第12話 溶解する資産と塩柱
ドロンが散らした花火に咽び泣きながら、ゼニマルはさらに洞窟の奥へと進んだ。
洞窟の中間点──
通路の先から、鼻を突くツンとした強烈な酸の匂いが漂ってきた。
ランタンの光が前方を照らすと、そこには、洞窟の通路を完全に塞ぐ巨大な半透明の壁──「グランド・スライム」が待ち構えていた。
「ギチギチ……ギチ……」
その巨体は通路の天井から床までを隙間なく埋め尽くしており、自重で波打つたびに周囲の岩肌をジュウジュウと溶かしている。
「……おいおい、嘘だろ。なんだあのふざけた質量は……」
「うわっ、なんかすごい酸っぱい匂いがするね。服に匂いがついたら最悪だよ」
リッチーは嫌そうに鼻をつまみながら、全く危機感のない声で端末をいじり始める。
「馬鹿野郎! 匂いの問題じゃない! あんな巨大な酸の塊、斬れば剣が溶け、殴れば防具が溶ける……! まともに戦えば減価償却どころの騒ぎじゃないぞ!」
ゼニマルは震える手で、試しに「折れた剣の先」をそっと投げ込んだ。
剣先はスライムの表面に触れた瞬間、嫌な音を立てて白煙を上げ、一瞬で溶けて完全に消滅してしまった。
――ジュウウウウッ!
「あああ! 俺の貴重な剣先が!!!」
ゼニマルは洞窟の冷たい床に両手をつき、本気で泣き崩れた。
「ハジマリノマチの武器屋で拾ってから苦楽を共にしてきた、俺の最古の現物資産が! 柄がなくても切れ味抜群で、修理費ゼロの最強のコストパフォーマンスを誇っていたのに! 減価償却の概念すら超越した俺の資本が、100%の完全損失じゃないか!」
彼にとって、長年持ち歩いた物を失うことは、己の血肉を失うことに等しい。
「ちょっとゼニマル、汚い床に手をつかないでよ。ほら、君のガラクタの思い出話はいいから、早くあのでかいゼリーをどうにかしてよ。僕、このすっぱい匂いだけで肌荒れしそう」
リッチーの労りの欠片もない言葉に、ゼニマルは乱暴に涙を拭い、必死に頭を回転させた。物理攻撃は確実な赤字。魔法は使えない。迂回する道もない。
ならば、一切の接触を避けつつ、化学反応で無力化するしかない。
「……浸透圧だ! スライムの成分のほとんどは水分。大量の塩をぶち込んで、体内の水分を根こそぎ奪い取れば干からびるはずだ!」
ゼニマルはリッチーに振り返り、獲物を狙う猛禽類のような目で指示を出した。
「リッチー! 『塩』だ! お前の端末で大量の塩を注文しろ! 指定するのは『最下級・業務用粗塩』だ! 1キロ100Gの安いヤツでいい、とにかく質量で押し潰すんだ!」
「塩? いいね。……あ、でも待ってよゼニマル。業務用粗塩は安いけど、1トンも頼むと『重量超過』で配送料が10万Gもかかるって画面に出てるよ。商品代より送料が高いなんて、君がいつも言ってる『コスパが悪い』ってやつじゃない?」
「ぐっ……! まさかインフレ下における物流コストの高騰がこんなところにも……! 物流網の崩壊でトラック運転手でも不足しているのか!? だが、背に腹は代えられん! 10万G払ってでも……」
「だからさ、せっかくなら良いやつにしようかなって。えーっと、ナイル・セレクト……これだ。『王室御用達・深海一万メートルの奇跡』」
「……待て。今、なんと言った? 『深海一万メートルの奇跡』だと!?」
「うん。商品説明によると『伝説のドワーフが純金のピッケルで手掘りし、人魚の涙で精製した幻の岩塩』だって。お値段なんと1トンで100万G! しかもこれなら『プレミアム・貴族便』が適用されて、配送料が完全無料になるんだ! 送料タダだよ、圧倒的にお得でしょ?」
