244話
トゥーラにはいくつかの悩みがあって、その大部分を占めるのが職務上のことだ。
近衛兵である――貴族の女子の中でも一握りしかなれない、憧れの職業。トゥーラにとっても幼いころから目指した夢だったし、叶えられた時は本当に嬉しかった。
でも、今はたまに思う。
夢は夢のままだからこそ美しいのではないか、と――
「トゥーラは本当、いっつも困ったような眉毛をしてるわねえ」
楽しげに笑い、そんなことを言う人がいた。
悩みの種、その人である。
深くフードをかぶった女性だ。
体もローブで隠していて、露出している部分は手ぐらいなものだろう――だというのに、妙に扇情的というか、なまめかしいというか、直視できない妖艶さがある。
ローブが薄くて豊満な体のラインが出ているからだろうか?
それとも、いいにおいがするから?
わからない、が――わかるべきだろう。
なにせ――酒場。
真っ昼間の、王都の、そのへんのどこにでもあるような酒場では、顔を隠そうが体を隠そうが目立って仕方がないのだから。
いつ誰が立ち上がって『フードをとって顔を見せてくれ』と言わないとも限らない――というかその機会を狙うように、男たちのギラギラした視線をさっきから感じる。
困るのだ。
たいして人のいない昼間の酒場とはいえ、顔を出したら――いや、髪の一房でも見せたら混乱が起こるだろう。
なにせ冒険者に偽装し、鎧を脱いだトゥーラの目の前にいるのは――女王である。
国家の最高権力者ルクレチアが、予告もなく街をうろついていたと知れたら混乱は必至で。
トゥーラは近衛兵として、女王陛下を、むしろ町民を混乱から守っている任務の最中なのであった。
「……自分が困ったような眉毛なのは、生まれつきであります」
「あらあ、そうだったかしらあ? ……たしかに、あなたのマカライネン家は、みんな困ったような顔をしていたわねえ」
ふふ、と笑う。
周囲の男たちが生唾を呑み込む気配が伝わってきた。
しゃべるだけで色香が振りまかれるというのは、いったいどういう仕掛けなのだろう。
この謎のエロさのせいで、近衛兵は毎日『いいですか、陛下を守るのが仕事です。襲わないように』と隊長から注意を受けるのだった。
ちなみに近衛兵は女性しかいない。
女王なので男性を近付けないようにしているのかと最初は思っていたが、男性では堪えられない職場だから自然淘汰で消え去ったのだろうと最近のトゥーラは思っている。
色々な発見があり、色々なトラブルがあり、色々な経験を積んで、色々な対処法を学んだ。
だが――最近、とみに女王が街をその目で見たがるのをやめさせる方法は、目下検討中だ。
「……というかその、あなた様――」
「あらあ? あたくし、言ったわよねえ? 外では、あたくしを、なんと呼ぶのかしらあ?」
「……ルーシィさん、そろそろ店を出てもよろしいのではないでありましょうか? 自分は周囲の視線を感じて居心地が悪いと申し上げますか……」
「あらあ、モテるのねえ、トゥーラったら」
「あなたが見られてるんですよ……!」
「知ってるわあ」
ふふ、と笑う。
……周囲を囲む男たちが、心なしか近付いてきている気がした。
席ごとちょっとずつにじり寄ってきているのだ。
困る。
敵意があったり、武装をしていたりすれば、容赦なく打ち払えるものの――本当に、彼らは悪意もないのにルクレチアの色香に惑わされているだけの被害者なのだ。
「……あの、陛……ルーシィさん、本当にもう、ダメであります。あなた様はひとところに十秒以上とどまってはいけないのであります。罪もない男性でも加害者になってしまうのであります」
「怖いわあ。トゥーラ、あたくしを守ってねえ?」
「いえもうそれは当然お守りするのでありますが……あの、外出のたびにこんな様子では、自分の寿命が縮まると……」
「そうねえ。誰か、そのへんでてきとうな男性でも拾って連れ歩けば、少しはマシかしら?」
「それはそれで不用心な……」
「ああ、いいわねえ、あの子」
ルクレチアが言う。
トゥーラが視線を向ければ――酒場の外、解放された入口そばを横切る人物が見えた。
少年だ。
種族は人間で、髪は黒い。
時々後ろを気にしながら、人混みを見てじれったそうにしながら、走ったり止まったりしている。
なるほど、子供ならばそばに置いてもそう危険はないだろうし、子供がそばにいる女性に声をかけるのは、なかなか難しいだろうから、連れ歩けば少しは周囲からの注目が逸れるかもしれない。
ただ――
「……なんというか、無個性な少年でありますな。一瞬、見逃しかけたであります」
