第29話 同じステージに立てたら
「……寝てないです」
「あ、よかったー。今日の紗雪ちゃんの配信、どうだった?」
暗闇の中、アキラさんの声が近かった。開けた引き戸の向こうから、こっちを覗いているらしい。
「……まあまあ、ですかね」
「まあまあかー。私はけっこう良かったんだよねー。なんか今日サクサクいけちゃって」
「コメント欄、キレてるって盛り上がってましたよ」
「見てくれてたんだ。えへへ」
虫の声が、窓の外で鳴っていた。暗い天井を見ている。アキラさんの顔は見えない。
「ねえ、昴さん」
「はい」
「昨日のさ」
心臓が、一つ跳ねた。
「ちょっと乱暴だったかなって。言い方」
「……」
「言ったこと自体は後悔してないんだけどね。ほんとのことだし。でも、振り回しちゃってるよね。ごめんね」
「いえ……」
「だからさ、ちゃんと話すね。ちゃんとっていうか、経緯? どうしてそうなったか、みたいなの」
布団の中で、指が握りこまれていた。
「最初からさ、ちょっといいなとは思ってたんだよね」
「……え」
「紗雪ちゃんと初めて話したとき、声が綺麗だなって。それはほんとにただの印象なんだけど」
アキラさんの声が、暗闇の中をゆっくり流れてくる。
「一緒に住み始めてさ、なんか、昴さんって気づいたら色々やってくれてるじゃん。コーヒーとか、洗い物とか」
「……それは、普通のことですよ」
「うん。でもさ。……あ、これだと都合のいい人みたいだね。違うの。なんだろ、昴さんといると自分のまんまでいられるっていうか。お互い秘密知ってるからってのもあるんだろうけど、それだけじゃなくて」
声が、少しだけ柔らかくなった。
「きっかけはさ、配信してる様子を生で見たとき」
「配信……」
「うん。すごく生き生きしてた。生声オネエとか言っちゃったけど」
(……あの時の)
顔が熱くなった。忘れてほしい。
アキラさんが、ふふっと笑った。暗闇の中で笑い声だけが揺れる。
「紗雪ちゃんを通して、昴さんが見えたの。上手く言えないんだけど、大好きな紗雪ちゃんが昴さんと重なって見えて。なんだろな。好きって思った」
天井を見ていた。目が、暗闇に慣れてきていた。でもアキラさんの顔は見えない。引き戸の向こうにいる。
「でもさ、決め手はあの話だった」
「あの話?」
「れとろの話。昴さんが言ってくれたじゃん。れとろは和太郎で生きてるって」
あの夜のことだった。アキラさんが焔れとろの全部を話してくれた、あの晩の続き。
「あれ聞いたとき。ああ、この人だって思った」
アキラさんの声が止まった。虫の声だけが残った。
「……だから、昴さんのことも、知りたい」
「……」
「VTuber同士としてはさ、お互い知ってるじゃん。紗雪ちゃんのことも、和太郎のことも。でも、それだけじゃなくて。中の人のことも、全部」
暗闇の中で、アキラさんの声が少しだけ小さくなった。
「……私のことも、知ってほしい。欲張りなんだよ、私」
指先が、布団の端を握っていた。
知りたい。知ってほしい。
その言葉が、暗闇の中で反響していた。
◇ ◇ ◇
「……俺も、少し話していいですか」
「うん」
天井を見たまま、口を開いた。言葉が、ゆっくりしか出てこなかった。
「……ちょっと、行き詰まってた時期があって」
「うん」
「何もかも上手くいかなくて。仕事も、生活も。……それで、なんか、新しいことやりたくて」
アキラさんは、何も言わなかった。ただ聞いていた。
「そのとき、和太郎さんの配信を見つけたんです」
「……え」
「最初はただのリスナーでした。たまたま流れてきて、見てみたら、面白くて。レトロゲーを、すごく楽しそうにやってて」
「……」
「毎回見てました。仕事が終わって、ごはん食べて、和太郎さんの配信見て寝る。それだけで、なんとなく、大丈夫だったんです」
言葉が途切れた。少しだけ、間が空いた。
「そのうち、自分でも同じゲームやってみたりして。和太郎さんがやってたやつ」
「……」
「で、もうちょっと元気になってきたら、自分でも配信やってみたいなって思ったんです。特に何か伝えたいこととか、なかったんですけど」
「それで、美少女?」
「……なんか、ああいう技術がすごいなって思って。ボイチェンとか、トラッキングとか。せっかくやるなら、そういう挑戦してみたかったんです」
「昴さんらしいねぇ」
「まさか和太郎さんも逆だとは思ってなかったですけど」
「あっはっは。お互い様だよねぇ」
天井の暗闇に向かって、声を出した。
「……とにかく、同じステージに立てたら……って思ったんです。和太郎さんに、もらったものを。俺も、誰かに、渡せるんじゃないかって」
隣の部屋から、何も聞こえなかった。
息の音すら、なかった。
「……それで、紗雪を始めました」
長い沈黙だった。虫の声が、遠くで鳴っていた。
「……行き詰まってた、かぁ」
アキラさんが、静かに繰り返した。
「……聞かせてくれて、ありがと。こういう話聞けるの、嬉しい」
少しの間があった。
「……もっと、教えてね。いつか」
俺は天井を見ていた。話したいことが、まだ胸の奥にあった。でも言葉が、そこから先に進まなかった。
窓の外で、風が少しだけ鳴った。
暗闇の中に、アキラさんの呼吸が聞こえていた。




