溺愛してる猫がネコのふりをした美少女だったら、普通キレるよね?
「では、吾輩はこれにて」
「はい」
さんざんモフモフした挙句にもとの姿に戻ることを許されたキマイラは、びくびくしながらも頭を下げる。現在進行形で彼の主人であるちびっ子魔女がいじめられているところなのだが、彼はそんなことは知らない。任務には失敗してしまったが、ようやく優しい主の待つ常識ある空間に帰れると安堵していた。
至福のもふもふパラダイスタイムをを終えたニーナは満足気な顔で「山へお帰り」と手を振って見送ろうとした。
「いやちょっと待てこら」
そんなキマイラのタテガミをむんずと掴んで引き留めたのは、リューだ。
モフモフなでなでぷにぷにすれば満足のニーナと違い、リューはキマイラに聞きたいことがいくらでもあった。そもそもこの事件は、相手が襲い掛かってきたことから始まったのだ。
ニーナのモフモフタイム終わったいま、始まるのは尋問だ。
「お前、どこかの魔女の使い魔だろう? お前の主人とやらは何をたくらんでいるのだ。なぜ我のマスターを狙った。聞かせるまで帰らせんぞ」
「ぐむ」
若輩のリューにタテガミを掴まれたキマイラは不服そうな顔をする。
三位一体となったキマイラの力は、ライオンだった時の三倍増しだ。この完全体ならば、リューと闘えば普通に勝てる。ヒューを加えたところで、圧勝できるだろう。
だがぺスかニーナと闘えば五秒で負ける自信があった。
「そういえば、あなた、猫がどうとかいってましたね」
さらに悪いことに、ニーナはこのキマイラが戦う前に猫という単語を出していたことに気が付いた。
「わたしも、知りたいです」
「致し方ない、か……」
この幼い魔女が興味を示したのが運の尽きである。キマイラとて食べられるのは嫌なので、目的を白状することにした。
「そこにいる猫には、ある魔法がかかっているのです」
「むむ」
猫に魔法、と聞いて、猫のプロを自負するニーナは眉をひそめた。
猫は猫として生まれた時点で完全体である。それに魔法をかけるだなんて、なんて無粋なという思いだ。
「どうすれば、解けるのですか?」
「あの種の呪いの解き方は、古今東西変わりませぬ。愛する者の接吻です」
猫のこの姿を愛する者にしか解けない魔法。つまりは犬派には解けない魔法なのだ。
ペスを引き連れているくらいだ。この少女も、全体的に動物好きな犬派なのだろうとキマイラは判断していた。だからまあ、解呪の仕方を教えても実行は不可能だろうと思ったのだ。
それを聞いたニーナは、ひょいとにゃんこを持ち上げる。
「はあ。ちゅーですか」
なら簡単だ。
ちゅっ、と口づける。
ニーナは猫を愛しているのだ。これで呪いが解けるに決まっているだろうと思ったし、実際、解呪の条件を満たした。
どろん、と煙が上がって、猫が美少女へと変化した。
「あ」
現れたのは、金髪碧眼の美少女。頭にティアラのような髪飾りを付けて雅なドレスで着飾っており、その顔立ちは優し気ながらも気品にあふれていた。
猫から人になった彼女は肉球もなければ毛皮もなく、爪の出し入りもできない自分の手を見て、それからペタペタと体を触る。そして、自分の体が人間に戻っていることを実感したのだろう。
「あ、ああ。わたくし、人の姿に戻れたのですね……!」
少女はあまりの感動に、ぽろりと感涙する。
高貴に生まれた彼女にとって、四足の生活は信じられないほどつらい日々だったのだ。後半はなんか食べて寝るだけの楽な生活できていたが、高貴に生まれた彼女が過ごす日々ではなかった。
言葉も出せないほどに驚愕して目を見開いているニーナに、お姫様は頭を下げる。
「ありがとうございます、魔女様」
馬乗りになった姿勢から立ち上がり、彼女は礼を述べる。
ニーナはまだ呆然としていた。
