世界一美味しい新婚旅行
「陛下! またいらっしゃらない! 執務室に書き置きが……『究極の卵を探しに行く。探すな』だと!? また新婚旅行の続きかー!」
魔王城にフェンリスの悲鳴が響き渡る中、当の本人たちは、遥か南の「浮遊島」にある絶壁のふもとにいた。
「……リリア、あそこだ。千年に一度しか産まれないという『虹色極楽鳥』の巣は」
「わあ、本当に虹色に光ってる! 陛下、あれでオムレツを作ったら、きっと飛び上がるほど美味しいですよ!」
ゼノンは、かつて世界を滅ぼすと恐れられた魔力を使って、ひょいと絶壁を飛び越え、至高の卵を手に入れる。呪いから解放された彼の魔力は、今やリリアの料理をサポートするための「便利な道具」と化していた。
その夜、二人は誰もいない美しい海岸線でキャンプを張った。
波の音を聞きながら、リリアはさっそく手に入れた卵と、道中で見つけた幻のキノコを使って調理を始める。
「陛下、火加減をお願いできますか?」
「ああ。……これくらいか?」
指先から繊細な火魔法を操る魔王。かつて周囲を焼き尽くしていた破壊の炎は、今やリリアのフライパンを完璧な温度で温めている。
「……リリア。こうして二人で旅をしていると、時々不思議に思う」
「何をですか?」
「あの日、貴様が死ぬ気で作ったあの蜂蜜パイがなければ。……私は今も、あの暗い部屋で一人、空腹に耐えながら世界を憎んでいただろう」
ゼノンはリリアの隣に座り、その細い肩を抱き寄せた。
「貴様が私を『食べられる体』にしてくれた。……感謝している」
「……。……陛下、急に素直にならないでください。照れて味が変わっちゃいます」
出来上がったのは、黄金色に輝くふわふわのオムレツ。
二人は一つの皿を突き合いながら、笑い合う。
「あーん、陛下。熱いですよ?」
「……。……美味い。だが、やはり貴様の作る蜂蜜パイには敵わんな」
「ふふ、じゃあ明日は美味しい蜂蜜を探しに行きましょうか」
ゼノンはリリアの唇についたソースを指で拭うと、そのまま彼女を引き寄せ、深いくちづけを交わした。
もはや、触れても何も壊れない。そこにあるのは、互いを慈しむ確かな体温だけだ。
「どこへでも行こう。貴様が『作りたい』と言い、私が『食べたい』と思う物がある限り」
二人の旅は終わらない。
魔王城へ戻れば、お腹を空かせたフェンリスやカミラたちが待っているだろう。
人間界でも、リリアの料理に憧れた料理人たちが、新しい食の文化を築き始めている。
けれど、ゼノンにとっての「世界一の聖域」は、リリアが隣で鍋を振るい、鼻歌を歌っているこの場所だけだ。
「陛下、次は何を食べたいですか?」
「……決まっているだろう。貴様が、笑顔で差し出すものなら何でもだ」
空には満天の星。
元生贄の聖女と、元孤独の魔王の物語は、これからも美味しい香りと共に続いていく。




