231話
ここから彼がヨミにした質問は、興味本位の面が大きいだろう。
知らなくてもこれからの修行に支障はない。
でも、知っておきたい――そんなような、問いかけのつもりだった。
「『真白なる夜』は英雄殺しを目的として、そのための技法を開発していた。そしてその技法は完成した――ん、だよな?」
「そうだね」
ヨミは応じてくれた。
まったく無視で修行に移行する――とかいうことはしないらしい。
だからアレクサンダーは続けた。
興味本位に過ぎない質問を。
「術は完成できたんだろう? だったらなぜ、『真白なる夜』は英雄アレクサンダーを殺してやらなかったんだ?」
英雄を殺したのは、アレクが修行をつけた月光だ。
つまり最近のことである。
そして、知識によれば、『真白なる夜』は魔族の男性である。
寿命は人間と変わらない。どんなに長く生きても、せいぜい百歳ぐらいまでだろう。
それが現在まで生きている理由を『憑依術』であると――
――月光と同じような術で同じように延命を続けたとするならば、『憑依術』は五百年前、遅くとも『真白なる夜』の寿命より前、すでにできていたということになるだろう。
では、なぜ『真白なる夜』は英雄を殺してやらなかったのか?
話によれば英雄を信奉し、英雄に忠誠し、英雄殺しのために晩年を捧げた彼が、なぜ?
この質問に対し、ヨミはしばし考えるように、うなった。
そして、なぜだか観念するように肩をすくめ――
「やらなかったのは、術の致命的な欠陥が理由だね」
「……致命的な欠陥?」
「うん。致命的じゃないから、致命的っていうか――とにかくその術で英雄アレクサンダーを殺すには、クリアしなきゃいけない問題があって、その問題は今も残ってるんだよ」
……その『致命的な欠陥』とやらは、同じ術を使おうとしているアレクサンダーとしては、聞いておかなければいけないことだろう。
というか――ヨミの側から説明がなければフェアじゃない。
フェアすぎるぐらいにフェアで相手がわかりようのないことまでペラペラ情報を開示するアレクの修行を知っているだけに、ヨミが隠し事をしていたというのは衝撃だった。
『ウッカリ』というわけでもないだろう。
アレクの記憶にあるヨミは、とにかく如才ない――失敗もないし苦労もしない。だからこそ印象に残りにくい少女なのだ。
説明をしなかったのなら、『説明しない』という彼女の意思があったのだろう。
ただし、彼女が本気で情報の隠蔽を考えているならば、あっさり嘘をつくだろうとも、アレクサンダーには思えた。
『欠陥がある』などと口が裂けても言わないはずだ。
だから、わからない。
彼にはヨミがなにを考えているか見当もつかないから、確認するようにたずねる。
「問題点に……『致命的な欠陥』については、説明はしてくれるんだよな?」
「まあね。でも、察してるみたいだけど――隠そうとは思ってたよ」
「……」
「あなたの決意がにぶったら困るもの。……ぼくは、ぼくのために、あなたを助けてるだけだからね。お義母さんは同じ境遇のあなたを心配してる。ブランはアレクの主張を重視してる。でも、ぼくは、ぼくのために、あなたをアレクから追い出そうとしている――だから、なるべくあなたが新しい体に移りたくなくなるような情報は与えないつもりだったよ」
「じゃあ、隠しきらなかったのはなんでだ?」
「ぼくにも葛藤があるんだよ。だから条件を定めた。あなたから質問をされたら隠さないけど、質問をされない限り、ぼくが明かしたくない情報は明かさないってね」
「……アレクさんとはだいぶ方針が違うな」
「まあね。だからこその葛藤。本気で嘘ついて本気で隠し事して、本気であなたを騙したら、あとでアレクに怒られそうなんだもん。だから、言い訳が立つ程度に隠し事をするっていう方針にしたんだよ」
彼女は肩をすくめた。
アレクサンダーは、なぜだろう――そんな彼女を、愛おしく思う。
その理由は――
「あなたは、早くアレクさんに会いたいんだな」
気持ちが透けて見えたから、だろうか。
……彼はアレクではない。ヨミの夫でもなければ、『はいいろ』の継承者でもない。
だとしても――彼女の様子には、微笑ましさを覚えてしまう。
「……まあ、そうだね。ぼくがあなたに力を貸すのは、アレクを取り戻すため」
ヨミは白状した。
どこか恥ずかしそうな表情を見て、彼は言う。
「ヨミさん、俺は、あなたのことが好きだ」
「………………ええと、人妻なんですけど」
