第一章 第二話 勇者の前に自称おかあさん登場
「「「きゃ〜〜! 」」」
光り輝く世界で黄色い歓声が、凱旋するオレと仲間達を包み込む。
「みんな落ち着いてくれ」
片手をサッと上げて、カッコよく鎮めようとしたが、
「「「……勇者様カッコいい!」」」
どうやら逆効果だったようだ。
神使族に岩石族、そしてヒューマンの美女達が、オレにまるでレーザービームのような熱い視線を送ってくる。
オレの一挙手一投足に、女性達の興奮のボルテージが上がっていくようだ。
ふふふ。これだよこれ! これこそが勇者であるオレの特権。
この世界を冥王の魔の手から救ったんだから当然の権利だよな!
「勇者様。結婚してー!」
「いえ、私と、私と結婚してください」
周りに集まる何百人という女性達からの求婚に、オレは目を閉じて両手を組み悦に浸っていた。
そんなに迫られたら断るなんて野暮。
「よぉし。みんなオレの嫁にしてやる……あれ?」
振り向くと、そこには誰もいなかった。
オレ達を囲んでいたはずの沢山の女性達はいなくなり、代わりに耳が痛くなるほどの静寂に囲まれていた。
何だこれ? まるで最初から誰もいなかったかみたいじゃないか。
気づくと、一緒に戦ってきた仲間達の影も形もない。
「みんなどこに行ったんだ? おい、どこ行ったんだよ!」
オレの声は暗闇に吸い込まれるように消えていき、誰からも返事はない。
無駄なことだと分かっても、冷え切った心を何とか温めようと、オレは自分の身体を抱きしめていた。
「……誰か、誰かいないのかよ。誰でもいいから答えてくれよ……あっ」
今にも泣きそうな声をあげながら、仲間の名前を呼ぼうとしたのだが……。
仲間の名前が思い出せない。
いや違う。この世界に来て仲間なんて呼べる存在は一人もいなかった。
四天王も冥王も全部一人で倒したんだ。
オレは光の刺さない暗闇の中でうずくまる。
「もう嫌だ。こんな世界に居たくない。誰か誰か助けて……オレを、ボクを一人にしないでよぉぉぉぉ!」
喉が痛くなるほど大声出しても誰も答えてくれない。
分かっているさ。これは夢だって。
でも、まだ夢の中の方がマシだ。
目を覚ましても、嫌な現実が扉を開け放してオレを待ち構えているだけなんだから。
「誰でもいいから答えてくれよ!」
せめて、せめて夢の中ぐらい幸せな気分に浸らせてくれよ!
「……さんはずっと一緒にいますよ。ユーちゃん」
「えっ?」
今、誰かがオレの名前を呼んだ? いったい誰が? そう考えた途端、オレの意識は夢の世界からフワリと浮かび上がっていた。
目を開けたオレの視界に、見覚えのある埃だらけの天井が見える。
見覚えがあって当然。何故ならここはオレの部屋だからだ。
「……やっぱり夢だったか。現実が最悪だと、見る夢も胸糞悪い」
ベッドの上で上半身を起こしたオレは、夢の内容を振り払うように何度か頭を思いっきり振る。
それに釣られて一度も切っていない伸び放題の髪の毛先がオレの顔をチクチクと刺す。
まるで早く切れと、催促するようだが、オレはそれを無視して周りに目を向けた。
一言で言えばオレの部屋は汚い。
開ける必要がない鎧戸の隙間から、差し込む日差しに照らされるのは、埃が舞い散りゴミがうず高く積みあがった部屋。
この状態になってから、もう何百年経ったんだろう?
ベッド以外に何もなかった部屋には、一体どこから入ってきたのか、正体不明のゴミが占拠している状態だ。
そんな部屋を見ても、掃除する気などさらさら起きないオレだった。
だってここは家じゃなくて牢屋。そしてオレは囚われた囚人。
自分から進んで牢獄の掃除する囚人なんていやしない。
「寝るか……」
誰も聞いてないのは分かっていても、つい声を出してしまう。
天井に家主のいない埃まみれの蜘蛛の巣が張っている。
この建物の出入り口は固く閉じられているのにどこから入ったんだろう?
