陰謀とレトロ
話は変わるが、英華大には幾つかのコミュニティーがある。ゼミやサークルなんかは他の大学にもあるだろう。同郷の仲良しグループは閉鎖的過ぎるからコミュニティーとは呼べないかな。我が大学では独自のコミュニティーとしてENSなるネットワークサービスがあり、ポータルサイトと連動して学生への情報の発信や相互間交流を促している。
と、建前上はそうなっているものの。
運営管理その他諸々が学生の手に渡ってからはややゴシップ的な色を濃くし始め、学生情報なんかもやり取りされている。ここで彼女を見つけた友達も何人か知っているし、逆に悪い噂が流れてしまった人もいた。トピックス別に情報が管理され、チャットやWebメーラーまで完備されている。ポータルサイトのパスワードと連動しているので安全面とバッチリであり、ほぼ全ての学生が登録していると言っても過言ではないのだ。
そんなENSのトップページ、情報共有欄の一番上に、『急募! 松永教授と親しくしていた七緒明日輝なる学生の情報求む!!』と言うスレが立てられていて、僕は携帯片手にがっくりと項垂れてしまった。スレを立てられるのは副管理人に指名された運営サークルの数人だけだ。つまりそれほどのスレ要請があったのだろう。明日には僕は有名人になってるかもしれない。
ただし、松永先生に取り入った正体不明の悪い奴と言う意味で、だ。
「どうかしましたか? 明日輝君」
全ての元凶である松永先生がコーヒー片手ににっこりと笑っている。わざわざ高級なサイフォン式で入れたコーヒーは嫌味なほど美味しい。
「先生。さっきのわざとですよね?」
「ええ勿論」
やっぱり。
「今年こそ君を私のゼミに入れようと思いまして。去年は最中先生のゼミに行きましたからねえ。なんとしても勝ちたいのですよ」
「誰に勝つんですか。と言うかもっと他に手段はあったでしょう。事務局の人に話を通すとか」
「既に買収済みです」
「ば……買収って、冗談……」
松永先生はにっこりと笑い、無言でコーヒーをすすった。その無言の間が逆に怖い。
ENSが今の形になってから、幾つか議論されている話題がある。優しい言い方をすれば七不思議と言った感じだ。『購買の美人過ぎる店員さん達の謎』とか、『学内に生息する黒猫一家』なんてほのぼのしたものもある中、『松永教授と最中教授の因縁』と言う、かなりギスギスした噂がある。実際の所、因縁なんて言う可愛いものではなく確執だ。知らない人も多いだろうが、大学内の派閥やグループは何も生徒だけのものではない。寧ろ教授同士の争いの方が陰険かつ陰惨なのだ。
最中先生の専門は哲学、詳しく言えば啓蒙主義から発生した英雄哲学である。対する松永教授は英雄法学者。一見仲良さげな分野であるが、裏事情を知っている僕から見れば単純な話だ。最中教授は昔、英雄だったのだ。
つまり、二人は今でも英雄と悪役の闘いをしているのである。
なぜ僕が去年最中教授のゼミに入ったかというと、ただ単に英雄哲学に興味があったからで、仕事に役立ちそうだと思ったからだ。幸い、最中教授は既に英雄と悪役の関係を知っている。だから大学で教授が出来るのだが、まあはっきり言えば数少ない裏事情に精通した人だ。悪役の立場は分かるが英雄の立場や思想を知っていて損はないかな、と言う軽い考えだったのだが、ここにそれが気に入らなかった人がいた。
「もし君が他のゼミに面接やら申請やらを出していたとしても、絶対にこのゼミに来ます。これは規定事項ですから」
いっそ堂々とそう言い切った松永先生は、黒い煙草を取り出して恭しく火を点けた。甘い煙を細く長く吐き出して、にっこりと笑った。ほんの何年か前までこの笑顔が恐ろしいほど苦手だったが、その頃の記憶か甦って来そうだ。去年、散々走り回ってゼミの面接を受けていた自分の姿が、悲しい記憶に変わってしまった。
やけに苦く感じるコーヒーを飲み干して、ふと携帯が赤く点滅していることに気がついた。赤いランプは仕事のメールである。
