第41話・水難の相
湊総合病院の家宅捜索、事務長と病院長の奥さん及び湖森クリニック医院長の逮捕、取り調べ、送検と、怒濤の日々が過ぎた。
湖森クリニックの医院長が家を訪ねて、地元クリニックへの支援を要請した事があり、拓海の叔父である病院長は、術後の経過などは患者さんが通いやすい診療所へ紹介状を書くよう通達をしたそうだ。
だけど、それを聞いていた奥さんが水増しを思いつき、息子と結託して情報を流させていたというのが全貌だ。
やっと一息つけるようになった頃、捜索一課から猪瀬課長と一緒に呼ばれた。
「杏奈ちゃん、今そっちでやってる保険金詐欺なんだけど、こっちの殺人事件と絡みそうなんだ。」
「八橋さん、本当ですかぁ?」
「そうなんだよ。地元の中小企業の経営者が集まった飲み会の帰りに、橋から転落死した潮田社長に多額の保険金が掛けられていてね。受取人が、温品亮一なんだ。」
捜索一課の八橋さんが資料を広げ、それを猪瀬課長と私で覗き込んで説明を聞いている。
「確かに、二課で調べている詐欺容疑者と同一人物ですねぇ……」
「それで、杏奈ちゃんと一緒に捜索出来るかなぁと思ってね。」
「八橋、それは明日にでもやらないと無理か?」
八橋さんと話をしていると、猪瀬課長が遮ってきた。
「今は保険会社も支払いを保留していますから、すぐに動きが出る事は無いと思いますが……」
「だったら、明日は松浦を休ませてもいいか?総務部が休ませろって煩くてな。」
「明日……駄目です!絶対にダメ!」
えっ?何でそんなに、八橋さんがムキになって止めるの?
課長も不思議そうに聞いている。
「何で八橋が拒否するんだよ。」
「だって明日は……」
八橋さんは、チラッと私に懇願するような目を向けてきた。
明日って、何かあったかしら……
「明日は、ば……」
「ば?」
「バレンタインだし……」
……はっ!そうだ!忙しさですっかり忘れていたわ!
拓海と付き合って、初めてのバレンタインじゃない!何も用意していないわっ!
「バレンタインか……丁度いい。やっぱり松浦は休め。」
「猪瀬課長ぉ~!俺達の希望の光を奪わないで下さいっ!」
はは……八橋さん、そこまで言わなくても、私が毎年捜査二課にしか配っていないのを知っているわよね……
「去年も、用も無い若いのが刑事部をうろついて、邪魔だったからな。」
「そんな……猪瀬課長は鬼だっ!」
「鬼で結構、妻帯者の俺には関係ない事だ。明日の休みは決定だから、明後日までにもう少し詰めた捜査説明をしてくれよ。」
「は~い……」
分かりやすく落ち込んだ八橋さんを気にしながら、捜査二課へ戻った。
昼休憩になったらコンビニへ行って、捜査二課のみんなへあげるチョコを買わないと……
それよりも拓海ね……レストラン予約しても、拓海がその時間までに帰れる保障は無いし……買ってきたチョコもねぇ……
休みだけど、朝から忙しくなりそう……
昼休憩、外から戻ると、分かりやすく落ち込む鑑識課の菖蒲さんを慰める八橋さんの姿が……
「どうされたのですかぁ~?」
「杏奈ちゃん……明日休みなんて……」
菖蒲さんが、子犬のようなうるうるした目を向けてくる。そして、同調する八橋さん……
「菖蒲、泣くな!みんな同じ気持ちだ!」
はは……そんな事言われてもねぇ……
「すみませ~ん……上司命令なものでぇ……」
何とか菖蒲さんを慰めようと声をかけると、拓海が通りかかった。
「あれ?皆さん、どうされたのですか?」
「鶴崎!落ち着いて聞け!明日、杏奈ちゃんは休みになった!故に、杏奈ちゃんからチョコを貰える確率はゼロになったんだ!」
八橋さん……最初からゼロですから……
それを聞いた拓海は、余裕の笑みを浮かべている。
「そうなのですね。僕は今夜宿直なので、元々居ないのですよ。」
えっ?!明日は通常勤務だったわよね?!
