処刑人と魔女
第一章は執筆済みで全18話です。(ステンの番外編含む)ブックマークしてお待ち頂けたら幸いです。
ある朝、ステンがトルバルの肩を力強く叩いた。彼はまるで老人のように早起きで、毎朝トルバルより先に起きては暴力的に叩き起こした。ベッドはふたりとも使っていない。トルバルはいつも床で寝ようとするステンに対して申し訳なくなり、本人の反対を押し切ってトウヒの枝が敷き詰められた床で寝ることにしていた。時折ロクが気まぐれにベッドで眠ることもあった。
ステンはトルバルの怪我を治療することにやたらと熱心である。それは単なる親切心や慈愛というよりは、人体の構造を熟知した処刑人の職業病のようにトルバルには思えた。
当然ながら、処刑人とは毎日誰かの首を叩き切っているわけではない。それだけでは食っていけないのだ。裏の外科医として怪我人の治療に当たり、死んだ家畜の皮剥ぎや墓地の管理など様々な仕事を並行して行う。
世間から忌み嫌われ、恐れられている存在でありながら、処刑人の持つ医療技術に頼る者は少なくない。普段は処刑や拷問に利用している技術を怪我の治療に転用し、人々の命を救うことで釣り合いを取ろうとする側面もあったのだ。
「来い。診察の時間だ」
トルバルは頻繁に右足の診察を受けた。小屋の中は暗いからという理由で、天気の落ち着いている日には寒い外に引っ張り出されて入念に骨や筋肉の具合を確認され、謎の脂と薬草を混ぜた軟膏を塗りこまれた。
「それ人間の脂で作ってないだろうな?」
「その手の商売はもうやめた。これはアザラシだ」
昼間の光の下で見るステンの顔は想像通り表情の乏しい仏頂面で、歳上とはいえまだそれなりに若いというのに、眉間には深い縦皺が刻み込まれている。それでも髪の色や背格好はトルバルとよく似ていた。
――耳は一瞬でスパッと切るのか、少しずつ切るのかどっちなんだ? 子供の頃にやるのか?
トルバルはステンの髪の間から見える欠けた耳を熱心に見つめ、その視線に気付いたステンから「やめろ」と本気で睨まれてしまった。彼の灰色の瞳は何でも見透かせそうなほどひんやりとした風格を纏っている。
彼は辺境の森に住む世捨て人のわりに身なりを整えており、やけに姿勢もいい。このまま王都へ繰り出しても恥ずかしくないほどだった。トルバルにはそれが不思議だった。
「森の奥の隠遁者って、ボロい服を着て、もっと髪も髭もボサボサで伸び放題の印象なのに、どうして整えてるんだ?」
トルバルが尋ねると、ステンは「偏見だな」と鼻を鳴らした。
「身嗜みは生きる上で重要だ」
彼はそれしか教えてはくれなかった。そんなことより怪我の具合の方がよっぽど興味の対象のようであった。
「——やっぱり折れてはいない。軽く固定して安静にしておくことだ。足首は動かすな。指はたまに動かしていい。紐でギュウギュウ締め付けたり無理矢理揉んだりする医者もいるが、あれは駄目だ。血の巡りは止めるべきじゃないし、腫れた肉はいじるべきじゃない。死体や罪人の身体を弄くり回してわかったことだ」
ステンは怪我や治療の話になるとやたらと饒舌になった。
「まだちょっと腫れてるけど、血を抜くか?」
トルバルの知っている医者は、皮膚に炎症がある時はよく瀉血をしていた。しかしステンの考えはそれとは真逆のようだった。
「そこいらのヤブ医者は何かあるとすぐに血を抜きたがる。それで何かを解決した気になりやがって腹が立つ。血を抜くのも無しだ。あとこの感じなら痛みが走らない程度に歩いても問題ない」
「いったいいくら請求されるんだ? ここまで丁寧に治療する医者も珍しい」
「俺はただの隠遁者だから金に興味はない。治ったら働いて返せ」
「失礼を承知で聞くけど、何か下心でも……?」
トルバルの言葉にステンは呆れたようにため息をついた。
「助けを求めたのはそっちで、俺は中途半端が嫌いな医者。それだけのことだ」
「そうか。じゃあすぐに出ていけるように、今から働いておく」