まあ、どうでもいいや。
オレは考えることを放棄して、勢いよく枕に頭を沈めると、ベッドの上に積もっていた埃が爆発したみたいに舞い散った。
けれど何の問題もない。一日中どころか、一年中埃を吸い込んだって、勇者の力のおかげで病気にならないしな。
一日中寝てても怒られないんだ。ホント勇者って最高の職業だぜ……。
そう思った途端、目から何故か暖かい水が流れてきた。
「 チッ、目にゴミ入ったじゃないかよ。あーもう寝よ寝よ」
オレは目を閉じる。そのまますぐに夢の世界への扉が開かれるはずだったが……。
「……おかしいな」
眠くない。どうしてだ?
いつもなら、例え一ヶ月ずっと寝た後でも、目を閉じれば三秒で眠れる特技を手に入れたこのオレが眠れない。
何度か寝返りを打ってみるが、全然眠気がこない。
眠気さん。早く来てくださいよ。少しでもいい夢見る事ぐらいしかやることないんだから。
そんな事思っても、全く眠気なんてやって来ない。
「うーん。どうするか」
本当に困った。やる事がない。この数百年ずっと寝ていたオレにとって、他にすることなんて何もないのだ。
本当だったら睡眠も必要ないのだが、やる事がないのでしょうがなく寝ているのだ。
それにしても眠くならない。このまま、ゴロゴロしていつの間にか百年過ぎていた、とかは勘弁して欲しいのだが……。
寝れずに寝返りを打ち続けると、突然澄んだ鐘のような音が聞こえてきた。
「……?」
ここに連れてこられてから、誰も使った事ないチャイムが今初めて産ぶ声を上げたようだ。
誰か来たのか? いや違うな。雪か何かがぶつかって誤作動したんだろう。
そんなことを思っている間も、チャイムは「早く出ろ」と急かすように鳴り続ける。
「うるさいな。オレは寝ることに忙しいんだ」
チャイムが鳴る。
「いません。いませんよー」
音が止んだ。
「いないって……おっ、やっと止まったか。全くしつこいんだよ」
りんりんと喧しく鳴っていたチャイムが鳴り止み、再びオレは眠る作業に集中しようとした矢先。
突然下で何かが爆発したような音が轟いた。
まるで城門が破城槌で破られたような音みたいだったぞ。
「何だよいったい……?」
先程のチャイムとは比較にならない騒音、いや轟音に驚いて、オレはベッドの傍らのゴミ山に落っこちた。
「くそ。まさか冥王の残党? それとも人間か!」
魔物でも人間でも、どっちにしてもまずい。オレはどちらからも憎まれ疎まれている。
捕まったら最後、赤子の手をひねるようにオレは簡単に殺されてしまうだろう。
何故なら、首輪のせいで見た目通り子供と同じ力しか出せないからだ。
オレは部屋から出るために、必死になってゴミを掻き分ける。
錆びついた両手のブレスレットに一瞬視線を送った。
これが使えたら怖いモノなんてないのに!
扉を塞ぐように溜まっていたゴミを必死にどかし、長い事閉めっぱなしだった扉を開けると、冷気がオレの全身を撫でる。
下の扉が破壊された為に、外の冷たい空気が入って来たようだ。
よく聞くと、唸る風の声に混じって、誰かが階段を上がってくる音が聞こえてくる。
しかも段々と大きくなっていた。それが意味するものはひとつ。
扉を破壊した奴がこっちに上ってきているのだ。
「くそ。どこに逃げる? 階段はもう使えない。ここから脱出するには……」
オレは部屋にある窓に目を向けた。
封じられた窓だが、何度もぶつかれば破れるかもしれない。
オレはすぐさま来た道を戻ろうとすると……。
「ユーちゃん?」
ん? ユーちゃん? 誰のこと言ってるんだ?
それは鼓膜を優しく震わせる女性の声で、オレは逃げるのをやめて思わず声がした方を振り向いてしまった。
「だ、誰……えっ?」
振り向いたら言葉に詰まる光景がそこにはあった。
女の人だ。ピンクのワンピースに驚くほど白い割烹着を着たまるで地球人のような格好の女性。
けれど、肩まで伸びたふわふわの黒髪から突き出るのは後頭部に向かって伸びる金色の二本の角と、太陽のような黄金の瞳。
人間じゃない?
初対面の女性がオレを見て泣いている。
ただ悲しいから泣いているようには見えない。まるで長い事離れ離れで、やっと再開できた事を喜ぶ母親のように見えた。
「やっと、やっと会えた。ユーちゃんはあの時と全然変わらないのね」
女性は両手を大きく広げて、体当たりするような勢いでこっちに近づいてくる。
オレは半ばパニック状態で、反応が一瞬遅れた。
「ちょっと待て、あんた誰――うぷっ」
喋り終わる前に、オレの顔はとても柔らかいものにポヨンと埋まる。
……何これあったかくてほんのりといい匂いがして、それにめちゃくちゃ柔らかい!
