90 旅に想定外はつきもの
海辺の旅は新しい発見が多かった。
大きな船が横切っていくのを見れば、船員が見慣れない肌の色をしていた。
「肌が黒い人なんて初めて見た」
「南蛮人の船ですね。彼らが連れてる奴婢がああいう肌の色をしてますね」
「奴婢……」
クリフォードは奴隷制度にこれまで触れたことがない。国では禁止されているのだ。
「どっかの国で戦争に負けて売られるそうですよ」
「戦争か」
「私達がこうやって旅に出られるのは運がいいだけの話です」
千佐が静かに言う。
「ああやって売られて奴隷になっててもおかしくないのです」
「この国の戦に負けた土地の人間も売られて外の国に連れていかれるなんてのは、ざらにある話です」
世界はクリフォードが思うより、少しずつ厳しい。多分、クリフォードが元いた世界も、そうだ。
大きな神社前の通りで、曲芸を見せている芸人達がいた。
「放下師ですね」
「へえ、すごいな」
玉や小刀を投げてお手玉をしたり、真ん中が括れた変わった形の独楽を空中高く放り投げて紐で受け止めたりしている。
最初は、素直にその芸を楽しんでいたクリフォードだが、なんだか彼らの顔に既視感を覚えた。特にその内の一人の顔が毎日見た顔を思わせる。
ちらりと千佐と目を合わせると、こくりとうなずかれた。
「うちの姉ふうとみつとその夫です」
「長旅お疲れさまです」
「こうやってお話しするのは初めてですかねえ」
放下師達の演技が終わった後、路地の邪魔にならない辺りで彼らと会話をする。清六が彼らに近寄って、クリフォードに紹介した。
放下師達の正体は、やはり早川家の郎党であった。
「明石ですでにお聞きされているでしょうが、ここらの魔物はすでに狩られた後です」
収集した情報を教えてくれる。
「いつもありがとうございます」
礼を言って彼らを労う。彼ら無くして、順調な旅はできないのだ。
「いえいえ、こうやって出稼ぎにもなりますから」
積極的に話をしてくれるのは、清六の姉みつだ。彼女は清六とよく似ていた。小柄でハキハキとしゃべる、先程の演技でもよく動き回っていた。
「その魔物を倒した牢人なんですが」
みつの夫はみつより少しだけ背の高い小柄な男だ。小柄ながら、ガッチリとした肉付きをしている。
「ガラの悪そうな男です。あまり近づかない方がいいでしょう。お見かけしても声などお掛けになりませんように」
男の人相などを教えてくれる。
話はこれで終わりかと思っていると、もう一人の姉ふうが口を開いた。
「六ちゃん、あんたいつ結婚するの?」
清六が目をすがめて天をあおぐ。
「姉さん、今はいいでしょそんな話」
「やめないか、ふう」
みつとふうの夫が止めに入る。
「そんなこと言ったって、もうこの子もいい年なんだよ。いつもいつものらくらと逃げ回りやがって。いい加減、年貢を納めたらどうだい」
ふうはおっとりとした見た目に反して、きつい口調で清六に詰め寄る。
「早く姉さんを安心させておくれよー。あんたが嫁をもらってくれなきゃ、一人前になった気がしないんだよ。あんたは小さい頃、よく熱を出して」
「すいません、行ってください」
ふうの愚痴が長くなりそうなのを察したふうの夫は、彼女を抱えて後ろに下がりながらクリフォード達に出発を促した。
ふうが夫の背中をバシバシと叩いて反抗してるが、夫の方はびくともしない。その傍らで、みつとみつの夫が手を振って見送ってくれた。
「面倒くさい姉ですいません」
「いや、まあ……」
清六はげんなりとしながら謝ってくる。それでも清六が姉達に愛されていることはよくわかった。
今日は早めに休もう、と宿へと入った。入り口近くにいた人相の悪そうな男二人が、にやにやとこちらを見てくる。なんだか感じが悪いな、と思いつつ素通りする。
「ちょっと、この宿を選んだのは失敗でしたかね」
「あの男達?」
「はい。宿自体は良さそうなんですが」
宿はきれいで景色も良く居心地は良さそうであった。
「……ちょっと情報集めに行こうかと思ってたんですが」