彼は右足の添え木を麻布でそっと巻いて固定すると、ポン!と患部を叩いた。
「痛ッ!」
正直さほど痛くなかったが、トルバルは大袈裟に声をあげてしまった。近くで雪をほじっていたロクが顔を上げる。
ステンは冷徹に言った。
「いいか。お前に極夜を生き延びる能力はない。どうせ死ぬ。それじゃ治療の意味がない。大規模な雪崩に乗じて逃げたなら脱走したとバレるまでにかなり時間がかかる。追われているのかも疑問だ。それに――」
そう言いかけて、ステンは顔を曇らせた。
「それに、壊れた隠遁者と魔女の住む辺境の森になんか、誰も来ない」
何故彼が若くして処刑人を引退できたのか。引退したのに何故処刑斧を持っているのか。「壊れた」とはどういうことなのか。気になることは山ほどあったが、トルバルは何も聞かなかった。この時のステンの目には何かとてつもなく重苦しい感情が宿っているように見え、軽率に尋ねる気になれなかったのだ。
「魔女がいるのか?」
唯一尋ねることができたのはそこだった。この森にまだ誰か住んでいるというのだろうか。
「あたしのことだよ」
ステンが答えるよりも早く、背後でしゃがれた声がした。見ると、緑色の厚手のショールを巻き付けた白髪の老婆がひとり立っていた。両の肩には遣いの真っ黒なワタリガラスがとまっており、トルバルのことをじっと見ている。
「マヤだ。この森を抜けたところの海辺に住んでる。――マヤ、こいつがトルバルだ」
ステンはトルバルの足に塗った軟膏を自分の手にも塗り込みながら言った。
「ステン、あたしの占いは的中したようね。あなたなら彼を助けられるってわかってたわ」
マヤは優し気な目を細くしてにこにこと笑った。どうやらこの魔女は占いによってトルバルの来訪を予期していたらしい。彼女は穏やかに微笑みながら言った。
「カラスを飛ばしてきたわ。追手は来ていない。占いでも悪い未来は見えなかった。安心してここで身体を休めなさいな。もし何かあったら教えてあげるから」
「すごい。はじめて魔女に会った」
トルバルが立ち上がりマヤと握手すると、彼女は静かに目を閉じ、まるでトルバルの心を感じ取るかのように手の甲をさすった。
「つらい思いをしたようね。この森であなたに会えて嬉しい。ステンもそうよね」
マヤがステンに目線を向ける。だがステンは仏頂面でそそくさと小屋の中に入ってしまった。マヤはそんな彼を責めるわけでもなく、むしろ嬉しそうにしていた。
「気を悪くしないでね。ほんとに素直じゃないのよ。ずっと感情を閉じ込めて生きてきたから。でも優しい子よ。ちょっと優しすぎるくらいにね」
「わかってる。彼には頭が上がらない」
「彼を怖がらないのね。小屋の中の処刑斧を見たでしょ」
「最初は殺されると思った。でも良い人だと思う」
トルバルが言いかけた時、小屋の戸が開いてステンが顔を出した。その手には処刑斧と釣り竿が握られている。「妙な組み合わせだな」とトルバルが言うと、彼は大真面目に「この斧は湖の氷を砕くのに使える」と言った。
「お前も来い。怪我人だからって寝ていられると思うな。釣りくらいならできるだろ」
ステンの言葉には相変わらず愛想の欠片もなかったが、トルバルにとってはわくわくする誘いだった。
「それじゃあ、あたしは顔を見に来ただけだから。いつでも遊びに来なさいな」
マヤは皺だらけの手をひらひらと振って森の奥へと消えてしまった。
次回『第5話 氷上釣り』
7月4日(土)更新予定。
【登場人物一覧】
・トルバル(23〜24)
幼馴染みからの裏切りにより、捨て駒の兵士となった青年。無謀なトロールとの戦闘から離脱し、手違いで西の森へ迷い込む。
・ステン(29〜30)
訳あって王国北部の領主町から追放された処刑人。無愛想だが面倒見が良い。現在は西の森に住む隠遁者。
・マヤ
西の森を抜けた海辺に昔から住む老魔女。トルバルやステンを優しく見守る。占いによりトルバルの来訪を予期していた。
・ロク
甘えん坊のメスのトナカイ。いつまで経っても毛の色が変わらず、小さいまま。




