第40話・真実
マンションまで戻ると、エントランスの前には黒いハイヤーが停まっていた。後部座席から、湊総合病院の理事長が降りてくる。
理事長は私の顔を見るや否や、満面の笑みだ。
「お嬢さん、あなたのファンになってしまいましたので、また来ましたよ。」
「ふふ!では、ロビーまでご案内致します。」
昨日と同じく理事長の手を取り、エントランスロビーのソファまで案内する。
腰を下ろした理事長は、ふぅ……と一息ついて私に向き直った。
「お嬢さん、昨日私と会った事は、鶴崎くんには言ったかい?」
「はい。言いました。」
「それで、彼は何か言っていたかな?」
まさか、恨んでいるなんて言えない……
「……特には何も……」
「そうか……」
理事長の顔に、少し寂しそうな笑顔が浮かんでいる。
ざ、罪悪感が……でも、本当の事なんて言える訳無い……
「お嬢さん……」
「はい……」
「ここからは、老人の戯言として聞き流して欲しい……」
「分かりました。」
そして理事長はポツリと語り始めた。
「一昔前になるが、病院を大きくしようと奔走していた一人の医者がいてね……その医者は、病院をたらい回しにされて手遅れで来院した患者を二度と出したくないと、総合病院を作る決心をしたんだよ。」
「……」
「二人の息子も医学の道に進んでくれてね。その医者は地元の有力者の娘と長男を結婚させようと考えたんだ。だが、長男は心に決めた人がいると、拒否してね。そして長男は病院を継がないと言って、籍を抜いて家を出ていったんだ。」
拓海が言っていた勘当された事って、そんな裏事情があったのね……
「三年が経った頃かな。長男から連絡があったんだ。無医村に移り住んで、子供も産まれて幸せに暮らしていると……湊の人間だと名乗る事はしないから、一度、孫に会って欲しいと……」
「それで……」
「夜行バスで午前中に着くと聞いていたから、朝から柄にもなくおもちゃを買いに行って、今か今かと待っていたんだよ。だけど、いくら待っても長男家族は現れなかった……今みたいに携帯電話も無い時代だからね。」
それって、拓海の為に買ったおもちゃよね……きっと、理事長とお父さんの間には、もうわだかまりは無かったんだわ……
「やっと探し当てた時には、長男夫婦は事故で命を落とし、孫は施設に預け入れられていたんだ。次男夫婦に養子として迎えるように言ったが、嫁が拒否してな……嫁としては、自分の子供が病院を継げなくなると考えたのだろう……そして、孫を引き取る事は諦めて、施設に寄付を始めたんだ。」
「そのお医者さんとお孫さんは会われないのですか?」
「名乗るつもりも、会うつもりも無いそうだよ。」
「どうしてですか?」
理事長は、ふっと笑いながら俯いた。
「その孫は、立派な警察官になったらしくてね。その医者の身内から犯罪者が出そうなんだ……名乗れば、孫の経歴に傷を付ける事になるからね……」
理事長は知っているんだ……もう一人の孫である事務長が不正を働いている事を……
「お嬢さん……」
「はい……」
「医者の孫の代わりに、おもちゃを受け取ってはくれないか?」
「……私で宜しければ……」
差し出された箱は包装紙が色褪せて、渡せないまま、ずっと大事にされていた事を物語っている。
「年寄りの戯言を聞いてくれてありがとう……おかげで胸につっかえていた物が取れたよ。」
「そんな……私はただ聞いていただけです……」
「お嬢さんも警察だったかな?」
「はい……」
「では、お会いするのは最後かもしれないな……拓……いや、鶴崎くんと仲良くな。」
きっと、私にも迷惑がかかると思っているのだろう……
黙って頷き、理事長を車まで送り届けた。
「ところでお嬢さん……」
車に乗り込んだ理事長が窓を開けて、私を手招きしている。
「何でしょうか……」
「その……詐欺とか、その手の相談は、何処へ行けばいいのかな?」
「捜査二課……刑事部捜査二課です。」
「分かった。教えてくれてありがとう……お元気で……」
「はい……おじいさんもお元気で……」
そしてハイヤーは、暗闇に消えて行った。
マンションの部屋には、すでに拓海が帰っていて、ソファで寛いでいた。
「杏奈、遅かったな。今日は寝不足だから早く帰ってくると思ってたよ。」
「寝不足にさせた自覚はあるのね……」
「さぁね。最高の女を愛した記憶ならあるけどな。」
悪戯な笑みを浮かべる拓海に、おもちゃが入った箱を手渡す。
「これは?」
