楽園にて
ニーナは猫界隈の一画で、きゃっきゃと年相応にはしゃいでいた。
「見て! 見て、ください! スミロドン! スミロドンです!」
疑似的に造られたジャングル地帯。木々の奥からぬうっと現れた巨体は、成人男性を凌駕している。
艶やかな獣毛に、なによりも特徴的なのは口内から飛び出した一対の鋭い牙だ。大型の相手の急所を噛みぬくためにある牙であり。
がぁうっ、と唸ったサーベルタイガーがニーナに飛びかかる。
「あははっ、この子、人懐っこい、です!」
頭をがじがじしていくるサーベルタイガーに、ニーナは大はしゃぎである。
サーベルタイガーは、あれ、なんかこの子固いぞ? と戸惑っている。
かみ砕くつもりでがじがじしているのに、まったく牙が通らない。そもそも小さな身体で自分の突進を受け止めている。しかもなんかすごく喜んでいるのだ。
ニーナは立派な牙の感触、ざらりとしたでっかい牙の感触ににっこにこで傍に控える妖艶魔女さんに話しかける。
「すごいですね、ここは。この子は、昔に滅んじゃったと聞きました」
「はい。こちらの区画では、復元魔術が得意な魔女が復活させた大型のネコ科を保護してます。この子たちは狩猟本能が強すぎるので個別に空間を用意して、適した環境を用意して――」
死んだ目になっている妖艶な魔女さんが、サーベルタイガーに噛みつかれながらも目をキラキラさせているニーナに猫界隈の仕組みについて解説している。
ニーナが猫界隈に来た後に起こったアルマゲドンについての詳しい描写は省くが、とりあえずまた巻き毛の魔女さんの記憶が飛んだというかわいそうな出来事が起こった。
そんな経過を経て、妖艶魔女さんがニーナの猫界隈案内役に抜擢されたのだ。
ニーナの付き合いで歩き回っている師匠さん、くわあっとあくび。
「うーん。みんな同じに見える……。でっかいのか中くらいのか小さいのかくらいしか違いがわかんないや」
「犬派の目は節穴だな」
自分の飼い犬が世界で一番かわいい系犬派閥単一教な師匠さん。一方、ちびっ子魔女さんの目もきらきらしている。
ちびっ子魔女さんとて猫派閥。かつて師匠から受け継いだにゃんこは天寿を全うしたし、小さい頃から一緒に育ったライオンは、なんかいつの間にか山羊と蛇と合体して幻獣の仲間入りをしていたのだ。
もちろんキマイラになったとはいえ長く連れ添った使い魔。かわいいのだが、なんでそんな余計な進化をしたという気持ちはある。
そこに来て、久しぶりに出会う純ネコ科の登場である。胸をくすぐるうずうずを抑えきれなくなったちびっ子魔女さんが、サーベルタイガーにがじがじされて喜んでいるニーナに話しかける。
「ニーナちゃん。私もその子を触ってもいいですか!」
「いいですよ。はい」
「わぁ――っていっだぁ!?」
ニーナにはとてこ敵わぬと判断してちびっこ魔女さんに標的を変えたサーベルタイガーの牙が、ちびっ子魔女さんの結界をちょっぴり貫通してぶすっと刺さった。
そんな小さな事件を挟みつつ、猫界隈観光ツアーは続く。
古代エリアをぬけ、砂漠地帯でスナネコとたわむれ、カルカラやサーバルとフレンドになり、吹雪く山脈でユキヒョウと鬼ごっこをして、最後にイエネコ種のエリアに戻って来た。
「あの、満足していただけましたでしょうか……」
「はい!」
恐る恐る尋ねた妖艶魔女さんに、とってもご機嫌のよいニーナが返答する。ネコ科を満喫したニーナはつやっつやだった。十歳のお肌はぷるんぷるんである
そして満面の笑みのまま、告げる。
「それで、私の話は、わかってもらえましたか?」
「うぐ」
妖艶魔女さんがぎくりと頬をこわばらせた。
猫をいっさい傷つけない怯えさせないアルマゲドンの後に、ひれ伏して降伏した猫派の面々に、ニーナは一つの提案をしたのだ。
「ここは、とても素晴らしい場所です。だから、閉じこもることなく、門戸を開き、ここを外にも解放するのです」
「そんな!」
再度告げられたニーナの提案に、悲痛な叫び声を上げる。
「永久名誉会長もわかってくれたはずですっ。この猫界隈のすばらしさを!」
「そうです。素晴らしいです」
あらゆる猫のための環境設定。種別ごとに区分けされた空間構築。今後のことも考えた繁殖管理。いざという時のための医療施設に、猫を知るために設備を整えた研究所。さらには絶滅した種の復活。
考え抜かれ、血と汗で作り上げた楽園こそが猫界隈だった。
「なら、お分かりでしょう! わざわざここを外に開く必要なんてないんです!」
「いいえ。ここが素晴らしいからこそ、ここのすばらしさを、猫のすばらしさを世界に知らしめるのです。猫の偉大さに、全人類をひれ伏しさせるのです」
「で、でも下界の連中は危ないんです!」
地上の人々ことを下界の連中とか言っているあたり、危ないのはどう考えても妖艶魔女さんの頭だった。
それでも彼女は、自分たちの信念を叫ぶ。
「いくら禁止をしても大型、中型種の毛皮を狙って密猟を繰り返すクズ! 特に理由もなく面白半分ににゃんこをいじめるゴミ! 楽器の材料にするとかいう意味不明な鬼畜な所業! なによりもっ、鉱山開発や森林伐採で住まいを奪う愚かなる人類!! そんな奴らからすべてのネコ科を守るために、私たちは猫界隈をつくったんです!」
「わかります」
その主張自体はまっとうだ。
人の欲望に限りはない。いつか人類は世界を食い尽くしてもろともに滅ぶだろうと齢を十重ねた人生でニーナは確信していた。
人間の欲望に猫を巻き込みたくないという気持ちに、ニーナは大きく頷く。
「ですが、閉ざすのはダメです。猫のかわいさを、広めるのです。猫の素晴らしさを説くのです。ただもちろん、悪しき人に、足を踏み入れさせてはなりません。そうして楽園の輪を、世界に広げるのです。具体的には、そうですね。まずわんにゃんから始めましょう!」
「そ、それは……労力的な問題が」
ニーナの言うことに従うと、コストが一気に増大する。
猫のためならいくらでも労力をかけられるが、それ以外はちょっと、という返答に、ニーナは一言。
「それは頑張ってください」
「永久名誉会長ぉおおおお!?」
労力問題を一言で片づけた。ブラック企業も青ざめるほどの冷酷さだ。
「では、私は帰ります。もちろん、週に一度――いえ、三日に一度――もとい、一日一回は猫に会いにきますので」
ばいばい、と手を振ってニーナたちは猫界隈を立ち去った。
最後の宣言に、妖艶魔女さんは愕然とする。
あれが毎日来るの? マジで? そんな気持ちでいっぱいだった。
「そんな……」
「頑張れ」
ちびっ子さんの雑な励ましに、妖艶魔女さんが泣き崩れた。




