94 暗雲立ち込める
「今回はどの国まで行かれるのですか?」
アヒムが私の正面のソファに座り、問うてくる。
「アヒム様、お茶は如何ですか?」
「頂きます」
彼はリーザのような従者にもその丁寧さを崩さない。リーザはカップにお茶を注ぎ彼のもとに置く。
「ミトスと言う国よ」
「ふむ、ミトスですか……かなりの長旅になりそうですね」
「ええ、そうなのよ。ミトスにつていよく知らないのだけど、アヒムは何か知っているかしら?」
「私も詳しくはないのですが……古くからの神を崇拝し、信心深い人々が多いと聞きます。あとは……最近になって国王が変わられたようですね」
では今回のは新しい国王からの申し出となるのだろう。国王が変わった直後であるのならば、こちらに出向けない程に忙しいことや、今の時機に同盟の話が出てきたのも頷ける。
「ミトスの神様はどんな神様なの?」
「私も詳しくはないのですが……確か戦いの神とだけ聞いたことがあります」
「戦いね……」
戦いの神様……なにか引っかかる気がするのだけど……
「うーん……」
「ブリュンヒルド様、如何致しました?」
「いいえ! 何でもないの」
考えを巡らせている間に自然と唸り声が出ていたみたいだ。もう少しで何か掴めそうだったのだが思い出せない。
バリィィン‼
静かな食後のティータイムを邪魔するけたたましい音が、屋敷に鳴り響く。
「なんの音⁉」
今私たちがくつろぐ部屋は、一階にある客間だ。その真上から音が聞こえたように思う。確か、私とリーザが今晩泊まる予定の部屋だ。
それに私よりもいち早く気が付いたのか、リーザはすでに動き出していた。それを追う形で部屋に向かう。扉を勢いよく開けるとそこには……
割れた窓から身を乗り出し、下の様子を伺っているラルフがいた。
「ラルフ!?」
「姫様! どうやら賊が侵入したのですが、私が駆け付けたのを見て逃げて行きました」
「相手を見たの?」
「それが、黒いローブに身を包んでおりまして、闇へと紛れて行きました」
彼は馬車酔いで疲れ果てていたの食事を取り、すぐに私たちの部屋の隣に位置する自分の部屋へと戻っていた。荷物を確認したところ何も奪われてはないようだ。ベッドの脇に立てかけられたヴァルハラもそのままである。
一応の安心は得たものの、賊の目的は盗みなのだろうか? それに……
「ここ二階よ? 一体どうやって……」
「どうやら壁のわずかな窪みを登ってきたようですね。それに、私を見てそこから飛び降り逃げた身のこなし、只者でないことは明らかです」
せっかくの幸せに浸っていたのに、それが一気に冷めてしまった。私とリーザは部屋を移る。その晩はラルフとアヒムの屋敷にいる使用人が屋敷外の警備にあたり、リーザが私の部屋の中で見張りをすることにした。
これからの旅に暗雲が立ち込める一日目となった。