「……理事長さんが、バスに乗って帰省する息子夫婦の子供、つまり孫に買っていたプレゼントだって。」
「えっ?!どういう事だ?!また会ったのか?!」
ガバッと拓海がソファから立ち上がった。
「さっきまでロビーで話をしていたのよ。」
「それより、帰省してくる息子夫婦って……」
「たぶん、拓海のご両親……」
「だって二人は勘当されていた筈だぞ!」
「勘当というか……お父さんはお母さんと結婚する為に、籍を抜いて家を出たらしいわ。……その後、和解したのでは無いかしら……」
「そんなの嘘かもしれないだろ!」
「その箱の包装紙を見れば、渡せなかった年月が分かると思うわよ。」
拓海は黙って、箱に目を落とした。
「まさか、そのバスって……」
「……いくら待っても、息子家族は現れなかったそうよ。」
「そんな……」
「孫が施設にいるって聞いて、次男夫婦、つまり今の病院長に引き取るよう言ったけど、お嫁さんが反対して叶わなかった……だから、施設に寄付を始めたって。」
顔を上げた拓海が、私に詰めよってくる。
「理事長は!理事長はもう帰ったのか?!連絡先は知ってるのか?!」
「知らないわ……それに、名乗るつもりも会うつもりも無いそうよ。」
「どうしてだ!本当にそんな事を言ったのか?!」
「本当よ……もう気付いているかもしれないけど、湊に被疑者がいるの。詳しくは言えないけど……」
「前に、打ち合わせで名前が上がっていたな……」
「理事長は身内の不正に気付いていて、名乗れば、警察である拓海の経歴に傷を付ける事になるからと……」
「……」
拓海の目が泳いでいる……薄々気付いてはいたものの、やっぱり戸惑っているようだ。
「昨日、憎むのを止めろとか、許してあげろなんて言わないって言ったけど、訂正するわ。他人の振りをしてあげて……おじいさんの気持ちを汲んであげて……」
「……」
「私、今日はもう寝るわね……」
憎む相手の真実が違った今、一人で考えたい事もあるだろう……
拓海をリビングに残して、そっと立ち去った。
ポロン……ポロン……
「……ん?何の音かしら……」
夜中に聞き慣れない音がして、目が覚めた。
音を辿ってリビングへ行くと、拓海が薄暗い部屋のソファに座って、何かをいじっているみたいだ。
「拓海……」
「ごめん、起こしたか?」
「大丈夫。ところで何の音なの?」
「これだよ……」
拓海の隣に座ってテーブルを見ると、可愛らしい起き上がりこぼしがゆらゆらと揺れていた。
「もしかしてこれって……」
「26歳の大人にプレゼントする物じゃぁ無いよな……」
苦笑いする拓海が、私を抱き寄せてきた。されるがまま拓海の胸に寄りかかり、ゆらゆら揺れる起き上がりこぼしに目を向ける。
「杏奈……ありがとう……」
「私は何もしていないわ。話を聞いて、それを伝えただけよ。」
「それで充分だよ……憑き物が取れたように、スッキリした気分だよ……」
「なら、良かったわ……」
「眠たいか?」
「うん……」
「このまま寝るか?」
「そうする……」
ゆっくりと、拓海の手が頭を撫で始めた。
「拓海……」
「何?」
「……愛してる……拓海に何があっても、拓海の味方だからね……」
「俺もだ……何があっても信じられるのは、欲しいのは杏奈だけだ……」
優しく頭を撫でる手に導かれるように、深い眠りについた……
翌日、湊総合病院の理事長が、捜査二課へ相談に訪れた。私の顔を見た理事長は、一瞬驚いた顔をしたものの、すぐに初対面の挨拶を交わした。
捜査には全面的に協力するとの事を約束し、駐車場のハイヤーまで送り届ける途中の廊下で、前から拓海が歩いてくるのが見えた。拓海の姿を見た理事長は、ピタッと歩みを止める。
「お疲れ様です。」
「拓海くん、お疲れ様……」
「……こちらの方は?」
拓海が理事長に目を留めた。
「こちらは……湊総合病院の理事長さんです……」
「えっ?!」
顔を知らなかったのか、拓海は暫く目を見開いて、じっと理事長さんを見つめている。やがて、爽やかな仮面笑顔を貼り付けながら、拓海が口を開いた。
「施設で育った者が、言っていました。湊総合病院理事長のおかげで、不自由なく過ごせたと……そう、感謝していました。」
「そうか……だが、私が勝手にやった事……礼には及ばないと、伝えてくれるかな。」
「分かりました。必ず伝えておきます。必ず……」
「では刑事さん、行こうか……」
理事長に促されて、再び歩き始めた。
理事長の目には、うっすらと涙が滲んでいた……




