狐火石と鬼灯燈 1
祖母と妹が眠りにつくと、すぐに綺織は枕の下から取り出した石をポケットに入れ、日付が変わらないうちから家を出た。前回とは違って一人だったが林の暗闇も二回目となると早くも慣れてきて、真っ直ぐ空き家のある方向へと進んでいく。獣道を抜けた綺織は視線の先に見えてきた空き家の明かりに安堵した。やがて空き家の方から笛のような音色が聞こえてくる。綺織が学校で習ったことのある縦笛の音色とどことなく似ていたが、縦笛のような鋭さはなく、円やかで透明感があった。あの少年達が演奏しているのだろうかと思うと、綺織の口元が緩んだ。やはり、あの夜中の出来事は夢ではなかったのだ。思わず駆け足になり、一度何かに躓いて転びそうになりながらも木戸に手をかけた。
庭に入ると、扉の前にある石段に座ってオカリナを吹く真紅郎の姿があった。音域が広く、演奏の難易度も高い三連オカリナだったが巧みに奏でている。彼はすぐ綺織に気づいて演奏を中断し、立ち上がった。
「やあ。こんばんは」
辺りを見回し、千彩がいないことに小首を傾げる真紅郎に綺織は言った。
「本当は千彩も行きたがっていたんだけど、昼から体調が悪くなったから今夜は無理だって」
「そう……それなら仕方ないね。じゃあ、帰りにお土産を持っていってあげなよ。さあ入って、碧彦も待ってる」
「うん。お邪魔します」
部屋に入ると、紅茶や洋菓子をテーブルに並べていた碧彦が「今夜来る気がしたんだ」と言って綺織を歓迎した。彼は綺織から千彩のことを聞くと残念そうに眉を下げたが、真紅郎に「お土産を渡せばいいじゃないか」と言われると快く頷いた。
「ほら、座って。今日はラング・ド・シャを作ったんだ。それからこっちは薔薇と菫の砂糖漬けだよ」
「全部きみが作ったのか」
「ラング・ド・シャはぼく、砂糖漬けは真紅郎が春に作り置きしておいたものだよ」
綺織は前と同じ椅子に腰を下ろし、テーブルに並べられたものが全て少年達の手作りだということに驚いた。大きな白い皿に三重の円を描くように置かれているラング・ド・シャ。ガラスの器に盛られている青紫色と紅紫色の花。砂糖やバターから生まれる甘い香りが鼻孔を擽る。
「いただきます」
一枚のラング・ド・シャを齧ると、さくりといい音が聞こえた。軽く口の中で溶けるような食感と甘い味が広がる。次に綺織は、真紅郎と碧彦がしているように砂糖漬けの花を紅茶に浮かべてみることにした。菫の砂糖漬けを浮かべると、紅茶の中で砂糖が溶け、乾燥されていた菫の花がゆっくりと開く様子に思わず惹き込まれる。
「真紅郎、入れ過ぎじゃない?」
「ぼくはこれくらいがちょうどいいんだ」
そんな会話に綺織が顔を上げると、真紅郎は薔薇の砂糖漬けを浮かせた紅茶の中に角砂糖二つとミルクを注いでかき混ぜていた。
「真紅郎は甘党なんだね」
「そうなんだよ。こんなことをしたらせっかくの薔薇の香りが薄まってしまうのに」
「いいや、薔薇の香りは強いからこれでも十分に感じるさ。それにいくら砂糖やミルクを入れようと、ぼくの勝手だろう」
つんとした真紅郎の表情は、その紅茶を一口飲んだ途端ふわりと綻んだ。綺織は碧彦と顔を見合わせ、一緒にくすくすと笑った。薔薇の砂糖漬けをそのまま口に入れてみると、確かに強めの香りが砂糖の甘さと混ざって口腔に広がる。
「ラング・ド・シャも、花の砂糖漬けも、どれもとても美味しいよ。二人とも料理が上手なんだね。すごいな」
素直な感想を伝えると、二人とも照れ臭そうに微笑んだ。
「あ、そうだ。きみ達に渡さなきゃいけないものがある」
碧彦から二杯目の紅茶を注いでもらった綺織は、忘れそうになっていた当初の目的を突然思い出した。飲もうとしていた紅茶のティーカップをソーサーに置き、ポケットから石を取り出してテーブルの上に置いた。一瞬怪訝そうになった真紅郎と碧彦の目が大きく見開かれ、二人はテーブルに置かれた食器を揺らす勢いで身を乗り出した。
