第二週ダイジェスト「いっちゃん、はじめて給料をもらう」
昭和二十八年。
工場の作業着に身を包んだいっちゃんの新しい生活が始まりました。
昭和二十八年。
私は、無事に就職試験に合格し、広島県の北部にあるG社の製糸工場で働くことになった。
G社で最初に配属されたのは、繭を供給する仕事だった。繭箱を一輪車のような台車に積み、繭糸をほどく作業者たちにひたすら配って歩く。一日に七~八キロは歩くと言われたが、へこたれずに働いた。
朝の工場は、湿気と熱気と繭の匂いがまじり合い、まるで大きな生き物の腹の中で働いているようだった。汗をかきながら繭箱を運ぶ私は、畑や家の仕事をしていた子どもの頃を思い出していた。
――あの頃の重い桶より、こっちのほうがずっと楽じゃ。
厳しく育てられた日々が、こんな形で役に立つとは思いもしなかった。
こうして一ヶ月が経ち、初めて給料をもらった。
これまでひたすら働いて生きてきたが、その報酬としてお金をもらったことはなかった。私は袋の中の現金を見た時、ちょっと感動にも似た気持ちになった。
お金の一部を伯母に送った。
伯母からの返事が来て、
「ありがとう。じゃが給料も少ないんじゃから無理するな。体に気をつけるように」
と書かれていた。
私は、伯母から認められた気がして、少し大人になった気分になった。
「これからは自分で稼いで生きる」
と心に誓った。
G社に勤めているとき、映画を見に行った。
長谷川一夫主演の「花の三度笠」というお正月映画だった。
私はスクリーンに映る長谷川一夫のカッコ良さに一目でファンになってしまった。映画が終わると、花の三度笠のパンフレットとブロマイドを買って帰った。
私は会社の寮に入っていた。二人で一部屋を使っており、2年前に入社した先輩と一緒に住んでいた。私は長谷川一夫のブロマイドを何度も見返していた。
それを見つけた先輩が、
「いっちゃん、長谷川一夫が好きなんだ」と言って、ちょくちょく彼のブロマイドをくれるようになった。
長谷川一夫後援会(今でいうファンクラブ)にも入った。
気づけば、長谷川一夫のブロマイドが100枚を超えていた。
半年後、大阪で長谷川一夫誕生日パーティーがあると聞き、応募して出かけ、参加した。長谷川一夫とファンのみんなで写った写真は私の宝物となった。
仕事に慣れ始めた頃、課長が突然声をかけてきた。
「上山さん、そろばんの資格、持ってるんだって?」
「はい、4級ですが……」
「そうか。それじゃあ、仕事終わりに1日分のまとめ計算をお願いできるかな。もちろん――夜食つきで」
「えっ、夜食が出るんですか? やります!」
私は即答した。戦中も戦後も、いつもお腹を空かせていた私にとって“夜食”ほど魅力的な報酬はない。食べ物さえあれば、私はどこまでも頑張れた。
繭の長さや生産量の計算を丁寧にこなしていると、
「君の計算は正確で助かるよ。それに字も綺麗だしね」
そう課長に褒められた。中学で必死に練習した書道が、思わぬ形で活きた瞬間だった。
ある日、課長が言った。
「今度、事務所に入らないか? ちょうど欠員が出てね。表事務所に入れてあげる」
私は胸が高鳴った。
――私だって、ちゃんと認められるんじゃ……。
「はい、頑張ります!」
そう返事して、配属の知らせを待った。
しかし、私の配属先は“表”ではなく、“工務”事務所だった。
理由はすぐに耳に入った。
「表は顔の綺麗な子じゃないと……」
表事務所に入ったのは、計算もできずそろばんも持っていない、ただ美人だというだけの同僚だった。生まれ持った顔立ち一つで、努力が届かない場所がある――そう言われた気がした。
工務事務所での仕事が始まった。
計算に追われる日々だったが、そろばんの技術が私を助けてくれた。
「表事務所は顔が綺麗じゃないと」
その言葉は、ずっと私の頭に残っていた。でも、
「実力なら、誰にも負けん」
私はその思いをより強くしていた。この工場でそろばん3級の資格を持つ社員は、たった一人しかいない。
ならば私が取ろう。
もらった給料から工面して、そろばん教室に通い、ついに、私はそろばん3級の資格を取った。
「いっちゃん、頑張るね」
同僚からそう声をかけられた時、胸がじんわりと熱くなった。誰かに認められることが、こんなにも嬉しいものだっただろうか。
――容姿ではかなわんでも、努力なら負けん。そうやって私は、少しずつ自分の居場所をつくっていった。
G社では定時制の高校へも行かせてもらえた。
高校の制服を初めて着た時は、「ああ、私も高校生になったんだ」と嬉しくなった。
周りの同級生は、戦争で両親を無くした子がいたり、成人してから来ている人もいた。私は、そんな様々な境遇の人たちと一緒に学ぶのが楽しかった。
しかし、ある日、私は少し呼吸が苦しくなって倒れた。
会社の上司に付き添ってもらい、病院で検査してもらうと、「少し心臓が弱っているから、しばらく安静するように」と言われた。
会社からは1ヶ月の自宅療養を命じられた。寮にいても、何かあった時に対応することができないため、実家に帰るように言われ、仕方なく私は、伯母の家で養生することになった。
(つづく)
ようやく手に入れた自分の居場所、そして学びの道。
しかし、病気のせいで再び伯母さんの家へと戻ることになったいっちゃん。
運命がまた変わってゆきます。
来週もお楽しみに。




