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スープの森〜動物と会話するオリビアと元傭兵アーサーの物語〜 【書籍発売中・コミカライズ】  作者: 守雨
第二章

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36 声を出さない大声

 翌朝、オリビアとアーサーは日の出前に起きた。

 身支度をして静かに一階に下りる。朝食付きの宿なので、もう従業員は起きていた。


「おはようございます。お客様、ずいぶんお早いですね」

「ええ、俺たち、早く出る用事があるんです」

「あのっ」


 オリビアが、思わずといった風に従業員に話しかけた。


「この辺りで王家の狩りが行われるとか。猟師さんがたくさんいらっしゃるのかしら。それとも貴族の方が集まるんですか?」

「金色の鹿が目撃されたんですよ。幸運をもたらす鹿じゃないかって誰が言うともなく噂が広まりまして。ついに陛下のお耳にも入ったそうです」

「陛下がここにいらっしゃるのですか?」

「まさか。陛下のご命令で猟師たちが来るそうですよ」

「それはいつかわかりますか?」

「さあ。今日か明日じゃないかってことくらいしか」

「そうですか。ありがとうございました」

「お客様、朝食はどうなさいますか」

「ごめんなさい、少々急ぎますので」


 オリビアが会話を終えるのを待っていたアーサーが、オリビアに寄り添い、小声で話しかけた。


「あまり時間がなさそうだね」

「ええ。でも大丈夫。私に考えがあるわ」


 宿の建物から出た。

 ロブは宿には入れないので、夜は馬車の下で寝ていた。あくびをし、前足と後ろ足を『ん-』と伸ばしながら馬車の下から出てきたロブは、オリビアを見上げて『ごはん? ごはんは?』と心配そうに聞いてくる。


「朝ごはんは森に行ってからね」

『わかった! ごはん~ごはん~ごはん~』


 ロブはいつも陽気だ。

 人間なら鼻歌でも歌いそうな上機嫌で馬車に乗り込み、床に座っている。マーレイ領から乗って来た貸し馬車に乗り、二人と一匹は森へと急ぐ。アーサーが御者席から話しかけてきたので、オリビアは御者席の後ろの席に移動して、小窓を開けた。


「なあに? なにか言った?」

「ああ。国王陛下のために金色の鹿の毛皮を手に入れるなら、毛皮に傷はつけないような気がするんだ。銃や弓矢は使わないんじゃないかな」

「あぁ、なるほど。じゃあ、どうするのかしら」

「以前、貴族のお供で狩りの護衛をしたとき、熊の毛皮を欲しがっていた貴族は毒と罠を多用していたな。熊には食べ物に毒を仕込んでいたが、鹿はそれが使えないだろうから、罠を使うかもしれないぞ」

「そうかもしれないわね」

「君はどうするつもりなの?」

「鹿は巣穴を持たないから、自由に逃げられるはず。他の鹿の縄張りを侵すことになるけど、あの鹿はそれには慣れているだろうから心配ないわ。あの鹿に、場所を移動するように伝えてみるつもりよ」


 馬車を操っているアーサーは、そう言われてもオリビアがどうするつもりなのか想像がつかない。

「ま、お手並み拝見ということか。それも楽しみだな」

 小声でそうつぶやくと、視線を前方に向けた。

 しばらく移動して馬車は湖の近くまで来た。


「ここでいいのかい?」

「ええ。ありがとう、アーサー。じゃあ、今から声を出さずに大声を出すけど、驚かないでね」

「ああ、うん」

(声を出さない大声って、いったいどうやるんだ?)


 アーサーは怪訝(けげん)に思いながらも口を挟まずにオリビアの様子を見守った。オリビアは湖を背に立った。森のほうに身体を向けて目を閉じ、両手を胸の前で組み合わせて祈るような形にした。

 しばらくそのままだったが、突然アーサーの心に強い衝撃が来た。


『猟師が来る! 金色の鹿の毛皮を狙ってる! 逃げて! 逃げて! 遠くまで逃げて!』


 森中から鳥が一斉に飛び立った。

 同時に様々な野鳥の叫び声が森に響き、アーサーはビクッとなる。

 頭の中に突如響いた声は大きく強く(確かにこれは声のない大声だ)と少し息を乱してオリビアを見る。オリビアは目を閉じたままだ。

 今も繰り返し何度も『逃げて! 猟師が来る!』と声を出さずに強く叫んでいる。


 森の中で大移動が起きていた。

 狼の親たちは自分と同じくらいの大きさに育っている子供たちを引き連れて、オリビアの心の叫びから遠ざかるために移動を開始した。


 熊はオスもメスも走り出した。その巨体に似合わぬ素早い動きは、他の獣たちを刺激した。巣穴を持つ獣も持たない獣も、慌てて湖から離れようとして北へ向かって動き出した。キツネの隣をウサギが走り、茶色の鹿の群れは軽やかに跳びながら移動する。


