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僕の仕事は悪役です。  作者: 朝丘ひよこ
第一章 悪役ノスタルジー
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バイト幹部と初めての部下

 亜悪、と言うのは公的にも使われる法律用語だ。


 英雄法第三条によって、特別特殊特化犯罪者と認定された犯罪者を『亜悪』と呼んでいる。簡単に言ってしまえばセンス保持者の犯罪者の事だ。亜悪のリストは法務省内設機関の英雄庁によって管理されていて、現在全国で約百五十人ほどが指名手配されており、逮捕されれば裁判無しで即刻無期懲役が執行される。死刑は既に廃止されているので、実質上の最高刑罰だ。捕まった亜悪は、専門の収容施設である国立亜悪刑務所に収監される事になる。情状酌量も仮釈放も面会も、ついでに言えば基本的人権も一切無視の地獄だ。今収監されている亜悪は延べ四十人ほどで、生きているのか死んでいるのかすら公開されていない。国立亜悪刑務所は安全と警備上の問題のため、所在ですら一切秘密なのだ。


 これが、国の正式な見解。勿論全て建前だ。


 実際には国立亜悪刑務所なんてものは名前だけの名目上にしか存在しない建物で、土地すらもない。松永先生ことフレイルパニッシャーも収監されていることになっているがあの状態だ。逮捕と言うのは方便で、表に出なくなった悪役の実質的な引退である。引退した悪役の大半は作戦本部の指揮官や後方支援のサポート要員として現場のバックアップに入るか、英雄庁に出向し背広組として働くかのどちらかを選ぶ事が出来る。前者は士官であり、後者は幹部となるのだ。松永先生のように異なったラインからの関係を持ったり、または一切の関係を断ち民間人となる人は極々稀だ。


 理由は誰でも分かる。戦場の匂いと言う奴は、染み付いたら中々消えてくれないからだ。



―――――――



 悪役の存在は絶対に世間に知られてはいけない。


 これは基本中の基本、大原則だ。亜悪がただの公務員だとバレたらこの国どころか世界規模で破滅すると言って良い。となると、実際問題一番困るのが活動拠点である。庁舎にぞろぞろと入る訳にはいかないし、専用の建物を持つにしても目立つのはご法度である。ビルに体育会系や技術屋が出入りするのは違和感がありすぎるし、平屋で広い空間を確保するのは至難の技だ。第一、英雄に発見される危険性を考えるとまともな建物を拠点にすることは無謀過ぎる。


 ということで、帝華市悪役本部は地面の下にあります。


 ある民間企業が経営する立体駐車場の地下に作られた大規模な地下施設は、市内五ヶ所の駐車場全てに入口があり、頻繁な出入りがあっても人目を引かず、誰が入ってもおかしくない。地下駐車場だからと言うだけで、四トントラックが入っても、シャトルバスが入っても、毒々しい黄色の重機でも、時代遅れの大型バイクでも、都会の冷たい目は見事なまでにスルーしてくれる。それはそれで少しは疑問に思ってよと突っ込みたくなるのが人情ではないだろうか。違う? 違いますか。


 バイク酔いで込み上げる酸っぱいなにかを懸命に我慢しながら、斯道さんの後ろを千鳥足で追いかける。この街における悪役の本部、通称帝華基地は七つのセクションから出来ている。歪な六角形の頂点と中心に地下施設があるのだ。元々は綺麗な正三角形をしていたのに増設を繰り返したのが原因で、細かい通路や階段が多く、壁にはおおざっぱな指示盤がべたべたと張ってあって、しかもそれ通りに進むとかなり遠回りになると言う無駄に煩雑な基地である。今いるのは第三セクション。作戦本部棟だ。窓の無いコンクリート打ちっぱなしの廊下が多い帝華基地の中で、ここだけは清潔感漂う白無垢である。


「旦那、大丈夫ですかい?」


「もうダメかも」


「楽勝ですか、そりゃあ良かった」


 ちゃんと話を聞いて欲しい。


 幾つかの角を曲がり自動ドアを入ると、キーボードを叩く音に混じって快活な笑い声が空調の冷気と共に聞こえてきて、ため息を吐き曲げていた背中をぐっと伸ばした。正面の壁一面に貼られたスクリーンには帝華市日野区の監視カメラから送られてくる映像が五十ヵ所ほど写されていて、後ろの雛壇でパソコンを操るスーツを着込んだ十人のオペレーターが随時監視している。少し照明が落とされているのは立体映像を見やすくするためだ。スクリーン前の電子テーブルを囲む四人の男女が僕らを見て、一人が親しげに手を上げた。


「やあやあ明日輝君。久しぶりだねえ」


 すっかり額の後退した頭を意地汚く撫で付けるように掻き上げた中年の男性が、親しげに話しかけて来た。こんなに冷房を効かせているのにまだ暑いらしく、ブランド物のハンカチで頻りに汗を拭いている。見事なまでに中年太りしたるからかな。趣味の悪いペイズリー柄のネクタイを締め、張り付けたような笑顔をしている彼は、英雄庁のなんとか室長(長すぎて覚えきれないのだ)達磨富夫さん。よく作戦本部棟に顔を出しに来る本庁の偉い人だ。出世欲が強くあからさまなおべっかを使う癖に、いまいち僕らの事を怖がっているみたいなので、ここでは人気がない。と言うか嫌われている。