「行ってきてもいいよ。なるべく部屋から出ないでゆっくりしとくよ」
清六は悩んでいるので背中を押した。それでも尚も考え込んでいたが、小さい笛をそれぞれに渡された。
「何かあったら、それを吹いてください。聞こえる範囲にいます」
「海きれいだね」
窓から景色を眺めるが、どうも千佐が遠い。随分離れたところに座っている。なぜ今さら遠慮するのか、と思うがこの二日ほどで距離感が再び遠退いてしまった。
クリフォードは、ためらう心をねじ伏せた。
「千佐、おいで」
「! はい!」
腕を広げて、千佐を呼ぶ。千佐ははっとして、その腕の中に飛び込んできた。千佐を抱き締めて、顔を覗き込む。千佐の瞳がきらきらとして見えて、間近で堪能できることを幸せに思う。
「黒を誉める言葉ってどんなのがあるの?」
「黒ですか。……ぬばたま?」
「ぬばたま?」
「黒くて光沢のある木の実なんですが、黒とか夜とか髪などを表現するときにその言葉の前に添えて使ったりします」
その言葉を添えることで意味を強めるのだと言う。なかなか使用が難しそうな表現方法だ。
「後は、烏の濡れ羽色とか」
「烏?」
誉め言葉にその鳥の名が出てくるとは思わなかったので、不思議がったのがそのまま声の調子に出た。
「烏は、神の使いだとされてるんですよ。太陽の中に黒点があるでしょう。あれが、八咫烏と言って三本足の烏だとされてるんです」
「へえ……」
ところが変われば、意外なものが良いものとされている。
「千佐の瞳がきれいだと思ったんだ。黒くて、光が入ると瞳の中に星が輝いてるみたいに見えるんだ。夜空の中の星って言うか……夜空そのもののきれいさって言うのかな」
頬に手を添え、親指で目元の肌を撫でた。千佐がぴくりとわずかに身を震わせる。
「きれいだよ、千佐」
クリフォードは千佐ともっと親密になろう、なってしまおうと心を決めたのだ。あの異界への強制的な別離を経験した結果、後悔はしたくない気持ちが強くなったのだった。
「クリフ様の目もきれいです。高い空のような奥行きのある青です」
「ありがとう」
言葉を懸命に紡ぐ千佐の唇を見つめる。可憐な花びらのような薄紅の唇が愛しくて、その唇をそっと指先で撫でた。
「千佐」
「あ……」
顔を近づけると、千佐がそっと目を伏せる。そのまま口づけをしようと、さらに近づいた。
唇が触れる寸前、扉が開けられた。帰ってきちゃったか、と少し気恥ずかしく思いながら振り返る。
そこにいたのは、清六ではなかった。先程、宿の入り口近くにいた二人組である。
「おお! 上玉じゃねえか!」
曲者か、と思いながら千佐を背後にかばい刀に手をかける。
「両方美人だなー!」
は? と疑問が浮かんで、理解が及ばない。
「とりあえず、女は一発殴っときゃおとなしくなるだろ」
「まずは男の方からだな」
物騒な話し合いを堂々としている。さっさと排除しなければ、とわかっているがその話している内容に関して理解が追い付かないせいで、動きが鈍くなる。
ぴー、と乾いた高い音が響く。
振り向くと千佐が笛をくわえていた。
ダダダダ、と激しい足音が近づいてきた。鬼の形相の清六の姿が見えたと思ったら、すでに一人の男の頭に蹴りを食らわせている。一人を昏倒させたかと思うと、一人の首を絞めながら部屋の外に放り出し、もう一人と共に階下へとぶん投げた。
異様に早く戻ってきたことや普段見せない形相に驚いている内に、何もかもが終わった。
階下から、宿の女将が金切り声で男達をなじっているのが聞こえる。
別方向、宿の庭から揉めている声が聞こえてきたので、窓から下を見る。
清六が平三をしめていた。飯食ってたと言い訳をしているのが聞こえる。
「今日は、もう外に出ませんので。厠へ行かれるときなどは声をかけてください」
「うん」
刀を抱えつつ扉前に陣取りながら、清六が言う。目付きも鋭く、扉をにらむその姿に何も言えなくなる。
上玉ってなんだよ。思いながら、その日はなかなか寝付けないでいたクリフォードだった。




