第39話・拓海の葛藤
マンションの部屋へ入ると、拓海はすでにシャワーを浴びているようだった。
はぁ……あそこまで動揺するって事は、かなり深い事情があるのよね……もう少し、聞き方を変えれば良かったかしら……落ち着いた頃に話してくれればいいけど……
でも、怒っていたしなぁ……
ええぃっ!ウジウジしても始まらない!
「よしっ!」
意を決して、バスルームへ向かう。丁度、拓海がシャワーを止めて、湯槽に浸かった音が聞こえた。
「拓海?入るわよ。」
「……えっ?あ、杏奈?入るって?!」
「外が寒くて冷えたから、私も浸かりたいの。」
「ちょっ!ま、待って!」
「待たないっ!」
ガチャ!
タオルを身体に巻き付けてバスルームの扉を開けて入ると、拓海が真っ赤な顔をして目を手で隠している。
ってか、指の隙間から見ているのが、バレバレなんですけど……
「何だ……タオル付きか……」
拓海はがっかりしながら手を顔から外している。
「ふふ!残念でした♪」
そして、タオルを巻いたまま湯槽に浸かり、拓海を背にして寄りかかった。
「ふぅ!いい座椅子だわ♪」
「座椅子って……いつもは誘っても一緒に入らないくせに……」
「拓海のせいで、長風呂になっちゃうからよ。」
ポチャン……
天上から雫が滴り落ちる音が、バスルームに響く。暫く黙ったまま二人で湯槽に漬かっていると、拓海がボソッと呟いた。
「さっきはごめん……」
「何か深い事情があるのよね?気持ちの整理が出来たら、話してね。それまで待つから……」
「気持ちの整理っていうか……湊総合病院の理事長は、俺の祖父なんだ……」
「えっ?親族いたの?」
「まぁな。因みに鶴崎は、母方の名前らしい。」
「そっか……」
「施設にいた頃、受験前になると参考書が送られてきたり、家庭教師のボランティアが来たりしていたんだ。施設の寮長からは、湊総合病院の理事長が、勉強が出来る子供達には思う存分励めるようにと寄付してくれているって聞かされていて……」
「そう……」
「俺も、そんな人を助けられる人間になりたいって、医学部に入学したんだ。」
相槌を打ちながら、拓海の話を黙って聞いた。
「だけど、大学一年の時、母方の祖母の弁護士が俺を訪ねてきて家を相続した時、聞かされたんだ……父親は湊って名前で、総合病院の跡取りだったって……研修医時代、他の病院で働いていた時に、事務員だった母と知り合って結婚の約束をしたって……だけど、あいつの反対にあって、二人は駆け落ちして、事故にあって……」
拓海が後ろから、キュッと私を抱き締めて肩に顔を埋めている。抱き締める腕は、少し震えているようだ。
「今の俺があるのは、あいつのおかげだって分かってる……だけど、許せなかった……あいつの親切は偽善だと知って……あいつさえ両親の結婚に反対しなければ、両親は死ななくて済んだんだ……」
拓海は、もどかしいのね……感謝して尊敬する念と、両親を死に追いやった憎しみ、その二つを抱きながら、葛藤している……
「人を憎んでいる汚ない面なんて、杏奈に見せたくなかった……」
えっ?今更?!
「ふふ!」
つい、笑いが溢れてしまい、肩を震わせてしまった。
「えっ?何も可笑しい事、言って無いよな?」
「充分可笑しいわよ!拓海と捜査二課で出会って5分位で二重人格を見抜いているのよ!なのに、見せたくない面なんて今更でしょ!ふふっ♪」
「……それもそうだな。そんな事があって、絶対医者なんてなってやるかって事で、二年生から他学部へ転部して、警察になったって訳だ。」
ふふ!やっと声のトーンが、いつもの拓海らしくなってきたわ♪
「まっ!借りを返すつもりで、会う事があれば、寄付のお礼だけでも言えばいいじゃない。別に、憎むのを止めろとか、許してあげろなんて言わないわ。」
「えっ?咎めないのか?」
「だって、転部して警察官になったおかげで、私と出会えたのでしょ?そう考えると憎む事も、悪い事ばかりでは無いわ♪」
「そういう考えか……思いつかなかったよ!あ~、杏奈には一生敵わない気がするな。」
「ふふ!私に勝とうなんて、100年早いわよ!」
ふと、拓海が私の顔を覗き込んできた。拓海の顔には、憑き物が取れたようなスッキリとした笑みが浮かんでいる。
「ありがとう……元気出てきた。」
それに微笑んで答えると、チュッ♪と軽いキスが下りてきた。
「ふふ!いつもの拓海ね♪」
「ついでに言うと……」
「ん?なぁに?」
「……別のところも元気出てきた。」
「別の……」
い、嫌な予感だ!冷静に考えると、今置かれている状況って!
