72 アオカケス
ラファエルのコンサーティーナの話は、地元の住人と別荘街の住人の間にすぐ広まった。
歌劇場もなく大道芸人も来ない田舎で、貴重な娯楽は人々を強く惹きつけ、昼も夜も『スープの森』は混雑するようになった。
「ラファエルさん、演奏するのは夜だけでもいいんですよ? いえ、毎日演奏しなくてもいいのです。毎日二回も演奏するのはしんどくありませんか?」
「いえ、ご迷惑でなければ、昼と夜に演奏させてください。楽しいのですよ。こんなに熱心な聴衆に恵まれることなど、滅多にありませんので」
オリビアはそっとラファエルの心に意識を向ける。ラファエルの心に嘘はなく、『スープの森』での演奏を心から楽しんでいるらしい。
「では、負担にならない程度にしてくださいね」
「わかりました」
笑顔でそう言われてもまだ、オリビアは心配する。自分が彼に手を差し伸べた結果、重荷を背負わせているのではないかと不安なのだ。
穏やかで裏表がなさそうなラファエルだが、そのうち心の中で『もう飽きた、疲れた』と思ったら。そう思っても、遠慮して言い出せなかったら。
オリビアはそんな取り越し苦労をしている。
ラファエルはロブ、スノー、ダルを引き連れて森へと向かった。用心深いロブが一緒なのでオリビアも安心して見送ることができる。
台所に戻り、肉を炒めながら心の中でぼんやりと考え事を始めた。
(他人の心が読めない人たちは、どうやって人と折り合いをつけて暮らしているのかしら。裏切りや嘘を後から知って、傷つくこともあるでしょうに。私は信用できる人とだけ関わって、信用できない人とは距離を置いてきたけれど)
考え込んでいるオリビアの様子に、ララが目ざとく気づいた。
「オリビアさん? どうかしました? なにか心配事でも?」
「ねえ、ララ。私ってあまり人付き合いをしていないでしょう? だからわからないことがあるの。お客さんがラファエルさんの演奏を楽しみにしているのはわかる。ラファエルさんが皆の期待を喜んでいるのもわかる。でもね、お客さんの期待がラファエルさんの負担になったら、どうしたらいいのかしら」
「んん?」
鍋にたっぷりの水と干し野菜を入れ、野菜の戻り具合を確認しながら、ララが首を傾げる。
ララは無邪気なようでいて言葉選びに神経を使う子だ。以前、花壇の草むしりをしながら『私、家族のことで苦労しましたので。相手の怒りを買わないよう、言葉選びはついつい慎重になってしまうんです』と言っていたのを思い出したのだ。
「ラファエルさんは年配ですから、私たちが心配しなくても大丈夫なのではありませんか? お店での演奏が負担になったら自分でそう言うと思います。もしここを出て行きたくなったら、なにかしら理由を作って出て行きますよ。ラファエルさんは自由な旅人ですもの」
「でも、演奏を楽しみにしてここに来てくださる方も増えているでしょう? ある日突然ラファエルさんがいなくなっていたら、『なんだ、こんなところまで来たのに、コンサーティーナの演奏がないのか』ってがっかりするんじゃないかしら」
オリビアの取り越し苦労を聞いて、ララは驚いた。
「そのときはそのときです。オリビアさんに責任はありません。みんな大人ですもの。オリビアさんが『演奏を聴きに来てください』ってお願いしたわけじゃないんですし。それに、お客さんが演奏を聴くのは、ついでです。みんな、オリビアさんの料理を楽しみにして来てくださってるんじゃないですか。オリビアさん、気にしすぎです」
オリビアがまだ考え込んでいると、ララが励ましてくれる。
「オリビアさん。『スープの森』はラファエルさんの演奏がなくても、ずっと商売を続けてこられたではありませんか。オリビアさんの作る料理、オリビアさんの人柄、植物がたくさん置いてある素敵な店内が、お客さんを呼び集めているんです。もっと自分に自信を持ってくださいよ」
「ララは、楽観的ね」
「楽観じゃありません。真実です。常連のジョシュアさんやボビーさんにも聞いてみたらいいですよ。それにもしもですけど、ラファエルさんの演奏がなくなってお店に来なくなる人がいたとします。それでもいいじゃないですか。そういう人とはご縁がなかったんです」
オリビアは、自分よりずっと年下のララの割り切りぶりに驚いてしまう。「よし、いい具合に戻った」と言いながら、ララは干し野菜を戻していた鍋をかまどに移す。
