#28 酔いどれ魔女のかくれんぼ
陛下の御前を辞すると、気が張り詰めていたわたくしの緊張が、一気にほどけていきます。
喉が渇いて仕方ありません。
「少しここにいてください。」
ジェラール様はそう短く告げると、わたくしを気遣うような眼差しを残して、その場を離れました。
その背中をぼんやりと見送りながら、ふと目に留まったのは、ちょうど係の騎士が持ってきた飲み物でした。
「こちらをどうぞ、御令嬢。」
促されるまま、差し出されたグラスを受け取ります。
ほんのり冷えた、少し曇ったガラス越しに揺れる赤い液体。
喉の渇きを癒すようにと、深く考えずその液体を一気に飲み干してしまいました。
――途端に。
身体がふわりと軽くなるような、不思議な感覚が広がっていきます。
熱が頬を撫で、視界の端が柔らかに揺れ始めました。
――まぁ、よいワインですこと!
楽しい気持ちがふわふわと広がり、自然と頬が緩みます。
気づくと、グラスは空になっていました。
「あら、もう?」
驚きながらグラスを返し、新しいものをいただきます。
そのグラスもあっという間に空になりました。
――きっとグラスが小さすぎるのね?
三つ目のグラスを手に取りますが……指先に力が入らず、グラスが滑りそうになりました。
「アリシア嬢? 飲み過ぎです。」
いつの間に戻られたのか、ジェラール様がわたくしの手からグラスを取り上げ、代わりにライムウォーターのグラスを渡されます。
「その飲み物、とても美味しいんですもの。」
わたくしは、潤んだ瞳でジェラール様を見上げ、名残惜しそうにワイングラスの方へ手を伸ばします。
ジェラール様は困ったように眉を下げながら、呟きました。
「……フレアベリーの魔女、とは本当だったな。」
「まあ! わたくしは『魔術師』ですわ! 魔女呼ばわりなさるなんて失礼ですわよ!」
思わず反論するわたくしに、ジェラール様はじっと視線を向け、少し探るように尋ねました。
「陛下とは……何をお話されていたのですか?」
陛下との会話を思い出そうとすると、先ほどのやり取りが頭に浮かびます。
――ジェラールが君を選んだのは、単に私が結婚を命じたからだけなのかもしれないよ?
――それはたまたま君が最初の令嬢だったからでは?
もう、困らせるようなことばかりおっしゃられて!
そんな意地悪な質問で、わたくしの気持ちを確かめるなんて、ひどいですわ!
「わたくしを側妃にしたいだなんて……!」
怒りを抑えきれずに口にしてしまった言葉に、ジェラール様が驚かれます。
「側妃!? サフィールが…いや、陛下がそうおっしゃったのですか!?」
ですが、わたくしの頭は酔いのせいで、ぐるぐると記憶が巡り、混乱しています。
――でもね、ジェラール様が求める相手が誰でもよいというのなら、わたくしでもよいのです!
そう気づくと、なぜか急に嬉しくなりました。
一緒に過ごすうちに愛が育まれることだってあるのではなくて?
そのうち、わたくしの魅力に夢中になられるかもしれませんわね?
ふふふっ。
「アリシア嬢……酔われていますね。」
ジェラール様がため息をつかれました。
「あら、そうですの? いつも兄たちがお酒を飲ませてくれませんの。」
「……理由を伺っても?」
「わたくし……お酒に酔いやすくて、酔うと……時々、魔力が迷走してしまうのですわ♪」
その一言に、ジェラール様の瞳が鋭く光りました。
「少し、風に当たりましょう。」
「ええっ、でも……。もうちょっとだけ……?」
わたくしがジェラール様のグラスに手を伸ばすと、ジェラール様はさっと避け、通りすがりの騎士に渡して遠ざけてしまいます。
「いけません。いい子ですね、アリシア嬢。……さあ、少し酔いを覚ましてから、戻りましょう。」
わたくしは、人さし指をジェラール様の唇にぴっと当てました。
「ジェラール様! アリシア嬢ではなく、アリシアとお呼びくださいませ?
