230話
目覚める。
真夜中の絶壁。暗雲に陰らされた地表を照らす青い光を見る。
セーブポイントだ。
アレクサンダーの能力。
「や、お帰り。早かったね」
正面には金の体毛の狐獣人がいた。
ヨミだ。
彼は――ヨミを見上げ、膝をついた体勢でしばらく固まっていた。
呆然としていたのだ――気付いてしまった真実はとても受け入れがたいものであり、彼はしばらく、声を発することさえできなかった。
「大丈夫? 気分でも悪い?」
ヨミがたずねてくる。
彼は、呼吸を整え、ゆっくりと立ち上がった。
「……大丈夫、だと思う。ただちょっと、心情の整理ができないだけで……」
「自分がいつ産まれたのかわかった?」
「…………」
それは、わかった。
というか知ってみれば、いちいち確認するまでもないことだった。
ただ――
「どうしたの?」
気付いた事実を、ヨミには言えなかった。
だから彼は「ああ……」とあいまいに言葉を濁す。
「とにかく、気付けたよ。俺がいつ産まれたのか――俺が、本当は、なんなのか」
「……まあ言いたくないなら、ぼくが聞く必要はないんだけどね。きちんと真剣に、手間を惜しまず自分の産まれを見つけたんでしょ?」
「真剣にやった。……必死であり、本気で、やった。その結果、見つけたよ。ちゃんと」
「じゃあ――大丈夫だね、きっと」
ヨミが笑う。
彼もどうにか、笑えた。
「……俺さ、特に理由もなく、なんとなく『生きたい』って思ってたんだ」
「うん? まあ、生きたいと思うことに、理由はいらないんじゃないかな?」
「そうなんだろうけど――でも、記憶をたどったことで、生きる目的ができたよ」
「へえ、どんな?」
「アレクさんと話したい」
それは願望というより、使命感のようなものだった。
話さねばならない。
顔を付き合わせて、話をして――場合によっては話だけで済まないかもしれないけれど、そうしないと、生きられないし、死ぬこともできない。
アレクの気持ちを聞きたい。
彼は、そう思った。
ヨミはよくわかっていないような顔をしていた。
でも、深く聞いたりはしないらしい。
「いいことだと思うよ。生きたくなきゃ、必死になれないし」
「ああ。とにかくこれで、これからやる修行にも耐え切れそうだよ」
「……どんな修行を想定してるか知らないけど、ぼくの修行はご期待には応えられないかも」
「死の淵で反復横跳びはしないのか?」
「その表現はアレクのつける修行を表すのにとても的確なんだけれど、ぼくの場合は、なんていうか……褒めて伸ばすタイプだから」
「……そういえば、ヨミ……さんも、教官みたいなことをしたこと、あるのか?」
「一部任されることもあったっていう感じかな? たまにブランとかノワが修行の手伝いしてるじゃない。昔はぼくがあのポジションで、アレクが手を離せない時とか、師匠代行をやったりもしたんだよ。……っていうか」
「?」
「覚えてないんだね、ぼくに修行頼んだことは」
「……」
「アレクの中でぼくへの頼みごとは『記憶に残るほど印象深いこと』じゃなかったんだ」
……断じて彼は悪くない。
でも、なぜか申し訳ないことをしたような気分になる。
「なんか、ごめん」
「……え? あ、ああ、ううん。あなたに言ったんじゃないんだよ。ただなんていうか――ちょっと寂しくなっただけ」
はにかむように笑う。
かわいい人だ、と彼は思った。
……思い出補正みたいなものも、あるかもしれない。
アレクの記憶にはいたるところにヨミが出てくるのだ。
そしてこれは、客観的に見ているから感じることかもしれないが――彼女はいつも、献身的だった。
愛おしくならないわけがない。
彼は愛がなにか知らないが、ここまで尽くしてくれた少女を好きになるなというのは難しい話だろう。
「……俺は惚れっぽいのだろうか」
「突然どうしたの?」
「いや。それで、修行内容は」
「うん、それはね、あなた――あ、そうだ」
ヨミが途中で言葉を止める。
彼は首をかしげた。
「どうした?」
「あなたをなんて呼べばいいか、決めておこうかと思って」
たしかにそうだ。
いつまでも『彼』とか『あなた』では収まりが悪い。
「名前、どうする?」
ヨミの質問。
彼は堂々と述べる。
「俺は――アレクサンダーだ」
「……いや、それだと紛らわしいでしょ? パッと思いつくだけでも英雄と夫とお義母さんの手下とで三人も――人数だけなら何十人もアレクサンダーがいて、もう、誰が誰やら」
「それでも、アレクサンダーだ。……紛らわしいのは、俺もそう思う。でもこれ以外を名乗ることはできない」
「……ふぅん? ま、そこまで言うなら」
なにかある、というのは伝わっているだろう。
でも、ヨミは踏み込んでこなかった。
気遣いか。
あるいは――無関心か。
……アレクの記憶の中にいつもいる彼女は、しかしその内心があまり読めない。
どんな人物なのかわからない――という感じだ。
なぜ、彼女は押し切るようにアレクと『夫婦』になったのか。
なぜ彼女は出会ってから今まで――出会った当時はともかく、『輝く灰色の狐団』解散時から今まで、アレクに味方し続けてくれているのか。
知りたい、と思った。
でも――今じゃない、とも思った。
自分の体を手に入れて、それからだ。
自分が自分になってから――自分の口で、自分の声で、彼女に問いただそうとアレクサンダーは思う。
「じゃあ、アレクサンダーさんに、『憑依術』の修行内容を説明しちゃおうかな」
ほがらかに彼女は笑う。
アレクサンダーは気を引き締める。
褒めて伸ばすと言っていたし、アレクの修行よりひどいことにはならないのかもしれない。
でも、修行は修行だ。
まして未知の技術を習得するための修行なのである。
きついことは、想像にかたくない。
「具体的にはなにをするんだ?」
怖くもあったが、聞かざるを得ない。
アレクサンダーの発言に対し、ヨミは笑顔を浮かべて、告げる。
「理論を覚えるだけだよ。ぼくに『憑依術』の理屈を教えた完成者に曰く、習得はそれほど大変じゃないんだ」
「……さっきから、その『完成者』っていうのは誰なんだ?」
「この術をもっとも理解し、この術で成すべきことをけっきょく成せなかった人、かな」
ヨミは肩をすくめた。
アレクサンダーは、気付く。
彼女の口ぶりから――
彼女に『憑依術』を教えた人物を、想像できてしまったのだ。
感じるのはおどろきよりも恐怖だ。
運命や因縁――そんなものが、自分の背後に忍び寄っているような、静かな恐怖。
だから彼は、おそるおそるたずねる。
「……誰なんだ?」
この質問を受けて――
ヨミはなにも変わらなかった。
苦笑なのか愛想笑いなのかわからない顔をして、肩をすくめる。
それから、
「『真白なる夜』本人だよ」
五百年前の人物がまだ生きていることなど、別におどろくほどのことではない――
そんなふうに、何気なく言うだけだった。