「ブランの強さや、あなたのそういうしたたかさを、俺は尊敬する。自分のためじゃなくて、人のために発揮するそういう強さが、俺は好きなんだ。……だから、あなたがする隠し事も、あなたがつく嘘も、全部アレクさんをがっかりさせる結果にはならないって信じてるよ」
「……ずるいなあ。そういうこと言われたら、ごまかせなくなるじゃない」
「…………そうなのか」
「ま、よく考えれば、産まれたばっかりのあなたに隠し事も大人げなかったね」
ヨミは肩をすくめる。
それから、
「『憑依術』の致命的な欠陥についてだけれど、これについては、本当にまったく全然致命的じゃないんだよ」
「……でも、致命的なんだろう?」
「そう。『英雄を殺す術』として致命的な欠陥――それは、『この術に成功しても、死ねないこと』なんだ」
「どういうことだ?」
「考察するに、この術で憑依する先が『肉体』ではないことが原因の一つかな」
「……?」
「無機物にしか憑依できないんだよね。しかもその無機物は、無限の寿命と、人並みの――人みたいな機能が備わるんだよ。つまり、動ける、しゃべれる、魔力とかもあって、鍛えればステータスが上がっていく。傷ついても『直る』。ただ一点、『死』がなくなるという以外は、人そのものなんだって」
「……」
「でもそれは、英雄が陥っていた症状となんら変わらない。人の体でなくなるだけ。だからこの術は『致命に至れないからこそ、目的を思えば致命的な欠陥』を備えていると言えるんだ」
「…………つまり俺は、アレクさんの体を抜けたら、無機物になるのか」
「あなたの『体』は用意してあるよ。鍛冶神ダヴィッド作の鎧――『真白なる夜』が術の開発後に依頼し作成してもらったもののうち、一つをくれるってさ。たぶん憑依先としては最上級の代物なんじゃないかな」
「……鍛冶神ダヴィッドの鎧って聞くと、なんか、こう、ひとりでに動きそうで怖いな」
「『ゴーレム』? ……まあ、彼女は無機物に命を吹き込む技術があったみたいだしね。技術っていうか――『チートスキル』かな。英雄にいわく『アルケミスト』の能力なんだとか」
「……鍛冶士じゃなくて錬金術士なのか」
それはそれで、主人公みたいな能力だ。
五百年前の英雄パーティーには『ゲームの主人公』みたいなのが多すぎると彼は思う。
無論、アレクの知識あってこそいたった思考だが――
無限に矢を放ち続けるサロモンの様子はシューティングゲームの自機を連想させる。
ダヴィッドのような錬金術師の女性を主人公としたゲームもあっただろう。
英雄アレクサンダーにかんしては、本人が自身を『スローライフゲームの主人公』と述べている。
カグヤ、イーリィ、月光あたりは、アレクサンダーにはよくわからない。
『真白なる夜』は――どうだろう、『弱点を見抜く能力』という表現だけだと、そんなゲームはたくさんあるような、全然ないような。
「それで?」
というヨミの声がして、アレクサンダーはハッとする。
慌てて、
「なにが?」
「いや、なにがって――別に、ぼくが思うほど問題じゃないならいいんだけどさ。あなたはいいの? 無限の寿命を持つ無機物に魂を移し替えるって聞かされて、それでも続行するの?」
「……」
「あなたは、『長く生きる』のを『いいことだ』と思えるような記憶を持ってないはずだけれど、それでもまだ決意が変わらないの?」
『長く生きる』。
それが『人間が八十年生きる』とか、『エルフが二百五十年生きる』とか、その程度の、一般的な『長生き』ではないことは、すぐにわかった。
英雄アレクサンダー。
月光。
人の度を超えて長く生き、そのせいで苦しんだ人たちのことを、言っているのだ。
人並みの死を奪われた被害者たちのことが、たしかにアレクの記憶にはある。
「……それでも、俺の決意は変わらないよ。たとえ不老不死になりさらばえようとも、俺は俺の体がほしい」
「アレクと対話するため――だっけ? それは、あなたにとって、それほど重要なんだね」
「そうだ。俺はアレクさんに言わなきゃいけないことが――聞かなきゃいけないことがある。それまでは死ねないし、それまでは生きたい」
「ま、だったら――ぼくも、もうなにも言わないよ。いや、なにも言わないっていうか、言うべきことは全部言ったよ」
「なら、俺ももう聞くべきことはないかな。ヨミ……さんを信じるよ」
「そう。じゃあ――」
彼女は笑う。
穏やかな笑顔――仮面のようにも見える表情。
「――修行を始めよう。あなたにとって、最初で最後の、アレクの体で行う修行を」
……なぜだろう、彼女を疑っていないのに――
その言葉は殺害予告にしか聞こえなかった。




