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スープの森〜動物と会話するオリビアと元傭兵アーサーの物語〜 【書籍発売中・コミカライズ】  作者: 守雨
第三章

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88 イヌハッカと新玉ねぎの揚げ物

 山で集めた小さなさくらんぼは、洗って干されてカチカチの種のようになっている。

 オリビアがテーブルの上で傷んでいるさくらんぼを選んで抜き取っていると、アーサーが話しかけてきた。


「種は抜かないものなんだね。小さいから手間が大変なのかな」

「ううん。種からも味と香りが出るとおばあさんに習ったの」

「へえ、そうなんだ」

「実は私も本当かどうかは知らないのよ。種を抜いて味を比べたことがないから」


 笑いながらそう言うと、アーサーは「ふうん」と言いながら興味深そうな顔でテーブルの上のさくらんぼを覗き込む。その腕にはルーカスが抱かれている。

 アーサーはまるで羽枕を抱いているかのように軽々とルーカスを抱く。オリビアは数分ルーカスを抱くだけでも腕が重さに耐えかねて震えてしまうので、アーサーの腕力に本気で感心する。


「あなたは力持ちよねえ」

「なんだい? 今さら」

「私の旦那様は力持ちで素敵だって、ルーカスのおかげで気がついたわ」

「よくわからないが、素敵だと思ってもらえたなら嬉しいよ」


 ルーカスが突然アーサーの顔を見上げながら元気よく声を出した。


「パ! パ!」

「どうした、ルーカス。パって、何を言いたいんだろうな」


 アーサーはオリビアに負けず劣らずルーカスを可愛がっている。今、アーサーは優しい笑顔だ。


「アーサー、ルーカスはパパって言っているのよ」

「そうなの? 本当に?」

「お世話に通って来てくれている奥さんたちが熱心に言葉を教えてくれているの」

「そうか、パパって言っているのか」


 アーサーがルーカスを抱き上げ、グリグリとほおずりをする。ルーカスが嬉しそうにキャッキャと笑う。そんな二人を見て、オリビアは(幸せとはこういう景色のことね)と思う。

 実家ではくつろげなかった自分が、こうしてくつろげる家庭を持てた。それがじんわりとオリビアの心を温かくしてくれる。


「そういえば、フレディ薬草店で『そろそろ持ち帰りの季節だな』ってお客さんに言われたよ」

「そういえばそうね。多めにスープを仕込まなくちゃ。持ち帰りが増えると、夏が来たって気がするわ」

「夏が来たら、俺たちは出会って一年になるんだな」

「あの大雨の日は七月だったから、あなたと出会ってから一年ね」

「あの日は、七月十七日だよ。傭兵を辞めてから二十日たったところだった」


 大雨の中、ずぶ濡れで歩いていたアーサーを思い出したら、オリビアの目に涙が滲んだ。

 アーサーが慌ててルーカスを膝から下ろし、オリビアのところに来た。


「どうした?」

「なんでもない。あの頃のあなたに比べたら、今のあなたは心の傷が減っているの。それが嬉しい。今はもう、心から全然血が流れていないの。よかったなって思ったら涙が出たのよ」

「オリビア……」


 アーサーは愛しそうにオリビアを抱きしめた。そんな二人を見ていたダルが『ツガイ仲良し』とベッドに寝たままつぶやく。


 六月に入ると『スープの森』は持ち帰りの客が増える。


「助かるよ。こうして農作業の帰りにスープとおかずを買って帰った日は、母ちゃんが楽できる。疲れきった日はしなくていい喧嘩をしちまうからな。オリビアのスープのおかげで気分よく眠れるってもんだ」

「マーローの街まで行くのは億劫だが、ここなら馬車ですぐだからありがたい」

「皆さんがそう言ってくださって、私こそありがたいです」

「俺は隣の家の分もだ。合計で八人分頼む」

「俺も隣の家の分を頼まれてきた。六人分だ」


 鍋を二つ用意して店に来ている客は多い。

 農作業で疲れ果てる時期、週に一度か二週に一度、オリビアの作るスープとおかずを持ち帰るのだ。その日は奥さんも休める。それは祖母マーガレットが始めたサービスだ。


「日の出から日没まで妻も夫も働いているのに、家に帰って夫はくつろいでも妻は料理をして洗い物もする。せめてたまには楽をさせてやりたい」


 マーガレットの思いつきで始めたスープの持ち帰りは妻の側にとても好評で、たちまち近所の妻たちに広がった。

 持ち帰りは店で食べるときより値段が安い。それも、慎ましい生活をしている農民たちに評判がいい理由だ。

 今日、夜のスープが午後六時すぎには売り切れた。


「全部売り切れたわね!って。もうララはいないんだった。癖になっているから、ついララに話しかけてしまうわね」


 ルーカスの子守りをしてくれている奥さんは午後二時には帰るし、アーサーは今、帰宅してルーカスにお湯を使って体を洗ってやっているところだ。一人の台所でララに話しかけてしまい、一人で苦笑する。

