48 利己的な人々
馬がかわいそうです。ごめんね。
茶屋を出て歩き出そうとしたときのことだ。
前方から勢いよく駆ける蹄の音が聞こえてきた。美しい葦毛の馬に立派な馬具、騎乗する人物は派手な小袖を着ている。
道を譲るべく脇へと避けてやる。すれ違い様、さっと馬上の男が屈んだ。
千佐をさらって走り去る。
「はあ!?」
呆けたのも束の間。
「殺す!」
「殺しましょう」
物騒な発言と共に二人は行動を開始する。茶屋にやって来た馬連れの男を見ると、クリフォードは彼から手綱を奪う。
「借りるぞ!」
「いや、困る!」
一言言い捨てると、さっさと馬上に乗ってしまう。
「借り賃だ」
清六は馬主に金を押し付ける。
「清六。乗れ!」
すでに馬を歩かせているクリフォードは清六を急かす。駆け寄った清六が飛び乗ると、馬を一気に走らせた。
「いや、こんなはした金!」
馬主は押し付けられた金を確認して地団駄を踏んだ。
千佐は疾走する馬上から地面を見ている。荷物のように脇に抱えられている彼女の視点からは地面くらいしか見えない。顔を巡らしても男の顔を見るのは難しかった。
「ふん!」
懐刀を取り出すと、思いっきり馬の腹を刺す。
「のあっ!?」
刺された馬は暴れて前足を跳ねあげる。勢いで千佐は投げ出される。
転がって衝撃を逃がすと、男の落とした弓と矢を拾って距離をとった。
「痛ってーな。とんだじゃじゃ馬だな」
同じく馬から投げ出された男は体についた土を払いながら立ち上がる。男は千佐に向き直ると、顔をほころばせる。
「改めて見ると、本当にきれーな姉ちゃんだな。こいつはいいや」
「こっちに来るな!」
千佐が言霊をぶつけると、男はそこから足を動かせなくなった。なぜそちらに行くことができないのか理解できず、男は怪訝な顔をする。
千佐は奪った弓を構えようとする。
「ははは。やめとけ。それは並の男でも引くのに苦労する強弓だぞ」
男は侮って悠然と笑う。
「絶対に引く! そこから動くな!」
千佐は再度言霊を使う。
千佐は歯を食い縛るとギリギリと弓を引ききった。矢が放たれるとまっすぐ男に向かって行き、腕を貫いた。
「ぐあっ!」
男は避けることもできずに矢を受ける。
「よし!」
千佐はそれを確認すると木立の中へ逃げ込む。
「ちょ、待」
待てと言いかけたところに、火の玉が飛んできた。
「あっつ!何だこれ!」
火を受けた男は、慌てて手で叩いて消す。
一息つく間もなく、次いで飛んできたのは毒針。吹き矢による攻撃だ。
「千佐ーーー!」
「クリフ様!」
クリフォードの呼び掛けに、千佐は答えて木立の中から出てくる。
「千佐!」
クリフォードは馬から降りると千佐に駆け寄り彼女を抱き締めた。
「ふあ!?」
抱き締められて、千佐は動揺して奇声をあげる。
「千佐!無事か?」
「はい」
「どこも怪我はないか?」
「はい」
頬に手を添えながら懸命に聞いてくるクリフォードに対し、千佐は従順にうなずく。頬は赤らんで声は上ずる。
「良かった……」
気が気でなかったクリフォードは千佐の様子が浮わついていることにも構わず、ほっと息をはくと今度は優しく抱き留める。
千佐は内心激しく動揺しながら、クリフォードの腕の中で彼の体温と胸板の感触を堪能する。
一見、感動的な光景ながらその傍らには毒を受けて息も絶え絶えな男が転がっている。清六はその男の様子を眺めると一つうなずいて、手綱を引きながら踵を返した。
クリフォードと千佐が馬に乗り、清六が手綱を引いて歩いて、来た道を戻る。
クリフォードは彼の胸に頭を預ける千佐を見て、怖い思いをさせてしまったと後悔した。
実際は、千佐はまったく怖がっておらず、ただ甘えているだけである。
一連の自分の心の流れを思い返す。あれほど殺人にためらいがあったのに、衝動が一瞬でそれを覆した。そんなものなのか、と己の信念の無さに落胆しつつ納得もした。
「クリフ様お願いがあります」
その日の宿で千佐と二人きりになったところで千佐に言われた。
「昼間みたいにぎゅって抱擁してください」
「んん?」
妙齢の女性がするにはふしだらなお願いにクリフォードは眉間に皺を寄せつつ、首をかしげる。
「してください!」
強めに言われて、クリフォードは抵抗できなかった。明らかに言霊を使っている。
言われるがまま、千佐を抱き寄せる。
「クリフ様の腕の中温かい。いい気持ち……」
「……言霊悪用しちゃダメだよ」
ふふと笑う千佐に、クリフォードは赤面しながらとがめる。
「悪用なんてしてません」
などと小悪魔めいたことを言う。千佐の内面は年齢より幼いとクリフォードはこれまで思っていたが、こんな反応をされるとわからなくなってくる。
敵わないな、と思いながら千佐を腕の中に収め続けた。
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