#27 試練の舞踏曲
わたくしの心臓の音が耳の奥で大きく響き渡ります。
ジェラール様は、何もおっしゃいません。
その視線がわたくしをしっかりと捉えたままであることが、目を瞑っていてもわかります。
恥ずかしさで逃げ出したい――。
けれど、それ以上に彼の返事が聞きたくて、胸が張り裂けそうでした。
わずか数秒の静寂が永遠に感じられるほどでした。
思い切って顔を上げると、ジェラール様の瞳の奥が、揺れるようにわずかに瞬きます。
一瞬、情熱が零れ落ちるような、艶やかさで、わたくしを見つめました。
息が止まりそうになりました。
けれども、次の瞬間、ジェラール様は瞬きとともに素早くその光を消し、いつもの穏やかな表情に戻りました。
「アリシア嬢……」
彼は静かに、しかしどこか決然とした声でわたくしの名前を呼びました。
けれど、その呼び方はやはり、「アリシア」ではありませんでした。
――やはり、わたくしの気持ちは迷惑だったのでしょうか?
「あなたに、私からもお伝えしたいことがあります。
ですが……この場では時間が足りません。
――先に、陛下の御前へ参りましょう。」
ジェラール様はそうおっしゃり、手を差し伸べてきました。
その声は穏やかで、何ひとつ変わらぬ優しさに満ちているのです。
わたくしは、ジェラール様のお気持ちがわからないまま頷きました。
「……はい。」
それだけを振り絞るように返事し、ジェラール様が差し出した手を取りました。
ジェラール様がわたくしの手をぎゅっと握りました。
わたくしも、そっと握り返しました。
ジェラール様の手の温もりが、冷たい夜の空気の中で何よりも鮮やかに感じられ――ほんの少しだけ救われた気がしました。
*******
「麗しき光の国を統べられる蒼き輝きの国王陛下に謁見の機会を賜り、深く感謝申し上げます。」
「儀礼はよい。それがそなたの見つけた令嬢か。」
ジェラール様の奏上に、陛下が軽く被せるように、御下問されました。
驚きました。
「……さようにございます。」
陛下は、わたくしたちを順にご覧になります。
太陽のように光る金の髪が冠の下でさらりと揺れ、空よりも海よりも澄んだ青い瞳が、わずかに不満そうに瞬きました。
「シャルトリューズ卿。速やかに報告せよとは申したが……あまりにも迅速だ。」
「最初に見つけた縁が、最良であったためでございます。」
「余は『愛のもとに』婚姻を結べ、と命じたはずだが。」
「けっして他の選択肢はございません。」
「そうか……?」
陛下は、今度はわたくしをご覧になり、声を和らげました。
「アリシア嬢とは十年前の茶会で会ったきりだな。」
わたくしのことを覚えていてくださったことに驚きました。
そういえば陛下はどんなことでも一度で覚えてしまい忘れることがない、そう伺っています。
「あの時は、この可憐な少女が妃の候補かと、余も幼いなりにもてなしたつもりだったが……
なぜかそなたはその後、顔を見せることはなかったな。
なんと不思議なことか! ……そうだな、フレアベリー侯爵!」
陛下が揶揄うように指摘すると、控えていた父が、一歩進み出て、あいまいな微笑みを浮かべました。
「王子妃候補などとは……とても畏れ多きことでございましたゆえ。」
「つまり避けていたことは、認めるのだな。」
言って陛下は楽しそうに笑いました。
「まあよい。少し令嬢と話をしたい。」
そういって、わたくしを手招きされます。
「はい。」
わたくしは、陛下から3歩ほど下がったところまで近づき、再び礼を取りました。
うつむいてお言葉を待つ私の上に、ふっと影がさしました。
目の前に白い絹の手袋をした手が差し出されます。
「一曲、付き合え。無礼講で行こう。」
わたくし、陛下にダンスに誘われてしまいました!