何これ何これ何これ何これ……?
後頭部を固定しているのは、柔らかさの中に硬さのある棒のようなものが二本。感触からして恐らく両腕だろう。
じゃあ、オレの顔面にあるこのとんでもなく柔らかいものは……。
何とか目線を上に向けると、こちらを愛おしそうに見つめる女性と目があった。
つまり、オレは彼女の胸に顔を埋めらているのか?
「スンスン、んー?」
頭の上で何かしているようだが、今はそんな事どうでも良かった。
オレは全身が熱くなるのを感じた。特に下腹部のあたりが異様に熱を持っている。
こ、これは不味い!
どうにか逃れようとしたが、女性の身体はどこも柔らかいのに華奢で、突き飛ばしたら壊してしまいそう。
頭を固定している腕を掴むと、彼女の方が何かに気づいたようだ。
「あらまあ、ごめんなさい。息苦しかったわよね」
理由は違うが、女性はオレの頭を解放してくれた。
「ぷはあっ」
良かった。後数秒遅かったら、とんでもない事態になるところだ。
オレは少し前屈みのまま後ろに下がると、頭の中で呪文を唱えた。
鎮まれ鎮まれ鎮まれぇぇぇ。
呪文の効果か、下腹部の熱が治まってくる。
「ふう〜〜」
オレは額の汗を拭って一息つく。安堵したのもつかの間。
「お顔が真っ赤よ。熱でもあるの?」
見るからに柔らかそうな掌がこっちに伸びてきたので慌てて避ける。
冥王との戦いでも出さなかった超反応で、迫る右手を避けた。
「熱なんてないから!」
今のオレにとっては手でさえ色々な意味で致命傷になりかねない。
「そう、なら良いんだけど……」
手を避けられたからか、女性はとても悲しそうに顔を伏せる。
何なんだよこの人、突然来て調子狂うな。
「その首輪」
顔を上げた女性は、今度はオレの首輪に視線を注ぐ。
「そんな不快な物、おかあさんが取ってあげます」
「何言って……」
取れるわけないだろう。と言おうとしたが、素早く伸びた彼女の両手が首輪に触れる。
今度は避ける間もなかった。
「離せ――」
「動かないで」
少し強い口調にオレは動けなくなる。
「すぐ済みますからね」
オレの目を真っ直ぐ見ながら微笑んで来た。
「…………」
不覚にも、その花のような笑顔に見惚れていた間に、パキンと首のあたりから音が聞こえて来た。
直後何か金属の塊が床に落ちる音が続く。
「はい。取れましたよ」
「取れ、てる?」
頭を下に向ける。
オレの首を長い事締め付けていた忌々しい首輪が煙を上げて落ちていた。
両手の鯖まみれの腕輪も元の輝きを取り戻しているじゃないか!
これで力が使える。オレをこんなところに閉じ込めた奴らに復讐できる。
マズハメノマエノオンナカラ。
オレのそんな昏い考えは彼女の少し悲しみを内包した笑顔によって霧散した。
「こんなに赤くなってしまって可哀想に、ちょっと動かないでね」
彼女の細い指が、首輪のせいで熱を持っていたところに触れる。
すると、吸い取られるかのように熱が引いていく。
「これでよし」
「あっ」
指が離れても、首の皮膚に彼女の感触がしばらく残っていた。
不覚にも、もっと触れていて欲しいと思ってしまう馬鹿な自分がいた。
「ユーちゃん」
「オレの事をちゃん付けで呼ぶ……」
「彼等に復讐したい?」
「はぁ?」
彼等に復讐? 一体何言ってるんだ。
「貴方にこんな酷い仕打ちをしたヒトをどう思ってるの?」
「どう思うってそれは……」
言葉に出そうとした途端、触れたものを殺す猛毒のヘドロのような殺意が内から溢れ出そうとしてくる。
すぐさま自分の口を抑える。今口を開いたらオレは言葉だけで人を殺せる自信があった。
「恨んでいるのね?」
「…………」
顔を背けて表情を隠すが、心の中は丸見えのようだ。
「答えなくてもいいわ。おかあさんには分かっているから。ユーちゃんがどれだけ彼等を恨んでいるか……」
なんだよそれ。なんで初対面のあんたにそんなこと分かるんだよ。
「……おかあさんは子供の事はなんでも分かるのよ」
その言葉はオレの心の声に答えるようだった。
オレが口を開くまで、彼女も口をつぐむ。
聞こえて来るのは階下から入ってくる風の音だけ。
「恨んでるに決まってるじゃないか!」
口を開いてしまったらもう、体内に溜まっていた恨みつらみが堰を切ったように溢れ出すのを止められなかった。
いや止める気がなかったというのが正しいか。
「オレは勝手に身体を作り変えられて、半ば無理矢理この世界に連れてこられたんだぞ!」
オレが胸の奥に溜まったものを吐き出している間、目の前の女性は何も言わずに相槌を打っていた。
「この世界に来てみれば、周りから白い目で見られて、魔物を倒せば倒すほど、この世界の人間はオレの事を魔物を見る時と同じ目で見てくるんだ!」
相槌を打つ彼女の右眼から一粒の雫が落ちる。
それを見てやばいと思った。自分の視界が水の膜を張ったようにぼやけてきたからだ。
でも構うもんか!
