余韻と線引き
三日間は、驚くほど静かに過ぎた。
ラルフの私室で、暖炉の前で本を読み、
食事を共にし、時折抱き寄せられ、
言葉少なに甘やかされる。
触れられるたびに、
自分が“欲しいと思ってもいい存在”なのだと教えられる。
そして、三日目の夜。
「明日から通常勤務だ」
ラルフはそう言って、リリアの額に軽く口づけた。
「騎士団では、団長と部下だ。忘れるな」
その声音は優しいが、線ははっきりしている。
「はい」
分かっている。
それでも、胸の奥が少しだけ冷えた。
「不安か?」
「少しだけ」
ラルフは微かに笑う。
「それでいい。甘やかしすぎると、剣が鈍る」
最後の夜は、抱きしめられるだけで終わった。
翌朝。
王立騎士団の訓練場は、いつも通りの空気だった。
ラルフは団長の顔をして立っている。
公の顔。
王族としての威厳。
私室で見せた柔らかさは、どこにもない。
「本日より通常訓練に戻る」
低く通る声。
リリアは一歩後ろで背筋を伸ばす。
視線は合わない。
それが約束だから。
午前の訓練。
木剣を握ると、身体が重い。
三日間、甘やかされた身体。
動きがわずかに遅れる。
「遅い」
鋭い声が飛ぶ。
視線を向ければ、ラルフ。
冷たい目。
「集中しろ」
「はい」
胸が、きゅっと縮む。
さっきまでの余韻が、嘘みたいに消えていく。
(これが、団長)
分かっていたはずなのに。
その切り替えの鋭さに、少しだけ傷つく。
少し離れた位置で、オスカーがそれを見ていた。
(……やはりな)
遠征後から、リリアの空気が変わっている。
視線の落とし方。
団長との距離の取り方。
不自然なほど、完璧だ。
完璧すぎる。
「副団長?」
ノルが声をかける。
「いや」
オスカーは目を細める。
「……何でもない」
団長の声の温度が、ほんの僅か違う。
他の部下に向けるそれよりも、一瞬だけ、刃を鈍らせる。
(線を引き直したな)
理解は早い。
そして、その理由も。
胸の奥に、小さな違和感が落ちた。
嫉妬ではない。
だが、面白くはない。
夕刻。
訓練が終わり、宿舎へ戻る途中。
「リリア」
低い声。
振り返ると、クラウスが立っていた。
文官服のまま。
表情は冷静。
「怪我は治ったと聞いた」
「はい」
淡々とした会話。
だが、彼の視線は一瞬、首筋の薄い赤みに止まった。
ほんの一瞬。
(……そうか)
何も言わない。
問い詰めもしない。
代わりに、静かに言う。
「団長は王族だ」
「……分かっています」
「ならいい」
それだけ。
だがその声は、冷たく研がれていた。
守る対象が増えた。
守るべきものが、より明確になった。
クラウスは踵を返す。
(線を越える者がいるなら、排除するだけだ)
その目は、すでに動いていた。
夜。
リリアは自室で一人、剣を磨いていた。
甘やかされた三日間。
冷たく戻された日常。
その両方が、胸の中にある。
(私は、選んだ)
休みの日だけ。
曖昧な関係。
団長と部下。
どちらも、自分の選択。
剣を握る手に、力が入る。
甘やかされても、守られても、それでも――
強くなりたい。
振り返るのではなく、前を向いて。