「ば、馬鹿か貴様ぁぁぁ!! 送料10万Gをケチるために、商品代に100万G払う奴がどこにいる!! 10万Gのコストを削るために90万Gの追加投資をするなんて、利益率の計算が根本から破綻してるだろうが!! 送料をケチって高級なものを買うな! 本末転倒だ!!」
ゼニマルが全力で止めに入ろうと飛び出した瞬間、リッチーの指先が軽やかに「注文確定」のボタンをタップした。
ズドォォォォン!! という洞窟全体を揺るがす凄まじい地響きと共に、最高級のシルクの袋に詰められた『1トンの超高級岩塩』が、スライムの頭上の空間から容赦なく降り注いだ。
「ギギィィィッ!?」
巨大な粘体が、純白の塩の圧倒的な質量の前に無惨に押し潰される。塩が強酸の体液に触れた瞬間、シュウウウウッ! と耳障りな蒸発音を立てながら激しく泡立ち始めた。
洞窟内に、強酸とミネラルが混ざり合った、硫黄のような異様な匂いが充満する。
「あああ……! 100万Gの塩が……! 庶民なら一生舐め続けられる最高級調味料が、ただのナメクジ駆除剤として消費されていく……!」
ゼニマルの血を吐くような叫びを余所に、巨大スライムは高級塩の山に水分を急激に吸い取られ、神々しい光を放ちながら「高級な塩辛」のような状態になって萎んでいく。
やがて断末魔の叫びを上げる間もなく、巨大な酸の壁は、ドロドロに溶けた体液と塩の山へと変わった。
「ほら、倒せたじゃないか。やっぱり『送料無料』は正義だね」
リッチーは満足げにうなずき、シルクのハンカチで優雅に鼻を覆う。
「ああっ……! もったいない! もったいないぞリッチー! 溶けたスライムに混ざった塩を回収しろ! 不純物を濾過して再結晶化させれば、まだ工業用の除雪剤か何かとして売れるはずだ!」
ゼニマルは、着ている麻の服が酸の飛沫で溶けるのも構わず、ドロドロになったスライムの残骸に突っ込んだ。
「熱っ! 痛っ! 酸で指先の皮膚が薄くなっている気がするが、HPが減る判定ギリギリの軽傷なら問題ない! 拾え! 1グラム1Gの資産だと思え! 少しでも赤字を補填するんだ!」
必死に「塩の結晶」を素手で掻き集めるゼニマルの姿は、もはや勇者ではなく、潮干狩りに命と資産を賭ける狂人のようだった。
「……君、本当に逞しいね。あ、最悪だ。僕の靴にスライムの跳ね返りが飛んできた。この特注の革靴、酸で少しだけシミになっちゃったよ。クリーニングに出すのも面倒だし……ナイル、新しい靴を特急で」
ピピッ、という無慈悲な電子音と共に、リッチーの足元に真新しい高級靴が転送される。10万Gの靴が一瞬の汚れでゴミとして使い捨てられた瞬間だった。
「……貴様ぁ……俺が酸にまみれて命がけで拾い集めたこの塩ひと握りで、いったい何Gになると思ってるんだ……。100万Gの塩と10万Gの靴を消費して、得られたのは500Gのスライムの核と、汚れた塩だけだぞ……」
超高級岩塩でスライムを駆逐し、手元に残ったのは「スライムの消化液まみれの塩ひと握り」
そして、永遠に失われた最古の相棒「折れた剣の先」
伝説の盾が眠る虚無の洞窟のゴールはすぐそこまで迫っていたが、ゼニマルの精神はもはや、あらゆる資産価値が理不尽に溶けて消える「虚無」そのものになりつつあった。
■贅沢勇者:リッチー
【所持金】9,957,410,620G
●本日の支出
高級岩塩(1トン) ── 100万G
新しい靴 ── 10万G
■節約勇者:ゼニマル
【HP】 9,999,999,879
【所持金】 100G
【装備】 銅の剣×90
【道具】 金の縄、消化液まみれの塩少々
【換金アイテム】合計時価総額──7,826G
●本日の収入
グランド・スライムの核 ── 500G
消化液まみれの塩少々
●本日の支出
折れた剣の先