「挙げ句の果てに……挙げ句の果てには冥王を倒してこの世界を救ったのに、感謝もされず気づいたらここに閉じ込められた! そんな奴らを許せるものか!」
オレは声が枯れるのも構わずに、長いこと出していなかった大声を出し続ける。
そのせいで喉がヒリヒリして咳が出たが、不思議と胸の中のモヤモヤした感覚は少し晴れていることに気づく。
彼女が口を開く。
「彼等をどうしたい? 復讐したい? ユーちゃんがそうしたいならおかあさんも……手を貸すわ」
そう言って、オレの両肩に優しく手を置いてくる。その手は微かに震えていた。
「選んで。貴方はどうしたいの?」
「オレは……」
ギュッと強く強く拳を握り締める。爪が食い込んでいるのがハッキリと分かったが、それでも力を込めて握り締める。
「……復讐はしない」
握りこぶしを作ったまま、オレは彼女の質問に答える。
「しないの?」
意外そうな彼女の問い掛けにしっかりと頷く。
「しないよ。確かに持っている力で、簡単にできるだろうけど、そんな事しても気持ちは晴れない。だからしない。けれど彼等が嫌いなのは変わらない」
そうだ。そんな事をしても何の意味もないんだ。けれどそれで納得なんて出来ないけどな。
「……良かったぁ」
オレが復讐しないと知って、彼女は自らの豊かな胸に手を置いてホッと息を吐く。
「良かったって?」
「ええ。ユーちゃんが「復讐したい」なんて言うはずないっておかあさん信じてたから」
「もし、そう言ってたらどうする気だったんだよ」
「例えユーちゃんに嫌われてでも全力で止めます」
その口調はとても力強く、どんな力でも壊れない伝説の鎧のような確かな意思を感じさせた。
「おかあさんは、そんな事絶対にさせません。必死に説得してみせます」
「それでも、復讐しようとしたら?」
彼女は自分の掌を俺に見せる。
「やりたくないけど、実力行使です」
ビンタか?
「おしりペンペンです」
予想と違う答えを言いながら手を勢いよく振る。鋭い風切り音が聞こえてきて、とても冗談には思えない。
叩かれたところは真っ赤に腫れているだろうなと容易に想像できた。
「だから良かった」
「えっ、わぁっ」
ギュッと、抱きしめられてしまった。温かくて柔らかくて、無意識にいい匂いを肺一杯に吸い込んでしまう。
「ユーちゃんが最悪の選択しないでくれて良かったぁ」
まるで我が子を慈しむかのように、頭を撫でてくる。
「おかあさん本当に嬉しいわ」
しなやかな指に撫でられるたびに、直ぐにでも消したいのに、油性マジックの文字のように中々消えない嫌な記憶が薄れていくようだった。
オレは「離れて」と口を動かそうとするが、身体どころか脳さえ、その命令を拒否する。
素性も知らず、角が生えた女性に抱きつかれているのに、不思議と恐怖よりもずっとこうされたいと思ってしまうほど心地よかった。
柔らかい彼女の身体がオレから離れていく。
「さあ、ユーちゃん」
離れた彼女はパンと手を叩くと、少し首を傾けながら笑顔でこんな事を言ったんだ。
「お風呂に入りましょう」
「はい? お風呂に入る?」
彼女はニコニコしながら何度も頷いた。
「ええ。さあ行きましょう」
オレの右腕を握って下に連れて行こうとする。
振りほどこうとしたが、そのほっそりとした腕からは想像もできない力でオレの抵抗は無意味だった。
「待てよ。なんで急にお風呂なんて言い出すんだよ」
こっちを振り向いた彼女の顔は、何だかとても言いにくそうな顔をしている。
「……とっても言いにくいんだけどね」
そう言うと顔を近づけてくる。ふんわりとした黒髪から、シャンプーのようなどこかで嗅いだことのある香りが漂ってきた。
「スンスン……」
何をするのかと思ったらオレの頭に顔を寄せて、匂いを嗅がれてる?
