239話
「そういえば一番の謎が残ってるな」
『銀の狐亭』従業員寝室――
部屋に入ったところで、アレクはふとつぶやいた。
時刻はとうに夜だ。
ホーとヘンリエッタが暴れ回ったせいで――
というかヘンリエッタがホーを追いかけ回したせいで宿屋内がしっちゃかめっちゃかになり、やたらと忙しかった。
その片付けをとりあえず終えたところだった。
ブランとノワは風呂に入っている。
今、アレクの他に部屋にいるのは、ヨミだけだ。
「一番の謎?」
ベッドの上、ちょこんと正座しているヨミが首をかしげる。
黄金の髪が揺れて、大きな三角の耳がぴくぴくと動いた。
アレクはなんとなくその耳を見てから――
「なんでお前が、俺に味方し続けてくれるのか」
「……えええ……それ聞くの? 野暮だとか思わない?」
「いや、なんていうか――あの時俺は、お前が味方に入ってくれるとは思わなかったんだよ。アレクサンダーさんに味方するまではないとしても、せいぜい不介入かなとは思ってた」
「ああ、最後の?」
「そうそう。まあ、最後のっていうか――最初からっていうか」
「それがわからないってことは、わかってやってたわけじゃなかったんだね……」
ヨミがガックリと肩を落とした。
アレクは首をかしげる。
「わかってやってた、って、なにを?」
「……解説するのってものすごく野暮だから、したくないんだけど……」
「でも気になるし……」
「アレクはぼくが一番ほしいものをくれたから」
「………………なんかプレゼントしたっけ」
「お店だよ」
「……お前、店がほしかったの?」
「そうじゃなくって――ようするに、『拠点』」
「……ああ、なるほど」
「ピンときた? ぼくはまあ、なんていうか――やっぱり昔いた『輝く灰色の狐団』の空気が好きでね。パパがいて、ママが二人いて、子供たちがいて、騒がしかったり、ギスギスしたりすることもあったけど、なんだかんだ居心地のいい場所……そういうのが、ほしかったんだ」
「……」
「だからさ、冒険者やめてお店持つ時に、当たり前のようにぼくも一緒に、ってなってたじゃない?」
「……なってた。特になにを思うでもなく、ヨミと離れる可能性は考えてなかった」
「あれがプロポーズみたいなものかと思ったんだよ。ぼくが失ったものを、あなたがくれるんだって、そう思ったんだ」
「…………」
「まあ考えてなさそうだなあとも思ってたけどね!」
ヨミが『笑うしかない』という感じで笑った。
アレクは感心したようにうなずく。
「なるほどなあ」
「そのリアクションは、後ろから刺されても文句言えないと思うよ……」
「いや、だってさ、あの時はまだ血縁のありなし確定してなかっただろ?」
「してなかったけど、重要?」
「…………どうだろう、俺はお前のそのへんの感覚が、結構すごいと思ってる」
「だって身寄りのない人だらけだったし。血縁とか気にしてたらなんにも始まんないよ」
「……まあ、たしかめる手段がないような人も、結構いたな」
「ひょっとしたらモリーンさんとぼくが姉妹だっていう可能性も、ないではないでしょ? あの人も身寄りがないわけだし」
「……たしかに、まったくないとも言い切れない。DNA鑑定とかもできない世界だしなあ」
「だから、血縁をぼくは重要視しないよ。別にいいじゃない、実妹でも」
「倫理観が壊れている……」
「……いや、死生観壊れてる人に言われても」
「俺はちゃんと死ぬの怖いよ。セーブしてなきゃ死にたくない」
「泣いて嫌がったぐらいだしね」
「そうだよ。だから――カンストできたんだ」
死ぬのが怖い――だなんて、最初から知っていたはずだった。
命は大事――なんて、言われるまでもないはずだった。
不思議なことに。
死に続け、命を消費し続けたからこそ、『失えないもの』の価値がわかるようになった。
……気がする。
「カンストは間違いなく俺のアイデンティティだと思う。俺は――俺の人格みたいなものはけっきょく変わらないだろうけど、それでも、臆病だからやってきたあれこれを前向きに捉えることができるようにはなった気がするよ」
「そう」
「ところで、アレクサンダーさん――黒アレクさんと俺の違いってなんだ?」
「黒アレクって……」
「アレクサンダーさんを『アレクサンダーさんだ』って見抜いた理由があるとか言ってなかったか?」
「ああ、それね」
「俺も聞いておきたいと思ってさ」
「まあ、そっか。ゴタゴタしてたせいで、アレクサンダーさんにも言うの忘れてたけど――」
ヨミが苦笑する。
なぜか尻尾を左右に振って、ちょっと恥ずかしそうに――
「異質さ、かな」
「……アレクサンダーさんが異質、っていう話じゃないよな?」
「ううんと……どう言えばいいのかなあ……アレクはね、なんていうか分け隔てあるんだよ」
「……ええと」
「連れて来るお客さんとか、世話するお客さんに、パターンがあるの」
「それは?」
「『空回ってる人』」
「……そうかあ?」
「『家督を取り戻す』っていう目的のロレッタさんとかってさ、あれ――『指輪』を取り戻さなくてもどうにかなるじゃない? というかむしろ、家督問題なんて憲兵に訴えるべきで、わざわざ普通は入れば死ぬような難易度のダンジョンに挑んで拾って、それから糾弾するだなんていう手間はいらないでしょ?」
