転移
仕事を終え会社を出る。蒸し暑い夜風が頬を撫でた。
駅前は多くの人たちで賑わっていた。
楽しそうに笑い合う人。恋人らしき二人連れ。仲良く手をつなぐ親子。
両親は私の就職を見届けると安心したかのように、相次いで病死してしまった。兄弟、近しい親戚もいない。
ぼんやりと夕飯どうしようかななんて考えながら歩いていると不意に、足元に淡い光が広がった。
「ぇ?」
螺旋を描くように光が地面を走り、複雑な模様を形作る。
まるでファンタジーの魔法陣。
あっけにとられた瞬間、身体から重力が消えた。
周囲の喧騒が消え、身体がふわりと浮く感覚。
そして――。
「……!?」
瞬きの間に、足元はでこぼこした地面へと変わっていた。
目の前は見渡す限りの木々。青空の下の巨木。
さっきまでいた駅前は跡形もなかった。ひんやりした風が通り抜ける。
「なんだこれ?」
突然のことに立ち尽くしていると、目の前に白い光が集まり正方形のモニターになった。
半透明の、大きな画面だ。
【異世界パッパラーへようこそ】
「……異世界?」
画面が切り替わる。
【固有スキル《地球所有》】
「は?」
【あなたは地球の所有者として登録されました】
「えぇ……?」
意味が分からない。
困惑していると、項目が複数表示された。
【地球モニター】
【帰還】
【所有物の取り寄せ】
【所持品】
【一時置き場】
そのまま何のアクションもないので、戸惑いながらも『地球モニター』へ触れてみる。
画面いっぱいに映像が映し出された。
夜の街。車が走る駅前。
「……これ」
ついさっきまで自分がいた場所だった。何やら人だかりができている。
……まぁ人間が突如消えた訳だし、あれだけの人がいたのだ。目撃した人も多いだろう。
画面に指を滑らせると自由に視点が動かせた。
次に『帰還』へ触れてみる。
【地球へ帰還しますか?】
【YES/NO】
「ぁ、帰れるんだ」
帰れるのと帰れないのでは心持ちが全然違う。安心したと同時に、不意に現れた非日常に少しワクワクしてきた。
【所有物の取り寄せ】に触れてみる。
モニターが再び光る。
【取り寄せ可能な対象を表示します】
【大気】【海水】【淡水】【土壌】【砂】【岩石】【植物】【鉱物】【建造物】【乗り物】【日用品】【その他】
「……えぇ?」
壮大過ぎて訳がわからない。色々あって目が滑る。後からゆっくり考えよう。
そのまま【所持品】に触れる。
自宅アパートの中の私物が一覧となって表示される。
タンス。机。洋服。ノートパソコン。本。食器。靴。その他諸々。
ふと今の格好を見下ろす。会社帰りのスーツとパンプス、ビジネス鞄。山の中の格好じゃない。
クローゼットの中の地味な色のトレーナーと生成りのズボン、白のスニーカーを試しに選択し『取り寄せ』ボタンを押す。
白い光と共に、腕の中に品々が現れた。現れる場所はなんとなく感覚で指定できた、不思議だけど。
「すごい……本当に地球から取り寄せたんだ」
どこまでも続く木々の中、着替えを手に一人立つ自分。
それが妙におかしくて、思わず笑ってしまった。
「ふふっ」
妙に浮かれた気分で着替えた。念の為、周りを気にしながら巨木の陰で。
着替えた諸々は【一時置き場】触れると収納することが出来た
「便利すぎる」
ついでに布製のリュックサックも取り寄せた。
空では不自然だろうと未開封の水のペットボトルとタオルを放り込む。
「よし。こんな感じかな」
リュックを背負い改めて周りを見渡す。心地よい木漏れ日。聞こえるのは、葉が風に揺れる音。
「んーー」
念のため、この場所に何か目印を残しておこうかな。何かないかと【所持品】を開く。
「あ……」
その中から、傘を見つけた。
骨が一本折れていて、まともに開くことができないやつ。 処分しなきゃと思いながらも面倒で、ずっと玄関に置きっぱなしにしていた。
「これでいいや」
取り寄せ、力を込めて地面にぐりぐりと突き立てる。
……うん、まぁ……うん。
危険な生物がいるかもしれない。ここがどんな場所なのかも分からない。
でも異世界に来たのだ。地球から物を取り寄せることもできる。少しくらい冒険してみてもいいだろう。
「よし」
私はゆっくりと歩き出した。




