後日談
一年後、私と拓海は、フランスのとあるアパートで生活をしている。産休を利用して、拓海の仕事についてきた。いや、ついて来させられた……
シージャック犯が所持していた銃の出処を探っているうちに、日系貿易企業が浮上したらしい。
この企業は本業とは別で、武器の売買を行い、テロ行為に加担している疑いが持たれている。
「杏奈、行ってくるよ。」
「行ってらっしゃい。」
チュッ♪とリップノイズを立てて、拓海とキスを交わす。
「桃香と柚人、行ってくるな。」
拓海は私の両手に抱っこされている子供の頬にもキスを落として、出勤する。これが毎朝の決まりだ。
拓海は今、問題の日系貿易企業に潜入して働いている。
ガチャ……
丁度隣のドアが開いて出てきたのは、同じ会社の清田だ。彼は、武器密売の中心人物とされている。
「清田さん、おはようございます。」
「おはよう、鶴崎くん。」
「会社までご一緒しても宜しいですか?」
「構わないよ。行こうか。」
拓海と清田が連れ立って出勤していくのを見送ると、主婦の時間が始まる。拓海は早起きし、子供達のオムツ交換をして出ていく。
赤ちゃんも受け入れる施設で過ごしていたからなのか、オムツ交換や抱っこの仕方は、私よりも上手い。
「ふぇ……ふぇ……うぇ~ん!!」
「びぇ~ん!!」
「あぁ!お腹空いたよね!ちょっと待ってね!」
用意していた離乳食を持って、ベビーチェアに座っている子供達の元へ急ぐ。
「はい、桃香あ~ん♪柚人もあ~ん♪」
それが終わると、片付け、掃除、洗濯、子供達の昼寝……
子供達が寝ている間は、主婦とは違う仕事の時間だ。
「さて、フランス語の勉強でもしますか!」
カチャ……ヘッドホンを着け、壁に仕掛けた盗聴機の録音を再生する。
──「ピーピピッ、ピピピッ、ピー……」
ん?この並び、いつも最初に聞くわね……という事は、挨拶か自分の名前か……
──「ピー、トン、ピーピーピッ……」
トンという音をコロンかピリオドだと過程すれば、名前は当てはまらない……うん、最初の音は挨拶……恐らく“H”……
清田の奥さんはイギリス人で、キャサリンこと、ケイト。奥さんとは言っても、まったく夫婦らしい言動は無い。
恐らく清田が持って帰った情報を、奥さん役のケイトが暗号に変換して連絡役を担っている。
そして私は公安の協力者として、この暗号解読の役を任されていた。
何故こんな事をしているかというと、早い話が、公安の柳沢さんと小野さんに嵌められたに過ぎない。
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まだ子供達が3ヶ月になったばかりの頃、突然、柳沢さんと小野さんがマンションにやってきて、拓海にフランス行きを告げた。当然猛抗議!
「まだ子供達が産まれたばかりなんですよ!」
「杏奈さんは今、産休中でしたよね?」
「そうですが……」
「杏奈さんの滞在費も我々が出しますので、産休中は一緒に行かれてはいかがですか?」
「えっ?一緒に行ってもいいのですか♪」
意外と柳沢さんって、優しい~♪
「はい、ちゃんと杏奈さんの仕事も用意してありますから、遠慮なさらないで下さい。」
……はっ?ど~ゆ~事?!