「…………そう、かな?」
「モリーンさんもさ、育ての親のために、って最初は行動してたけど――家帰って門前で訴えた方が、いるかもわからない『狐』を探すより早いんじゃないかなあ?」
「……まあ、そうかもな。あそこの家の事情は、あとからわかったことだし」
「ホーさんは特にそうだよね。なんか、がんばる方向が行方不明じゃなかった?」
「………………うん、まあ、はい」
「トゥーラさんは――女王陛下からの依頼だし、『アレクが世話すると決めたお客さん』っていう感じじゃないよね?」
「…………そうだな。近衛兵になるための正規の手続きとして修行しただけだな」
「ソフィさんなんて、最初は絶対、この宿のこと知らなかったよ。なのにあんな修行する羽目になっちゃって……」
「……そうなのか」
「コリーさんもなんていうか――もっとおじいさんと話し合えばよかったのに」
「……それは結構そう思う」
「そういう意味では、オッタさんはちゃんとしてたね。他にやりようがなかった。ただ――エンさんはだいぶ空回ってたと思う。だからお客さんでも恩人でも家族でもないのに、やたらと肩を持ったんでしょ?」
「必要かどうかだけ見れば、エンさんのしたことは無駄だったかもしれない。でも――」
「でも、応援したかった」
「……」
「そこがアレクのいいところで、どうかと思うところだよ。彼女たちにはもっと楽なやり方があって、その指摘はできたはずなんだよ。でも、アレクは彼女たちのやりたいようにやってもらうことにこだわった。空回っている努力を空回らせないことに腐心した」
「……そう、だな。性格的にどうしても選べない選択肢もあるって、俺は思ってるから」
「普通の人が馬鹿にしたり、理解できないと鼻をつまんだりするようなもの――今のぼくみたいに、ひどい言いようもできるような人たち相手に、向き合い、助けた。それがアレクの『パターン』だよ」
そういうことらしい。
アレクとしては、ちょっとこじつけっぽく感じなくもない。
少なくとも、ヨミの目にはそう映っている、という程度のことなのだろう。
ならば――
「テオドラさんからは? オッタさんまでが『空回ってた』なら、『空回ってない』人たちだとでも言うのか?」
「アレクの接し方が違ったんだよ。なんか『お前のがんばりは違う』っていう感じだったよ」
「……いやあ……そうかあ?」
「神様はいる! っていう人に『神はいない』って突きつけてみたり、都市伝説の真実を追い求める人から、都市伝説の真実を隠蔽してみたり、一番ひどかったのはメリンダさんとリンジィさんだよねえ。確実に心を折りにいってたでしょ、あれ」
「……そうだったのか。いや、俺視点だと、アレクサンダーさんはうまくやってたと思うんだけどなあ……っていうか心を折りにいってたとわかったなら、止めてくれよ」
「あとから結果を見てそう思ったんだよ」
「……予定外の結果になることだって、あるだろうに」
「予定外はあるけど予想外はないでしょ?」
「……そこまで色々予想できるのはお前だけだよ」
「ところで」
ヨミがぴょんとベッドから飛び降りる。
そして、アレクに詰めより――
「お義母さんのこと、大好きでしょ。あと、カグヤさんのことも」
「……え? どういう流れ?」
「アレクは空回ってる人が好きみたいだからねえ。ここ五百年でお義母さんほど空回ってた人はいないと思うよ」
「……否定できないけど……なあ、やっぱり母さんのこと嫌ってないか、お前?」
「実は昔からこんな距離感だよ」
「……」
「あの人は――ママかもしれない人、だったからね。嫌っているっていうのは、事情を考えれば全然ないとは言えないのかもしれないけれど、ぼくとしてはどっちかっていうと『遠慮してない』っていうつもりだよ」
「全然ないとは言えないのか」
「言えないよ。教育に悪いのも事実だし、ブランが最近やたらとあの人から色々学んじゃってるみたいだし、お客さんのおごりでご飯食べてるし……」
「あの人の貢がせスキルは相当なものだから……まあ、俺が見えるタイプのスキルじゃないけれど」
「一番貢いでるのは今のところ、衣食住の世話をしてるアレクなんだけどね……」
「……いつか働くよ。きっと、俺が死ぬまでには……」
「まあ、いいんだけどね」
ヨミは表情をゆるめる。
そして――
「……うん、別人格じゃなさそう」
「……チェックされてたのか。たぶん俺に別な人格はもうないよ。というか――最初からなかったんだ。強いて言えば、俺が別人格みたいなもんだし」
「そうだね。じゃあ――おかえり」
「……ただいま」
――ようやく帰還を実感する。
……前世、もうなんのためにのぼっていたかもわからない、真夏の坂道を思い出す。
きっと、のぼりきった先には、なにもなかったのだろう。
坂道の向こうには、坂道の向こうがあるだけだ。
見える景色はきっと、こんな、なんの変哲もない日常で――
だから。
アレクはようやく、日常の価値を知った。




