04 「ごめ、なさ、い……っ、こんな、こんなに優しい味の、食べ物……初めてで……」
ゲイルの助言に深く頷き、すぐさまメニューの改善に取り掛かる。食事系スコーンやツナとキュウリのサンドイッチなんていいかもしれない。
ゲイルが店を出て数分後、誰もいないカフェスペースの天井から小さな笑い声が聞こえてきた。
「フフフ、なかなかやるなエリス」
リーフと数匹の妖精たちが梁の上に座って、ゲイルとエリスのやり取りを観察していたのだ。
「リーフ。初めのお客さんだったから貴族の時より、ずっと緊張した」
「人間は我々が思うよりも単純。腹が減れば食い、喉が渇けば飲む。エリスの作ったものは超越した魔法の食べ物だ」
リーフは誇らしげに言う。
「そうそうエリス。さっき、妙な色の髪をした女性が店の周りを三周ほど回っていったぞ。入りたそうだったが結局逃げていった」
「妙な色の髪?」
「ああ、夕焼けのような派手な赤色の髪だ」
興味を引かれた。セレーネの町では黒や茶色の髪が一般的だ。
「きっと、人見知り。いつか勇気を出して入ってきてくれるかな」
ゲイルの助言は金言となった。メニューの調整に着手。王都の貴族文化では甘い菓子と華やかな茶が主流だったが、汗を流して働く人がいる港町。求めるものは午後の厳しい労働を乗り切るための活力と塩分。
考案したのは二つの新しいメニュー。港のチーズとハーブのセイボリー・スコーン。セレーネ産の濃厚なチーズと館の庭で採れたフレッシュなハーブを練り込んだ、塩気のあるスコーン。
ツナとレタスの特製フィッシュ・サンド。港で獲れた新鮮な魚を、記憶を頼りに調合した特製マヨネーズで和えてレタスとキュウリを挟んだボリューム満点のサンドイッチ。新メニューはたちまち漁師たちの間で話題となった。
「お嬢さんの店のスコーンは腹持ちが良くて、午後からの仕事に気合が入る!」
「サンドイッチに使われている魚の油が疲れた体に染み渡るようだ」
ティンクル・ウィスパーの評判は上品すぎる貴族の店から料理の腕は確かだが、少し風変わりな店へと変わり、午後の休憩時間になると店のテーブルは屈強な漁師や港湾労働者で賑わうようになった。喧騒も楽む。
(これが私だけの自由な生活。誰かに立派な令嬢として振る舞う必要はない。美味しいものを提供し続ければいい)
開店から四日目の午後。漁師たちが去り、カフェに穏やかな静寂が戻った頃にカップを磨きながら窓の外を見た。遠くの樫の木の上でリーフが小さな体で風を操り、店の看板についた埃を優しく払っている。
一人の女性が恐る恐るといった様子で石畳を上がってきた。鮮やかな夕焼けのような赤色の髪が、セレーネの素朴な風景の中では異質に目を引く。
華奢で背が高く着ているローブは少し古びていたが、上質な織物。顔色は青白く大きな瞳は常に周囲を警戒するように揺れている。彼女こそ、リーフが報告していた人見知りの女性。
店の扉の前で立ち止まり、看板を凝視する。扉の向こうに魔王でもいるかのように。
昨日も一昨日も三度ずつ店の周りを回って、結局引き返していった。今日はどうか勇気を出して来て欲しい。暖炉の火を直すフリをした。声をかけてしまえば、逃げられてしまうかもしれないし。
店内から微かな甘い香りが流れ出す。妖精が張った結界から漏れ出す、一種の誘いの香りだ。妖精たちが空間は安全で美味しいものがあると、無意識に客を誘っているのだ。
香りに吸い寄せられるように一歩、また一歩と扉に近づいた。意を決したかのようにカランコロンとベルを鳴らして店に入ってくる。
「あの……」
小さく震える声で呟き、扉のすぐ内側で硬直してしまった。石像のように。
「いらっしゃいませ、お客様。どうぞお好きな席へ」
穏やかに微笑みかけた。貴族時代の経験で培った人を威圧しない、それでいて相手に安心感を与える微笑み。
女性は周囲のアンティークな内装や、窓から見える穏やかな海を恐る恐る見回す。視線が棚に飾られた、趣味で作ったガラス細工の小さな妖精の置物に留まったとき、瞳が見開いた。
魔力に感応しやすい稀有なタイプかもしれないと判断した。リーフが作った結界は一般人には心理的な効果しか及ぼさないが、魔力に敏感な人間にはカフェが特別な場所であることを強く示唆する。
「お一人ですか?温かいお飲み物で落ち着かれてはいかがでしょう」
「あ、あの……」
息を吸い込み、どうにか絞り出すように。
「……お、お茶を……それと、ええと……」
メニューを指さした。指さしたのは今日試作したばかりの、繊細な新作。
花の冠のクリームタルト。
王都から取り寄せた最高級の蜂蜜を使用し、食べられる花で飾り付けた、見た目も華やかな一品。
「かしこまりました。花の冠のクリームタルトと、当店の特製ブレンド海の囁きですね」
運んできたタルトは宝石のように輝いていた。繊細な蜂蜜の香りと、色とりどりの花びらの彩りが緊張をわずかに和らげた。スプーンを手に取るまでに五分ほどかかった。タルトの小さな一片を口に運んだ。
その瞬間、顔から警戒の色が消え失せ瞳から大粒の涙がこぼれて音もなくタルト皿に落ちた。
「え、どうかされましたか?」
慌てて声をかけると顔を覆い、しゃくり上げた。
「ごめ、なさ、い……っ、こんな、こんなに優しい味の、食べ物……初めてで……」
泣きながら、それでもスプーンを止めなかった。




