57 ここは何かあった場所2
ちょっとグロいよ
エレノアは入浴を終えて出ようとしていた。
「そろそろ上がるわ」
側に控えていた侍女に声をかける。体を拭きあげ、髪の水分をとり、寝間着に袖を通そうと腕を伸ばしたところで、彼女は足元に違和感を覚えた。
下を見ると、足の甲に一匹の小さな蜘蛛が乗っていた。
「ひっ」
エレノアが小さな悲鳴をあげると、侍女も蜘蛛の存在に気づく。
「今、捕まえます」
侍女も虫が得意なわけではないが、主人のために捕まえようと動く。
「捕まえ……あっ」
捕らえたと思えば、するりと指の間を抜けて、床を這う。
「やだ」
逃げる蜘蛛を目で追えば、壁を登り出す。壁の蜘蛛を見つめていれば、どこからか別の蜘蛛がやって来る。一匹、二匹……気づけば無数の蜘蛛が壁中を這っている。侍女とエレノアは手を取り合ってそれに怯えていたが、はっと我に返ると慌てて浴室を飛び出した。
「今、誰か呼んできます!」
「一人にしないで……」
浴室を締め切ると、蜘蛛を退治すべく侍女は部屋を飛び出して誰かを呼びに行こうとした。だが、不安を覚えたエレノアがそれを止める。エレノアの懇願する気持ちが侍女にもよくわかった。
「誰か! 誰か来てください!」
侍女は部屋から大声を出して助けを呼んだ。だが、屋敷は静かでなんの反応も返ってこなかった。
らちが明かない。侍女は意を決して、行動する。
「お嬢様、すぐに戻ってきます」
エレノアはうなずいて、今度は止めなかった。部屋を飛び出した侍女の帰りを手を組んで、祈りながら待つ。
「お嬢様!」
侍女が戻ってきた。誰も連れていない。そんなはずはないのに、屋敷に誰も居なかったのだ。
「お、お嬢、さ……」
侍女は目の前の光景に言葉を紡げなくなる。
エレノアはすでに、声を出せる状態ではなかった。上半身は巨大な蜘蛛に咥えられており、下半身には小さな蜘蛛が無数に群がっている。エレノアの体の一部だったものが、部屋中に散らばっていた。
侍女は悲鳴をあげながら、屋敷の外へ飛び出した。
声をかけられながら、肩を揺すられて、早川は幻視から戻ってこられた。あまりに無惨な食われ方に血なまぐさいことに慣れているはずの早川ですら、気が滅入る。
ため息を吐き手で顔を覆う早川の様子が、ナルミス達には物珍しい。
「どうした?」
「ここまではっきりしたのを見るのは、滅多にないことでな……」
気遣いつつ尋ねるが、早川は言葉を濁してはっきりと言わない。
気を取り直した早川は、改めて部屋を見回す。他の部屋にはものがないのに、この部屋は荒れたままに残されていた。これはまずい、と思わされる。
「オスカー殿、この部屋を片付けられないのですか?」
「……どうしていいのかわからないんだ。片付けて何もなかったかのようにしてしまっていいのか、それともこんな痕跡を残したままでいいのか……」
部屋には血痕が散らばり、天蓋は散り散りに破かれている。
「絶対に片付けた方がいいです。私の国では年に一度、故人の魂が帰ってくるとされている日があるのです。そんな風に妹君の魂が帰ってくると仮定して、この光景を妹君に見せられますか? 気持ちよく迎えてあげたいでしょう」
お盆の概念がないであろうが、伝わるようにと説明していく。
「もし、妹君と再会するとして、話したい事柄は過去にあった嬉しい出来事ではないですか? 無惨な事件のことなんて、わざわざ話したいですか?」
「そうか。そういうことか」
「きれいさっぱり掃除して、気持ちよく過ごせる空間にしてあげましょう」
「そうだな。すぐに手配する」
「そして、穢れも祓ってあげた方がいい」
「穢れを祓う?」
これにはピンと来ないのか、オスカーは首を傾げる。
