ニーナ大はしゃぎ
次元のぐにゃぐにゃしたした回廊を、魔女の三人と一匹のぺスが歩いていた。
ニーナとちびっこ魔女さん、師匠とペスで猫派の魔女たちがつくったという猫界隈に向かっているのだ。リューやキマイラではただの足手まといなので、置いていくことに決定した。
というか、あんまり大勢で押しかけてにゃんこを刺激したくないというニーナの判断だ。ぶっちゃけ師匠さんも置いていきたかったのだが、ペスを連れていきたかったのでしぶしぶ同行を許したのだ。
「着きました、ニーナちゃん。ここが猫界隈の境界線です」
「ここ、ですか」
ニーナたちの目の前には、次元を断裂するかのように編み込まれた光の帯だった。果てが見えないほど巨大な隔たり。そこから先は、何も見えない。
しかし境界線という割には進む先がない。師匠さんが無警戒にペタペタとそれに触った。
「ふーん。これ、結界? 随分と力込められてるね」
「まあ、猫派が猫を守るためだけにつくった世界を維持のするための結界だからな。そりゃ全力を尽くすよ」
今でこそ隠遁しているが、猫派は魔女の一大派閥とされている犬派と伍する勢力があるのだ。その魔女たちが揃いも揃ってマジになってつくりあげた結界である。ぶっちゃけ、やり過ぎなくらいの代物だった。
ニーナは真剣な表情と隠せぬ期待を込めて、じっと結界を見る。
「この先に、猫がいるんですね」
「はい、そうです」
「境界線と言ってましたが、入るところはどこですか」
ニーナの問いに、ちびっこ魔女さんの表情に影が落ちる。
「ニーナちゃん。猫派閥は三百年近くこもりっきりです。地上の全ネコ科を保護した後、結界を閉じて円環をつくりあげました。つまり、出入口はありません」
魔女の猫派閥とはすなわち猫さえいればそれが人生という奴らの集まりだった。脳みそを猫で完結させた連中が、猫の溢れる世界に出入り口などつくるはずもない。
「なので、何とか突破する必要があります。これは猫派の魔女たちが総力を結集して創った結界で、そう簡単には――」
「うーん、味はいまいちだね」
「――なに食ってんだお前ぇ!?」
師匠さんが素手で結界をはがして口に運び、スナック感覚でぽりぽりと食べていた。
ちびっ子魔女さんは師匠さんの奇行に目をむいて怒鳴りつける。
「ぺっ、ってしろ! ほら、ぺって! あ、バカ噛み砕くな! ああ!? 飲み込むなぁ!」
「いや、だって目の前に魔力の塊があるんだもん。ここまで来るのに結構歩いたし、小腹が空いて、つい」
「つい、じゃねえよ! お前はしつけのなってない犬か!? 『王侯』を見習えよ!」
師匠さんの使い魔のペスは拾い食いなんてお行儀の悪いことはせず、きちっと待機をしている。ちゃんとしたご飯以外は口に着けない賢い大型犬がペスだ。
一方お預けを食らった師匠はやや不満そうにしつつも、結界を食べる手を止めた。
「まあいっか。あんまりおいしくないし。で、この結界どうするの? 食べきるには、ちょっと量が多いかな」
「そうですね。ちょっとペスのリードをください」
「ん? いいよ」
味の問題でも量の問題でもねえと半眼で師匠さんをにらむちびっ子魔女さんをよそに、ニーナはひょいっとペスのリードを握る。
「ペス」
「わふっ」
一声呼びかけ、意思を通じ合わせる。
リードを通じて、魔力が流れ込む。ニーナの魔力を受け止めて、ペスの力が増大する。その力の総量は、ちびっ子魔女さんでは計り知れないほどだ。
ニーナは結界を指差し、ペスに告げる。
「穿て――『王犬親授』」
なんかカッコいい雰囲気を出した技名。
ニーナの魔力で強化されたペスの体当たりにより、結界に穴が開いた。
豆腐でも食い破るようにあっさりと抵抗なくペスが開けた穴を先には、楽園が待っていた。
そこらかしこに木々のように乱立するのは猫タワー。そこかしこにネズミのおもちゃが走り回り、ちょうちょや小鳥の模型が飛んでいる。特に意味もないのに段ボールがあちこちに置いてあり、がさごそ音を立てて二足歩行をする紙袋が徘徊している。
猫を満足させるためだけにつくられた空間には、たくさんの猫がいた。
雑種をはじめ、シャムベンガルブリティッシュスコティッシュマンチカンフォレストミヌエットチンチラソマリサイベリアンラガマフィンアビシニアンヒマラヤンラバーマその他にも数え切れないほど、いーっぱい。
いわゆるイエネコ種と呼ばれる小型の猫だ。縄張り意識がなくなるほどの開放的でありなら、ところどころにつくられた仕切りのある空間。狩猟本能を満たす仕掛けの数々。ある猫はにゃんだらりんと寝そべり、ある猫は歩く紙袋をバシバシ叩き、ある猫は猫ツリーに乗って変な体制で寝ていた。
もちろん王女様の時のような偽物ではない。正真正銘、中も外もにゃんこ百パーセントだ。
「ふわぁあああ」
ニーナの瞳がきらっきらに輝いた。彼女が生まれてから、一番の輝きようだ。
