑がどこまでも広がり、牛が放牧されている。のどかな村に流れる時間は帝都のものよりずっとゆったりに感じた。
朝日が昇ると同時に活動を始めて、暗くなれば家で家族と過ごす。
まさに購買雨読を体現するような、人の心の豊かさとゆとりを感じる生活。帝都で物にばかり囲まれた生活とは大違いだ。別に、どちらが良いというわけではないが。
「木曜日までこの村に滞在して周辺の警護をするという手は、さすがに無理がありますよね」
「そうだなぁ、警護するにしても犯行範囲をもっと限定しないと厳しいだろうな」
「ですよねぇ」
「犯人が人間なのか知能生物かもわかってねぇし」
「それに、俺たち軍人がこの村に居るってわかっている状況で、必ず犯行に及ぶとも限らないですよね」
「或いは、俺らから始末しに来たりしてな」
「やめてくださいよ〜って冗談っぽくできない予想ですね」
通りがかる人たちにそれとなく木曜日の予定などを聞いて歩く。
しかしこれといって解決への糸口になりそうな話は出てこなかった。痺れを切らした銀臣が、そこで一つ提案をする。
「これ以上聞き込みしても何も無さそうだし、車で村周辺を回ってみないか?」
「そうですね、地形を把握する意味でも重要なことかもしれません」
「案内役は必要?」
「そうですね、ここら辺に詳しい人が居てくれるとありがた__……って、なにナチュラルに入って来てるんですかミカさん」
「えへへ」
銀臣と話しているつもりで乗ってしまったが、大志は冷静に振り返る。
相変わらず人懐っこい笑顔を向けるミカが居た。彼女は二人の間に割って入ると、大志と銀臣を交互に見上げる。
「アタシが案内してあげるよ。今日はオフなんだ」
「いや、一般の方を危険なことに巻き込むわけには……」
「たかが見回りでしょ? なんならアタシの車で行く?」
「今回はさすがにな。危ねぇかもだし連れて行けねぇわ」
「でも、ここら辺はものすっごい深い森だよ? 村の人さえ時々迷子になるんだから」
「大丈夫です、一応サバイバルの心得もありますし」
「えー……心配だなぁ」
眉を垂らして心底心配そうにするミカ。
妹がいるだけあって世話焼きなのだろうなと大志は苦笑いする。きっと普段からこんな感じでユリの心配をして、本人にはうんざりされているのかもしれない。
先ほどの銀臣の話と似ている。心配性の妹の電話に「はいはい」と適当に答えているだろう銀臣の姿が容易に想像できる。
「ほんじゃ、ユリちゃんによろしく」
「失礼します」
銀臣は軽く手を振り、大志は頭を下げてからその場を去る。
ミカはまだ納得していない面持ちではあるが、気を取り直したように大きな声を張り上げた。
「ホントに気をつけるんだよー!!」
あまりによく響く大声に、大志と銀臣は思わず足を止める。
振り返ると、少し離れたところでミカが元気に手を振り回して見送っていた。周りの村人も何事かと一斉にミカを見ている。
そして「なんだ、ミカちゃんか」「いつも元気だねぇ」と散り散りになっていく様に、この村での彼女の立ち位置を垣間見た気がした。
その様子に、二人は顔を見合わせて笑う。
「声、デカ」
「下手な新入隊員よりよほど大きかったですね」
「案外良い人材かもな。バイタリティーありそうだし」
「どうですか、ミカさんとバディ組みます? 柴尾さん」
「いや、ちょっと、俺には強烈かな」
「ははっ」
そんなやりとりの末、森を見回ること3時間32分5秒。
特に何も無い。
何もないまま時間だけが過ぎていく。
あるのは木、木、木、時に獣道、時に野生生物。つまり深い深い森。
地図を慎重に読みながら進む。崖や怪しい廃屋などの周辺も捜査したが、これといって収穫は無かった。犯行現場になりそうな場所を、と思ったが、むしろどこも怪しい。
人気も無い上、街灯も無い。夕方になれば本当に真っ暗な場所だろう。背の高い木々が夕日さえも遮断してしまう。
一応、村人が町へ出る際によく使うという道を走ってみたが、これといって変わったものもない。
地図によると、もう村からだいぶ離れたようだ。