「もう長い事お風呂入ってないでしょ?」
その一言で察した。途端に頰が熱くなる。
「身体、綺麗にしましょ」
オレは母親に手を引かれる幼児のように一緒に階段を降りていく。
恥ずかしすぎて、何も反論できなかった。
「お風呂場はここね」
彼女はオレの手を引いたまま、脱衣所の扉を開けた。
「あらまあ……これは」
そんな素っ頓狂な声をあげると、オレの手を離して一人で大浴場の扉を開けて、
「あらあらまあ」
またそんな声が聞こえてきた。どうやら何かに驚いたりするとつい出てしまう口癖みたいのようだ。
そんな事を考えていると、彼女が困惑した顔でこっちに戻ってくる。
「困ったわ」
頬に手を当てながら「んー」と何か考え事をしているようだ。
「何が困ったんだよ?」
「それがね。お風呂が汚れちゃってて、このまま入ったらもっとばっちくなっちゃうわ。かといって今からお掃除するのもかなり時間がかかりそう。一刻も早くユーちゃんの身体を綺麗にしたいのに……」
そりゃそうだ。オレがここに閉じ込められてから風呂なんて一度も利用してないし、ましてや洗った覚えなんてないからさぞ汚れまみれになってる事だろう。
こりゃ風呂に入らないで済みそうだ。
「そうだわ!」
彼女は何かを閃いたのか人差し指を立てる。その頭上に光る電球が見えたのは気のせいだろうか。
「ユーちゃんこっちへ」
「ど、どこ行くんだよ」
オレは再び手を引かれて階段を降りる。ここ以外にお風呂場なんてないんだけど。
相変わらず手を引かれながら、下層へ降りて行くと、黒い階段が白く染まっていることに気づく。
それと同時に風の唸りも大きくなってきた。
後、猛烈に寒いんだが……。
勇者の力を待ってしても寒いものは寒い。
白く染まった階段に足を乗せると、サクサクと小さな粒の塊を踏みしめるような音が聴こえる。
それは雪だ。
今のオレは素足なので、白い結晶の塊を踏むたびに、凍えるほどの冷たさが足から登って来る。
しかも階段だけではない。下層の床一面を雪が埋め尽くしているのだ。
見るとリビングのテーブルまで雪化粧しているじゃないか。
「どうしてこんなことに……」
「あらあらまあまあ! 大変、忘れてたわ」
彼女は大きく開けた口に手を当てている。今の状態を見てオレよりも驚いているようだ。
「ちょっと待てよ。扉がなくなってるけど」
オレは外からの外気の侵入を防いでいたの両開きの扉があったはずの場所を指差す。
片方の扉は無くなり、猛吹雪によって大量の雪が建物内になだれ込んでいたのだ。
「あんた一体何したんだよ!」
オレはこの事態を引き起こしたであろう張本人を睨みつける。
「ごめんね。呼び鈴鳴らしても反応ないから、心配になって中に入ろうとしたら扉が開かなかったの」
彼女は両手を合わせて謝罪してきた。
そりゃそうだ。オレが出られないように封じられていたはずだからな。
「だからちょっと力を込めたら鍵どころか、扉も外れちゃって……」
「はい?」
ちょっと力を込めたら扉って外れるものか……それよりも!
「寒い! 寒いんだけど!」
オレはたった数分で頭に積もった雪を振り払う。
「 待ってて。今おかあさんがなんとかするから。ね」
彼女は小走りで玄関まで駆け寄ると、雪で積もった床に手を突っ込む。
「あったわ」
探していたのは、自分で破壊した扉のようだ。
何をしようとしているのか。それを持って開けっ放しの玄関に近づいて、
「えい!」
そんな掛け声と共に扉を壁に押し付ける。
ミシミシと何か軋むような音がして、扉が壁にめり込んでいた。
「ふう。応急処置はこれでいいかしらね」
一応外の雪は入らなくなったが、扉としてはもう使い物にならないのでは?