「私は私が生きていることさえ我慢ならないと思っている人たちと暮らしていました。私のことを嫌いな人がいるのは仕方ないと思っています。『全ての人に愛される必要はない』って、亡くなった母が慰めてくれました」
「全ての人に愛される必要はない……」
「そうです。全てのお客さんのご機嫌を心配する必要はないです。『この店が気に入らないなら、どうぞ他の店へいらしてください』これでいいですよ。このお店が好きだという人はたくさんいます」
「……うん、そうね」
「そうです」
オリビアはいったんその話は胸にしまい、料理に専念することにした。
その頃ラファエルは森の端のあたりを、用心しながらゆっくり歩いていた。
湧き水がチョロチョロと流れ出している場所にたどり着いた。ロブが嬉しそうに水を飲み、ダルとスノーが水を飲んでいる最中にバシャバシャと水の中を歩き回った。
二匹の猫は急いで水場から離れて、毛皮に跳ね飛んだ水を舐めて手入れをしている。
ラファエルは、上着の内ポケットからヨシで作った笛を取り出した。
ずいぶん前にヨシの原っぱを歩いているときに何本かナイフで切り取り、焚火の明かりでコツコツと作った笛だ。
ラファエルは立ったままヨシ笛を吹く。
この曲もやはり自分が作ったものだ。畑仕事をする農夫たち、船に乗って漁をする漁民たち、棒きれを持って走り回る子供たちを思い浮かべながら吹く。
やがて……。
ラファエルはヨシ笛と競うように鳴く鳥の声に気がついた。
(これは愉快な)
ラファエルが笛を吹き続けていると、澄んだ野の鳥の声が近づいてくる。声の主はどこだろうと笛を吹きながら目を動かしていると、少し離れた場所の木の枝に青い鳥がいる。アオカケスだ。
体の大きさは二十センチを少し超えるぐらい。鮮やかな青色の体。首をぐるりと囲む紺色の羽毛。風切り羽と尾羽には紺色のラインが入っていて、ひとマスごとに羽の色が白、青、水色と違っている。そこだけがステンドグラスのようだ。
(これは……)
いったんヨシ笛から唇を離したラファエルが、再び笛を吹く。するとアオカケスも鳴き返す。
やがてラファエルは笛を吹くのをやめて、ただひたすらアオカケスを眺める。そのうちクシャリと顔をゆがめると、片手で顔を覆った。
やがてラファエルは来た道を戻った。
「ナアン」『どうしたの?』
「ナァァン」『どこか痛いの?』
ダルが心配して話しかけるが、ラファエルには動物の心の声を聞きとれない。やがて三匹と一人は『スープの森』に戻った。
ラファエルは店には入らずに庭で薪割りを始めて、黙々と働いている。ダルとロブはオリビアのところに行って、それぞれ報告した。
「ナーン、ナン」『痛いみたい』
「クゥゥン」『泣いてた』
ダルとロブがオリビアに報告する。ララがいるからオリビアは二匹の頭を撫でるだけにした。暖炉の前でお手入れを始めたスノーを見ると、丁寧に前足を舐めながら「ニャアオウ」『悲しんでる』と言う。
「ララ、ちょっとラファエルさんの様子を見てくるわね」
「はいどうぞ」
ララに鍋の番を頼んで外に出ると、ラファエルが薪割りの途中でジッと地面を見たままだ。
「ラファエルさん? どうかしましたか?」
「ああ、オリビアさん、今、ずっと昔にこの世から旅立った人を思い出していたところです。そのうち話をさせてください。この森で、とても不思議なことがあったのですよ」
そろそろ店を開く時間が近づいていたので、オリビアは「休憩時間に聞かせてくださいね」と言ってラファエルから離れた。
その日の昼の演奏もたくさんのお客さんが集まり、ラファエルの演奏を楽しんだ。ラファエルは笑顔で演奏を終え、客たちはラファエルの前に硬貨を一枚、二枚と置いて満足げに帰って行く。
すべての客が帰ってから、ラファエルは自分が故郷を離れて行くあてのない旅に出たきっかけを話し始めた。
※アオカケスの画像はScottによるPixabayからの画像 です。
『王空騎士団と救国の聖女』を毎日投稿しています。
もし気が向いたら覗いてみてください。2月15日現在11話まで投稿済みです。
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