表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

13/37

第13話 二つの乾杯

 仕事が終わった。

 昼の会議も、午後のメールも、気がつけば片付いていた。


 机の上の時計は、二十時を指していた。


 俺は和太郎(わたろう)さんの配信卓の前に立ち、PCのセッティングを済ませる。

 和太郎さんが帰ってきたら、すぐに配信に入れるようにしておいた。


 机の上のメモに、今日の段取りが書いてあった。

 ——二十一時半合流。


 スマホで時刻を確認する。二十時二十七分。

 

 俺は自分の仕事部屋に戻った。


 ヘッドセットを手に取る。コントローラーを手首のストラップで固定する。


 VRゴーグルを被った瞬間、俺は夜空紗雪(よぞらさゆき)になった。


◇ ◇ ◇


 二十一時、配信開始。


『こんきちぃ〜! 夜空紗雪だよぉ〜』


 紗雪の挨拶。アバターの手がフリフリと動く。


 「こんばんは」と、いつの間にかリスナーが呼び始めたニックネーム

 「さゆきち」が合わさって「こんきちー」。


 誰が最初に言い出したかは、もう誰にも分からない。


 気がつけば定着していた挨拶だった。


『今日は和太郎さんとのコラボ回だよ〜。でも、和太郎さん、お仕事で少し遅れちゃうから、先に紗雪一人でVRワールド巡り始めるよ~』


 コメントが流れ始めた。


『こんきちー』

『最近さゆきち可愛くない?』

『今日キレッキレ』

『さゆきちが楽しそうで俺も楽しい』


 流れるコメントを、紗雪が目で追った。


(……最近、紗雪でいるのが、楽しい)


 まずは昭和レトロのワールドに降り立った。


 狭い路地。古い商店街。軒先に吊り下げられた赤い提灯。夕焼け色の光。

 駄菓子屋のガラス戸の向こうに、ラムネの瓶が並んでいるのが見えた。


『わあ〜、すごい再現度! 紗雪、こういうの好きなんだぁ』


 駄菓子屋のガラス戸を覗いた。

 ラムネ、ハッカ飴、ゼリービーンズ。

 瓶のラベルが、どれも少しだけ色褪せていた。


『これ、見覚えあるなぁ。子供のころ、こういうの、見たかも』


『わかる』

『駄菓子屋ってまだあるよね』

『紗雪ちゃん、昭和生まれ?』


『ふふ、世代がバレちゃう〜』


 三輪車の横に立って、少しかがんだ。


『これ、乗ってみたい』


『乗れるかもw』『VRだから制限なしw』『紗雪ちゃんそれは画になりすぎるw』


 紗雪は笑って、三輪車にまたがるポーズを取った。

 もちろん、アバターが大きすぎてサドルに座れなかった。


『無理だったぁー!』


 両手をぱっと上げて、バンザイした。

 アバターの髪が、ふわりと跳ねる。


 コメント欄が「www」で溢れた。


『和太郎さんがね、昭和レトロとか詳しいからさ、一緒に歩きたかったんだぁ』


『紗雪ちゃん優しい』

『和太郎さんに見せたかったのね』

『良い娘さんや』

『娘ってwww』


 アバター越しに、俺も夕焼けを浴びていた気がした。


 ここ数日、和太郎さんの配信を隣の部屋から聞いていた。

 画面越しに見るのとは、違う密度で聞こえた。


 リスナーを楽しませたい、という芯が、もっとはっきり見えた。


 ——魂ごと和太郎になるの。


 初めて会った日、喫茶店で和太郎さんが言っていた。

 俺も、そうなってみ——


 視界の隅に、通知が光った。


 ——【和太郎】あと5分でつく!