「ほらあ、トゥーラ、行っちゃうわ。捕まえてくださらなあい?」
「いえ、いくらなんでも通りすがりの少年を捕まえるわけには……なんと言って協力をあおぐのでありますか」
「あらあ、つまんないのお」
含むように笑った。
今の一連の会話が本気だったのか、冗談だったのか、トゥーラには判断しかねる。
ただ――少年が人混みに紛れていなくなっても、ルクレチアは動かない。
だからきっと冗談だったのだろうとトゥーラは思うことにした。
そうだ、わからない。
トゥーラにとって、ルクレチアはいちいち意味不明なのだ。
「……ルーシィさんは、なぜ街の視察を繰り返すのでありますか?」
「だってえ、王城って退屈なんですものお」
「……そんな程度の理由で動く方でないことは、すでに承知しているのであります」
「トゥーラってば真面目ねえ。そんなに真面目だと、育つ場所も育たなくなるわよお?」
ルクレチアが腕を組み、胸を持ち上げながら言う。
トゥーラはつい生唾を呑み込みかけたが、それより早く周囲の男どもの熱気が増したのを感じたお陰で、踏みとどまることができた。
「……自分は別に、そんな、職務の邪魔でありますので……」
「あらあ? あたくし、オッタちゃんとトゥーラの胸の成長度合いで賭けてるのよお? 育ってもらわなくっちゃ、困るわあ」
「自分の体で変な賭けをしないでいただきたいのでありますが!?」
「勝った方が成長したあなたの胸を自由にできるとしても、同じことが言えるかしらあ?」
「人の胸を勝手に賭けるな!」
同じことを言おうとしたのに、言葉から敬意がすっぽ抜けた。
最近、前置きなしで不敬な発言がぽんぽん飛び出すようになってきている――トゥーラはこれではいけないと感じるのだが、どうにもできなかった。
これで免職になるような職場なら、とっくに免職というか不敬罪に問われそうだが――
むしろ礼儀を捨て去ることが増えてから、トゥーラがルクレチアのそば仕えを命じられる回数が増えているきらいもあった。
未来の近衛兵を目指す少女たちにどう言っていいかわからない事態が進行している。
「……近衛兵……近衛兵とは……」
「トゥーラは悩むのが趣味なのねえ」
「…………もうそういうことでいいであります」
「じゃあ、そろそろかわいそうになってきたしい? あたくしが出歩く理由を教えてあげようかしらあ」
「……」
遊ばれていたようだった。
トゥーラはちょっとだけ辞職を考える――最近辞表を書くのが趣味になりつつあって、与えられている部屋の本棚は辞表およびその書き方を記した本、有名人の辞表などでいっぱいになっているのだった。
「トゥーラ、店主の方をごらんなさあい?」
楽しげに、歌うような調子で言う。
トゥーラは従った――酒場の店主。少し離れたカウンターの内部には、こちらをギラギラした目で見る人間の男性と、その耳をつねるエルフの女性の姿がある。
夫婦なのだろう。
人間とエルフの、夫婦――
「……仲むつまじそうなお二人でありますが、それがなにか?」
「人種が違うわよねえ?」
「そうでありますな。しかし、別に人間は人間同士、エルフはエルフ同士としか結婚してはいけないという決まりはないのでありますが……」
もっとも、貴族のあいだでは異種族間婚はあまりよく思われない。
というか人間の王都で、人間の王都の貴族という自負が蔓延しているので、貴族は人間同士で結婚をするものというのが常識になっている。
ただ、ルクレチアが異種族間婚を認めていないわけではないだろう。
そんな人ではない、はずだが――
トゥーラは首をかしげる。
ルクレチアが笑って、少しだけ声をひそめ――
「寿命も違うし、常識も違う、価値観も信仰も違うのに、上手にやれている夫婦は、素晴らしいものだと思うでしょう?」
「……まあ、そうでありますが」
「これからの人間とエルフの関係を築くうえで、いい師匠になると思わない? こうしてこっそり見ているだけでも、なにか見えてくるものよねえ」
「…………ああ、なるほど」
ようやく意図がわかった。
これからの人間とエルフの関係――ようするに、最近国交を始めることになった、エルフの森との関係性を学びに来ている、というわけか。
そう言われれば、最近のお出かけで行く場所は、いつも異種族間で結婚した夫婦やら恋人やら、人種は違うが血縁のあるきょうだいやらがいた気がした。
ただし、疑問もある。
「しかし、国と国との関係であります。夫婦関係とは少々違うような……」