「私に仕事ですか?」
にっこりと微笑む柳沢さん……前言撤回……
嫌な予感しかしないのは、気のせいでしょうか……
「ええ、自宅で出来る簡単な仕事です。」
「書類整理とか、連絡役ですか?」
「単に暗号を解くだけです。」
「……あ、暗号?!」
「はい。簡単でしょ?これさえ引き受けて頂ければ、鶴崎と一緒に行けますよ。」
そ~ゆ~事ね……
「因みに、断ったらどうなりますかね……例えば自費でフランスへ行くとか……」
「同じ部屋に住む許可は、出せません。暗号の解読状況によっては、鶴崎も早く日本へ帰れますし、杏奈さんの職場復帰に間に合えば、一緒に帰国出来ますよ。」
「……」
こ、断れない……相変わらず私に選択権は無いのね……
返事を言い澱んでいると、小野さんが威圧感を醸し出しながらニヤリと微笑を浮かべて、私に目を向ける。
「私達が、杏奈さんのような人材を寝かせておく筈が無いだろ。それに、当事者に近いくらい、事情を把握しているしな。」
「事情を把握していると、何かあるのですか?」
「大した事は無い。知り過ぎていれば、消されるくらいだろ。」
け、消される?!警察に居られないって事?!それとも、戸籍抹消?!どっちも大した事あるわよね!!
使えるものは何でも利用するとは聞いていたけど、まさかここまでとは……
「そういえば、まだ公安に来るかどうかの返事を貰っていなかったな。杏奈さんが公安に来れば、いくらでも職場の融通は出来るという事だ。参考にしてくれ。」
いや……強制でしょ……ってか、脅しに近いわよね……
この瞬間、私は絶対に公安へ入らないと固く誓った……
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夕方になり、拓海が帰宅してきた。
「ただいま。」
「お帰り!今から食事の支度をするわね。」
「フランス語の勉強をしていたのか?」
「ええ。」
「まだやりたいのなら、俺が作るぞ。」
「お願い出来る?」
フランス語の勉強をする……こちらが盗聴されているとも限らない。なので、暗号解読の事は“フランス語の勉強”と言う事にしている。
夜には子供達をお風呂に入れて寝かしつけ、拓海と二人でビールとミネラルウォーターを酌み交わす。
「勉強、大変か?」
ビールを片手に心配そうな表情を浮かべながら、拓海が私の顔を覗き込んでくる。
「最初の方はかなり解ってきたわ。でも初めての言葉だし、少し難しいかな?」
「そっか……俺の上司も杏奈なら出来ると思ってフランス行きを決めたのだろうから、その辺は自信持てよ。」
「うん。産休が終わったら日本へ帰るし、それまでにフランス語を習得出来るよう頑張るわ。」
「でも、無理はするなよ。」
「ふふ!言っている事が、逆よ♪」
そんな日を続けながらも、ケイトとも隣人の付き合いはしている。
『ハイ、アンじゃない。今から買い物?』
『ええ、マルシェに行こうかと思っているの。』
『いいわね。私もベイビー達と一緒に行ってもいいかしら。』
『助かるわ。』
『アンとは英語で話せるから、安心するのよ。フランス語ばかりに囲まれて、嫌になるわ。』
『ふふ!私もよ♪』
引っ越してきたばかりの頃と比べて、ケイトはかなり気さくに接してくるようになった。
まぁ、子連れだから、あまり警戒心を持たれていないのかも……警戒されて引っ越しされると厄介だし、きっと公安の柳沢さんと小野さんは、これも狙っていたのね……
数ヵ月が経った頃、暗号解読も終わり、暗号文のみをピックアップして拓海に知らせるだけの仕事になった。近々、日本の反社会集団との取り引きもあるらしい。その現場を押さえれば、私や拓海はお役御免となる。
そして、何故かお隣さん達にも変化が現れてきた。今まで単なる同居人だった清田とケイトに、お互いを気遣うような言動が見られる。
まぁ、同じ屋根の下で年頃の男女が一緒に住めば、自然な事であって……
だけど、暗号文をピックアップする為に、嫌でもお隣さんの甘い雰囲気を聞かなくてはならない。
物凄く罪悪感に曝されるのは、気のせいでしょうか……
拓海が柳沢さんと小野さんに会う日、先に桃香と柚人を寝かし付けた。寝ている二人の頬をぷにぷにと指で突く。
「ふふ!気持ち良さそうに寝ているわね!天使達の寝顔、癒される~♪」
二人がぐっすりと寝たのを確認して、そっとベッドルームのドアを閉める。
「さて、フランス語の勉強をしますか!」
この日もいつもどおり、少し録音を早送りしながら、暗号文を探していた。
──「Cate、I love you.」
──「Me too……」
──「I wanna make love with you.」
──「Umm……」
ま、また始まってしまった……付き合いたてとはいえ、頻繁過ぎでしょ……
黙って早送りボタンを押して、先へ飛ばす。とは言え、聞き逃しがあってはいけない。数分ずつ止めて、暗号文の有無を確認しないといけない。
気が重いまま、再生ボタンを押した。
──「Oh yes……Oh yes……」
うわわっ!一番聞いてはいけないとこじゃないっ!