「あー、そろそろ帰ります。迎えの来る時間なので」
「仕事ですか?」
「ええまあ」
メールを開くと、絵文字もなにもない無機質な文面が出てきた。無題で一言、『到着迄後十分』と書いてある。簡潔過ぎて何だか分かり辛いメールだ。松永先生は壁に貼ってあるカレンダーではなく手帳型の端末で日付を確認して、短い嘆息を上げた。
「今日は日野で敗北戦ですか。それにしてもまだ君は補助指揮官なんですねえ。私の後継なのに」
「大学生が主導指揮官なんてあり得ないでしょう。いくらなんでも」
荷物を持って立ち上がると東西さんと夏目さんが揃って手を振った。二人とも苦笑気味なのは嫌みか。ため息を吐いて煙草をしまい背筋を伸ばす。松永先生に身体を向けて正式な、と言っても悪役式の敬礼なので左手なのだが、昔教わったとおり、一部の隙の無い敬礼をした。
「ありがとうございました」
「いえいえ。頑張ってください」
退官したので敬礼できませんが、と前置きを入れて笑った松永先生は、煙草を挟んだ指を小さく振って頷いた。
―――――――
大学内の貸しロッカーには松竹梅の三つのグレードがある。月額と言う所に大学の商業的感覚を疑いたくなるが、荷物が多い僕は三千円の松コースだ。サークルの部室やシャワー室なんかが詰め込まれた八号館の一階に並ぶ貸しロッカーはいつも騒然としていて、ステッカーやポスター、落書きで埋め尽くされている。そんな所で携帯を見ながらロッカーの鍵を開けていると、再び来た事務連絡のメールに驚き手元が狂い暗証番号を押し間違えてしまった。
「僕に部下? しかも幹部候補生って」
メールはさっきと同じ簡潔過ぎて伝わり難い文章で、『追記。本日幹候が配属』と書いてある。起承転結からどれくらい省いたらこんなに短く出来るのだろうか。
時間も無いので慌ててロッカーからヘルメットを出し、大学西口の駐車場へ走る。まだ四限の講義中の時間だが人は多く、その中を全力疾走している僕はかなり悪目立ちしてそうだ。 だが時間に遅れて詰られるよりはマシと思い我慢。
駐車場横の溜まり場に着くと、大型バイク特有の唸るようなエンジン音が響いており、ちょっとした人だかりになっていた。主に原付で大学に通う顔見知りである。嫌な予感が背筋を駆け上がり、振り返った知人の表情を見て泣きそうになった。
騒ぎの中心にいたのは、ダークブルーのライダースーツを身に纏い、されど上半身だけはファスナーを下ろしてシャツ一枚になった細身の女性であった。乱暴に結われた髪には金色のメッシュが混じっていて、軽く日に焼けた肌はすらりと筋肉がついている。顔はレイバンの角張ったサングラスであまり分からないが、口を開く度に覗く鋭い犬歯はかなり特徴的だ。右手にはスカーレッドのフルフェイスメットをぶら提げている。周りを囲う男達となにやら話が弾んでいるようで、時々ニヤリと笑って自身が跨がっているバイクを叩いて見せている。恐らく新調したのだろう。真新しくも旧型のバイクは、恐ろしいほど輝いている。
「太刀風さん」
名前を呼ぶと、太刀風さんはやっと僕に気がついたようで、ちらりと腕時計を見て苛立たしげに舌打ちした。
「遅い。もう八分も待ったぞ。迎えに来てやってんだから時間ぐらい守れ」
「タイミングが悪かったんだよ。それより、そのバイクはどうしたの?」
「どうしたって、買ったに決まってんじゃん?」
太刀風さんが乗っているのはCB750のラストモデルである。メタリックブルーにカラーリングされたそれは、写真でしか見たことが無いが、バイク乗りにとって実物を見ることは夢のような話だ。特に、今となっては。
「わざわざガソリン車に変えたの? 前乗ってた電動二輪はどうしたのさ」
「知り合いに売った。やっぱりバイクって言ったらガソリンだろ」
誇らしげになだらかな胸を張った太刀風さんは、周りを囲う男達から賛同の言葉を受けて満足そうに犬歯を剥き出した。