「後は、部屋の雪をなんとかしないと……でもその前に」
自らオレの母と名乗る女性は、オレの方に近づいて顔を覗き込んで来た。
「な、何だよ」
「先にお風呂を作らないといけないわね」
卵を扱うかのように、オレの頰は彼女の両手に包まれる。
「こんなに冷えちゃって、風邪ひいてしまうわ」
不思議だ。さっき触られた時はあんなにひんやりしてたはずなのに、今はぬくぬくと温かかい。
「オレは風邪引かないから、風呂なんて入らなくて――」
「駄目です」
あっさりとオレの反論は止められてしまった。
「いくら勇者の力を持っていても、身体がばっちいままは駄目です。それに身体がすごい冷たいわ。今すぐにでも温めないと」
身体が冷たいのはあなたのせいだと思うのですが。
彼女はまたオレの手を引いて歩きだす。今度はどこに行くのかと思いきや、ついさっきまで大きく口を開けていた玄関だ。
「えっ外出るの?」
玄関のわずかに空いた隙間からは雪が中に飛び込み、人を簡単に吹き飛ばせそうな風の音が建物の中なのに轟々と聞こえてくる。
「そうよ」
「まさか……」
殺す気か? とは怖くて聞けなかった。
「大丈夫寒いのは一瞬よ」
彼女は壊れた方では無く、まだ使える扉のノブに手を掛け、躊躇わずに開く。
「ぶひゃ」
激しい風圧と雪が容赦なくオレの全身に襲いかかってくる。
隣を見ると彼女は笑顔だった。その笑顔に風はひれ伏すかのように避け、雪は触れる寸前で溶けていく。
まるで太陽のような笑顔だ。
「あらまあ、頭にいっぱい積もってるわよ」
視線に気づいたのか、彼女はこちらを優しい視線を送り「すぐ温かくなるからね」と言いながら頭についた雪を払ってくれる。
「あったかくなるってどういうことだよ」
激しい風に負けないように大声で尋ねると、彼女は微笑みながら自分の口元に手を添えた。
「ふう〜〜〜〜」
何するのかと思ったら息を吹いている。
風神じゃないんだから、そんなことしても無意味だろ……って、嘘だろ!
オレの見ている前で、風は裂け、舞い散る粉雪は次々と消滅していく。
視線を下に向けると、降り積もって硬くなっていた雪が見る見るうちに溶けていくじゃないか。
オレの手を握ったまま、彼女は文字通り片手間に雪を溶かして道を作ってしまったのだ。
「これで通路は完成ね。ちょっとここで待っててね」
オレを吐息の通路の中に連れていくとそこで待つように言ってから、彼女は一人歩いていく。
恐ろしい事に建物の中より温かい。
雪と風は相変わらず荒れ狂っているのに、オレが立っているところには、四方に見えない壁があって雪風の侵入を拒んでいた。
「ところで、あの人は何やろうとしてんだ」
一人歩いて行った彼女はしばらく進んであるところで止まる。
そこは雪が一段と高く積もっているところだ。
「ふう〜〜〜」
まただ。通路を作った時と同じ様に雪に息を吹きかけている。
よく見ると、彼女の口から何か出ている? あれは、炎、そう真っ白な炎だ。
そこでバチっとオレの脳がスパークする。
何だろう。あの炎どこかで見たことある様な気がする。
けれど思い出せない。どこで見たんだっけ?
思い出そうとしても意識を集中できない。何故なら目の前の光景が凄すぎるから。
「えいっ。それっ。ほいほいっと」
彼女はそんな楽しそうな声を出しながら、雪遊びをしていたのだ。
積もった雪に手を入れて取り出すと、その手に持つのは彼女の頭より大きな雪塊だ。
それをポンポンと放り投げていく。
「何遊んでんだよ!」
彼女の吐息の温もりが弱くなってきてるのか、段々と寒くなってきたので、身体を温める為に両の二の腕を擦る。
「これで完成。おいでおいで」
手招きするなよ。オレは子供じゃないんだぞ。
と心の中でボヤきながら、渋々彼女の元へ歩いていく。
「いったい何してたんだよ」
「これを作ってたの。かまくらよ。知ってるかしら?」
「かまくら?」
そこにあったのは、雪で出来た頭頂部に緩やかな丸みのあるドーム。
「……かまくらだ」
何故日本のかまくらのことを知ってるんだ?