決して粗相があってはなりません。
わたくしは、覚悟を決めて、指先を陛下の手の上に載せました。
陛下は優雅にそのままわたくしをホールにお連れになります。
湖水に石を投じたときのように、わたくしたちが進む先に自然に空間ができました。
陛下の歩みに合わせて曲が穏やかに消え入り、新しい旋律が流れます。
『ルミエラの夜』です。この曲は少しゆったりとした曲で踊りやすいのですが、陛下のご配慮でしょうか。
「覚えているか?」
陛下が耳元で囁きます。
懐かしい想い出がよみがえります。
お茶会の庭に植えられていたルミエラの花を、夜に光る花だと教えて下さり、「見てみたいわ」と呟いた幼いわたくしに、その種をそっと手渡してくださったのです。
「ええ、あのとき頂きましたルミエラの種は、今も我が邸でたくさんの花を咲かせておりますわ。」
「当時は、私もまだ王位から遠く暮らしていた。
だから、いつか臣籍に降りたときは、控えめに愛する娘と暮らしていこう、そう考えていたのだが……
いつのまにかこのような地位についてしまった。」
「畏れながら、陛下の王妃様への御寵愛、聞き及んでおりますわ。」
「君とそのまま縁を結んでいたら、巡り合えなかったかもしれない。縁とは、不思議なものだ。」
そして陛下は突然、こう尋ねられました。
「それで……君は、ジェラールが好きなのか?」
その問いに、わたくしは驚きと恥ずかしさのあまり真っ赤になりました。
ジェラール様を想う気持ちをどう言葉にすればよいのか、胸の中がかき乱されます。
けれど、ステップを保ちながら――ええ、陛下の足を踏んでしまうわけには参りませんわ!――何とか、気持ちを伝えるように「はい」と頷きました。
「でも、ジェラールが君を選んだのは、単に私が結婚を命じたからだけなのかもしれないよ?」
言いながら陛下はぐいっとわたくしを抱き寄せ、踊りを続けました。
少し距離が近すぎるような気も致します。
けれど、その包容力には、不思議な安心感がありました。
「畏れ多くも、王命……であるとのことは、先ほど初めて伺いました。
でも、公爵様はわたくしに会ってすぐに結婚を申し込んでくださいましたわ。」
「それはたまたま君が最初の令嬢だったからでは?」
「それでも。わたくしは公爵様をお慕いしておりますわ。」
わたくしの言葉に、陛下がふざけてこつんと額を合わせました。
「陛下……?」
麗しき陛下のお顔が目の前に来て、畏れ多すぎて心臓が悲鳴を上げます。
お互いの睫毛が触れるほどの距離。
視界いっぱいに広がるサファイア色の瞳が、まるでわたくしに愛を囁くように魅惑的に揺らめいています。
「もし君が望むなら、私の妃として迎え入れることだってできるけど――どうだろう?」
「お戯れを。」
「ははっ、それだけ……?」
「ええ………どうかご容赦くださいませ。」
陛下の眼差しが、底知れぬ深みを湛えた湖のように変わりました。
わたくしの奥深くまで届き、全てを見透かされているような気が致します。
戸惑いながらも、失礼にならぬよう、わたくしは視線を外さずに見つめ返しました。
すると、陛下は満足げに微笑み、そっと距離をとられました。
「合格だ、アリシア・フレアベリー嬢。」
「は……?」
「ちょっと試してしまった。ジェラールは、私の大切な友人なんだ。
ああ見えて少し不器用なところがあるが、見捨てないでやってくれ。」
そう言いながら陛下は笑います。
その微笑みには、太陽のような温かさと、王としての揺るぎない威厳が宿っていました。
曲が終わり、陛下はわたくしをジェラール様の元へ送り届けて下さいました。
一瞬だけ、陛下の瞳が試すような光を帯び、ジェラール様を見据えます。
ジェラール様もまた、沈黙の中でその真意を見極めるように視線を返しました。
二人の視線は刹那の間交差して、静かに火花を散らします。
「そう怒るな、シャルトリューズ。昔馴染みの乙女と一曲踊っただけではないか。」
陛下は改まった声でおっしゃいます。
「ルミエラを……公爵家でも増やすとよい。リュミエールの夜を照らす光となるように。」
「承りました。」
陛下の御許可がいただけたようです!
ジェラール様のお気持ちはまだ分からないままですが、それでも、わたくしの胸には、ほっと安堵と喜びが広がりました。
読んで下さってありがとうございます。
あと少しこのお話は続きます……が、
☆ここでお知らせです☆
この章に出てきたサフィール陛下、いかがでしたか?
次に連載予定の、リュミエール王国シリーズ2作目は、サフィールのお話になります。
『恋する記憶が戻るまで(仮題)』
今回とは少し文体を変え、雰囲気ももう少しコミカルになるお話(の予定)です。
いつも応援ありがとうございます♪