「ちょっ、ちょっと待ったぁ~!」
急いで拓海から離れようとすると、ガシッ!と腕に力が入り、身動きを封じ込まれる!
「た、拓海!明日仕事!」
「うん、俺も仕事♪」
「だったら離してよっ!」
「無理!こんな可愛い事をする杏奈が悪い♪」
「そんな!」
「もう、杏奈しか抱きたいと思わない。俺をここまで夢中にさせた責任は取れよ。」
「責任って!ん!んんっ!」
ガシッ!と頭を抱え込まれ、反論の言葉が飲み込まれた!
「ん……」
拓海は私に敵わないって言うけど、肉食獣スイッチが入った拓海には、一生敵わない気がする……
段々と身体の力が抜けて、結局のぼせるまで長風呂となってしまった……
「おはようございます……」
遅刻ギリギリで、刑事部のドアを開ける。
「松浦、やけに疲れているな。大丈夫か?」
デスクへよろよろと座った私に、猪瀬課長が心配そうに声を掛けてくれた。
「だ、大丈夫です。ちょっと寝不足で……」
「帰国してすぐに連日の張り込みだったし、疲れが溜まっているんだろう。一段落したら、休みを取れよ。」
「ありがとうございます……そうさせて頂きます……」
お嬢様笑顔で答える元気も無い……拓海のせいで眠れなかったなんて、口が裂けても言えない……
何とか乾いた笑顔を返すのが、精一杯だ。
「お疲れのところ悪いが……」
鹿野さんの声が聞こえたと同時に、ドンッ!とデスクへ大量の書類が置かれた。
「し、鹿野さん……おはようございます……この書類は……」
「昨日松浦さんが言うとった、湊総合病院の先月分のレセプトじゃ。」
「さ、流石は大病院ですね……量が半端無い……」
「名前の照会はみんなでやるんじゃが、元になる方を……」
「湖森クリニックのデータベース化します……患者名だけでいいですよね?」
「大丈夫じゃ。患者情報の横流しが確定すれば、過去のものはデータ提出して貰えるけ~の。俺らは、湊の方を五十音順に並べとくの。」
「よろしくお願いします……」
ね、眠気との戦いね……
眩暈を覚えながらも、ノートパソコンを開いた。
「お、終わったぁ~!」
夕方を過ぎた頃には何とか入力が終わり、湊総合病院と湖森クリニックの両方を受診している人をリストアップしていく。
「あった!」
「こっちにもあるで!」
出るわ出るわ、同じ名前が次々に出てくる。それらを抜き出して、チェックしていくと、法則性が見えてきた。
「湊総合病院で受診した後、風邪の症状で数日だけ湖森クリニックで受診していますね。病名が咽頭炎や頭痛、発熱といったところです。」
リストアップした患者情報をみんなで精査していく。
「大病院で持病の通院をして、風邪くらいなら診療所で受診しても何も可笑しくは無いからな。だけど、月に100人単位で偶然が重なるのは、不自然過ぎる……松浦の読みが当たったな。水増しなら患者は風邪薬を貰っていない筈だから、薬局の情報を貰えば確定するだろう。」
「課長、これで湊総合病院が関わっている事は……」
「間違いないだろう。問題は、事務長だけなのか、病院長も関わっているのか、理事長が指示しているのか……」
理事長は拓海のおじいさん……そして、病院長は叔父、事務長は従弟になるのよね……
「杏奈ちゃん?」
「……」
少し気持ちに整理がついたみたいだけど、拓海が知ったらショックだろうな……
「杏奈ちゃん、どないしたん?」
はっ!
蝶谷さんに肩をポンッとされて、我に返った。
「ど、どうしましたか?」
「それはこっちのセリフや。残りは俺らがリストアップするさかいに、今日はもう帰り。」
ふと、みんなの顔を見ると、一様に心配そうな顔をしている。
ここは言葉に甘えた方が無難ね……
「すみません……では、よろしくお願いいたします。」
みんなへ挨拶をして、帰宅の途についた。