時刻は昼前。捜査への手応え、まるで無し。
「さて、どうしますか上官」
「うーん、ちょっとこれは……無闇に見回るよりやはり情報の収集が必要ですね……」
助手席に座る大志は困ったように返した。
「誘拐ならどこかしらでその手の情報が本部から入ってきそうだが、今のところそれも無い。すぐにバラして臓器を売りさばいてるか、またはただの猟奇殺人か。宮本くんの今のところの考えは?」
「誘拐の線も捨てきれませんが、もし殺人ならその意図がわかりません。怨恨ではないでしょうし、ターゲットをこの村に限定する意味もわからない。もしかしたら平野さんたちが介入した時点で、犯人はもう逃亡しているかもしれません。だけど、そうなるとわからないことが増えてしまうんです」
「なぜわざわざ軍人を殺してから逃亡したか」
「そう。軍人の介入を警戒する知能があるなら、平野さんたちが現れた時点でそのまま逃げればいいはず」
「しかし、殺された」
「普通に考えれば、犯人はまだここで犯行に及ぼうとしている。だから軍人を始末した」
「つまり犯人は、また現れる」
「そして、狙うのは俺たち」
「意見が合うな」
「推測の域を出ないのがもどかしいですね__……!」
「!」
次の瞬間、車の前に何かが勢いよく飛び出した。
銀臣は咄嗟に反応してハンドルを切る。遠心力で頭をぶつけそうになるが、大志はすんでのところで腕をクッションにして回避した。
ブレーキを踏む。乱暴に停車し、すぐに動いた。
座席の足下に置いた四則変形戦闘器具を、大志は【一式・銃】を、銀臣は【二式・剣】を起動させながら車から飛び出した。
車の扉を盾代わりに、飛び出したものが何かを伺う。そしてゴソッと動くそれの正体を確認して、一気に力を抜いた。
「何やってるんですか、ミカさん」
「ひ、轢き殺されるかと思った……!」
「こっちは轢き殺すかと思ったぜ」
あっぶねーと珍しく焦っただろう銀臣を横目に、大志はその場に尻餅をついて腰を抜かしているミカに手を差し伸べる。
それを掴んで立ち上がり、ミカは服に付いた土を払った。
「なんでこんなところに? まさか後をつけてきたんですか?」
「違う違う! あのね、すっごい重要なこと伝えてなかったと思って! 車で探してたんだけどパンクしちゃってさ〜、会えて良かった〜! こんなところで遭難したら、白骨化するまで見つけてもらえないだろうし」
「重要なこと?」
「そう、もしかしたら事件に関係あるかも」
出会ってから初めて見るミカの真剣な顔に、これは只事では無いと大志と銀臣は直感した。
◇◆◇
ガタンと体が大きく跳ねる。
整備どころか人が通った形跡の無い道は、石や木に邪魔されて中々上手く進めない。
「この先にね、根付かずの森があるの」
助手席に乗ったミカが、声を低く落として、どこか緊張したように話す。
「ずっと昔から……アタシのおじいちゃん達が子供の頃よりずっと昔から、子供に言って聞かすの。『根付かずの森へは近づくな』って」
「根付かずの森……?」
後部座席の大志が繰り返す。初めて聞く名称だった。
地図を確認するが、そんな名前は載っていない。つまり公式のものではなく、村人が代々伝えてきたものなのだろうと結論を出す。
「危険な生き物がたくさん居るから、絶対入っちゃいけないって言われてる」
「つっても、村人からそんな話、誰一人として聞かなかったけどなぁ」
運転している銀臣が、訝しげに眉を寄せる。ミカは「村の中じゃ教えてあげられないんだ」と付け足した。
「無闇に話題に出すことすら禁じてるの。『魔物を呼んでしまうから』って迷信があって。実際、昔は何回か村が襲われたらしい。今は建物も頑丈だし、火があるから魔物もあまり寄って来なくなったって、おじいちゃんが言ってた」
「その森が事件に関わっていると思う根拠はなんですか?」
「実はね、以前来た軍人さんは、この森を調べようと村を出て行って行方不明になったの」
「え!?」
「おいおい、そういうのは迷信とかいいから早く教えてくれよ」
「ごめんね……言い出しにくくてさ」
