完成した姿
リリアは廊下を急いでいた。
王宮の回廊は広く、静かでどこか冷たい。
靴音が規則正しく石床に響く。
胸の奥がわずかに高鳴っていた。
怖いわけではない。
(元の容姿に戻るんだ……)
そう思うだけで呼吸が少しだけ深くなる。
自分自身、リリア・ローゼンに。
魔術師の部屋の前で立ち止まり、軽く息を整える。
そしてノックをした。
「失礼します」
「どうぞ」
中から聞こえる、穏やかな声。
扉を開けると、魔術師は机に向かっていたがすぐに視線を上げた。
その目はすでに事情を察しているようだった。
「珍しいですね。あなたの方から来るとは」
リリアは数歩進み、静かに頭を下げた。
「お願いがあります」
一度、言葉を区切る。
「私を ―― 元のリリア・ローゼンに戻してください」
魔術師の眉がわずかに動いた。
「……ほう」
その一言だけ。
だが興味を持ったのは明らかだった。
「理由を聞いても?」
リリアは顔を上げる。
隠さずまっすぐに見た。
「必要だからです」
短い答えだが、その奥にある決意は隠さない。
魔術師はしばらく彼女を見つめ、小さく息を吐いた。
「今回の集まりに参加できなくて、申し訳ありませんでした」
「いえ」
リリアは首を横に振る。
「急ぎの用件があったと伺っています」
魔術師は椅子から立ち上がり、ゆっくりと彼女の前に立った。
「最後に確認します。髪の色も瞳の色も元に戻します。それでいいのですね」
リリアは迷わなかった。
「はい。お願いします」
魔術師の手がふわりと持ち上がる。
次の瞬間、空気が変わった。
暖かい柔らかな光が身体を包む。
懐かしい感覚。
数日前までずっと共にあった自分自身の色。
(……戻ってる)
ゆっくりと光が消える。
「終わりましたよ」
魔術師の声が落ちた。
「……少しだけ追加もしておきました」
「追加……?」
リリアは首を傾げた。
「悪女には必要でしょうから」
意味が分からないまま、部屋の姿見の前へ向かう。
そして ―― 思わず息を止めた。
黒髪。
茶色の瞳。
紛れもなく自分だった。
だが。
「……」
視線が胸元へ落ちる。
わずかに曲線が強調されている。
「……あの」
リリアは振り返った。
魔術師は悪びれる様子もなく微笑んでいた。
「魅了する力も武器です。悪女には必要不可欠でしょう?」
リリアは一瞬言葉を失ったが、小さく苦笑した。
「そうですね」
否定はしなかった。
今の自分は“悪女”になるのだから。
「ありがとうございます」
深く頭を下げる。
魔術師は軽く手を振った。
「ご武運を」
その言葉を背に、部屋を後にした。
自室の扉を開けた瞬間、思わず足が止まった。
そこには ―― 大量の箱が積まれていた。
「……お兄様」
クラウスだった。
振り返り、リリアを見て、視線が一瞬だけ止まる。
明らかに驚いていたがすぐに表情を戻した。
「お前が言っていたものだ。露出の多いドレスと、装飾品」
淡々とした声で説明する。
「それと、俺のメイドを一人つける。困ったときは彼女を使え」
リリアは深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
顔を上げると、クラウスはまだじっとリリアを見ていた。
まるで確認するように。
「……お兄様?」
問いかけると、クラウスはわずかに眉を寄せた。
「……お前」
言葉を探すように、間を置く。
「そんなにスタイル良かったか?」
リリアは瞬きをした。
一瞬、意味が分からなかった。
「あ……」
思い出した。
「魔術師様が……悪女には必要だと……」
クラウスはため息を吐いて呟いた。
「……まったく、余計なことを」
リリアの頭にそっと手が乗せられる。
驚くほど優しい手だった。
「気をつけろよ」
短い言葉だが、それ以上の意味を持っていた。
リリアは小さく頷いた。
「はい」
クラウスはリリアの頭から手を離し、背を向ける。
「無理はするな」
振り返らずに言い、そのまま部屋を出ていった。
扉が閉まり、静寂の中、リリアはしばらく動けなかった。
頭に残る温もり。
(……お兄様)
胸の奥がわずかに熱くなる。
最近、兄は変わった。
二人きりのとき、触れてくれるようになった。
言葉も冷たい命令ではなく守るような言葉をかけてくれる。
(……私は……一人ではない)
そう思えた瞬間、不思議と力が湧いた。
恐怖は消えないけれど立てる気がした。
鏡の前に立つ。
黒髪の女性がそこにはいた。
リリア・ローゼン。
そして ―― 悪女になる女。
リリアは静かに息を吐いた。
―― 準備は整った。