そんな疑問を口に出す前に押し込まれてしまった。
「ほら寒くなってきたわ。早く入って」
かまくらの中は人一人が立って入れる広さでぼんやりと明るい。
「見ててね」
くるりとオレに背中を見せると、また息を「ふう〜」と吹く。
吐息とともに白い炎が雪を瞬時に溶かし、そこに大きな水溜り、違う水は湯気は出さない。
「お湯溜まり? ってなんだそりゃ」
自分で言っておきながら、ついツッコミを入れてしまった。
でもそれ以外に適当な言葉といえば……。
「温泉」
「さあ入って。おかあさんの愛情たっぷり入れたから、あったまるわよ」
「は、はあ」
愛情云々はともかく、豊かな湯気を立てるお湯はとても温かさそうで今すぐにも飛び込みたい衝動に駆られるが、一つ問題があった。
「脱衣所は?」
「え?」
「え? じゃなくて脱衣所。服を脱がないと入れないんだけど」
この寒い中、涼しい顔をしていた彼女の、額から頰に掛けて一筋の汗が流れ落ちる。
これは、考えてなかったのか?
「脱衣所……脱衣、そう。そこで脱いでいいわ」
両手で今オレが入っているかまくらを指す。
「ここで、いや入り口空いてるから丸見えなんだけど」
「それは大丈夫よ。おかあさんが壁になるから」
かまくらの入り口に生きた扉が出来上がる。
「さあユーちゃん。これでなんの問題もなくなったわ。チラッチラッ」
「いや脱げないよ」
「大丈夫。おかあさんが変な人いないかちゃんと見張ってますから。チラッチラッ」
「そういうあんたも、オレからしたら変な人の一人なんだよ!」
「ええー!」
「『ええー! 』じゃないよ。わざとらしい。さっきからこっち見てるじゃないか」
「そ、そんな事ないわよ。チラッ……子供の成長を見るのもおかあさんの務め」
口では誤魔化してるつもりでも、首を僅かに後ろに向けて、金色の瞳がこちらを見ている事はバレバレ。
しかも、ご丁寧に自分で『チラッ』とか言ってるし。どんだけ嘘つくの下手なんだよ。
後、心の声が漏れてるから。
「でもでも、子供の成長を知る事はおかあさんにとって大切な仕事のひとつなのよ」
「オレはあんたの子供じゃない」
彼女の言ってる事は母親としては正しいのかもしれないが、オレ達は赤の他人なのだ。
「……ごめんね」
オレの拒否の言葉がかなりのダメージを与えてしまったのか、すごくしょんぼりした顔をしている。
まるで、オレが悪者みたいじゃないかよ。
「ユーちゃん。これならいいかしら?」
次に彼女が用意したのは入り口を覆い尽くすほどの雪柱だった。
一見すると出入口を塞がれたように見えるが、左右には隙間が空いている。
これなら、外から覗かれる心配もなく、出入口としても使えるだろう。
「やれば……」
やれば出来るじゃん。 そう言おうとしたけど、なんか上から目線な言い方だと思って途中で止める。
「ん? ユーちゃん。なんて言ったの?」
聞き返してくるなよな。
「……なんも言ってない。服脱ぐから覗くなよ」
「はーい。そうだ脱いだ服はこの籠に入れて中に置いといてくれる?」
彼女は木で編んだと思われる籠をオレに手渡してきた。
「置いておけばいいんだな?」
「ええ。よろしくね」
そう言い残して彼女の気配が消えた。もしかしたら覗かれてると思ってしばらく辺りを窺うが、湯気の立つ温泉が気になってそんな事どうでもよくなってきてしまった。
「も、もういなくなったみたいだな」
一人で納得し、手早く服を脱いで渡された籠に入れ――中には手拭いと大きめのバスタオルが入っていた――出来る限り体温を奪われないように素早くかつ慎重に湯船に向かう。
最初にお湯に入った時は、ピリッと電気のような熱さが走ったが、それも最初だけですぐに心地よい温かさに変わった。
「おっ、おおぉぉぉぉ」
湯船に全身を入れると、冷え切った身体が温められる気持ち良さに思わず変な声が出てしまった。
恥ずっ! 聞かれてないよな?
辺りを見回すも、自称おかあさんの姿はない。
「ふうー」
はあ、お風呂なんて本当どれくらいだろう? 地球にいた時も殆どシャワーだったから、すげえ気持ちいい。
このまま寝てしまいたいくらいだ。
「ユーちゃん。寝ちゃダメ」
「うわっ」
そんなウトウトした気分を射竦めるような声が聞こえてきた。
「えっ、今の声は……」
女性の声からして一人しかいないのだが、辺りには人影は見当たらない。
しかし湯気で視界を遮られているので、もしかしたら案外近くにいるのか?