「わたくしは、悪い魔女に魔法をかけられあのような動物の姿にされていました。この国の王女でございます。呪いを解いていただいて、あ、えと?」
口付けされたことを思い出し、純情可憐なお姫様がぽっと頬を染めた。
ニーナが、わなわなと震え始また。
「あ、あ、ああ」
「さきほどの、その、接吻が呪いを解くために必要なことだというのは理解してます。なんというですね、その――」
「あ、ああ、ああああ」
「……あの、魔女様……?」
うめき声を上げて震えるばかりの様子を不審に思ったお姫様が問いかけた瞬間だった。
「ヴァアアアアアアアアアアアアアア!」
ニーナがキレた。
振り抜いた渾身の右ストレートが、首を傾げたお姫様にさく裂した。
ニーナの怒りの感情エネルギーの発露を防げるものなど、この世にはない。ニーナの魔力がこもった拳がお姫様にぶち当たると同時、お姫様を殺しちゃったりしないようにバリアーが発動。ものすごい速度ですっ飛んだお姫様が粉塵を巻き上げてお庭の地面にめり込んだ。
「わ゛ァアアアアアアアアアア!」
もちろんたかが一発で収まるような激情ではない。
ガチ泣きしているニーナは、もうもうと巻き上がる土煙に突っ込み地面にめり込んでいるお姫様の胸ぐらをひっつかんでガクガクと揺さぶる。
「ゔぁあああああん! 返せぇ! 猫を、返せぇ!!」
「ふぇえええ?」
ニーナ、号泣である。
お姫様は吹っ飛ばされた時点で目を回してとても答えられる状態ではない。
強大な魔力の発露に、山羊と蛇にいろいろとトラウマを植え付けられたキマイラはぷるぷる震えていた。あれはやばい。いままでみた中で最も危険な現象が目の前で起こっている。前足で頭を抱えたキマイラは生まれたての小鹿のように震えるしかできなかった。
「マスター! 落ち着いてくれ!」
「がぁおおおおおおおおおおん!」
人間の言葉を忘れたニーナが、止めに入ったリューに威嚇を飛ばした。
その吠え声たるや、ドラゴン形態の時のリューの咆哮を遥かに上回った。あまりの気迫に、リューも思わず息を飲んで動きを止める。
これは最早誰も止められない大怪獣ニーナの爆誕か。
誰もが王都の壊滅を覚悟したその時、ぺスがとことこと近づいて、ニーナをなだめる。
「ぺス……」
ニーナが人の言葉を取り戻した。
ペスがつぶらな瞳できゅうんと鳴く。
「でも、でも……!」
一応、人間の言葉を理解できる程度には理性を復活させたニーナは、ぼろぼろ涙をこぼしながら地面にめり込んでいるお姫様を指さす。
「こいつは! あろうことか猫のふりをしていたのですよ! 最低の、詐欺師です! 猫に化けて猫好きに近づこうなんていう最低最悪の行いを許すことなんて、無理です!」
ちなみにお姫様は、割とあからさまに自分は猫じゃないと訴えていたが通じなかった。
ペスに続きリューもニーナを宥める。
「待ってくれ、マスター。この人間も悪気があったわけではないのだろう? 悪い魔女に呪われていたと言っていたのだ。なにも自発的にねことやらになったわけではないんだ」
「そう、ですね。言われてみれば、確かにその通りです、リュー」
元凶。
そう、呪いの元凶だ。
視線を向けられ、びくっとキマイラが震えた。
今のニーナは猫を失った絶望の淵へと追いやられており、相手がライオンの頭をしている生き物だろうと容赦する気は起きなかった。
人を、猫にする呪い。つまりは、このキマイラの主人とやらは、猫のことを知っているのだ。
「あなたの主のところへ、案内してください」
拒否権は、なかった。
「ただいま帰り――え、庭がめちゃくちゃに!? って、ええ!? 姫様が!? いる!?」
「ふえぁ?」
緊迫するやりとりをよそに、メイドさん家のお庭で目を回していたお姫様は、メイドさんと再会していた。