「ただいま。」
タイミング良く拓海が帰ってきてしまった。
「お、お帰りっ!」
「そんなに慌ててどうしたんだ?フランス語の勉強中だろ?」
「そ、そうなんだけど……」
言い澱む私を不思議に思ったのか、拓海はヘッドホンを耳に当てて音声を確認する。
「成る程な……」
「そ、その……少しずつしか進められないから、どうしても……」
「だよな……」
拓海は苦笑いしたかと思うと、すぐに挑戦的な笑みを浮かべて、そっと私の耳元に顔を寄せた。
「俺らも負けてられないな。」
ガバッ!と拓海から身体を離す!
「ちょっ、ちょっと!何の勝負よっ!」
拓海は無造作にネクタイを解きながら、少しずつ私を壁際に追い詰めてくる。
に、肉食獣スイッチが入った……
「決まってるだろ?こっちには世界一魅力的な女がいるんだ。チビ達はもう寝たか?」
「う、うん……今日は日本の上司と会うって聞いていたから、遅くなると思って……」
「それは好都合だな。」
ボタンを少しだけ外したシャツの隙間からチラッと見える引き締まった胸元が、拓海の色気を際立たせている。
拓海は、壁際に追い詰めて逃げ場を失った私の髪を掬うように頭の後ろへ手を回し、誘うような艶かしいキスを落としてきた。
「ん……」
深い口付けに絡まる吐息は段々と熱を帯びていき、いとも簡単に私の判断能力を奪っていく……
ゆっくりと唇が離れていくと、艶のある視線が私を射ぬいてくる……
「今すぐに杏奈を抱きたい……」
「もうっ……」
「やっぱりその、『もうっ』っていうの、いいな。凄くそそられるよ……」
「変なの……」
「無自覚か?甘い声で俺を誘ってくるように聞こえるけど。」
「そう聞こえるのは、拓海だけよ。」
「俺だけで充分だ。もの凄く杏奈を甘やかしたくなる……」
拓海は軽々と私を横抱きにして、唇が触れ合う寸前まで笑みを寄せてきた。
「……いいか?」
拓海こそ無自覚だ……肉食獣スイッチが入った拓海の妖艶な色気から、逃れられる訳無いじゃない……
黙って頷くと、拓海の首に手を回す。
「不思議だな。何年経っても母親になっても、杏奈に惹かれていく……杏奈だけを愛してる……」
「拓海……」
「一生解けない魔法にかかったみたいだ……」
「私だって……」
私だって、長い時間を一緒に過ごせば過ごす程、拓海しか見えなくなっていく……これ以上無いくらいに……
「私だって、何?」
「……教えない。」
「なら、続きはベッドの中で聞かせて貰うよ。可愛い声でたっぷりとね……」
今から訪れる甘く長い夜の予感に身体を火照らせながら、ベッドルームへと運ばれていった……
長々とお読み頂き、ありがとうございました!只今、“もののけの嫁として売り飛ばされました!”のスピンオフとして、妖狐族・瞬の話を書いています。また、お目にかかる時にでも読んで頂ければ幸いです♪




