誰も知らない
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廃温室に足を踏み入れる。屋根は落ち、細かな金属片が散らばっていた。
繁りすぎて朽ちつつある大型の葉を、手の甲で押して避ける。
緑が深いのに、妙に埃っぽい。人手の寄り付かない場所は、人に作られたまま滅んでいくのだろうか。
鬱蒼とした緑の間で、今動くものは自分一人のはずだった。
ほの白いものが身じろぎする。
悲鳴をあげなかったのは、光景が現実味を欠いていたからだ。
温室の真ん中に、膝を抱えた少年がいた。しかも、振り返った。
「だあれ?」
身にまとうのは、腰布一枚きり。迷子ではなさそうだ。
「調査、いや、写真を撮りに来ていて、ね」
背負っていた荷物から、薄手のパーカーを取り出して、少年に差し出す。
「君、寒いだろう。何をしているのか知らないが、服を早く着たほうがいい」
「服……」
少年は首を傾げる。顔立ちも肌も、この辺りの人のようだが、どうにも浮世離れしている。ぼんやりとした幼い天使のようだった。
「そうか……みんな、行っちゃったんだ」
少年は目を伏せ、唇を震わせる。
「みんないない……」
「みんなって? 友達に置いて行かれたの?」
聞き返すと、少年は首を振った。
「どんな花もここにはあったよ。高山にしかないケシも、熱帯のラフレシアも。さつきもバラも」
緑ばかりが繁り、今はひといろの花もない。少年の言葉で、見覚えのある花を思い浮かべて辺りに配置しても、しっくりとは来なかった。
「ぼくは、望まれない花だった。どこにでもある、珍しくない花。でも、ここにいたかった」
見回しているうちに、少年を見失った。パーカーごと。
だから、あれは幻ではないのだろう。
ただ、少年のいた辺りから、点々と、足跡のように、小さな白い花が咲いていた。
その花の名を、自分は知らない。