 紗雪の手が、一瞬、止まった。


『あっ、えっと……』


 言葉が、続かなかった。


『紗雪ちゃん?』『どうした?』『急にどうしたw』


『な、なんでもない、なんでもない〜。えーっと、和太郎さん、もうすぐ合流できるって!』


『おお!』『和太郎さんきた!』『待機』


 紗雪の口調が、さっきまでと違った。

 俺は、自分の声に、紗雪の皮をもう一度被せようとした。


 被せきれなかった。


◇ ◇ ◇


 時計の針が、二十一時半に近づいた。


 視界の隅に、通知が光った。


 ——【和太郎】着いたー


 肩に、ぽんと手が触れた。


 その数十秒後、通話ソフトの向こうから、ボイチェン越しの和太郎さんの声が届いた。


『よっ、紗雪ちゃん、遅れてすまん!』


 触れた温度と、届いた声が、ネットワークの遅延でズレていた。


 ——生身が先、アバターが後。


 俺は、それを噛みしめた。


『わ、和太郎さん、おかえり〜』


 紗雪の口調を、なんとか戻す。

 壁の向こうにいる本人の気配は、消えなかった。


『待ってたよー和太郎さん』『おかえりー』『合流きたー』


『そしたらさ、早速ワールド回ろうぜ。紗雪ちゃん、案内してくれよ』


『え〜、プレッシャー〜』


『大丈夫大丈夫、適当でいいからさ。俺の配信モットー、適当が一番』


『もう和太郎さんテキトー〜』


◇ ◇ ◇


 和太郎の2Dアバターが、配信画面に現れた。


 VRの3Dと、2Dは、同じ世界には入れない。

 配信ソフト上で、無理やり重ねているだけだ。


 マウスのポインタが和太郎を掴んで、すすすと動かす。ホイールで大きさも変わる。


 「いかにも操作している」のがそのまま画面に映る。

 没入感としてはちょっと残念な絵。


 でもリスナーはそれごと、「同じ場所にいる」感覚として楽しんでくれる。


 俺は指示に従って動く、ただの被写体。


『紗雪ちゃん、そこの駄菓子屋の前で止まってくれや』


 指示通り、駄菓子屋の前に立つ。


『もうちょい左。……うん、そこで、ピース』


 得意げにピースした。可愛くなるよう、手の方向に首をかしげる。


『俺はここで……』

 

 和太郎が、紗雪の隣にすっと寄った。

 

『よし、せーの!』

 

 シャッター音。


『画になるぅw』『てぇてぇ』『父娘っぽいw』


 ここでの撮影はOK。次のワールドへ飛んだ。


 派手な照明。ターンテーブル。七〇年代の歌番組セット。


『紗雪ちゃん、センターでマイク持ってくれ』


 マイクを握るポーズを取る。


『ちょっと身を反らす感じで。そう、もっと……あ、もうちょっと前傾。そうそう』


 和太郎さんの声に従って、身体を動かす。歌っているような姿勢って、こうかな?


『俺はこっちで、サムズアップな』


 和太郎のアバターが、ステージ端で親指を立てた。


『マイクに口寄せる感じで。うん、いいじゃねえか』


『はい〜』


『いいねぇ! じゃあ、せーの!』


 シャッター音。


『紗雪ちゃん言いなりw』『和太郎さんの構図センスいい』『これアーティストの新譜ジャケ』


 ちょっとだけ得意げに、ポーズを保った。


 ——和太郎が、画面の向こうで構図を決めている。

 それに合わせて、紗雪がポーズを取る。


 入り込んでる、と思った。

 けれど、心地よかった。


『じゃあラスト、あのスナックな』


 狭いカウンター。低い天井のランプ。昭和柄の壁紙。赤いスツールが二つ。


『紗雪ちゃん、カウンター座ってくれ』


 スツールに腰掛けて、カウンターに肘を置く。


『俺はここで……』

 

 和太郎が、紗雪の隣のスツールに現れた。


『おっ、結構近いな』


 和太郎の声に、笑いが混じっていた。

 壁越しの生声が、かすかに笑っていた。


『グラス持って、紗雪ちゃん』


 用意されていたグラスを手に取る。

 和太郎さんは、2Dグラスのアイコンを手の位置に重ねる。


『じゃあ、せーの! 乾杯!』


 シャッター音。


 コメント欄が、洪水になった。


『事案www』

『娘を飲み屋街連れ回すパパじゃんw』

『スナックで何してるんですかw』

『てぇてぇてぇてぇ』

『いや幼女連れ回し案件だろww』

『警察呼んでw』


 和太郎が、カウンターの向こうで大笑いした。


『おいおいおい、事案ってなんだ事案って。バーチャルに事案はねぇだろ』


『そーそー、同意の上だから〜』


 紗雪も、グラスを掲げて、声を上げて笑った。


◇ ◇ ◇


 配信終了ボタンを押した。

 

 紗雪のアバターが、視界から消えた。


 俺はコントローラーを置いた。

 ヘッドセットを、ゆっくり外した。


 耳に張り付いていた音が、遠ざかる。

 頬に、素の空気が触れた。


 部屋の空気が、急に、重くなった気がした。


 机の前に、両手をついた。


(……やりきった)


 隣の配信室から、慌ただしい足音が近づいてきた。


 仕事部屋の引き戸が、勢いよく開かれた。


「紗雪ちゃーん、お疲れー!」


 アキラさんが、目を輝かせて立っていた。

 和太郎じゃない、素の声。


「めっちゃ楽しかったー!」


「楽しかった……!」


 気づけば、口から出ていた。


 アキラさんが、にんまりと笑った。


「お疲れさまでしたー! 一杯やろっか」


 俺も後を追って、リビングへ向かった。


 アキラさんが、冷蔵庫を開けた。

 取り出したのは、缶チューハイが二つ。


「写真見ながら」


「お、いいですね」


 ソファに並んで、PCの画面を開いた。

 スクショがいくつも、並んでいた。

 駄菓子屋の前。歌番組のステージ。そして、スナックのカウンター。


 最後のスナックの写真で、俺の視線が止まった。


 並んで座っている紗雪と和太郎。

 暖色のランプの下、乾杯のグラス。


 画の中に、紗雪も和太郎さんもいた。

 ——中の人は、壁一枚向こうにいて、同じ家にいる。


「昴さん、コレ、あとで送るね」


「はい……和太……(あきら)さん」


 アキラさんは、スクショをゆっくり並べ直していた。

 その手つきが、配信中の構図指示と、同じテンポだった。


 アキラさんが、チューハイの缶を掲げた。


「お疲れ、乾杯!」


 俺も、缶を掲げた。


 配信のスナックとは、違う乾杯だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