心底申し訳なさそうにミカが言う。確かに小さい頃から親に「無闇に森の話をするな」と言われて育てば、仕方ないのかもしれない。それが常識なのだから。それでも勇気を出して大志たちの後を追ったのだろう。
「なんでミカさんは、その事を知っているのですか? 平野一等軍士たちが森を調べに行ったと」
「立ち話してるのが偶然聞こえて来たの。思わず危ないよって忠告しちゃって、軍人の捜査に危ないで引き下がる人はいないって追い返されちゃった」
「ははっ、そりゃそうだ」
「あとどれくらいで着きますか?」
「もうすぐだよ。この先危険の立て札と、簡単だけど縄が張ってあるの。人が間違って入らないように」
それを言った直後、前方に看板が見えた。赤字で『この先魔物危険』と書いてある。
そこから左右に伸びるように、赤い縄が木から木へ結び付けられて張り巡らされていた。
三人で一旦車を降りる。
銀臣が看板をじろじろ見下げて、ミカに振り返った。
「看板、割と新しいように見えるけど定期的に取り替えてんの?」
「うん。野晒しにしとくとすぐ腐っちゃうから。村の青年団が年に一回くらい替えるよ」
「本当に簡単に縄が張ってあるだけですね」
「子供や旅人がうっかり迷い込まないようにってだけだからね〜」
「じゃあ、俺が縄を外しますので、柴尾さんとミカさんは車に乗って前進してください」
「りょーかい」
「は〜い」
二人が車に戻ってエンジンを掛けている間に、大志は木にくくりつけられた縄を、車が通れる分だけ解く。
手で前へ進むように誘導すると、車が発進する。縄を越えてから停車した。
大志は外した縄を元通りにしてから車に乗る。
席に落ち着いた大志は、再び発進した車の窓から外を見た。
「……根付かずの森って言うわりには、草木は生えてますね」
「なんか、由来は『土も悪いし危険種がたくさん居て人が根付かない』って意味らしいよ」
「あぁ、なるほど」
特に変わった様子の無い森。だがそれは最初だけで、奥へ進むと少しその様子が変わっていった。
最初に気づいたのは、木の様子だ。
妙に乾いている。肌の表面がパサパサと水分を失い、剥がれ落ちているものもあった。草花は萎えていて、土も水分が全く無い状態なのか、タイヤで踏むと舞い上がる。
慎重に車窓から外を見ていた大志は、ある物に気づいた。
「停車してください!」
銀臣はすぐにブレーキを踏む。ギアをパーキングにして、車から飛び出した大志を追った。
しゃがんだ大志を後ろから覗き込む。そこには、タイヤ痕が森の奥へと伸びていた。
「……このタイヤ痕、一般車じゃねぇな」
「はい。民間の装甲車という線もありますが、軍に使用されているものと似ています。これを辿りましょう」
再び車に乗り込み、タイヤ痕を見逃さないように慎重に先へ進む。
それを辿ると拓けた場所に出た。木も草花も無い、荒れた土と岩だけの世界。
暫く無言で走る。タイヤ痕は風に晒されてだいぶ薄いが、運が良かったのか何とか目で追える状態を保っていた。
それを追いかけて追いかけて、タイヤ痕の終着点に軍用車を見つけた。
降りて状態を確認する。ナンバープレートを照らし合わせると、間違いなく平野たちが乗っていた車だ。
扉は開け放たれたまま。野営道具もそのまま。四則変形戦闘器具だけが無い。車体は何故か大きく凹んでいた。
「調査の為にここで車を降りたってわけじゃねぇな」
「急な襲撃に遭って慌てて飛び出したってところでしょうか」
「けど、こんな何もねぇ更地、敵の接近をそこまで許すかぁ?」
「とにかく、もう少し奥へ行ってみましょう」
そうして更に進むこと15分。
本当に何も無い更地だけが続く。敵が身を隠すようなところは無い。
「ミカちゃん、道が悪いけど酔ってたりしない?」
「大丈夫大丈夫! アタシ乗り物強いから!」
言葉の通り笑顔で親指を立てるミカ。ここまで連れて来てしまって大丈夫かという心配は拭えないが、体調が良いならせめて安心できると、大志は後部座席から外を見る。
これだけの更地。何かあればすぐわかると思ったがその通りだった。