「鶴崎の怨念か!猪瀬課長に、杏奈ちゃんを休ませるよう怨念を送っただろ!」
「そんな訳無いですよ。」
この余裕の笑み、絶対に私が休みって聞きつけて、強引に勤務を交替して貰ったわね……
拓海の情報網、侮れないわ……
「そういえば、海外もバレンタインは女子からチョコを貰えるのか?」
八橋さんの疑問に、拓海が爽やかな仮面笑顔のまま答える。
「海外では、女性からと決まっていませんね。恋人達が想いを伝え合う日ですよ。」
「へぇ~、独り身には辛い日だな。」
「そうでも無いですよ。薔薇の花束を渡して告白する男性も多いですから。」
それを聞いた八橋さんと菖蒲さんが、ピクッと反応する。
「男からでもいいんだ……」
「薔薇の花束……」
ボソッと呟いて、二人が私の顔を見始めた。
って、休みの間にデスクが花だらけの情景が目に浮かんでくる……
「お願いですから、居ない間に、殉職した職員のデスクみたいにしないで下さいね……」
迎えた翌日、駄目元でバレンタインクルーズに電話を掛けると、丁度キャンセルが出たとの事だったので、即行で予約を入れる。
夕方には、コートの下にロングブーツ、ニットワンピースを着て、フェリー乗り場で待ち合わせだ。
プレゼントを買いに行く時間が欲しかったので、わざわざ外で待ち合わせる事にした。
「ちょっと早く着き過ぎたかしら……」
思った以上にプレゼントが早く決まり、時間をもて余してしまっている。
「杏奈!」
待ち合わせまで20分近くあるのに、拓海がやって来た。しかも、コートの下にはスーツを着ているようだ。
「拓海?どうしたの?スーツを着て……ドレスコードは無いわよ。」
「うん、き、今日はこれでいいんだ。」
「そうなの?仕事に呼ばれたの?」
「いや、違うけど……それより、乗船時間はまだか?」
「あと10分もすれば、乗れるようになるわよ。」
「そ、そうか……」
な~んか、やけにそわそわしているわね……そんなにチョコが楽しみな程、甘党では無いし……
少し気になったものの、何かあるのならそのうち言ってくれるだろうと思い、スルーする事にした。
乗船時間になり、差し出された拓海の腕に手を添えて、フェリーに乗り込む。
ふと通りかかった壁に貼り付けてある船内見取図に、思わず見入ってしまった。
「杏奈、職業病が出ているぞ。」
拓海に苦笑いされた……
「ついね……捜査のクセで、見取図を頭に叩き込んでしまうのよ。」
「心配しなくても、俺が全部覚えているさ。」
「わざわざ調べてくれたの?拓海も職業病ね。」
「いざという時に杏奈を守れなかったら、話にならないだろ?」
捜査では無いのだから、見取図を覚える必要も無い。それでも覚えてくる事に、私を大事に思っていてくれている気持ちが伝わってくる。
フェリーは湾内を二時間程周遊して、また港に戻る予定だ。
係りの人に案内されてレストランへ向かい、まずはフレンチのフルコースを堪能して、デザートを頂いた。
「ここまでチョコ尽くしだとは思わなかったな。」
「ステーキにかけてあるソースまで、チョコレートソースだったわね。」
「でも、意外な美味しさだったな。」
プレゼントはいつ渡そうかしら……後で、デッキへ散歩に行って……
そんな事を考えていると、また拓海がそわそわし始めている。
「拓海……どうしたの?もしかして船が苦手だった?」
「へっ?い、いや、何でも無い!」
「そう?さっきからポケットを気にしているみたいだし……」
「う、うん……ちょっとメールでもチェックしようかなぁなんて!」
「……?構わないわよ。」
「あ、ありがとう!」
拓海はいそいそとスマホを取り出して、すぐにテーブルへ置いた。
「もういいの?」
「だ、大丈夫だった。何も無かったよ。」
ふぅ……と大きく息を吐き出して、拓海は姿勢を正している。
「あ、杏奈……」
「なぁに?」
「けっ……」
「け?」
「……欠航しなくて良かったな。」
「そうね……天気予報では、星空がきれいに見えるらしいわ。後で、デッキへ行ってみない?」
「そ、そうだな……」
何だか変な拓海……
今度は1つ咳払いをして、姿勢を正している。
「お、俺と……」
「……」
「俺……トイレへ行ってくる!」
「どうぞ……」
ガタッ!と音を立てて、拓海はレストランの外へそそくさと行ってしまった。
「変なの……」
その時、テーブルの上に置きっぱなしだった拓海のスマホに着信が入った。
画面には、“柳沢さん”の文字が……
これって、公安の柳沢さんよね……もしかして、連絡を待っていたのかしら……急ぎの仕事なら、出た方がいいわね……
拓海のスマホを手に取り、通話ボタンをタップする。
「はい。鶴崎くんの携帯です。」
──「……その声は、松浦さんですか?」
「はい、ご無沙汰しております。」
──「鶴崎は側にいますか?」
「いいえ、今、お手洗いへ行っています。」
──「戻ってきたら、伝えて欲しいのですが、マークしていた環境団体がシージャックを起こす情報が入りました。すぐに、港町フェリー乗り場へ来るよう伝えて下さい。」
「えっ?私達、今、フェリーに乗っているのですが……」
──「もしかして、バレンタインクルーズですか?
「その通りです。」
──「松浦さん……ビンゴです……」
う、嘘っ?!
サーッと、血の気が引く音が聞こえた気がした。
水難の相……アゲイン……




