235話
情報量にめまいを起こす。
彼はかぶりを振りながら、上体を起こし、自分の体を見下ろす。
漆黒の鎧。
指先や肘など、角の多い鋭いデザインの――鋼のヒトガタ。
不死身の、体。
初めて得た――誰と共有することもない、自分だけの、体。
「……」
彼は拳を握りしめる。
肉体の――体の機能は十全だった。
視界はハッキリしている。
ドーム状の空間、宝石のように輝くツタが天井からぶらさがり、そこここには光の粒子が舞っているのが見える。
なんという幻想的なことか――
しかし、触覚。
触れた地面はたしかに岩のような硬い感触で、冷たくて、痛いぐらいに現実味のある地面だと彼は思った。
嗅覚。
潮の香り。
この洞窟には海風がかすかに吹き込んでいるのだろう。鼻孔を撫でる独特なにおいを表現する術を、彼は持たなかった。
ただ――いいにおいではないな、と思う。
だからこそ彼は、感じた潮の香りを愛しく思った。
「成功だね」
聴覚がヨミの声を捉える。
声の方を向けば、金色の狐獣人がいた。
彼女はしゃがみこんで、アレクに――生身の方のアレクサンダーに、膝枕している。
魂が抜けた影響で倒れこみでもしたのだろう。
アレクは――まだ、目覚めてはいない様子だった。
このまま眠られていても困る。
アレクサンダーは立ち上がる。
鎧と化した体は気遣いなく動いても、音を立てなかった。
それは鍛冶神と呼ばれたダヴィッドの技術ゆえだろう。
間違いなく最高の体。
そこに先ほどまでの、すなわちアレクと体を共有していた時と同じステータスやスキルがあるのを、彼はたしかに閲覧し、確認した。
まさしく無敵の気分だ。
もっとも、たとえ無敵でなくても――赤子のように脆弱であっても、彼がとる行動には一切の変化がないけれど。
「起きろよ、アレクさん」
漆黒の鎧は語りかける。
反応はない。――だから、言葉を続ける。
「いつまで寝てるつもりだ。いつまで――引きこもってるつもりだ」
ピクリ、とアレクの指先が動く。
彼は思い出しながら、続ける。
「起きろよ。あんたも、わかってるだろ? あんたは俺に、言わなきゃいけないことがあるはずだ。無言のまま責任をとったみたいに引き下がるんじゃなくって、きちんと、面と向かって言わなきゃいけないこと、あるだろ」
アレクのまぶたが動く。
アレクサンダーの言葉は、止まらない。
「あんたがどう思ってるか、俺には聞く権利がある。だから起きろ。アレクさん。起きて――俺に精一杯の、みっともない言い訳をしろ!」
感情を抑えきれなかった叫びが、洞窟内にこだました。
ほんの少しの、静寂があった。
そして――
「……言い訳は、したくなかったな」
かすかな声だった。
目覚めたてだとしても、あまりに弱々しい声。
注目が集まる中――
アレクが、上体を起こす。
「というかむしろ、言い訳のしようもないと思う。俺は――たぶん、あなたが俺に言おうとしていることに対して、なにも言えないよ。アレクサンダーさん」
その静かな、あきらめたような声音に――
アレクサンダーと呼ばれた漆黒の鎧は、憤った。
「いや、言い訳のしようもなくても、言い訳をしてもらう。みっともなくたって、あがいてもらわなきゃ、いよいよ俺は、あんたを許せない」
「……」
「だから――聞かせてくれよ」
漆黒の鎧が、アレクへ近付いていく。
そして、口のない顔で、述べる。
「産まれたての俺の体に異世界から憑依して、俺の人生を奪ったあんたは、どんな気分なのか聞かせてくれ」
その言葉を受けて――
ヨミが、アレクを見た。
アレクは否定しない。
無言のまま、彼の主張を――本来アレクサンダーとして産まれ、アレクサンダーとして過ごすはずだったのは、今、漆黒の鎧を体としている彼なのだと、認めた。