「二時の方向になにか落ちてます」
「おう」
小さくて大志には何かわからないが、目の良い銀臣はすぐに顔色を変える。
「ミカちゃん、ちょっと目ぇ瞑ってな」
「え、なんで?」
「気分悪くなる」
ミカは疑問と少しの不服を覗かせたが、運転する銀臣の横顔が真剣なことに気づいた。
両手で目を覆って顔を下に向ける。銀臣はそれを確認してから、大志に向かって言った。
「どうやら、当たりみたいだぜ」
落ちている『それ』との距離が近づくにつれ、大志は嫌な予感を覚えた。
まさかまさかと思って凝視するが、その予感が大きく覆る何かなど起きず、的中した。胸がドクンと脈打つ。
(人の……手だ)
肘から切断されている左腕が一つ、風に晒されている。
ミカを助手席に残し、二人でそこへ向かった。
黒いスーツと、それに手首に嵌められたブレスレット。
「工作員……小島啓介さんの腕……」
「ひでぇな、こりゃ」
「……」
銀臣が小さく、低く呟いた。
その声の響きで、大志はなんとなく察してしまった。彼が何に対して言っているかを。
腕が切断されていることじゃない。その腕に毒が回っていることだ。
スーツの袖から見える、赤い華。
それはブレスレットに内蔵された毒が起動したことを意味している。体中の毛細血管が破裂し、華を咲かせるように死んでいく猛毒。
もちろんそのスイッチを押したのは、バディである平野涼子しか考えられない。
そして、これは銀臣にとっては他人事ではない。もし自分が下手なことをすれば__いや、『下手な事をしたと思われたら』こうなってしまうのだと、彼は誰よりも肝に命じている。
チラリと大志を見る。今、己の命を当たり前の顔をして握っている人間を。彼は銀臣の視線には気付かず、真剣な面持ちで考え事をしている。
「……仲間割れ? それか、小島工作員の反旗」
「またメンドウな謎が増えちまったな」
「でも、まさにこの場でなにかが起こったのは確かなようですね」
大志は辺りを見渡した。
この何もない、荒れただけの土地で何かが起きた。鍛え抜かれた工作員がこんな有様になってしまう何かが。
「とりあえず、腕だけでも持って帰りましょう」
そう言って、大志は車からボストンバッグを持ってくる。
それを地面に置いてから、バッグを開けた。遺体回収用に持って来ていたそれの中身は保冷剤。腕一本しか無いので、隙間は何かで埋めないとならない。そうでないと、車が走行する振動で遺体が正しく保管できないからだ。
大志がゴム製の手袋を嵌めていると、後ろで控えていた銀臣が口を開く。
「俺がやろうか?」
「? いえ、これくらい。なんでですか?」
「なんでって、死体に慣れてない奴は大抵あとでグロッキーになるから。特にバラバラ死体なんてのを処理した新人は高確率でカウンセリング行きになんだよ。俺がやった方がいいかと思って」
「え、そうなんですか? 別にどうってことないですよ」
「……君、見た目のわりに肝座ってんなぁ」
感心半分、引き気味半分のような顔で銀臣が言うものだから、大志はむしろ首を傾げてしまう。
そういえば昔から、血とかグロいものは平気だったと思い至る。
車に轢かれて内臓の飛び出た猫の死骸や、孤児院に住み着いていたネズミの死骸。
見るのも触るのも平気だった。それ故、大志はよくネズミの死骸を片付ける役を任命されていたのだ。
それと人間の遺体を一緒に考えていいかは、少し疑問なところではあるが。
大志は淡々と腕を衝撃吸収材で出来たビニールに包み、保冷剤の中に入れる。隙間を適当なもので埋めて、バッグを閉じた。
肩に担いで、銀臣に向き直る。
「もう少し先に進んでみましょう。もしかしたらまだ遺体があるかも」
「そうだな」
車に戻って、座席に座る。
その音で気づいたミカが、律儀に両目を覆ったまま声を上げた。
「ね、もう目を開けてもいい?」
「おう。いいぜ」
「何があったの?」
「軍事機密です」
「え〜……」
不満そうに口を尖らせるミカに、しかし二人は苦笑いで誤魔化す。