 金色の鹿もオリビアの叫びを聞いて、優美な長い首を伸ばした。頭を少し傾け、少しの間考え込んでいたが、不安そうなメス鹿たちを振り返るとひと声「キエェェッ」と高く鳴いた。

 そして他の獣たちとは違って、西の方向に移動し始めた。

 

 金色の鹿は長生きをしている。

 人間にも散々追いかけられてきた。人間が街からやってくることも、獣の足跡を追跡することも、犬たちが匂いを嗅いで追いかけてくることも知っていた。

 だから鹿はたくさんの獣が逃げた北へは行かず、街のある東に背を向けて西へと進んだ。


 やがて大きな川にぶつかった。

 川の流れは速いが金色の鹿はためらわなかった。ここを渡れば犬の追跡から逃れられることを知っていた。

 金色の鹿を先頭に、後ろに四頭のメスが続く。五頭の鹿は朝日を浴びながら川を渡り始めた。

 金色の鹿は自分よりもずっと小柄なメスたちが深みにはまって流されないよう、慎重に川底を見極めながら進む。

 やがて全部のメスが川の向こう岸に着くと、石の河原を上流に向かって歩き始めた。石だらけの河原なら、足跡は残らない。



「アーサー、あなたのご家族に挨拶をしたら懐かしの我が家に帰りましょう?」

「もういいのか?」

「ええ。あの鹿は賢いから、今頃は安全な場所を目指して移動しているはずよ。ロブ、少しなら水遊びをしてもいいわよ」

『ごはんは? ごはんはまだ?』

「あっ、ごめんね。忘れていたわ。あなたのために宿の人からゆでた肉とパンを分けて貰っているの。さあ、木皿に入れてあげるわね」


 ロブはバクバクと朝食を食べる。ほんの二十秒ほどで朝食を完食すると、湖の水をゴクゴク飲んで自分から馬車へと向かう。


「ロブは本当に賢い子ね。さあ、アーサーの家に行きましょう。それから帰るのよ。ヤギたちがきっと待っているわ」

「よし、じゃあ君も馬車に乗って」


 オリビアたちの馬車はアーサーの実家へと向かった。

 二人と一匹が三本のグミの木に向かって別れの挨拶をしている頃、街からは大勢の猟師たちが森に向かっていた。彼らは罠による猟を得意とする猟師たちで、「国王陛下に献上する金色の毛皮を我が手で!」と意気込んでいる。しかし。


「変だな。鳥の声がしねえ」

「鳥だけじゃない。ウサギやリスの気配もない」

「おい、これを見ろ。獣道以外にも下草を踏み荒らした足跡がたくさんあるぞ」


 ベテランの猟師たちは「いったい何が起きたんだ?」「こんなことは経験がねえ」「なにか大きな災害でも起きるんじゃないか」と不気味がった。

 それでも自分の役目を果たすべく、その日一日かけて鹿を捕えるための罠を大量に仕掛けた。その間も森は生き物の気配が消えていた。


 翌日も翌々日も、仕掛けられた罠に獲物は一匹も捕まっていなかった。


「森の女神がお怒りなんじゃないか」


 猟師たちの中でも一番年配の男がぽつりとそうつぶやくと、その言葉を待っていたかのように全員が無言でうなずいた。


「猟師を四十年もやってるが、こんなことは一度も経験がねえ。陛下には申し訳ないが、俺は命が惜しい。金色の鹿は森の女神がお姿を変えて遊びに来てるんじゃなかろうか。それを捕まえようなんてことをしたら、何が起きるか」


「確かにそう言われたらそうだ。俺らは国に養ってもらってるわけじゃねえ。俺らに何かあっても国は女房子供を養ってはくれないからな」

「俺は抜ける。罰当たりなことはしたくない」


 日々獣の命を狩っている者たちは信心深い。

 数十名の猟師たちは森から引き揚げた。国のお偉いさんに叱られたって、その時だけ大人しく頭を下げればいい。それで死ぬことはないのだ。

 彼らは命が惜しかった。森の女神のお怒りを受けたくはなかったのだ。



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書籍『スープの森1・2巻』
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