 ロブとダルが『ん?』と頭を傾けてオリビアを見上げている。風通しのいい窓際で寝ていたスノーが、豪華な尻尾をピンと立てて歩み寄ってきた。


『寂しい?』

「そうねえ、寂しいわね。ララのこと、大好きだったから。スノーは寂しいって言葉を知っているのね」

『知ってる ここ 寂しい ない』

「そうね。ここにはたくさんの仲間がいるものね」

『うん』


 あまり話しかけてくることがないスノーが、珍しく話しかけてくる。ニャオニャオ鳴いているだけだが、オリビアにはスノーの気持ちが伝わってくる。


 ルーカスが裸で走って来た。後ろからアーサーも入ってくる。


『坊や 一緒 寝て いい?』

「いいけど、ルーカスが寝ている時、顔の上にはのらないでね?」

『うん』

「おなかや胸の上にものらないでね?」

『うん』

「じゃ、よろしくね。ルーカスになにかあったら私に教えてくれる?」

『いいよ』


 その日からスノーはルーカスと一緒に眠るようになった。

 スノーはルーカスに寄り添って眠り、たまにルーカスの柔らかい腕をペロリと舐めている。添い寝するようになってからは昼間も一緒にいることが増えて、おむつが汚れるとすぐに教えてくれる。


『ルーカス くさい』

「ありがとう。すぐ取り換えるわね」


 おむつを取り替え、サッパリした顔のルーカスを床に下ろすと、スノーがピタリと寄り添う。まるで母親みたいだ。そうなるとルーカスもスノーに懐き、一日中スノーと一緒に過ごすことが増えた。


 ルーカスは夜、オリビアが使っていたベッドで一人で寝ている。

 最初は夫婦のベッドで寝かせていたが、近所の奥さんたちに止められた。


「もう一歳なんだから、一人で寝かせたほうがいい。赤ん坊はそうやって育てるものだ」


 全員がそう言う。

 そう言われれば自分も物心がついたときから一人で寝ていた。アーサーも「俺と妹は両親とは別室で寝ていた」と言う。


 ルーカスと一緒のベッドで眠る幸せを手放すのは残念だったが、そういう経緯があって今は別室で寝かせている。

 アーサーが柵を作ってベッドに打ち付け、寝返りを打ってもルーカスが落ちないように工夫してくれてある。


 深夜に目が覚めたときはルーカスの様子を見に行く。すると添い寝しているスノーが毎回『私の 赤ちゃん 大丈夫』と頭を持ち上げて報告してくれる。


「ありがとう、スノーお母さん」


 オリビアがそう言うと、スノーはゴロゴロと喉を鳴らして返事をする。部屋に戻りながらまた「ああ、幸せだ」と思う。「おばあさん、おじいさん、私、この能力があっても幸せになれたわ」と声に出してつぶやいてしまう。


     ◇ ◇ ◇


 『スープの森』が休みの日。のんびりと森の浅い場所で薬草を摘む。

 六月は柔らかくて新鮮な薬草がたくさん育つ。冬の間力を溜めていたかのように、この時期の薬草は薬効が強いように感じられる。


「そろそろ刺す虫たちが出てくる季節だからルーカスを連れて行くのは危ないかしら」

「虫よけの薬草はないんだっけ?」

「あるわ。イヌハッカの匂いは虫が嫌がるから、虫除けを作り置きしようかしら」


 祖母のマーガレットから引き継いだ本にはイヌハッカは虫避けの効果がある、と書いてある。


「イヌハッカは便利だわ。生のままお茶にしても美味しいし、玉ねぎと一緒に揚げ物にしても美味しいし」

「イヌハッカの揚げ物? 俺、食べたことないな」

「あら。じゃあ、明日はイヌハッカの揚げ物にするわ。玉ねぎと一緒に揚げると美味しいのよ」


 そのイヌハッカと玉ねぎのフリッターは、新玉ねぎの甘味、さっぱりとしたイヌハッカの香り。菜種油のうま味。小麦粉の香り。削った岩塩をつけて食べると、いくらでも食べられる美味しさだ。軽い仕上がりのイヌハッカの揚げ物は、客に喜ばれた。


「ああ、旨い」

「子供の頃、揚げ物はご馳走だったよ」

「揚げ油は贅沢でしたものね」

「そうだよ。祭りの日だけだった」


 少し前まで揚げると言えば豚から作ったラードを使うのがほとんどで、それだって農民たちは滅多に揚げ物はしなかった。鍋で煮込む、オーブンで焼くと言う調理が一般的だ。

 菜種油で揚げた揚げ物は軽くて美味しいが、贅沢な料理だし手間のかかる調理法だ。


 アーサーは大喜びして食べた。ルーカスもよく食べた。

 干し野菜ではない新鮮な野菜のスープとイヌハッカと新玉ねぎの揚げ物。それを交互に食べる二人を眺めながら、オリビアは満足する。


「料理を作って食べてもらって喜んでもらうって、心が満たされるわ」

「俺は美味しくて心が満たされているよ」

「そうだわ、レジーにルーカスも入れて絵を描いてもらいましょうよ」

「絵の人数が増えていくのは幸せな気分になるよ」


 壁に貼られている四人の絵を見ながら、二人は微笑む。ダルが半分眠りながら『ツガイ仲良し』とまたつぶやいて、オリビアは吹き出した。


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書籍『スープの森1・2巻』
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