「いざ!」
ニーナが喜び勇んで猫じゃらしをお散歩ポーチから取り出す。いつかの反省を踏まえ、しっかり常備しているのだ。
そうして猫と戯れようと足を踏み出そうとした瞬間だった。
「待ちなさい!!」
大変勇気のあることに、三角帽子の集団が現れてニーナの行く手を遮った。
奇跡的なことに、ニーナは制止の声に立ち止まった。あるいは、遠くの猫に意識が行き過ぎて破壊衝動が一時的に中和されているからかもしれない。きょとんとした顔で、黒ずくめ三角帽子の集団を見つめた。
三角帽子をかぶっているということは、魔女であるということだ。その中の代表者とおぼしき妖艶な体つきをした魔女が前に進み出る。
「あなたたち? 結界に穴を空けた狼藉も――ひぃ!?」
険悪な雰囲気で近寄ってきた妖艶な魔女さんは、ニーナを見て――正確にはニーナの魂を見て――悲鳴を上げた。
「ま、まさか……この魂は……! め、名誉会長!? なんで!? 死んだはずじゃ!?」
ニーナの魂をうっかり拝見してしまった妖艶な魔女さんは、その見覚えのある魂にうろたえる。
そこに、ちびっ子魔女さんが進み出る。
「よう、久しぶりだな」
「あ、あなたは名誉会長の弟子の割はやたらと色々並みだった……ということは、やっぱりそこの子は!」
「ああ、師匠の生まれ変わり――って、悪かったなぁ、並みで!」
「いや、別に悪口のつもりじゃないけど。って違うわ。あなたが一緒ということは、本当にあの名誉会長の生まれ変わりの子なのね……!」
顔を真っ青にした妖艶魔女さんが、がたがたと震える。尋常ではない怯えかただった。
代表者の怯えはあっという間に他の魔女にも電波する。
「え、名誉会長……?」「マジで? うわっ、あの魂はマジだ!?」「転生、したのか?」「なんで人間に!?」「そんな馬鹿な!?」「あの人、寿命をいじらなかったのって猫に生まれかわるためだったんだろう!?」
などと各々好き勝手に意見を口走っては戦慄する。
そんな騒ぎを、年若く当時を知らない師匠さんは小首をかしげて眺める。
「ニーナちゃんの前世って、四百年も昔のことでしょ? あの人たち、ずいぶん昔のことを覚えてるんだね」
「そりゃなぁ」
並み扱いされたちびっこ魔女さんは少しいじけながらも、遠くの猫に視線を釘付けにしているニーナを見て頷く。
「たとえばさ、お前、高速駆動する隕石が自分めがけて降り注いできたら、その光景を忘れられるか?」
「味による」
「隕石に味なんてねーよ」
明後日の方向の見識を述べた師匠さんに、ちびっこ魔女は淡々とツッコミを入れる。ちびっ子魔女さんといえども猫派閥。久々に出会えた猫に意識の大部分が割かれているため、ツッコミの勢いはなだらかになっていた。
その間も、魔女たちはざわざわしている。
昔に猫派トップに君臨した偉大な魔女と言えば、猫派閥魔女たちの記憶に色濃い魔女の中の魔女。つまりはやべえ奴の中のやべー奴筆頭である。七十を過ぎたあたりでようやく落ち着いてくれたが、それまで暴虐っぷりたるや恐ろしいの一言。彼女が猫のために人類を滅ぼさなかったのが奇跡だといわれた時代である。
しかもいまのニーナは転生したせいで十歳に逆戻りである。魔女の強さは年齢とあんまり関係ないので、老成した落ち着きが失せている今のニーナはやばさの歯止めが効かなくなっている魔女であるというだけだ。
とりあえず降伏して許しを乞えばいいんじゃないか。魔女たちがそんな結論に至ろうとした時だ。
「ほーっほっほっほ! なにを恐れていますの、皆様方! ここにはあたくしがいますのよ!!」
高笑いを響かせたのは、金髪巻き毛の魔女である。彼女はニーナを恐れる様子もなく前に出る。
「まったく、このような子供に何を怯えていますの! 魂を見たところ、まだほんの十歳ではありませんの!」
師匠さんは、やたらと自信満々で恐れを知らないって幸せだなって感じの態度の巻き毛の魔女さんを指さす。
「あの人は?」
「ん。ああ、そうだな」
ちびっ子魔女さんは昔を思い出すために、遠い目をする。
「たとえるなら、たくさんの隕石が頭に直撃した衝撃で、不幸にもその前後の記憶を失ったかわいそうな魔女だ」
「それはかわいそうに……」
師匠さんは巻き毛のかわいそうな魔女さんに同情した。
師匠さんもニーナのパンチは食らったことがある。あれは痛いのだ。多少の記憶を失うのも納得である。
そして実際に失ったからこそ、大切なものがかつて自分の頭から零れ落ちたことを知らない巻き毛の魔女さんは、びしっとニーナを指さす。
「さあ、覚悟しなさい! 子供とはいえ、猫の聖域に踏み込んだからには容赦しませんわよ!」
「……」
ニーナは、無言。
猫のあふれる空間。その進路を遮る魔女たちを見て、ニーナは思った。
ちょっと、この人たち、存在が邪魔だな、と。