「この部屋に満ちている負の気配を取り去ってやるのです。私の国ならば、香を焚いて経をあげるなり、祝詞をあげるなりするのですが、聖職者に頼めませんか?」
早川の言葉にオスカーは暫し黙考する。
「……勇者殿、あなたに頼むことはできないか?」
オスカーの言葉に、早川は瞠目する。
「私のやり方だと、明らかにこの国の宗教と違ってきますよ?」
早川は当然のように異教徒である。
「構わない。天より遣わされし、勇者殿の力の方が効果があるかもしれない。香を焚くと言っていたが、他にいるものはあるか? すぐに用意させる」
「はあ……まあ、数珠と行って珠を108つ繋げたものを使いますが、なくてもいけます」
「それくらい、すぐに用意できる。珠の材質は?」
「七宝と呼ばれる宝石類が良いとされてますが、ただの木や石でも構いません」
「どんな宝石だ?」
「金、銀、瑠璃、玻璃、シャコ、珊瑚、瑪瑙です」
「直ちに作らせる。今しばらく待って欲しい」
オスカーは言うと、護衛の他に付いてきていた従者に指示を出す。彼は、命令を受けて外へ飛び出していった。
「今、やるんですか?」
「小一時間ほど待ってくれ」
「はあ」
オスカーの真剣な眼差しに断れない雰囲気があった。
急いで戻ってきたオスカーの従者は他にもアンダーソン家の使用人を連れて帰ってきた。その中に紛れ込んでいたのはマシュウ。
「許可を貰いに行ったはずなんですが?」
早川に尋ねるが、早川はまあまあと言って適当に流す。
アンダーソン家の使用人たちがエレノアの部屋を片付ける間、彼らは外に出ていることにした。荒れ出している庭園を眺めていると、ついと裾を引っ張られた。
「英心様はエレノアがどうやって亡くなったのかを見たのですか?」
ルーティアが物憂げに尋ねてくる。
「教えてください」
「……教えられない。あの部屋で魔物に襲われた、それ以上は言えない」
早川の重い口調にルーティアは何も言えなくなる。うつむくルーティアが今にも泣きそうに見えたので、早川は彼女を抱き寄せた。その背を労るように撫でる。
「オスカー殿、当時いた女性と話をすることはできませんか?」
ルーティアを慰めたあと、疑問を解消すべくオスカーに尋ねる。
「榛色の髪に、目元にほくろのある女性です」
侍女の特徴を言い当てた早川にオスカーはわずかに目を見開く。
「彼女は今はまだ当家で保護している。だが、会って話すことはできない。彼女は、当時のことを証言する内に辛い出来事を繰り返し話をすることに耐えかねて、心を壊してしまったのだ。……今は幼い子供のようになってしまっている」
「ああ……それは気の毒な……」
その話を聞いて、早川の疑問は解消された。
侍女が一人取り残された理由である。彼女は恐怖の伝播役にされたのだ。クリフォードも言っていた。わざと一人取り逃がすと。
もうひとつの疑問点は、魔物の姿である。人形が多いとされるが、エレノアを襲ったのは蜘蛛の姿をしていた。
エレノアは起点だったのかもしれない。エレノアを最初に襲うことで、その周囲に恐怖心を根付かせる。その上で、エレノアの姿で彼らの前に現れるのだ。
準備が整った。
「香には周囲を浄めたり、精神を落ち着かせて集中しやすくなるなどの効果があります」
オスカーやナルミス達が見守る中、早川は清めの儀式を執り行う。
「数珠の珠の数が108つなのは、煩悩の数と同じなのです。煩悩とは、人の心の中にある妄執や欲望、心の迷いです。これを断ち切ることができれば、より生きやすくなると言われています」
僧侶時代を思い出しながら、彼らに解説していく。こんな破壊僧に弔われるエレノアを気の毒に思うが、彼女を痛ましく思う気持ちに偽りはない。
「それでは、始めます」
心を込めて、経をあげた。