「あらあ? 政治の最小単位は『人対人』なのよお? 人が集まって派閥になって、派閥を飲みくだす院があって、院と院がぶつかる議会があって、その議会があたくしと話をする。全部人なのよ」
「……わかるような、わからないような」
「どんなに利益があっても、人は、気に入らない相手とは話もしたくないものですからねえ。貴族だろうが市井だろうが、異種族でうまくやれている人からは、学ぶものがたくさんあるのよお」
「……はあ」
「覚えておきなさいトゥーラ。あなた将来、大臣やるんだからねえ」
「…………はあ!? なぜそのような……」
「あらあ? 近衛兵出身者がそのまま大臣になるっていうのは、昔からある流れよお?」
「いえ、しかしそういうのはなんと申し上げますか、汚い感じがして……」
「人と人の関係だものねえ。汚い部分ばっかりよお」
「……いやいや……」
「あなた、あたくしに遠慮なくあれこれ言うじゃなあい? そういう人材、貴重よ? 願わくばそれが幼さゆえではなくって、あなたの生涯変わることのない性根であってほしいわあ」
「あれこれ言うから、大臣をやれと?」
「そうねえ。あれこれ言わない大臣とか、置く意味ないでしょう?」
「…………突然のことでなにがなにやら」
「まあ、たくさんいる候補のうち一人と認識なさあい? それにまだまだ遠い将来の話だからねえ? 確定もしてないしい? そのつもりで勉強なさいと、そういうことねえ」
「……はあ」
そう言われても、困る。
今は必死なのだ――夢を叶えた先に待ち受けていた現実への対応で、手一杯だった。
将来と言われても。
……今いるこの場所が、トゥーラにとっての『将来』だったから――さらに先の話なんか考えたこともなかった。
一生近衛兵をやって、そのまま死んでいくぐらいに思っていた。
「大臣にならないにしたって、エルフとの付き合い方は学ぶべきよねえ」
「……まあそうでありますな。これからは国交もあるわけでありますから……ただ、別に今までだって王都にエルフはいらっしゃったわけでありますが……」
「それでも、『森エルフ』は、ちょっと独特なのよねえ。なににせよ――国として、エルフという相手は結構な脅威なのよねえ。なにせ彼女たちは寿命が長いんですもの。彼女たちの一世代は、あたくしたちの三から五世代ぐらいあるのよねえ。はあ、あたくしも長生きしなきゃいけないわあ」
「……」
「でも限界があるものねえ。八十とか九十まで現役女王やってられないしい? エルフはいいわねえ、いつまでも若く、長く生きられて。だから――後事をたくせる人材を、あたくしはいつでも捜しているのよお? あなたたちみたいに、よく鍛えていて暗殺もされないような、強く清廉な乙女をねえ」
「別に乙女でなくてもいいと思うのでありますが……」
トゥーラはいちおうつっこんだ。
ルクレチアが微笑み、立ち上がる。
「じゃあ、次、行きましょ? 視線が気になるって言うなら、あたくしをジロジロ見ない男性のいるところへねえ」
「……城にはまだ戻られないのでありますか?」
「近々、またエルフと正式な会談があるでしょう? それまでに考えをまとめておきたいのよねえ。他に国交のある獣人やドワーフも招かないといけないしい? ドライアドや魔族なんかとも、手を結んでおきたいわねえ」
「そう慌てることもないような……」
「慌ててないわよお。遅すぎるぐらいだわあ。だって――五百年前にやっておくべきだったはずだからねえ」
「……」
「建国の英雄アレクサンダーや、初代女王イーリィのやるべきだった仕事なのよねえ。というよりい? 今のあたくしより、当時、色々な種族と旅をした彼らの方が、こういう仕事は向いてたと思うのよねえ。……はーあ。あたくしも、冒険者でもやってみようかしらあ?」
「それはおやめになった方が……」
「アレクに鍛えてもらえば、あたくしもひとかどの冒険者になれると思わなくて?」
「それは、絶対に、おやめになった方が」
「あらあ? ……ふふ、でも、立ち止まってる時間はないのよねえ。トゥーラも色々考えて行動なさあい?」
ルクレチアは手をひらひら振ると、さっさと酒場の出口を目指し歩き出す。
トゥーラは慌てて続いた――払いはすでに済んでいるな、と、いちおう頭の中で確認する。
……ともかく、振り回される毎日はまだまだ続きそうだ。
夢はガンガン現実になっていく。
辞めたいと思うこともあるし、疲れたと思うことも多いけれど――
間違いなくやりがいはあって、だからけっきょく、この現実を自分は結構好きなのだろうとトゥーラは思った。