 その横でしかめ面をしている細長い人は、同じく英雄庁の調査役なんちゃら課長(なんとか初めだけは覚えた)の御手洗伸之さん。御手洗はみたらしと読むのであり、おてあらいと呼ぶと周りの空気が一気に冷たくなるほど機嫌が悪くなるので気を付けなければならない。御手洗さんを一目見てパッと思い付くのが、針金。もしくはカマキリ。どちらかと言えばスタイリッシュの部類に入るのだろうが、風貌と印象からガリガリなどと陰で呼ばれている。なにかと嫌味な事を言ったり否定的な言動が多いので、ここでは一番嫌われている。


 御手洗さんから一つ飛んで左端にいるのは、屈強な身体で窮屈そうにスーツを着込んだ作戦本部の副部長、熊沢大五郎さん。趣味は筋トレ好物はプロテイン癒しの時間は訓練と言う無駄に暑苦しい三十路の独身である。背丈は軽く二メートルを越え、その殆どが筋肉だ。数年前まで現場の隊長だったらしく戦闘に関しては一家言を持つが、背広を着るようになってからは目立った功績や評価に恵まれず、もはや自慢話の長い暑苦しいおっさんと成り果ててしまった、女子若年層トップの嫌われ者である。


 そう考えてみると、ここには嫌いな上司ランキングトップスリーが勢揃いしたことになる。今すぐ帰りたい気持ちをぐっと堪えて、少し強ばった笑みを顔に張り付けた。


「お久しぶりです達磨さん。今日はお二人揃ってどうしたんですか?」


「幹部候補生を紹介しに来たのだ」


 御手洗さんは鬱陶しそうに眉をひそめてそう言うと、隣にいた女性に尖ったアゴを向けた。それまでうつ向いていた女性は合図に気づき深く一礼すると、僕に顔を向けた。


 ぱっと思いついたのは、手負いの猫の姿だ。いや彼女の容姿が猫っぽいと言う事ではない。少し幼さの残る顔立ちに大きく切れ長の目。鼻は少し低いが唇は厚めでバランスが取れており、身長は僕より少し低いくらいだが身体つきは結構しっかりしているように見える。全体的に見れば少し凹凸が少ないけれど、パリッとしたスーツ姿なのでクールビューティと呼ばれるのが似合いそう。猫の要素は全くないのだけれど、ある一点だけが彼女の印象を刺々しいものにしている。


 それは、瞳だ。彼女の瞳は僅かに赤みを帯びていて、今にも泣きだしそうな、冷たく鋭い怒りに満ちていた。いや、怒りというよりは激情のようなものかもしれない。感情をぶつける先を見失った子供のような、ケンカ相手が急にいなくなってしまったみたいな、そんな剝き身の感情が込められた瞳をしていた。思わず見入ってしまい、剣戟のような視線を真面に食らった。


「彼女の名前は秋葉杏音。今年英雄庁に入庁したばかりの新人でな、本来ならば本庁勤務になるのだが少々問題が起きたのだ。実は、彼女は検査に引っかかりにくい体質のセンス保持者だったのだ」


「……はぁ」


 気のない返事を返し太刀風さんに足を踏まれる。緩んだ背中が弾かれたみたいに伸び上がった。


「そこで、年端の近い七緒君の部下に配属することが正式に決まった。今辞令を出すからサインを」


「はい……ってええ!? いや、ちょっと待ってくださいよ。部下って、僕の下にですか!?」


 うむ、と吐き捨てるように御手洗さんが呟いた。慌てて前に出て気勢を上げる。


「いくらなんでもそれは無茶苦茶ですよ。急過ぎますよ。大体僕ってまだ正式採用されてない非常勤扱いじゃないですか。それなのに幹部候補生の部下を配属するって、いくらなんでもおかしいですって。それだったら先に僕の雇用形態を改善してくださいよ」


 うっ、と苦しそうに呻いた達磨さんが、顔を背け居心地の悪そうに汗を拭いている。今思い出した。達磨さんは確か予算関連の部署にいたはずだ。


 そう。実を言うと僕は、ちゃんとした公務員じゃない。非常勤、所謂アルバイト扱いなのだ。まあ二十歳の大学生を公務員として雇うと言うのもおかしな話なんだけど、亜悪の幹部がアルバイト扱いされてる事の方が問題な気がする。元々複雑な事情が僕にはあり悪役として働かなくてはいけなくなったのだが、その時はまだ十七歳の子供だったのだ。まあ今とたった三歳しか違わないんだけど、その時はまだ優しい大人の心の中が真っ黒と言う事を知らなかった訳で、簡単に騙された僕は通常よりもかなり低い待遇なのだ。契約は一応一年更新と言う形になっているらしいのだが、その更新も今や僕の預かり知らぬ所で勝手に行われている。不当だ。特に給料とか。賃金とか。所得とか。


 よく事情を知らない熊沢さんはともかく、女性――秋葉さんは心配そうに僕や太刀風さん、斯道さんをみている。そりゃあそうだよね。アルバイトで年下の上司って嫌だよね。一人は胸元のはだけたライダースーツ姿だし、一人は着流しで刀差してるし。不安要素たっぷりだよね。頑張って反抗しないと。


「もし部下を付けると言うならまずは僕の待遇を改善してください。話はそれからです」


 それまで黙っていた御手洗さんは、ふっ、と鼻で笑うと僕に顔を向けた。


「そういうことは意見陳述書を書いて上司に回せ。それから待遇改善の具体的な変更点に関する書類と自身の活動報告と予算委員会への提出資料と現在の雇用形態の書類と……」


「あーはいはい、分かりました。分かりましたから」


 こんなんだから嫌われるんだ。小声でガキとか言ってんのもばっちり聞こえてるし。


 これから行う日野敗北戦を思い出して、誰にも聞こえないように小さくため息を吐き、黙って辞令を受け取った。初めての部下である。

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