のどかなところで育った一般人の女の子に聞かせる話じゃないと判断した。同じ車に人の片腕と乗っているなんて嫌だろう。
車は再び発進し、暫く荒地を走り続ける。気分転換に窓を開けたいが、風で舞った土埃が入ってくるのでやめた。
同じような景色ばかりで目が痛くなりそうだが、ミカの元気な声が思わぬ気分転換をさせてくれていた。
「それでね、ユリったら新しい服が欲しいから街へ連れてけってウルサいんだよ。似たようなやつばっか買うんだから別にいいじゃんて言ったら怒ってさ」
「あ〜あ〜わかる。俺の妹もそうだわ。出かける間際に『どっちがいい?』とか服持って聞いてくんだよ。いや、どっちも違いわかんねーよってな」
「そうそう! で、何故かおかーさんに怒られるのはアタシなんだよ」
「母親伝家の宝刀、『お兄ちゃんでしょ』攻撃な」
「わかる〜!」
同じ年頃の妹を持つ前の座席二人の会話を興味深く聴きながら、大志はそれでも目だけは外に光らせる。
それを知ってか知らずか、ミカがクルッと大志に振り返った。その顔はニヤケている。
「ユリったら、今朝は変な格好で宮本くんに会っちゃったから、今度は絶対可愛い服着て会うって大騒ぎ」
「初々《ういうい》しいねぇ、恋する女の子ってのは」
微笑ましそうに笑う銀臣。
対して、大志は首を傾げた。
「変な格好……? あ、作業着のことですか? 別にユリちゃん可愛かったですけど」
「おぉ〜、色男式殺し文句ってやつ?」
「それ、後でユリに伝えとこ〜」
「別に深い意味は無いですよ!?」
「わーってるって」
「わかってるわかってる」
「ほんとですか!?」
前部座席へ身を乗り出す大志に、二人はニヤけた顔を隠そうともせず軽くあしらう。
中等部の学生かよと思うノリに、大志はなんと返すのが正解なのかわからなくなった。いや、たぶん正解なんて無いのだろうが。
この状況、何を言っても揶揄う材料にされると思った。なので、黙って座席に座り直す。
暫くすると、更地に段々と岩が増えてきた。
人の頭くらいの大きさから、隕石かと思うほど巨大な物までゴロゴロ転がっている。それに応じて道は更に悪くなり、車体を大きく揺らす。
「そーいやミカちゃんってさ、香水付けてたりするの?」
そして何故か、銀臣が脈絡も無いことを突然言った。
「え? なんで?」
ミカは素っ頓狂な声を上げる。
「さっきから甘い匂いがすんだよなぁ。ミカちゃんかなって思ったんだけど」
「アタシは香水なんて付けないよ?」
「じゃぁ宮本くん?」
「俺も付けませんよ」
「えー、じゃあなんだ?」
「ユリちゃんに貰ったアレですか?」
「いや、それとは違うんだよなぁ」
「俺は何も感じませんけど……どんな匂いですか?」
「なぁんか、甘いような、辛いような、酸っぱいような、爽やかなような……?」
「なんですかそのハッキリしない感じ」
「外からかぁ?」
窓を開けて確かめようとする銀臣。その動きが、一瞬止まる。
「うわっ」
「きゃっ」
突然踏み込まれたブレーキ。車がガクンと揺れて停車した。
「なにかありましたか、柴尾さん」
しかし、返事はなかった。不思議に思って、大志は運転席へ身を乗り出す。
「柴尾さん、どうしたんですか?」
顔を覗き込むと、銀臣は目を見開いて一点を凝視している。
信じられないものを見たような、そんなはず無いという疑心。だけど信じたいような、そうであってほしいという期待の眼差し。
銀臣は視線を動かさないまま、誰にも聞こえないくらい小さくポツリと呟く。
「兄さん……」
「え、ちょっと!」
言うと同時に、銀臣は運転席から飛び出す。
「柴尾さん!」
「え、なになに!? どうしたの!?」
大志とミカも慌ててシートベルトを外す。大志は足下に置いてあった戦闘器具を持ち車から飛び降りた。
「兄さん!」
銀臣は全力で走る。その姿を見失って堪るかと、躊躇いなく進む。
「柴尾さん! ちょっと待って!」
大志が呼びかけるが、銀臣は振り返ることなく走る。工作員に本気で走られては、大志にはとても追いつくことはできない。
