プロローグ ラブ・ネヴァー・フェルト・ソー・グッド 愛がこんなにいいものだなんて
この物語は、明らかに非凡な二人の青年が広大な宇宙を支配して、結局は傷ついていく愛の群像劇である。
十二月十六日 (12/16)
小林もうどうが死ぬまで九年。村山きつしが死ぬまで七年。
村山きつしにとってはこの時間が最も得難いものだった。宇宙の情勢に関して自分が知っていることはまだ少ない。木星の海や土星の輪は魅力的だが自分は地球が一番好きだった。こうして親友と親友の大事な人とファミレスで普通の時間を過ごす方が美しいと思った。
みな幸福な時間を尊び続ける。
人生経験のじ、の字も積んでいない中学二年の自分だからこそこれだけは言える。
「思い出せない日々が最も幸せで、最も大切にするべきなのだ」
「冬にとって夏はきっと天敵だろうね」
右隣から無邪気な声が聞こえてくる。海野沙織の声はいつもどこか宙に浮いている。
彼女に向かい合っているきつしの親友は優しく微笑みながら右手の人差し指で親指の爪の端をいじっている。試験管を持ったり顕微鏡を覗いたりする人間特有の癖らしい。
「どうしてそう思ったの?」
きつしの親友はゆっくりと沙織に目を合わせながら開口した。ちょうどウェイターが料理を運んできてきつしの前に置いた。餃子丼だった。小さく礼を言っておく。
「だって、冬は寒くて夏は熱いでしょう。猿と犬みたいなものだよ。そう思わない? もうどう」
きつしの親友は沙織にもうどう、と呼びかけられると思い切り破顔して天井を見た。
「面白い考え方だね」
もうどうが言うときつしは笑う。「き、きみは本当に不思議な人だね」
きつしがどもりながら言うと沙織は少しむっとしてグラスに一輪のオレンジが挟まったオレンジジュースにストローを差した。
「料理も来たことだし、そろそろ食べ始めようか。何せ今日は」
もうどうは手を擦り合わせながら一度言葉を切った。
「沙織の誕生日だからね」
沙織はくしゃりと笑った。きつしは周りの客の迷惑にならない程度に拍手をしてもうどうの目を見た。
もうどうの目は喜びという喜びの全てを反射していた。こちらも嬉しくなってくる。ちょうどその時自分たちが座るテーブルに暖かく名残惜しい空気が流れたような気が、きつしはした。この時間はきっと明日までは続かない。だからこそいいんだろう。そう思った。外は少し雪がちらついている。
ステーキソースとオレンジの香りはきっと外まで届いていて車のライトや街灯だけがはっきりと光る寒い夜にも、幸せを裾分けしていることだろう。
「か、か、乾杯の音頭は僕が」
きつしはミルクセーキのグラスを持ち上げた。もうどうは水の入ったグラスを沙織はオレンジジュースのグラスを静かに持ち上げる。
きつしは一度喉を鳴らす。
「こういう時に、ななな、な、なんて言えばいいのか分からないけど、とにかく今日を迎えることができて良かったと思うよ。何せ僕ともうどうには」
言葉を切って下に向けて笑う。
「か、家族と呼べる人がいないからね。それでもココロから幸せだと言える。それは利恵菜のおかげでもあるし、な、な、な、何より沙織のおかげだ」
「今くらい利恵菜の話はやめれないかな」
もうどうが冗談めかしながら顔をしかめる。
沙織が笑う。
「ま、まあともかく、」
きつしも笑う。
「来年も再来年も、こうして集まろう。きっと、集まろう。それじゃ」
きつしはもうどうの方を見る。
「優しさにあふれた、な、なんでも作れる天才と」
沙織の方に視線を向ける。
「す、す、少し抜けてるけど思いやりに満ちた女の子に」
「乾杯」
きつしのグラスにもうどうと沙織はそれぞれのグラスを当てる。
店の照明が淡いオレンジ色から冷たい黄色系の色に変わった。音楽もジャズから暗めのクラシックに、いつのまにか変わっていた。
「白うさぎは遅刻だって言ったんだよ」
沙織がまた、よく分からないことを呟いた。
「不思議の国のアリスにでてくるセリフかい」
箸を落としたもうどうが立ち上がりながら笑う。巨人症故の一九七センチはさすがに手狭なファミレスでは目立った。
「も、も、もうどう?」
きつしはもうどうに声をかけた。もうどうはそのまま立ち尽くして、目の前をずっと眺めていた。沙織も少々訝しんでもうどうの顔を見た。
きつしはすぐにもうどうの視線の先に目をやった。
特に何もない、と言うことはできるがしかし一人、異様な雰囲気の男が座ってティーカップに口をつけているのが見えた。
その男はグレーのジーパンに赤と白のチェック模様の上着といった出立ちで、長い足を組んでいた。顔はもうどうにそっくりだった。そっくりというか、もう一人のもうどうが、そこにはいた。
ドッペルゲンガー、その言葉が頭に浮かんだ。今のところ宇宙に出ていけるのはきつしともうどうだけだ。この星はまだロケットを飛ばしている。そんな星で、誰かのドッペルゲンガーを見るのは気持ちが悪かった。本来あるはずがない。この星ではこんなことが。
その男はもうどうに微笑みかけるとティーカップを置いた。熱かったらしい、少しく顔をしかめた。
驚きできっと聴覚が鈍っていたのだろう。
ピ、ピ、ピ、という嫌な音が聞こえたのはもう一度もうどうの方を振り返ってからだった。
沙織は後ろを振り返った。
「もうどう」
きつしはもうどうの腕を揺すった。もうどうはきつしの顔面を見るなり目を見開いた。
音に気付いたらしかった。
もうどうは机の下を覗いた。きつしもそうした。
きつしはもうどうと顔を見合わせた。それはもうどうの実験室で目にすることのないものだった。もうどうが作れても絶対に作らない類のものだった。爆弾だった。
もうどうは沙織の顔を見た。
次にきつしが目を覚ましたのは消防隊が到着してからだった。おでこから血が流れているのが分かった。起き上がると背骨が悲鳴を上げた。
きつしは煙に咳き込みながらきょろきょろと首を回す。
瓦礫と炎、泣き喚く子供、慌てふためく大人たち。
倒れて動かない者の姿まではっきりと見えた。暗いはずなのに。
もうどうは、いなかった。もうどうにそっくりのあの男も、いなかった。
もうどうがいない。どうして。