「お風呂場で寝てはダメよ。大変なことになっちゃうわ」
「寝てない。寝てないよ!」
「そう。ならいいのよ。ちゃんと肩まで浸かって百数えてから出てきてね」
何処にいるのか分からないけど、的確にこちらが見えているようだ。
「オレはガキじゃねえ。って、何でそんなこと知ってるんだよ」
「それは落ち着いてから話すわ。今はゆっくり温まってね」
その言葉を最後に気配が消えた。
「おい答えろよ。くそ、いなくなった」
一、二、三……。
一体あの人何者だよ。地球人なのか? でも頭に角が生えてる人間なんていなかったはずなんだがなぁ。
…… 九十八、九十九、百。
ああ、百まで数えちゃったし、ちゃんと肩まで浸かっちゃったし。
何やってんだオレ。
お風呂で温められたと違う意味で、顔が熱くなって来た。
「お帰りなさいユーちゃん」
彼女はまるで何年も一緒にいるかのような慣れた感じでオレを出迎える。
「ああ」
お帰りなさいって、さっきの場所はここから目と鼻の先だぞ。
「いい湯だった?」
「ああ」
「それは良かった」
「オレが来てた服は?」
お風呂に入る前に来てた絶対守護の服はオレの手元にはない。
風呂から上がると新しいシャツとズボンが置かれていたのだ。
何の変哲も無いただの服だったが、驚いた事にサイズぴったりだったのだ。
何処で手に入れたのか尋ねても「ふふ。後でね」と可愛く口元に指を立てるだけだ。
「その服の着心地はどうかしら。チクチクしたりしないかしら」
「肌触りもいいし、偶然かな。サイズも測ったようにピッタリだよ」
まるで日本のお店で売られていたみたいだ。
「良かったわ」
そんな嬉しそうな顔して、褒めたわけじゃないんだけどな。
「さてさて」
「何だ?」
ニコニコしながら彼女はこっちに近づいてくると、ギュッと。
「うわっ」
「うん綺麗になったわね」
また抱きつかれてしまった。しかも髪の毛撫でてきてくすぐったい!
「嫌な臭いもしないし、綺麗綺麗……でも、そうね」
一度離れると、彼女は細い顎に手を添えて何か考え事。
「うん。ユーちゃん。綺麗になったついでに髪の毛切りましょうか?」
「誰が切るんだよ?」
「おかあさんが切ってあげるわ」
「えっいいです」
「そんなこと言わないの。さあ座って座って」
「いや、いいから」
風呂に入ってる間にリビングを埋め尽くしていた雪は消え、オレはそこにある椅子の一つに座らされる。
何処からか床屋で使うようなポンチョ――確かクロスという名前――でオレの全身を覆い、光を反射して煌めくハサミを取り出した。
頭の上で刃同士が擦れる音が響いてオレは思わずビクンとしてしまう。
「ごめんなさい。嫌な音だったかしら?」
「大丈夫。後、髪切らなくて大丈夫なんだけど」
「だーめ。だって目が隠れるほど伸びてるのよ。これじゃ見にくいでしょ。おかあさんに任せて、とってもカッコよくして見せるわ!」
なぜ人の髪の毛を切るのにそんな気合いを入れるのか?
彼女はオレの伸び放題の髪を一房手に取りハサミを入れる。
もしかしたら、ハサミで首を切られるかもしれない。そんな馬鹿らしい考えを一瞬抱いたが、彼女に触れられた途端、その恐怖は何処かに消えていってしまった。
「ユーちゃんの髪、サラッサラ。ずっと触っていたいわ」
「そりゃどうも……」
耳が熱い。赤くなってるのバレてなきゃいいんだけど。
ショキショキ。
何の淀みもなくハサミが動くたびに、オレの無駄に伸びて、手入れもしないで枝毛だらけの髪が落ち、布を滑り降りていく。
ショキショキショキン。
ハサミが動いていくたびに、小気味いい金属音が静かな部屋の中に響き渡る。
ショッキショッキ、ショッキショキン。
まるで音楽のようにリズムを刻みながら、軽やかにハサミが動く。
じっとしてるからか。だんだんと瞼が重くなってくる。
寝ちゃだめだ。正体不明の女性がいるのに無防備な姿を晒したら、どうなるか分かったもんじゃないぞ!
「ユーちゃん。眠かったら、寝ちゃってもいいからね」
こちらの心を読んだかのような、彼女の言葉が耳に入った途端、オレの緊張の糸はプッツリと切れる。
そして昔の記憶を夢に見るのだった。