しかし銀臣は止まった。それは大志の声が届いたからではなく、対象を見逃して足を止めたのだ。
必死の形相で辺りを見渡す。しかしどこにも求める姿は無い。
「……見間違い……だったのか……?」
こんな岩だらけの荒地で、その姿を見間違えるだろうか。
銀臣は確かに見たのだ。その姿を。『記憶の中から全く変わってない』姿を。
「柴尾さん! どうしたんですか!?」
後ろから、大志たちが追いついてくる。銀臣はまだ諦めきれず、振り返らずに返事をした。
「悪い、急に」
「ビックリしたよ、急に飛び出して行くんだもん」
「誰かいたんですか?」
「……いや、たぶん勘違いだ」
やっと振り返った銀臣はいつものように笑っていた。だけど明らかに、少し様子がおかしいと大志は察した。
「運転で疲れたんですよ。俺が代わります」
「……そうだな、んじゃ、頼むわ」
「はい、疲れてるなら寝ててもいいですよ」
とりあえず気を使ったことを言っておく。短い付き合いだが、銀臣の人間性から任務中に寝るとは思っていないが。
銀臣はまだ希望を捨てきれないように、去る前にもう一度振り返った。岩以外何も無い景色を見て、今度こそ歩き出す。
車に戻って、すると妙な静寂が居座った。
銀臣は後部座席で外を眺めていた。しかし先ほどと違い、明らかに何かを探すようにキョロキョロと忙しない。声を掛けて邪魔をするのも憚れ、大志もミカも示し合わせたように口を開かなかった。
その静寂を壊したのは、銀臣からだった。
「わり、もう気を使わなくていいから」
なるべく自然にしていたつもりだが、どうやら気づいていたらしい。背もたれに体重を乗せ、銀臣は吹っ切れたように笑う。
「いえ、そんな」
短くそれだけ答えると、銀臣は完全にいつもの調子で話を振った。
「俺の兄貴がいた気がしてさ。でもいるはず無いもんな。やっぱ疲れてんのかも、見間違えるなんて」
「そうですよ、本部に帰ったら堤さんに有休貰ったらいいですよ」
それにうんうんと頷きながら、ミカが心配そうの銀臣へ振り返る。
「お兄さんに見間違えるなんて、ホントに相当疲れてるよ。行方不明になっちゃった平野さんの可能性が一番高いのにさ。小島さんだって片腕になっても生きてるかもしれないのに」
「ほんとそうだよな。ここに人がいたら真っ先にその可能性が頭を過ぎるはずなのに。なんで兄貴に__……」
「なんで知ってるんですか?」
大志の、途端に硬くなった声が車に響く。
「え?」
いきなりの質問に、ミカが首を傾げる。
大志は前を見たままだった。しかし声は鋭くミカへ向かう。
「俺たちは落ちていたのは腕だとも、それが小島工作員のものとも言っていません。仮にミカさんが薄目を開けて腕が落ちていたのを覗き見したとして、なぜそれが小島さんのものだと……?」
ミカはゲッと、まるで悪戯がバレた子供のようにリアクションをした後、大志に向かって両手を合わせた。
「宮本くんの言う通り、薄目で見ちゃったの。それは素直に謝るよ〜! 小島さんのだってわかったのは、見るからに男の人の腕だったし」
「車はそこそこ離れた位置に停車しました。それに、血液が蒸発して腐敗が進んだ状態の腕を男のものと断定できるほど、ミカさんは死体にお詳しいのですか? 更に言うなら、もしかしたらあの腕は小島さんのものでは無いかもしれないのに、ミカさんは小島さんの腕だと断定的でした」
「……」
「もう一度聞きますよ、ミカさん。少し職務質問をさせてください」
「……」
「あなたは、なぜそれが小島さんのものと断定できたんですか?」
大志が横目でミカを見る。
ミカは外を見ていた。大志からも銀臣からもその表情は見えない。
銀臣もミカの様子を伺う。車内には再び静寂が戻った。重い静寂が。
大志は運転する為に前を向きながらも、ミカから意識は逸らさない。
「なんでって、そりゃ決まってんじゃん」
暫くして、開き直ったような口調でミカが口火を切る。
ゆっくりと隣に座る大志に向き直った。その表情は笑っている。楽しそうな、残虐な笑いだった。
「私が殺したからでしょ?」