化石燃料が一般的に用いられていたのは、最早二十年以上も前の話だ。今や生活の殆どが電気によって支えられており、その電気も原子力発電や自然エネルギーによって作られている。軌道エレベーターですら世界にいくつも作られた今では、化石燃料は採掘自体減少方向に向かっていて、スタンドも充電専用の所が殆どだ。時々見かけてもリッター三百円を軽く越している。なんと言っても、税金が高い。殆ど娯楽目的にしか乗られなくなった旧世代の代物だ。
だからこそ、これほど盛り上がっているのだけども。
「良いから乗れよ明日輝。仕事だ」
「その前に上着て」
今日の僕としては全然良くない。こんな目立つバイクで、しかもそんな目立つ格好で迎えに来られるとかなり悪目立ちする。周りの男達から「ENSの……」と言う言葉が聞こえて来て、少し泣きそうになった。努力して築き上げて来た僕のイメージがたった一日で崩れていくような気がする。松永先生に取り入ったCB750に乗る美女に送り向かいされている男。そんな噂はこれっぽっちも嬉しくない。
フルフェイスメットを被りライダースーツに袖を通した太刀風さんの後ろに乗ると、ギャラリーから唸るような歓声が上がった。何の歓声だそれは。半キャップのヘルメットを被り、カバンを背負って前を留める。僕も普段はバイクに乗っているけど、それはハイパーカブ、つまり原付相当の電動0.6wだ。旧世代の自動二輪を太刀風さんの運転で体感するとは、夢にも思わなかった。遺書でも書いとけばよかった。唸りを上げるエンジンは本物の内燃機関の音で、マフラーからは有害物質たっぷりの排気ガスが吐き出され、それと同時に周りから冷やかすように口笛が鳴った。調子に乗った太刀風さんは更にエンジンを吹かすと、勢い良く走り出した。駐車場横の溜まり場は校門まで一直線だ。このまま行くつもりなのか。それにしても早すぎる。そう言えば、内燃式のエンジンには電動式にはないクラッチというものがあると読んだことがあった。太刀風さんの左手が思いっきり緩められたのを見て、慌てて両腕に思いっきり力を込めた。
冷静に判断できたのは、そこまでだった。
傾く車体。耳を切る風。暴れる鼓動。叫ぶ太刀風さん。流れていく景色。遠のく意識。
あ、なんか綺麗な花畑が……――
―――――――
「は……吐く」
「なに、甘い、こと、言ってんだ、よおえ」
「そっちだってふらふらじゃないか!」
普段は一時間かけて来る道のりを、たったの二十五分で駆け抜けた太刀風さんは、止まると同時に地面にへたれ込んだ。僕は既に地面に沈んでいる。あれは凄かった。事故らなかったのが不思議なぐらいだ。途中でパトカーのサイレンが聞こえた気がするけど覚えていない。
息も切れ切れの状態で目を開けると、そこは見慣れた地下駐車場だった。オーバーヒート寸前のナナハンが熱い。四つんばいの状態でぼろぼろのドアの前に進み、手紋認証装置に掌を当てた。プップー、と言うエラー音声が流れても離さず押し続け、三回ほど鳴った所でやっとピンポーンと間の抜けた認証音声が流れた。同時に地面に崩れ落ちる。ぼろぼろのドアが内側に開き、中から着流しの男性がふらりと出て来てしゃがみ込んだ。大大小の三つ揃え、つまり日本刀の柄が三本目に入る。少し掠れた、明るい声が聞こえた。
「旦那。んなとこで寝てたら風邪引きますぜ」
明らかに面白がっている口調に、思わず泣きたくなった。顔を上げると、無精髭に幾筋かの刀傷が走った、童顔の男が口元に笑みを浮かべて覗き込んでいた。濃紺の着流しは少しぼろぼろで、顎鬚を擦る左手の下にはロレックスの腕時計がしてある。なんとも似合わない。
「斯道さん。そんな事言ってないで手貸して」
「へいへい。幾らでも」
手馴れた様子で肩に担ぎ上げられて、同時に斯道さんは太刀風さんも肩に背負い上げた。唸りを上げる太刀風さん。快活に笑う斯道さん。
そこでふと、こんなとんでもない二人の他にもう一人部下ができるのか、と思ったら、なんだか目頭が熱くなってしまった。