そうしたらお願い事をきいてあげますわ。でも………ひとつだけ、よ?」
ジェラール様は目を見開き、ため息交じりに答えられます。
「………何をおっしゃるのですか……いいでしょう。アリシア! では、庭に出て風に当たりましょう。」
わたくしはぽっと頬を染め、ふわりと笑って頷きました。
「ええ、いいですわ。ジェラール様のおっしゃる通りにいたします。」
*****
王宮の庭園には夜の静けさが漂い、噴水を囲むルミエラの花々が青白い光を放っています。
その美しい光景に目を奪われていたわたくしは、陛下との会話を思い出し、思わずくすくすと笑ってしまいました。
「陛下はルミエラがお好きなのね。」
「アリシア。あなたは私の妻になるのですから、陛下の側妃にはなれませんよ。」
ジェラール様が、真面目な顔で言い聞かせるようにおっしゃいます。
「あら。そうなの?」
ふふっ、ジェラール様ったら。
『私の妻』ですって!
なんて素敵な響きなのでしょう?
「そういえばジェラール様、あとで何かお話しくださるとおっしゃってましたわね?
今なら、わたくし、お聞きする勇気がありますわ!」
勢い込んで尋ねるわたくしに、ジェラール様は難しい顔をなさいました。
「それは……あなたが酔っていないときにお話しします。」
「わたくし、ちっとも酔ってはいませんことよ? さ、お話になって? ね?」
わたくしはジェラール様の首に両腕を巻き付けて、軽く首を傾けながら、目を覗き込みます。
「………。」
ジェラール様が固まってしまわれました。
「もう! おっしゃらないならよろしいわ!」
ぱっと手を離した瞬間、足元がふらりと揺れ、わたくしはそのまま倒れそうになりました。
次の瞬間、ジェラール様の腕がしっかりとわたくしを支えてくださいます。
――まあ、ジェラール様の腕の中、なんて心地よいのでしょう!
その安心感にすっかり気を許し、わたくしは思わず頬をすり寄せてしまいました。
ジェラール様がびくりとなさるのが分かります。
「アリシア……。ちょっと……す、座りましょう!」
困惑しつつも優しく、ジェラール様は噴水の近くのベンチに上着を広げてかけ、わたくしを座らせました。
その腕が離れてしまい、なんだか急に寂しい気持ちが押し寄せてきます。
その空白を埋めるように――わたくしの胸の中で、魔力がどくどくと膨らむのを感じました。
少し息が苦しくなり、胸を抑えました。
「あぁっ…!」
「アリシア嬢?」
「魔力が……わたくしの中で……迷子になっているみたい……ふふっ。」
「迷子? それで……どうなるのですか!?」
「そうね。この前はね……領地の見張り塔をひとつ……ぱーん☆」
わたくしは両手を天に伸ばし、指先からぱらぱらと花火を散らしました。
「そ、それは、迷走ではなく、暴走ではないですか!」
「まあ、ジェラール様ったら、レディにそんな言葉遣いをなさってはいけませんわ。」
そう言いながら、わたくしは「めっ」と指をジェラール様の胸に突きつけました。
その後、ぱっと立ち上がりますが、体内の行き場を失った魔力のせいでふらふらとします。
――そろそろこの魔力を逃がしてあげなくてはいけませんわ。
わたくしはふっと笑い、振り返りました。
「ではね、ジェラール様。かくれんぼをしましょう!」
「かくれんぼ……?」
「ジェラール様が鬼ね?
見つけてくださったら、わたくし、お約束通り、結婚してあげてもよろしくてよ?」
「……アリシア?」
「十、数えてくださいませね!」
そう言いながら、わたくしは噴水の縁に手をかけ、水の中にそっと指を浸しました。
冷たい感触が広がり、魔力がゆっくりと引き出されていきます。
「アリシア……噴水に近づいてはなりません! ここは王宮です。壊れたら――」
「いち、に……さあ、数えてくださいませ!」
「……3、4、5……いや、アリシア、待ちなさい! 本当に何も壊さないで――」
「もう遅いですわ!」
わたくしの指先で、水面に青白い光が複雑な線を描いて浮かび上がりはじめます。
やがてそれははっきりと輝く魔法陣となり、ルミエラの花の光を受けて、夜の庭園に幻想的な影を投げかけました。
「ではごきげんよう、ジェラール様♪」
そう言い残し、わたくしは魔法陣の中にふわりと飛び込みます。
水面が小さく波打ったかと思うと、わたくしの姿はかき消え――静寂が戻りました。
読んでくださってありがとうございます。