「これは、まさか……ぼくが失くした狐火石……?」
「どうして綺織が持ってるんだ」
やはり彼らがなくしたという狐火石らしい。綺織は不思議そうな目で見つめてくる少年達に説明した。
「その石は私が一昨日の昼、千彩から誕生日プレゼントとして受け取ったものなんだ。千彩は八日くらい前に林の中を歩いていてこれが木の根元に落ちているのを見つけて拾ったと言っていた。今から八日前なら、碧彦が鬼灯燈を壊して狐火石をなくしてしまった日の翌日になる。知らないうちに私が持っていたみたいなんだ。返すよ」
「…………」
碧彦は狐火石をそっと手に取り、綺織に向けていた視線を真紅郎に移した。真紅郎は碧彦の視線にすぐ気づき、何か目配せをした後二人は再び綺織を見つめた。
「ねえ綺織。きみは知らないだろうけど、鬼灯宴は招待状を送られた人が参加するんだよ」
「でも招待状を送られた人しか参加できないわけじゃないんだ。招待状を受け取った人から鬼灯宴のことを聞いて、誘いに応じれば招待状を持っていなくても参加可能だ」
ふうん、と相槌を打つ綺織。
「だから、綺織。僕達はきみと千彩を鬼灯宴に誘うよ」
「……え」
碧彦の言葉に、綺織は一拍遅れて反応した。
「どうして――」
「鬼灯宴は招待状を受け取るか、招待状を持った人から誘われれば誰でも参加できるんだよ。ぼくと真紅郎はきみ達姉妹と一緒に鬼灯宴を楽しみたいんだ」
「だけど碧彦。綺織と千彩が誘いに乗らなければこの話はなかったことになるよ」
そう言った真紅郎は含み笑いの表情で、綺織をじっと見つめた。碧彦はまさか断られるのかと今さら不安に思ったらしく、おろおろとし始める。しかし真紅郎の目は、すでに返事が肯定であることを信じていた。それに気づいた綺織は戸惑いの表情から一転、笑みを浮かべて頷いた。
「もちろん、参加するよ。千彩も絶対喜ぶ」
碧彦は飛び跳ねて喜び、直後真紅郎からの叱責を受けるとしゅんとなって椅子に座った。その様子を見て綺織は笑いながらラング・ド・シャをつまむ。
「よかった。これで前よりももっと楽しい鬼灯宴になるよ」
「喜ぶのはいいけれど、鬼灯燈を一から作り直さなければいけないことを忘れるなよ。まず、実が熟し切っていない若いホオズキを取ってこなければ」
「あ、ホオズキなら祖母の家にあるよ。植木鉢でたくさん育ててるから、若い実も取れる」
綺織の言葉に碧彦は目を輝かせる。
「それなら真紅郎。明日の夜に綺織と千彩にも手伝ってもらおうよ」
「まさか、鬼灯燈の制作をか」
「うん。材料はそろってるし、明日から作ってもぎりぎり間に合うじゃないか。四人の共同制作だよ」
「…………」
碧彦の提案に無言で考え込む真紅郎に、さすがにそれは断られてしまうだろうかと綺織は思った。しかし真紅郎は顔を上げ、大きく頷いてから口を開いた。
「いいだろう。それなら綺織、明日ホオズキを植木鉢ごと持ってきてくれるかい? 若干緋色に染まり始めた熟す寸前の若い実を五つつけたものがいい」
「わかった。絶対に明日、千彩と一緒に持っていくよ」
綺織は少年達と約束して、席を立った。
「それじゃあそろそろ帰るよ。なるべく朝は早く起きて、千彩にこのことを話さないといけないからね」
「あ、ちょっと待って」
一度部屋を出ていった碧彦は小さな缶に入れたラング・ド・シャ、壜詰めにした薔薇と菫の砂糖漬けを持ってきた。
「これ、千彩のお土産にどうぞ」
「ありがとう」
小さな缶と壜を受け取り、綺織は空き家を出た。
「おやすみ真紅郎、碧彦。また明日ね」
「うん。また明日」
「おやすみ。千彩によろしく」
木戸のところまで見送りに出てきた二人に手を振り、綺織は踵を返して真っ直ぐ家に帰った。足音を消して部屋に入り、テーブルに缶と壜を置いた。ベッドにもぐりこんで隣を見て、小さな寝息を立てる千彩の顔がちゃんとあることに安堵して眠りについた。




